クリスチャン会衆
クリスチャン会衆は、国家に登記された宗教法人組織ではありません。それは、キリストを信じる人々の集まりです。
会衆の土台はイエスキリスト、使徒や預言者たちです。
イエスは、建築者たちが退けた隅の頭石と呼ばれています。
マタイ 21:42
42 イエスは彼らに言われた,「あなた方は聖書の中で読んだことがないのですか。『建築者たちの退けたその石が主要な隅石となった。これはエホバから生じたのであり,わたしたちの目には驚嘆すべきものである』とあるのです。
ユダヤ人たちは実体であるキリストを退けましたが、実体が影にとって代わりました。
イエス(実体であるメシア)の出現により、影に属する物質の神殿の存在価値がなくなり、それらの影に属する取り決めは廃れて取り除かれることになりました。
イエスはご自分の上にご自分の会衆を建てると述べています。
また、その会衆は神の神殿とも呼ばれており、クリスチャン各自は神の神殿の生ける石にたとえられています。
マタイ 16:18
18 また,あなたに言いますが,あなたはペテロであり,この岩塊の上にわたしは自分の会衆を建てます。ハデスの門はそれに打ち勝たないでしょう。(これは、ペテロがイエスをキリストと述べたときのイエスの返答で、この岩塊とはキリスト自身を指しています。)
ペテロ第一 2:4-6
4 確かに彼は人には退けられましたが,神にとっては選ばれた貴重な[石]であり,あなた方は,生ける石に対するように彼のもとに来て,5 自らもまた生ける石となって聖なる祭司職のための霊的な家に築き上げられてゆくのです。 それは,神に受け入れられる霊的な犠牲をイエス・キリストを通してささげるためのものです。6 というのは,聖書にこうあるからです。「見よ,わたしはシオンにひとつの石を据える。選ばれた[石],土台の隅石,貴重な[石]である。これに信仰を働かせる者は決して失望に至ることがない」。
エフェソス 2:20-22
20 そしてあなた方は使徒や預言者たちの土台の上に築き上げられているのであり,キリスト・イエスご自身は土台の隅石です。21 彼と結びあって建物全体は調和よく組み合わされ,エホバのための聖なる神殿に成長してゆきます。22 彼と結びあってあなた方も共に築き上げられ,神が霊によって住まれる所となってゆくのです。
キリストを受け入れた各クリスチャンは土台の上に築き上げられる生きた石として互いを必要としており、会衆の成長に必要な奉仕を相互に提供し合あいます。
それで、クリスチャン会衆の集会は、ものみの塔の集会のように本部職員が書いた資料の教義問答のようなものではありません。
それは、各自が霊の賜物を互いの益のために分かち合ったり、聖書から論じたり、気遣いを示したりする機会でした。また集会の秩序は、互いに対する愛と敬意により各自が自らを制御して保たれました。
コリント第一 14:26-32
26 兄弟たち,では,どうすべきでしょうか。あなた方が集まるとき,ある人には詩があり,ある人には教えがあり,ある人には啓示があり,ある人には異言があり,ある人には解釈があります。すべては築き上げることを目ざして行ないなさい。27 そして,だれかが異言を話すのであれば,多くても二人か三人に限り,順番に[話し]なさい。そして,だれかが翻訳しなさい。28 しかし,もし翻訳者がいないなら,その人は会衆内では黙っており,自分自身と神に話しなさい。29 さらに,二人か三人の預言者が話し,他の人たちはその意味を識別するようにしなさい。30 しかし,そこに座っている別の人に啓示があるなら,初めの人は黙っていなさい。31 あなた方は皆ひとりずつ預言することができ,こうしてすべての人が学び,またすべての人が励まされるのです。32 それで,預言者の霊[の賜物]は預言者によって制御されるべきです。
王国の子たちは、キリスト、使徒、預言者たちの上に築き上げられる生ける石として互いを必要としており各自が神からの無償の霊の賜物を持って互いの益のために奉仕します。ですから奉仕の務めは異なっても互いが同じ気遣いをもってキリストの会衆は成長します。
ものみの塔のシステムのように、男子、奉仕の僕、長老たちの権威を印象付ける集会や奉仕、組織上の割り当てなど必要ありません。
新しい創造物には、男性も女性もありません。
王国の子たちは、キリストの下に全てが兄弟であると言われています。
ものみの塔のように世界本部の一部の人が霊的食物を提供するシステムや、全てのクリスチャンのための行動規範を強要する権威は聖書から確立できません。それは、王国の子たちの会衆の姿と180度異なるものでで、サタンの世の中央集権組織の姿です。
ガラテア 3:26-29
26 現にあなた方は皆,キリスト・イエスに対する信仰によって神の子なのです。27 キリストへのバプテスマを受けたあなた方は皆キリストを身に着けたからです。28 ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もありません。あなた方は皆キリスト・イエスと結ばれて一人の[人]となっているからです。29 さらに,キリストに属しているのであれば,あなた方はまさにアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人です。
ガラテア 6:15-16
