宗教組織不要の霊と真理による崇拝が始まりました。
地上におけるキリストの3年半の宣教活動は、当時のユダヤ人社会およびローマ帝国の為政者たちに否定できない強力な影響を与えました。それは神の力の生きた証拠であり、それによってあらゆる病気の人、悪霊に取り付かれた人たちが癒され、死者さえも命へよみがえさせられました。
また、イエスの教えは貧しい人々や罪悪感を背負う人々を慰め希望を与えました。
メシアを待ち望んでいた人々は神の栄光を目の当りにし神を賛美しました。群集はイエスの後を追い、またイエスの行く先々で群集が待ち構えていました。
マタイ 4:23-25
23 それから[イエス]はガリラヤの全土をあまねく巡り,諸会堂で教え,王国の良いたよりを宣べ伝え,民の中のあらゆる疾患とあらゆる病を治された。24 すると,彼の評判はシリアじゅうに伝わり,人々は,具合いの悪い者すべて,さまざまな疾患や苦痛に悩む者,悪霊に取りつかれたり,てんかんであったり,まひしたりしている者を彼のところに連れて来た。それで[イエス]はその人々を治された。25 その結果,大群衆が,ガリラヤ,デカポリス,エルサレム,ユダヤから,またヨルダンの向こう側から[来て],彼のあとに従った。
ユダヤ人の宗教指導者たちは、こうした神からの強力な証しを否定できないにも関わらず、イエスをメシアとして歓迎しませんでした。
イエスは組織宗教の偽善を痛烈に暴露し、虐げられていた人々を組織宗教の支配から開放しました。そのためにイエスは組織宗教の敵意の的となり、宗教指導者たちは策を弄してイエスを殺害しました。
ヨハネ 11:48
48 彼をこのままほっておけば,みんなが彼に信仰を持つだろう。そして,ローマ人たちがやって来て,我々の場所も国民も奪い去ってしまうだろう」。
ヨハネ 12:17-19
17 それで,[イエス]がラザロを記念の墓から呼び出して死人の中からよみがえらせた時に一緒にいた群衆は,証しをしつづけた。18 そのためさらに群衆が,彼がこのしるしを行なったことを聞いて,彼を出迎えた。19 それゆえパリサイ人たちは互いにこう言った。「あなた方の見るとおり,何一つうまくいっていない。見なさい,世は彼に付いて行ってしまった」。
組織宗教の敵意によるキリストの死は、アダムが失った命の権利を受け戻すために予め定められた犠牲の死でした。
キリストは罪を犯すことなく(つまり失敗することなく)ご自分の死によって人類の救いを達成しました。
これらの出来事は、地方の片隅で生じたことではありません。
それは、神の崇拝の中心地で当時の世界帝国ローマの為政者の注視の下で生じました。
使徒 2:22
22 「イスラエルの皆さん,この言葉を聞いてください。ナザレ人イエス,それは,あなた方も知っているとおり,神がその人を通してあなた方のただ中で行なわれた強力な業と異兆としるしにより,神によってあなた方に公に示された人ですが
使徒 26:26
26 実際,わたしがはばかりのないことばでお話し申し上げております王が,これらの事についてよく知っておられます。これらは一つとして[王]の注目を逃れ得ないと,わたしは確信しているからです。これは片隅で行なわれてきたことではないからです。
このように、当時の覇権帝国の中で否定しがたい神の力による公の証しによってキリスト教は始まりました。
それは、個々の人々を組織宗教および人間のあらゆる組織的企てから自由にし、罪と死、貧困と搾取からの開放の希望を強力に実証(demonstrate)しました。キリストの教えを受け入れた人々は、新たな視野、世界観を得て宗教指導者を必要としない崇拝の様式に移されました。
キリストの犠牲の死により、誰でもキリストを通して神と繋がることが可能になりました。
神を崇拝するために、あるいは神の是認を得るために、組織宗教(宗教的な取り決め)、宗教指導者は不要になりました。
世界本部も支部事務所も旅行する監督も大会ホールも王国会館も必要ありません。
いつでも、どこにいてもキリストを通して神と繋がっているからです。
テモテ第一 2:5-6
5 神はただひとりであり,また神と人間との間の仲介者もただひとり,人間キリスト・イエスであって,6 この方は,すべての人のための対応する贖いとしてご自身を与えてくださったのです。
使徒 4:12
12 さらに,ほかのだれにも救いはありません。人々の間に与えられ,わたしたちがそれによって救いを得るべき名は,天の下にほかにないからです」。
キリスト教(実体)には、ユダヤ教(影)に見られる階級制度、崇拝の場所、宗教儀式、祭りなどはありません。
実体に存在するのは、キリストを通して神と結ばれている個々のクリスチャンの間の兄弟関係です。
マタイ 23:8-10
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。
ですから、年長のクリスチャン(年長の男子、年長の女子)は、若いクリスチャンの教師でもなければ、指導者でもありません。単に年長の兄弟・姉妹に過ぎません。
若い兄弟姉妹たちを含めだれでも、クリスチャン人生の経験から他のクリスチャンを兄弟・姉妹として物心両面で助けることができます。それは、他の人の主人のように振舞うことではありません。
コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。
神に受けいられる清い崇拝は、場所、時間に依存しません。
グループ伝道や、宗教組織の集会が崇拝ではないのです。
いつでも、どこでも神を意識した個人の生き方が神に受けいられる崇拝です。
ヨハネ 4:21, 23-24
21 イエスは彼女に言われた,「女よ,わたし[の言うこと]を信じなさい。あなた方が,この山でも,エルサレムでもないところで父を崇拝する時が来ようとしています。
