「解毒」を読んで

2016/04/12

JW ものみの塔協会

t f B! P L
姪からの紹介で坂根真美さんの「解毒」を読みました。

感想を書きます。

真美姉妹の経験は、ものみの塔の生み出す実が腐っていることを良く表しています。

では、始めましょう。

真理の本の中のインチキ

真美姉妹は愛情にあふれる家庭に生まれました。
ご両親は善良で知的な方たちで子供たちにとって最良の環境を提供していました。真美姉妹は末っ子でお姉さん姉妹ととても仲の良い関係を楽しんでいました。

お父さんは、幼い頃ご両親が離婚し寂しい思いを強いられていたこともあり、聖書の神と神の約束に魅力を感じ、妻子をともないエホバの証人と交わるようになり家族でエホバの証人になりました。

お父さん兄弟は、「とこしえの命に導く真理」と題する本を読んで真理を確信したようです。

わたしも、そうでした。

この本は1969年に発刊され「青い爆弾」と呼ばれていた本です。

本部職員のハーバード大卒、ハリーペロヤン (Harry Peloyan)が執筆した「ものみの塔協会」初の聖書の教えのダイジェスト版で、人類の不公平や悲哀の原因と神の解決策が誰にでも分かるようにダイレクトに書かれています。

日本語のwikiのベストセラーの一覧の「販売部数が未詳な本1億-2億未満」のところに「真理の本」が掲載されています。そこでは、真理の本は全世界で1億800万部発行されたと記されています。

しかし、英語版のwikiでは「The Truth that leads to Eternal Life」の本はリストの中に存在しません。ものみの塔の日本支部が言っている発行部数は誇張かもしれません。その発行部数は5500万部とも言われています。

この「青い爆弾」と呼ばれた書籍で世界中の何百万の誠実な人々がエホバの証人になりました。

問題は、その本には聖書の基本的な真理とともにインチキも書かれていることです。
特に人の興味を引くインチキは、1914年の終わりの日に関する予言です。

フリーメイソン資本の「ものみの塔協会」は、聖書の良いたよりを利用して抜け目なく真実を求めている誠実な人々を虜にしました。

論理的で明るい希望を与える聖書の音信と一緒にインチキが提供され、人々はインチキをそのまま飲み込みました。

そのインチキとは、
「神、キリスト = 組織」、「ものみの塔協会は神の組織」というインチキです。

本当は、神も、キリストも、「ものみの塔協会」と何の関係もありません。
「神 、キリスト ものみ塔」なのです。

真美姉妹の思考は「神 = ものみの塔」であるために、彼女は必然的に聖書の神を否定せざるを得なくなったと思いました。

では話を元にもどして、

インチキ宗教組織のインチキ教え

真美姉妹のお父さんは、ある時点で「ものみの塔」のインチキに疲れ果てたと思います。
それで、人を型にはめる窮屈な組織と歩むことを止めました。

真美姉妹によると、その原因はお母さんが神を優先して夫への敬意を失ったためにお父さんは家庭内での居場所がなくなったと言われています。

しかし、お母さんが優先していたのは、聖書の神ではなく「ものみの塔」のインチキ崇拝の様式です。

ものみの塔協会は人々を組織崇拝者にする詐欺師で、騙されたJWたちは神を崇拝していると思って熱心な組織崇拝者になります。

騙された人たちは宗教組織の有無を言わせない窮屈な崇拝の様式で人を見るので亀裂が生じ、一方は熱心党となり、他方は宗教組織の要求に違和感を募らせることになります。

この分離のプロセスは神からのものではありません。
それは、宗教組織の詐欺(インチキの影響力)によるものです。
組織宗教(このケースでは「ものみの塔協会」)が課す神と無関係の規則や伝統は、正常な人間関係を破壊しました。