15 割礼も無割礼も重要ではなく,ただ新しく創造されることが[重要]なのです。16 そして,この行動の規準にしたがって整然と歩むすべての人,その人たちの上に,そうです神のイスラエルの上に,平和と憐れみとがありますように。
王国の子たちの行動基準は、「ユダヤ人もギリシャ人もなく,奴隷も自由人もなく,男性も女性もなく、みんながキリストと結ばれて一人の人となっている。」というものです。
➡ 会衆内の女性の立場については、ココを見てください。
それは、サタンの世の中央集権支配によって上から下る教えや権威ではなく、信仰を共にする兄弟関係から来る、相互の賜物から学び、励まし合う関係を築く行動基準です。それにより会衆は愛のうちにキリストを目指して成長できるでしょう。
もし、地元に信仰の仲間がいるなら、その兄弟姉妹たちをとても大切な信仰の同労者とみなしてお付き合いできるでしょう。これが、ものみの塔のような中央集権ビジネス組織宗教では決して生み出せないクリスチャン会衆のあるべき姿です。
真のクリスチャン会衆は、組織の規模や取り決めによってではなく、聖書にある行動基準によってのみ識別することができます。
マタイ 23:8
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。
マタイ 12:48-49
48 [イエス]は[それを]告げている者に答えて言われた,「わたしの母とはだれですか。またわたしの兄弟たちとはだれのことですか」。49 それから,自分の弟子たちのほうに手を差し伸べて,こう言われた。「ご覧なさい,わたしの母とわたしの兄弟たちです! 50 だれでも天におられるわたしの父のご意志を行なう人,その人がわたしの兄弟,また姉妹,また母なのです」。
コリント第二 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。
キリストは各地のクリスチャン会衆に人々の賜物を与えると聖書は述べています。
それぞれの会衆に対するキリストの指導、監督、保護は、ものみの塔世界本部のような地上の統治機関から来るのではなく、天から直接会衆の人々の賜物を通して来ます。
この見えない実体が分かれば、地元で交わる見える兄弟姉妹たちを神の神殿の生ける石、キリストの体の成員としてふさわしくみなせるでしょう。そして、それらの地元で交わる見える兄弟姉妹たちをとおして、誰でも神の過分の親切を頂くことになります。
王国の子たちの会衆は、相互依存関係の中で互いに霊的に養われているのであり、ものみの塔のシステムのように組織の運営部の一部の人のみが全体を養っているのではありません。
ものみの塔は「忠実で思慮深い奴隷」を本部職員の統治体に限定していますが、そのような解釈は、会衆の益のために神からの異なる賜物を与えられた神の神殿の生ける石についての聖書の説明と調和しません。
個々の王国の子たちは、神の神殿の生ける石としてキリストの会衆を築くために忠実で思慮深く行動することを期待されており、そのようにしている人たちは帰還したキリストによりふさわしく報われるでしょう。
マタイ 24:45
45 「主人が,時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため,彼らの上に任命した,忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。46 主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです。47 あなた方に真実に言いますが,[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。
ルカ 12:42-44
42 すると主はこう言われた。「主人が,時に応じてその定めの食糧を与えさせるため,自分の従者団の上に任命する忠実な家令,思慮深い者はいったいだれでしょうか。43 主人が到着して,そうしているところを見るならば,その奴隷は幸いです! 44 真実をこめてあなた方に言いますが,[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。
コリント第一 4:1-2
1 それで人は,わたしたちを,キリストに従属する者,また神の神聖な奥義の家令と評価すべきです。2 さらに,この場合,家令に求められるのは,忠実であることです。
ルカ 16:10
10 ごく小さな事に忠実な人は多くのことにも忠実であり,ごく小さな事に不義な人は多くのことにも不義です。
マタイ 16:27
27 人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するのです。
王国の子たちは神からゆだねられた賜物を互いに対する奉仕に忠実に思慮深く用いて行動するでしょう。そのようにして会衆は愛のうちに築き上げられ、また偽りの教えによって欺かれないように保護されるでしょう。
神の神殿のそれぞれの生ける石について
キリストの会衆を築き上げるため、神からの賜物を持つ神の神殿のそれぞれの生ける石についてものみの塔のような人間性の中央統治システムと異なり、キリスト教は神の霊をもつ各成員による相互扶助システムであることが分かります。
コリント第一 12:4-31
