組織は必要ありません。
ものみの塔協会のような組織宗教の、「・・・すべき」、「・・・すべきでない」調の融通のきかない取決めは罪を誘発します。「救われるためには、人々をエホバの組織に導かねばならない。それ以外に救いはない」と教えられているJWたちは、隣人を見るときに意識のどこかにその人がバプテスマを受けたJWになってほしいという願望があります。
救われてほしい = ものみの塔に入ってほしい
それで、大半のJWはあるバイアス(考え方や意見に偏りを生じさせるもの)のかかった親切を示してしまいますね。
しかし、救いと宗教組織に入信することは関係ありません。
人は、イエスキリストの名により救われます。
人とキリストの間に宗教組織が入る余地はありません。
そのような「・・・すべき」調の規則に基づく宗教活動の強要がなければ、不要なバイアスも生じないでしょう。
リクルート活動により組織に人々を導くことを強要しなければ、だれでも必要なときに自然に親切を示せるのではありませんかね。
奉仕報告を強要したり、「巡回訪問に合わせて補助開拓をしましょう」みたいな奉仕の目標の強要がなければ、自分の活動を他の人と比較することなど生じないですね。
またそのような比較から来る落胆や優越感のような不要な感情も生じませんね。
ものみの塔協会は、さまざまな宗教的な活動を取り決めたり、基準を設定したりして組織的是認(組織から得られる是認)を信者に強要していますが、そのような崇拝の様式はキリストの教えに調和しません。
ものみの塔の宗教的な規則は罪を誘発するポテンシャルを持っています。
ローマ 7:8, 11
8 しかし,罪はおきて(決まりや取決め)を通して誘いを受け,わたしのうちにあらゆる貪欲を生み出しました。律法(決まりや取決め)がなければ,罪は死んでいたのです。
11 罪はおきて(決まりや取決め)を通して誘いを受け,わたしをたぶらかし,それを通してわたしを殺したのです。
➡ ものみの塔の宗教規則により人の虚栄心が露骨にあらわになる現実を2世の目は暴露しています。
神への信仰は宗教組織と無関係です。
ガラテア 5:1-61 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい。. . .
4 律法(宗教的に決められた活動)によって義と宣せられることを求めるあなた方は,だれであろうとキリストから引き離されています。あなた方はその過分のご親切から外れ落ちているのです。5 わたしたちのほうは,待望のものである,信仰の結果としての義を,霊によって切に待っています。6 キリスト・イエスにあっては,割礼も無割礼も価値がなく,ただ愛を通して働く信仰に[価値が]あるのです。
宗教組織の取決めには何の価値もありません。
ただ愛を通して働く信仰に価値があります。
それは、神を見習うことであり極めて個人的な生き方のことです。
それが、神とともに歩むことです。
ミカ 5:8
8 地の人よ,何が善いことかを[神]はあなたにお告げになった。そして,エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。
神とともに歩むことに、組織宗教は必要ありません。
西暦1世紀にキリストは人々を組織宗教から解放しました。
ですからクリスチャンは組織宗教の中で人の奴隷になるべきではありません。
コリント第一 7:23
23 あなた方は代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません。
0 件のコメント:
コメントを投稿