本来の愛ある家族がインチキ宗教組織のインチキ教えにより引き裂かれました。
これは、フリーメイソン作「ものみの塔協会」の生み出す腐った実です。

コルバン

他の宗教組織にも言えることですが、組織宗教「ものみの塔協会」もまたコルバンで信者を縛ります。

コルバンとは、神への捧げものです。

コルバンを理由に、自分の愛すべき人を無視することを容認する教えが、組織宗教のインチキ教えです。

それは、キリストにより糾弾されたパリサイ人の教えそのものです。

マルコ 7:9-13
9 [イエス]はさらに続けてこう言われた。「あなた方は自分たちの伝統を保とうとして,巧妙にも神のおきてを押しのけています。10 たとえば,モーセは,『あなたの父と母を敬いなさい』,そして,『父や母をののしる者は死に至らせなさい』と言いました。11 ところがあなた方は,『もし人が自分の父や母に向かって,「わたしの持つものであなたがわたしから益をお受けになるものがあるかもしれませんが,それはみなコルバン(つまり,神に献納された供え物)なのです」と言うならば』と言います― 12 あなた方はもはやその人に,自分の父や母のために何一つさせないのです。13 こうしてあなた方は,自分たちが伝えた伝統によって神の言葉を無にしています。そして多くのこれと同様の事をあなた方は行なっています」。

神への供え物(奉仕や義務)などを理由に、配偶者や子、兄弟、親に示すべき必要な愛や思いやりを押しのけ、愛すべき人を裁いたり、見下したり、ないがしろにすることを容認します。

ものみの塔は、1度もソコが間違っていることを強調したことがありません。
むしろ「家族(夫婦、親子)で神を第一にしなさい」といつも教えています。
問題は、神は親族に愛を示すように求めているにも関わらず、ものみの塔の指示や活動をあたかも神の要求であるかのように強調し、家族みんなでコルバンを第一にしなさいと教え続けることです。

例えば、定期的な集会の参加、定期的な野外奉仕への参加、王国会館の世話、巡回訪問や大会を支持することなどを信仰を測る基準にして、これらの「ものみの塔」の崇拝の様式を神への供え物と位置づけ、何が何でも(犠牲を払ってでも)それらの活動を優先する人が神の崇拝の模範者であると教えます。

ものみの塔協会は、家族でコルバンを捧げましょうキャンペーンばかりしています。

「家族の成員の誰かが補助開拓、正規開拓、特別開拓、ベテル奉仕者となるように家族みんなで協力して王国と神の義を第一にしましょう。」とピアープレッシャーをかけ続けています。このプレッシャーがなくなることはありません。

結果として、家族全員がコルバン(神への奉仕)を理由に夫、妻、子に犠牲を強いることを正当化します。

組織的な洗脳(教育)のせいで、大半のJWは宗教組織の活動が神への奉仕であると思い込んでいます。

しかし、この見方は間違っています。
ものみの塔の教えは、イエスが糾弾したパリサイ人の教えと同じです。

神への奉仕は、家族を愛することであり、また隣人を愛することです。
それは、宗教組織の活動にあずかることではありません。

組織の活動にあずかることは神と隣人に真の愛を示すことであると宗教組織は主張しますが、神や隣人に愛を示す方法は宗教組織の活動ややり方に限定されるはずがありません。

そうであれば、宗教組織の活動に熱心でないからという理由で隣人を裁いたり、ランク付けしたりする根拠はありません。しかし、ものみの塔協会は組織の活動や方針に対する熱意や従順により信者を差別化します。

その結果、無価値な人事評価で人を見る最低の土壌が組織内に作られています。

模範的な信者として振る舞い、より大きな特権をとらえて組織の代表者として用いられる人物になることを励ます特権至上主義のために、「人からの栄光を抜きにしては組織内の自分の居場所を保てない」まことにお粗末な最低の人間関係が作られています。

ものみの塔協会の教え、方針、崇拝の様式により、信者の思いは組織に都合のいい型にはめられます。

その型とは、
  • 神への奉仕は、組織の活動にあずかることである。
  • 組織の活動において自分の義(熱意や量)を人にアピールして、組織内で進歩が明らかになるようにする。
  • 組織の教え、方針を考慮せずに独自に行動してはいけない。
  • 組織内の権威の経路をわきまえて服従する。
  • 神は組織への従順を求めている。
などです。