23 とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。24 神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。
マタイ 6:3-4, 5-6
3 しかしあなたは,憐れみの施しをする際,あなたの右の手がしていることを左の手に知らせてはなりません。4 あなたの憐れみの施しがひそかに[なされる]ためです。そうすれば,ひそかに見ておられるあなたの父が報いてくださるでしょう。5 「また,祈るとき,あなた方は偽善者たちのようであってはなりません。彼らは,人に見えるように会堂の中や大通りの角に立って祈ることを好むのです。あなた方に真実に言いますが,彼らは自分の報いを全部受けているのです。6 しかし,あなたが祈るときには,自分の私室に入り,戸を閉じてから,ひそかなところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば,ひそかに見ておられる父があなたに報いてくださるでしょう。
ルカ 14:13-14
13 むしろ,あなたがごちそうを設けるときには,貧しい人,体の不自由な人,足なえの人,盲目の人などを招きなさい。14 そうすればあなたは幸いです。彼らにはあなたに報いるものが何もないからです。あなたは義人の復活の際に報いを受けるのです」。
ヤコブ 1:27
27 わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです。
ヘブライ 13:15-16
15 この方を通して常に賛美の犠牲を神にささげましょう。すなわち,そのみ名を公に宣明する唇の実です。16 さらに,善を行なうこと,そして,他の人と分かち合うことを忘れてはなりません。神はそのような犠牲を大いに喜ばれるのです。
エフェソス 6:6-8
6 人を喜ばせようとする者のように目先だけの奉仕をするのではなく,キリストの奴隷として,神のご意志を,魂をこめて行ないなさい。7 気だての良い奴隷でありなさい。主に対するように,そして人間に対するようにではありません。8 というのは,あなた方も知っているように,奴隷であれ自由人であれ,人が何にせよ善いことを行なうなら,主からそれに報いていただくことになるからです。
上記の聖句が示しているように、いつでも、どこでも個人の生き方が崇拝です。
対照的な国際投資企業ものみの塔聖書冊子協会の姿
ものみの塔は、リクルートのためのグループ伝道と、聖書を用いた洗脳のための集会や大会を崇拝と言い張り、セールス伝道の時間、配布物の数、再訪問の数、研究の数の報告を強要します。その崇拝の様式は真の崇拝を装うペテンです。
ものみの塔は、権威への敬意を自らのトップダウン支配の都合に合わせて繰り返し強調し、兄弟関係のあるべき姿を権威主義にすり替えてしまいました。
彼らは、自らの支配(管理)のために、何の根拠もないのに臆面もなく、
キリストの権威から始まり、人間の代表者の権威のトップダウン構造を強調し服従を強要し、
➡ 独立の精神を不快で危険な精神として攻撃するようJWを繰り返し教えます。
人間の権威を強調する彼らは個々の兄弟姉妹たちがクリスチャンの自由に気づき彼らのインチキを見破ることを極めて不快に思っています。
それで、ものみの塔誌は、クリスチャンの自由について沈黙し続けます。
イエスの時代の宗教指導者たちのように自らの権威の保身を願う者は「クリスチャンの自由」について書けるはずがありません。
ものみの塔協会の崇拝の様式に従うエホバの証人の会衆は、真の兄弟関係を反映するキリストの会衆ではありません。会衆の長老たちの権威は、キリストからのものではなく、人間の企てである「ものみの塔協会」からのものに過ぎません。
それらのインチキ権威の雇われ人の聖書を知らない長老たちは、聖書の教えへの良心的な服従ではなく、ものみの塔協会の意向への絶対的服従をJWに強要するために働きます。
しかし、キリスト教は、キリストを信じる人々の兄弟関係であり、その崇拝は生き方そのもので、組織宗教の宗教活動ではありません。
ここで、再び神の力によるキリストの強力な宣教活動に話を戻します。
組織宗教の無価値な宗教活動から人々を開放したキリストは、当時の宗教指導者の妬みと憎しみの的となり、ローマの帝国の権威により処刑されます。
キリストが ➡ 刑柱上で処刑されたとき、
正午から午後3時まで3時間に渡る暗闇がユダヤ地方に及びました。
また、キリストが息を引き取ると神殿の聖所と至聖所を隔てるカーテンが真っ二つに裂け地震が生じました。
マタイ 27:45, 51, 54
45 第六時(12:00pm)以後,闇が全土に垂れこめて,第九時(15:00pm)にまで及んだ。
51 すると,見よ,聖なる所の垂れ幕が上から下まで二つに裂け,地は震い動き,岩塊は割れた。
これらの超自然的な現象は人々が真実を認識するように助けました。
54 しかし,士官および共にイエスを見守っていた者たちは,地震と起きている事柄とを見て非常に恐れ,「確かにこれは神の子であった」と言った。
裏切り者のユダ・イスカリオテは首をつり自殺し下に落ちて岩で腹を切り裂き内臓が流出しました。 ユダが神殿の賽銭箱に投げ入れた報酬で買取ったために、その場所は「血の畑」(アケルダマ)と呼ばれるようになります。 この出来事は、エルサレムの全住民が知る出来事となりました。
使徒 1:19
19 そのことはまたエルサレムの全住民に知られるようになり,結果としてその畑は彼らの言語でアケルダマ,すなわち“血の畑”と呼ばれた。)
イエスの死により、イエスの弟子たちは挫折と悲しみのどん底に突き落とされました。
希望と勇気を与える極めてダイナミックな活動の全てが終わったかのようになりました。
しかし、続きが待っていました。
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