ルカ 12:2
2 しかし,注意深く秘められているもので表わし示されないものはなく,知られないで終わる秘密はありません。
インターネットの発展のおかげで,今では誰でも,以前は得ることのできなかった,あるいは意図的に隠されてきた事実を知ることができるようになりました。
以前は,ものみの塔運動の経緯を調査することは容易ではありませんでした。唯一提供されていた資料は,自らを「神から選ばれた経路」と称する「ものみの塔協会」そのものによるものでした。
私達は誰でも「全ての霊感の表現を調べる」義務を今もなお負っています。これには当然「ものみの塔協会」の教えや活動も含まれます。
ものみの塔運動の起源
まず始めに,「CT・ラッセル」の教えは彼独自のものでない事を皆さんはご承知の事と思います。彼の教えは「セカンド・アドベンティスト」(キリストの再臨を待望しているグループ)から継承したものでした。アメリカにおける再臨運動の創設者「ウィリアム・ミラー」(William Miller)は,キリストの再臨の日付を1884年10月22日に設定しました。そしてその期待が実現せずに「大いなる失望」を味わいました。
とはいえ,彼の教えは彼の追随者達に引き継がれていきます。そして「CTラッセル」も「ミラー」の教えを継承しました。
そして,これらキリストの再臨信奉者達は「実現しなかった予言」のための非常に都合の良い言い訳を考え付きます。つまり「増し行く光」です。ラッセルも例外ではありませんでした。ラッセルは,どのように神の民が「現時点での真理」によって導かれるかを説明し,「実現しない予言」のための余地を残しています。
偽預言者
セブンスデー・アドベンティスト,「ものみの塔協会」を含むその他のキリストの再臨信奉者達の運動は,数多くの「実現しなかった予言」にもかかわらず,この都合の良い「言い訳」のおかげで繁栄し続けて行きます。聖書が「実現しなかった予言」について述べる以下の点を考えてください。
申命記 18:22
22 もし預言者がエホバの名において話しても,その言葉が実現せず,そのとおりにならなければ,それはエホバが話されなかった言葉である。その預言者はせん越にそれを話したのである。あなたはその者に恐れ驚いてはならない』。
ラッセルの時代から今日まで「ものみの塔協会」の予言は何一つ実現していません。全て外れています。
まず,1914年について「ものみの塔協会」は次のように述べていました。
その年はサタンの体制の終わりとなる。
第一次世界大戦は直接ハルマゲドンに至る。
しかし,聖書はそれとは逆の事を述べいます。
ルカ 21:9
9 さらに,戦争や無秩序な事態について聞いても,恐れおののいてはなりません。これらはまず必ず起きる事だからです。しかし,すぐには[来]ないのです」。
このように,この複合の預言者(ものみの塔協会)は「キリストの教え」以外のものにより導かれています。
後日,1914年にかんする教えは「終わりの日の終わり」から「終わりの日の始まり」へと変えられます。彼らの「外れた予言」に対する見方は,「正しい時に,間違った事を期待していた」と説明されています。
つまり1914年は正しかったが,期待していた「終わり」が間違いだったのでそれを「始まり」に変更した,ということです。(1906/7/15 ものみの塔,1924/2/13 p314 黄金時代)
ものみの塔協会は,引き続きその路線で偽予言を行い続けます。
以下は「外れた憶測」の事例です。
1925年 「現存する万民はけして死なない」「古代の信仰の人々の復活」
1940‐1942年 「ハルマゲドンが近い,差し迫っている」
1975年 「サタンの体制の終わり」「人類史の6,000年の終わり」
「ものみの塔協会」は独善的に「神からの音信」とか,「神の預言者」,「神の真実のメッセンジャー」,「忠実で思慮深い奴隷」,「神の唯一の伝達の経路」,「神が行動するふさわしい時」などの表現で自らを飾り立て,自らの憶測が神からのものである事を印象付けています。
群れを利用する
上記の理由で,多くの人々は「二度と繰り返されない人命救助活動」に専心してきました。ある人達は,家を売り,教育や仕事をやめてまで,切迫した終わりの直前の宣教奉仕を拡大しました。
「協会」はそのような人々を立派な模範として出版物や大会のプログラムで紹介し他の人々も彼らに見習うよう,楽園の希望とともに励ましました。
このように「協会」は,いつの時点でも「増し行く光」による更新された予言により,将来の差し迫った「終わり」への人々の期待を高めました。