これらの思考パターンは、自由を愛する神からのものではありません。
それは、ニムロデのようなピラミッド支配の独裁者が好む思考パターンです。

真美姉妹のお母さんのような熱心党のJWが持つ典型的な思考パターンと思います。

本を読む限り、真美姉妹のお母さんは柔軟な考えを持っている方のようですが、それでも肝心な局面では「ものみの塔」の型どうりに振舞っていました。やはり、これは洗脳の力でしょう。お母さん姉妹もインチキの犠牲者であり助けを必要としています。

洗脳の働き

エホバの証人の大半が持つ内面の葛藤のひとつは、
組織を離れた人(排斥、断絶、消滅)を無視する気持ちはないけど、組織の教えに従わねばならないというものです。

エホバの証人は、組織を離れた人について組織サイドの見方と解説だけ学びます。
しかも、組織の見方と解説を肯定する推論だけが受け入れられ、異なる見方や意見は歓迎されません。
このような教育の仕方は、単一指向性推論の洗脳教育と言えます。

その洗脳の結果、自分の内なる声を押し殺して普通ではありえない行動をとるようになります。

例えで説明します。

放蕩息子の例え話を思い起こしてください。

父親は、問題の息子を排斥したのではありません。
問題の息子の要求に応じてお金を与え、家を去ることを許しました。
仮に、その息子が携帯電話を持っていたら、いつでも自由に父親と会話できたでしょう。
その息子は父親から拒絶されることはありませんでしたし、将来にわたってそのようなことはないでしょう。
これが親子の普通の関係です。

ものみの塔の排斥の教えは普通の親しい関係を、邪悪と正義の対立関係に変質させます。
それは、聖書からのものではありません。

真美姉妹のお母さんは、排斥された娘の訪問に「あなたがエホバの証人に復帰しなければ、私はあなたのことを死んだと思っているから。わたしの中ではね、あなたは肉体は生きていても霊的には死んでいるのよ。だから、こうしてあなたが現れるとビックリするのよ。私はね、あなたは死んだと思って生活しているんだから!もう会いにこないでくれる?あなたのことを遠くから見ているから」と反応しています。

しかし、これは彼女の本来の反応とは思えません。

娘に対するというよりも、むしろ「ものみの塔」の型どうりに「組織の排斥者」を扱っている姿と思います。

単一指向性の洗脳推論のJWたちは、一律に同じように組織を去った者を扱います。
そこに人間味を加味してはいけないことになっているのです。

ですから積年の友人が組織と意見を異にして断絶、あるいは排斥された場合、組織にいる友人は通常の友人らしからぬ反応をします。その反応は自然に反するマニュアル化された反応となります。

普通は、友人として「どうしたの」と話しを聞きますが、大半のJWの一律の反応は、会話を打ち切ります。それは、あたかも組織を去る人はすべて聖書の教えに背く、あるいは神を捨てた邪悪な者で、その弁解など聞く必要はないという態度を即座に示します。

そのように反応するように絶えず教え込まれていない限り、通常、人はそのように反応しないでしょう。

洗脳により作られた思考回路

エホバの証人の思考回路は、「神、キリスト = 組織」、「組織を否定する者 = 神、キリストを否定する者」となっています。

彼らは、「神、キリスト 組織」「組織を否定する者 神、キリストを否定する者」の可能性を全面否定します。思いが「自分が属するエホバの組織がインチキであってはいけない」ことになっているからです。

JWたちは、イエスのとき以来、地上に神の組織は存在しない聖書的な事実を知りません。
それで、容易に「ものみの塔」のインチキの犠牲となり、自分たちの組織が古代イスラエル王国のような地上の神の組織だと思い込んでいます。

ですから、熱心党のJWは、何かと「組織が . . . 」、「協会は . . . 」、「統治体の . . . 」などの聖書にはない企業用語を連発し組織崇拝に酔いしれ、自分が神の組織を代表しているかのように話し振舞います。

その見方は、神を代表すると主張していたイエスの時代のパリサイ人や宗教指導者たちと同じです。

しかし、ものみの塔協会はシオニストの資金で設立され運営されている組織です。

➡ ものみの塔運動の始まり
➡ ものみの塔とシオニズム
➡ ものみの塔と金融ユダヤ人
➡ JP.モーガンとものみの塔協会
➡ ものみの塔協奏曲

ですから、
「神、キリスト 組織」で、
「組織を否定する者 神、キリストを否定する者」であり、

➡ 神に従うことは、宗教組織に従うことではありません。
➡ JWの覚醒について

サタンの器のひとつである「ものみの塔協会」のシステムで神を知ることは不可能だと思います。「ものみの塔」の崇拝の様式は神が求めている真のクリスチャンを生み出せません。