4 さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。5 奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。6 働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。7 しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます。8 たとえば,ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,9 ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,10 さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています。11 しかし,これらのすべての働きを同一の霊が行なうのであり,その欲するとおりに各々に分配するのです。
12 体は一つであっても多くの肢体に分かれており,また体の肢体は多くあっても,その全部が一つの体を成しますが,キリストもそれと同じなのです。13 まさしくわたしたちは,ユダヤ人であろうとギリシャ人であろうと,奴隷であろうと自由であろうと,みな一つの霊によって一つの体へのバプテスマを受け,みな一つの霊を飲むようにされたからです。
14 実際,体は一つの肢体ではなく,多くの[肢体]です。15 たとえ足が,「わたしは手ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。16 また,たとえ耳が,「わたしは目ではないから,体の一部ではない」と言ったとしても,そのためにそれが体の一部でないというわけではありません。17 もし全身が目であったなら,聴覚はどこなのですか。それが聴くことばかりであったなら,においをかぐことはどこなのですか。18 しかし今,神は体に肢体を,その各々を,ご自分の望むままに置かれたのです。
19 もしそのすべてが一つの肢体であったなら,体はどこにあるのでしょうか。20 しかし今,それは多くの肢体であり,それでもなお一つの体です。21 目は手に向かって,「わたしにあなたは必要でない」とは言えず,頭も足に向かって,「わたしにあなた方は必要でない」とは[言えません]。22 それどころか,実際には,体の中で[ほか]より弱く見える肢体がかえって必要なのであり,23 また,体の中で[ほか]より誉れが少ないと思える部分,これをわたしたちはより豊かな誉れをもって包みます。こうしてわたしたちの見栄えのしない部分に[他]より豊かな麗しさが添えられ,24 一方,麗しい部分は何も必要としません。しかしそうではあっても,神が体を組み立てたのであり,欠けたところのある部分に誉れをより豊かに与えて,25 体に分裂がないように,その肢体が互いに対して同じ気づかいを示すようにされました。26 それで,一つの肢体が苦しめば,ほかのすべての肢体が共に苦しみ,ひとつの肢体が栄光を受ければ,ほかのすべての肢体が共に歓ぶのです。
27 さて,あなた方はキリストの体であって,それぞれが肢体です。28 そして神は会衆内にそれぞれの人を置かれました。第一に使徒,第二に預言者,第三に教える者,次いで強力な業,次いでいやしの賜物,助けになる奉仕,指揮する能力,種々の異言です。29 すべてが使徒ではないでしょう。すべてが預言者ではないでしょう。すべてが教える者ではないでしょう。すべてが強力な業をするわけではないでしょう。30 すべてがいやしの賜物を持つわけではないでしょう。すべてが異言を話すわけではないでしょう。すべてが翻訳者ではないでしょう。31 それでも,より大きな賜物を熱心に求めてゆきなさい。ですが,わたしはさらに勝った道をあなた方に示します。
コリント第一 13章でパウロは愛の大切さを強調しています。
コリント第一 14:1-12
1 愛を追い求めなさい。その上に,霊の賜物を,それも,できるなら,預言することを熱心に求めてゆきなさい。2 異言を話す人は,人に対してではなく,神に対して話すからです。だれも聴いていないのに,その人は霊によって神聖な奥義を話しているのです。3 しかし,預言する人は,その話す事柄によって人を築き上げ,励まし,慰めます。4 異言を話す人は自分を築き上げますが,預言する人は会衆を築き上げるのです。5 そこで,わたしは,あなた方のすべてが異言を話すことを欲しますが,それよりは,あなた方が預言することのほうを望みます。実際,異言を話す人が[それを]翻訳して,会衆が築き上げられるようにするのでないかぎり,預言する人のほうが優れています。6 また,兄弟たち,わたしが今あなた方のところに行って異言を話すとしても,啓示,あるいは知識,預言,教えをもって話すのでなければ,あなた方に何の益となるでしょう。