「協会」は,「時にかなったふさわしい霊的食物」を提供してきたと主張していますが,ただ単に毎回,毎回,偽りの期待で人々の渇望を満たしてきたに過ぎません。
これまで何一つ期待されたことは起きていません。
最初のときから,全ての予言が外れています。
その後,「協会」は,自ら煽った過熱気味の雰囲気を進路変更し,「兄弟達が途方もなく自分たちの想像力を膨らませてしまった。」とか,「そのような自己犠牲は,自己の決定であった。」,「私達は,特定の日まで神に仕えているのではありません。」などと述べて,「外れた期待」の責任を兄弟達自身の「過度の期待」に転嫁し、兄弟・姉妹達自身の「思慮の足りなさ」を責めました。
その結果,多くの人が,「ものみの塔協会」に何か根本的な問題があると察知して,「ものみの塔」運動を去りました。
真理 vs 偽り,支配の力
「協会」は,決して手を緩めることなく「増し行く光」,「現時点での真理」の教理,及び,自称「忠実で思慮深い奴隷」の教義と,止むことなく更新される「終わりの日の予言」の最新版と楽園の約束により人々を魅了し,引き続き信者数を増やし続けて行きます。しかし,事実は,そのような「現時点での真理」なるものは,在りません。
それは,事実上「嘘」の「人を欺く表現」に過ぎません。
箴言 12:19
19 永久に堅く立てられるのは真実の唇であり,偽りの舌はほんの一瞬にすぎない。
「協会」は,謙遜な「忠実で思慮深い奴隷」でもなければ,自らが利用した兄弟・姉妹達(「協会」が仕えていると熱心に主張している)に対して思いやり深くもありません。
「協会」は「ものみの塔運動」から離れる人々を排斥あるいは断絶処分により断ち,留まっている人達が一切の情報をそれら離れた人々から得られな いようにしています。
明らかに,この理由で「統治体」は,不利な事実を知っている離れた兄弟・姉妹の証言による暴露を回避するために,留まっている兄弟・姉妹達がインターネットで調査することを思いとどまらせようとしています。
とはいえ,次の聖句の勧めに従うことは,各クリスチャンの責任です。
ヨハネ第一 4:1
1 愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。
啓示 2:2
あなたが悪人たちに耐えることができず,使徒であると言いはするが[実は]そうでない者たちを試して,それが偽り者であるのを見いだしたことを[知っている]。
インターネットにより入手可能になった以下の「隠されていた事実」について考慮してください。
Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
ものみの塔協会の会長たちの不都合な事実
CT ラッセル、JF ラザフォード、NH ノア、FW フランズ 4人の「ものみの塔協会」会長たちの知られざる姿がインターネットと内部告発者たちの声により明らかにされています。エホバの証人の兄弟姉妹たち、背教者の「嘘」ではありませんよ。隠されてきた不都合な事実です。単に人の不完全さだと片付けないで、これまで学んできた美化された組織を再調査してください。CT・ラッセル
ラッセル(Russell)のルーツは、ローセル(Roessel)という名前のユダヤ人一族です。ローセル家は17世紀初頭ドイツに住んでいました。そこはロスチャイルドが住んでいたところです。中世のドイツはカバラを信奉する悪魔崇拝ユダヤ人たちの拠点でした。その当時からラッセルはロスチャィルドとの交流があります。ラッセル(Russell)は1879年に27歳でマリア(フランシス)・アーケリー(Maria Frances Ackley)と結婚しました。彼らの結婚は貞操結婚でした。
ラッセルは,「144,000人は女により汚されていない処女」と述べる啓示14:4の聖句を文字通りに解釈し,結婚の「当然受けるべきもの」に関するコリント第一7:2-5の助言を無効としました。彼は,結婚後この見方を妻に強要しました。
1894年,ラッセルが42歳の時,ローズ・ボール (Rose Ball-25歳のラッセルの速記者)とのふさわしくない関係がローズ自身によりラッセルの妻のマリアに告白されました。
その結果「マリア・ラッセル」は別居し,後に彼らは離婚します。
「ものみの塔協会」出版物は,「ローズ・ボールは,ラッセル夫妻の養女であり,当時15歳で,ラッセルの行為はごく自然な愛情の表現に過ぎなかった」述べ,この問題の深刻さを過小評価しています。(1975年年鑑 p69-70)
しかし,この記述は「嘘」です!