エホバの証人は、組織の活動にあずかることにより神に仕えていると思い込んでいますが、それは間違いです。自分たちが組織に利用されている現実に気付いていません。

宗教組織の活動にあずかることが神に仕えることではありません。

神を信じ崇拝することは宗教組織の活動に参加することではなく、神が求める「生き方」です。

神への奉仕はまず家庭で実践されるべきでもので外での宗教活動ではありません。
つまり、最も身近な隣人である家族の必要は最優先されるべきものです。

神はそれを人に求めています。
それは、神ご自身の模範からも明らかです。
神は、アダムとエバ、またその子孫である全人類を拒絶などしていません。
聖書の存在は、神が人類に積極的にコミニュケーションをとっている証拠です。

愛は神からのものであり、互いを愛し合っている家族は、やがて神を知るようになります。
なぜなら、そのような生き方を神は喜ばれるからです。

サタンの器である組織宗教は、隣人を愛することよりも、自分の義を求めることに人々を誤導します。その理由で、宗教組織は、公の宗教活動(組織崇拝の様式)を提供し、それによって義者となるように信者を励ますわけです。

外への宗教活動より優先されるべきことは、家族の必要です。

テモテ第一 5:4,8
4 しかし,やもめに子供や孫がいるなら,彼らにまず,自分の家族の中で敬虔な専心を実践すべきこと,そして親や祖父母に当然の報礼をしてゆくべきことを学ばせなさい。これは神のみ前で受け入れられることなのです。
8 当然のことですが,自分に属する人々,ことに自分の家の者に必要な物を備えない人がいるなら,その人は信仰を否認していることになり,信仰のない人より悪いのです

ものみの塔は、家族の必要を顧みることを優先する大切さを強調することはありません。
いつも、組織の宗教活動を優先させることばかり強調しています。
この偽善的で腐った教えは、愛情にあふれる家族を「組織崇拝の度合いによって互いを監視し裁き合う」とんでもない人間関係に変質させます。

神は、ものみの塔の崇拝の様式で人を裁くことはありません。
ですから、だれも「ものみの塔」の集会や伝道、その他の宗教活動で肩身の狭い思いをすべきではありません。つまり裁かれるべきではありません。

「神、キリスト ものみ塔」であり、また「神は宗教的犠牲を喜ばれません。」なのです。

神が求めていることは、宗教儀式や組織の業ではありません。
ひとりの独立した個人として神と共に歩むことです。

ミカ 6:8
8 地の人よ,何が善いことかを[神]はあなたにお告げになった。そして,エホバがあなたに求めておられるのは,ただ公正を行ない,親切を愛し,慎みをもってあなたの神と共に歩むことではないか。

独立した個人とは、神以外の誰にも依存しない人という意味です。

ところが、ものみの塔は、「神、キリスト = 組織」であると絶えず強調し組織を美化し不当に高め、組織なしではやっていけないと思い込む組織依存症の人々を製造し、ものみの塔の崇拝の様式を熱心に求めることによってのみ義とされると教えます。

それで、組織崇拝の様式を熱心に支持しない人を霊的に弱い人と言い、神の見方ではない組織の基準または伝統で人を見る、または裁くことを容認します。

これでは、夫婦、親子、兄弟、姉妹、その他の愛情にあふれる人間関係が、やがて組織崇拝の要求、あら捜し、失望、挫折により引き裂かれていくでしょう。

ものみの塔の教えは、パリサイ人のパン種と同じで腐った実を生み出すパン種です。
このパン種により、多くの愛情あふれる家族、親子が引き裂かれてきました。

マタイ 16:6, 12
6 イエスは彼らに言われた,「じっと見張っていて,パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。
12 その時,彼らは,パンのパン種ではなく,パリサイ人とサドカイ人の教えに気を付けよと言われたのだ,ということを会得した。