7 実際のところ,フルートにしろたて琴にしろ,無生の物も音を出しますが,音程がはっきりしなければ,そのフルートやたて琴で何を演奏しているかどうして分かるでしょうか。8 また,ラッパの出す音が不明りょうであれば,いったいだれが戦闘の用意をするでしょうか。9 これと同じように,あなた方も,舌で,容易に理解できることばを出さないなら,何を話しているのかどうして[人に]分かるでしょうか。あなた方は,実際には空気に話していることになるのです。10 世界には非常に多くの種類の音声があることでしょう。それでも,意味を持たないものはありません。11 そこで,もしわたしが音声の真意を理解していないなら,[それを]話している人にとってわたしは異国人であり,話している人もわたしにとっては異国人であることになります。12 それで,あなた方自身も,霊[の賜物]を熱心に求めているからには,会衆を築き上げるという目標でそれに満ちあふれるよう努めなさい。
エフェソス 4:7-16
7 さて,キリストが無償の賜物をどのように量り出してくださったかに応じて,わたしたち一人一人に過分のご親切が与えられました。8 それゆえにこう言われます。「高い所に上った時,彼はとりこを連れ去った。彼は人々[の]賜物を与えた」。9 さて,「彼は上った」という表現ですが,これは,彼が下方の領域,つまり地にも下ったこと以外の何を意味するでしょうか。10 下ったその方が,すべての天のはるか上に上った方でもあるのです。それは,彼がすべてのものを満ち満ちたものとするためでした。
11 そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。12 それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。14 それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。15 そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう。16 この[キリスト]をもととして,体の各部すべては,調和よく組み合わされることにより,また必要なものを与えるすべての関節を通して協働することにより,それぞれの部分が定めの機能を果たすにつれて,愛のうちに自らを築き上げることを目ざした体の成長に資するのです。
フィリピ 2:13-16
13 神が,[ご自分の]喜びとなることのため,あなた方が志しかつ行動するようにと,あなた方の中で行動しておられるからです。14 すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。15 それはあなた方が,とがめのない純真な者,また,曲がってねじけた世代の中にあってきずのない神の子供となるためです。その中にあって,あなた方は世を照らす者として輝き,16 命の言葉をしっかりつかんでいます。
クリスチャン会衆は、キリストを主要な隅石として、使徒たちや預言者たちの土台の上に生ける石によって築かれています。神は人々の賜物を与えられました。また神の霊は各自が自発的に行動するように促します。
各王国の子たちは、仲間の信者をとおして働く神の霊の働きに感謝し、神の霊の賜物を持つ兄弟姉妹たちをキリストが模範を残されたとおりに愛します。
それが王国の子たちの会衆であり、神が霊によって住まわれる生きた神の神殿です。
それは、ものみの塔のようなビジネス組織宗教では決してはありません。
ヨハネ 13:34-35
34 わたしはあなた方に新しいおきてを与えます。それは,あなた方が互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなた方を愛したとおりに,あなた方も互いを愛することです。35 あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。
ヨハネ 15:12-16
12 わたしがあなた方を愛したとおりにあなた方が互いを愛すること,これがわたしのおきてです。13 友のために自分の魂をなげうつこと, これより大きな愛を持つ者はいません。14 わたしが命令していることを行なうなら,あなた方はわたしの友です。15 わたしはもはやあなた方を奴隷とは呼びません。奴隷は自分の主人の行なうことを知らないからです。しかしわたしはあなた方を友と呼びました。自分の父から聞いた事柄をみなあなた方に知らせたからです。16 あなた方がわたしを選んだのではありません。わたしがあなた方を選び,あなた方が進んで行って実を結びつづけ,しかもその実が残るようにと,わたしがあなた方を任命したのです。それは,あなた方がわたしの名によって父に何を求めても,[父]がそれをあなた方に与えてくださるためです。
キリストに倣った愛は、ものみの塔によって規制されたJWの「条件付けられた愛」ではありません。
ものみの塔JWは、ものみの塔と異なる意見を持つ仲間を排斥し、懲らしめと称して口もきかないように条件付けられています。
そしてそれが愛であると思い込んでいます。
彼らの見方はイエスから糾弾されたパリサイ人と同じものです。
ヨハネ 19:31-34
31 神は罪人たちにはお聴きになりませんが,だれでも神を恐れてそのご意志を行なうなら,その者にはお聴きになることを,わたしたちは知っております。32 昔から,盲人として生まれた者の目を開けたというようなことは聞いたためしがありません。33 神からの人でないなら,この人は全く何もできないはずです」。34 それに答えて彼らは言った,「お前は全く罪のうちに生まれながら,我々を教えるというのか」。こうして彼らは,その人を追い出してしまった。
0 件のコメント:
コメントを投稿