ご自分でインターネット検索してみてください。
ローズ・ボールの出生証明書によると,彼女は1894年当時25歳であることが分かります。
JF・ラザフォード
ラザフォード(Rutherford)についてはどうでしょうか。
なぜ,ラザフォードの家族についての記事が「ものみの塔」の出版物の中に一切ないのでしょうか。
明らかにされた証拠は驚くべきものです。ラザフォードは家族志向の人ではありませんでした。彼は,自分の妻,及び一人息子のマルコムから疎外されていました。
マルコム・ラザフォードはべテル奉仕者でしたが,父親の偽善的な生き方のため「ものみの塔協会」を去り,父親を忌み嫌っていました。マルコム・ラザフォードは,「ものみの塔協会」との関わりについて決して語らず,1989年6月22日に96歳で他界しました。
JFラザフォードは,家族と離れて「ベツ・サリム」に家政婦達とともに暮らし,彼の家族はそのサンディエゴのマンションから160km離れた所に住んでいました。
1923年から1941年まで,JF・ラザフォードには2人の女性コンパニオンがいました。
ラザフォードのそれら2人の女性(彼の旅行付添い人、つまり妾)の名前は,「ボニーボイド」(Bonnie Boyd),「バータ・ピール」(Bert Peale)です。
これらの名前をグーグルで検索してみてください。そうすれば,「隠されている事実」が分かるでしょう。そして「ものみの塔協会」とその運動が神の霊と何の関係もないことを知るでしょう。
ある時,協会の法律顧問のオーリン・モイル(Olin Moyle)は,個人的な手紙でラザフォードのクリスチャンらしからぬ素行について訓戒した為に,1939年に排斥されました。
その後,1941年8月のセントルイス大会で65,000人の聴衆に対して「モイル」の信用を毀損する公の決議が読まれ採択されました。モイルはラザフォードと「協会」を相手に訴訟を起こし勝訴しています。(1941/9/15)
ネイサン・ノア,フレッド・フランズの悪事
以下にある,ノア(Nathan Knorr),F・フランズ(Fred Franz),その他「ものみの塔協会」の活動を自分で調査してみて下さい。
恥ずべきことに「ものみの塔協会」は,レイモンド・フランズ(Raymond Franz-統治体の成員),エド・ダンロップ(Ed Dunlap),カール・オルフ・ジョンソンン(Carl Olof Jonsson),リチャード・ラーウィー(Richard Rawe) ,その他多くの義なる魂を排斥しました。
さらに恥ずべきことに,「協会」は,重大な罪を犯したイワート・チティ(Ewart Chitty-統治体の成員),及びレオ・グリンリース(Leo Greenlees-統治体の成員)を統治体から除籍後,何年か後に会衆の長老の職の回復を可能としました。両者とも,若いべテル奉仕者と同性愛行為の罪を犯しています。
この行為の罪悪感から,あるベテル奉仕者はベテルの建物から飛込み自殺を遂げたと報告されています。
極めて汚れたものがそこに存在しています。
コリント第二 6:17
『そして汚れた物に触れるのをやめよ』」。「『そうすればわたしはあなた方を迎えよう』」。
オカルト起源の聖書予言
Russel & Rutherfordの偽予言
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