ものみの塔のパン種は、人を裁く者を作り出します。
それは、神からのものではありませんし、そのような崇拝を神は望んでもいません。

マタイ 7:1-5
1 「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。3 では,なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。4 また,どうして兄弟に,『あなたの目からわらを抜き取らせてください』と言えるのですか。しかも,ご覧なさい,自分の目の中には垂木があるのです。5 偽善者よ! まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば,兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。

ルカ 6:37-38
37 「また,裁くのをやめなさい。そうすれば,あなた方が裁かれることは決してないでしょう。また,罪に定めるのをやめなさい。そうすれば,あなた方が罪に定められることは決してないでしょう。いつも放免しなさい。そうすれば,あなた方も放免されるでしょう。38 いつも与えなさい。そうすれば,人々はあなた方に与えてくれるでしょう。彼らは押し入れ,揺すり入れ,あふれるほどに量りをよくして,あなた方のひざに注ぎ込んでくれるでしょう。あなた方が量り出しているその量りで,今度は人々があなた方に量り出してくれるのです」。

ものみの塔協会を含めあらゆる宗教組織のパン種に警戒しなさい。

宗教組織は盲目の案内人です。
組織宗教はサタンの器であり、神のものではありません。

ルカ 6:39, 43-44
39 . . .「盲人が盲人を案内できるでしょうか。二人とも穴に転がり込んでしまうのではありませんか。
43 「りっぱな木で腐った実を生み出しているものはなく,腐った木でりっぱな実を生み出しているものもないのです。44 木はそれぞれその実によって知られるからです。たとえば,人はいばらからいちじくを集めず,また,いばらの茂みからぶどうを切り取ることもありません。

愛情にあふれる誠実な人たちが、ものみの塔のパン種により誤導され、打ちのめされ、自由を奪われ、次第に萎縮してゆく現実は、ものみの塔協会が見せかけの神の組織でありサタンの器のひとつである証拠す。

マタイ 9:36
36 また,群衆を見て哀れみをお感じになった。彼らが,羊飼いのいない羊のように痛めつけられ,ほうり出されていたからである。

痛めつけられ、ほうり出された羊たちはの多くは聖書の神への信仰を失います。

なぜなら、ものみの塔の洗脳のために、「神 = 組織」に沿ってしか推論できないからです。

神の名を用いる「ものみの塔聖書冊子協会」の罪は天にまで達しており、「神のみ名をみだりに扱うもの」として裁かれるでしょう。

出エジプト 20:7
7 「あなたの神エホバの名をいたずらに取り上げてはならない。その名をいたずらに取り上げる者をエホバは処罰せずにはおかないからである。

ものみの塔協会が生み出している実は腐って悪臭を放っています。

真美姉妹の夫となった2人のJW二世の兄弟たち、またそのお母さん姉妹たち、またその他多くのJWの犠牲者たちは助けを必要としていると思います。

➡ 「JW2世の目」も見てください。

「ものみの塔聖書冊子協会」エホバの証人たちは、神の組織の成員として霊的に富んでおり、霊的な窮乏はないと思い込んでいます。

炎の目をもつイエスはエホバの証人たちをどう見ているでしょうか。

啓示 3:17-18
17 あなたは,「わたしは富んでおり,富を得たのだから,何一つ必要なものはない」と言いながら,自分が惨めで,哀れで,貧しく,盲目で,裸であることを知らない。だから,18 わたしはあなたが,富んだ者となるために火で精錬された金を,また,身にまとってあなたの裸の恥が現われないようにするために白い外衣を,そして見えるようになるため自分の目に塗る目薬をわたしから買うように忠告する。

この助言は、ラオデキア会衆に宛てられたものです。

偶然の一致とはいえ、皮肉にも「ものみの塔協会」の創始者の一人、フリーメイソンのC.T. ラッセルは、自らを聖書予言の最後の秘儀を解明する「ラオデキアの使徒」と称していました。

サタンは「ものみの塔協会」を用いて霊的に惨めで、哀れで、盲目で、裸のエホバの証人たちを生み出しました。

エホバの証人たちは、キリストの時代のユダヤ人と同じです。
組織崇拝者のJWたちは「わたしたちの父は神です。」と言いますが、ユダヤ人と同じで彼らの父は悪魔です。

ヨハネ 8:41, 44
41 あなた方(ユダヤ人)は自分たちの父の業を行なっているのです」。彼らは言った,「わたしたちは淫行によって生まれたのではありません。わたしたちには一人の父,神がいるのです」。
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

統治体も含めエホバの証人は誰ひとり本当の神を知りません。
エホバの証人の信仰は、インチキ組織のインチキ教えによるインチキ信仰です。

マタイ 15:8-9
8 『この民は唇でわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。9 彼らがわたしを崇拝しつづけるのは無駄なことである。人間の命令を教理として教えるからである』」。

インチキ組織の中にいても本物の信仰を培った人たちは、インチキ組織と意見を異にして排斥、断絶、消滅などで組織を去るでしょう。

エホバの証人の皆さん、
キリストから、精錬された金、白い外衣、目薬を買って事態を正確に見定め、奴隷身分の組織崇拝をやめなさい。

そうすれば、自由で幸福な本物のクリスチャンとして生きられるでしょう。

➡ 信仰によって歩む

おまけ

奉仕報告をものみの塔協会に提出する義務がありますか。

自分が真の神の組織の成員と思ってるエホバの証人たちは、
組織が備える野外奉仕の取決めにあずかり、毎月働いた時間やその他を組織に報告します。

それでは、エホバの証人たちは神の組織の代表者なのでしょうか。
ものみの塔協会という組織を神の組織とみてもよいでしょうか。

野外で働くエホバの証人たちは、ものみの塔協会の代表者と言えますか。

ものみの塔協会の法廷答弁によると、
野外で働くエホバの証人たちは、ものみの塔協会の代表者ではありません。

野外奉仕は、ものみの塔協会の活動ではなく、個々の信者の個人的な宗教活動とされています。(そうであれば、奉仕報告を「も塔」に出す必要はありませんね。)

ものみの塔協会の成員とは、株主のことです。

では、エホバの証人が属する組織とは何でしょうか。
それは、現実世界には存在しない神学上の概念ということです。
ですから、少なくともそれは現実世界の「ものみの塔聖書冊子協会」ではないことになります。

エホバの証人の皆さんの寄付と勤労で建てた海老名ベテル、大会ホール、王国会館、その他の施設はエホバの証人の皆さんのものではありません。

それらの不動産は「ものみの塔聖書冊子協会」のものです。

ですから、協会は皆さんの寄付や勤労でできた施設を「エホバに献堂したエホバのもの」と言って皆さんをおだてて、皆さんの資金と勤労の実をピンハネするわけです。

ものみの塔協会を神の組織と思い込んで、熱心に組織崇拝を実践しているエホバの証人たちは詐欺の犠牲者たちです。

➡ 協会の弁護士の法廷答弁
➡ 宗教詐欺

単一指向性推論による集団洗脳の手法

エホバの証人の集会では、ものみの塔誌の研究やその他の出版物の質疑応答プログラムがあります。
資料は協会が準備し、協会の解説に従った注解だけが求められ、異なる注解は歓迎されません。

これは論題を多面的に討議して真実を見極める場ではなく、協会サイドの解釈の摺りこみの場となります。
協会と異なる意見を述べると、司会者から無視され、後で助言されます。
これがワンサイド推論による大衆洗脳の手法です。

ものみの塔エホバの証人の集会は大衆洗脳の場であり、ものみの塔の答を摺りこむためのプログラムです。
ですから、既に答ありきの大衆教義問答です。

教義問答(カテキズム)とはインチキを教え込む伝統的なキリスト教の洗脳教育のことです。

フリーメイソン資本の「ものみの塔協会」は大衆心理を活用した大衆カテキズムで信者を洗脳しています。
ものみの塔研究司会者は、ものみの塔の完璧なマイコンロボットです。
司会者の役割は、異なる意見を排除し協会の解釈を押し付けることです。

こんなインチキにいつまでも付き合ってはいけませんよ。
早く目覚めなさい。

➡ エホバの証人の社会の閉鎖性について

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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