キリストの再来 (Paruousia)

2015/07/03 0

JW 教理 預言

t f B! P L
30 またその時、人の子のしるしが天に現われます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見るでしょう。31 そして彼は、大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし、彼らは、四方の風から、天の一つの果てから他の果てにまで、その選ばれた者たちを集めるでしょう。 マタイ 24:30-31

臨在か到来か

ものみの塔協会は、ギリシャ語のパルーシア (Parousia) を臨在と翻訳してイエスの目に見えない存在、居ること、を強調しています。

この概念の理解は簡単ではありませんよね。
この言葉は素直に理解できる、または分かるものでないため、また預言の趣旨と合わないために長い説明を要します。

つまり何か間違っているみたいですね。

パルーシアは、臨在 (presence) と訳すより、むしろ出現 (appearance)、または到着 (arrival)、 到来 (coming) と訳す方が適切です。

ストロングのコンコーダンスにもその訳がでています。

ものみの塔教会は、ギリシャ語パルーシア (parousia) を用いて「終わりの日のイエスの臨在」という考えを教えています。終わりの日の始まりにイエスは目に見えない様で戻られ、終わりの日の終わりまで目に見えないさまで臨在し、終わりの日の終わりに目に見える様で到来しサタンの世を終わらせるという教えです。この教えによりイエスは、臨在の始めと終わりで、合わせて2回来ることになります。

ものみの塔は「終わりの日」が1914年に始まり、ハルマゲドンまでのイエスの臨在の1世代は、ハルマゲドンを生き残る地的クラスを集める時であると教えています。そして、その教えにより全世界で800万人の信者を獲得しました。

それは、ものみの塔協会の世界的な拡大に貢献しましたが、臨在 (parousia) は聖書の教えではありません。

世を裁くイエスの再来に先立ち、見えない臨在という教えは聖書中にはありません。

その教えはギリシャ語パルーシア (parousia) の誤訳か、おそらく、ギリシャ語パルーシアは「疑わしい付け足し」です。

アラム語で書かれ後にゾルバ (Zorba) によりギリシャ語に翻訳されたマタイの書だけにギリシャ語パルーシアが用いられています。最初からギリシャ語で書かれたマルコやルカの福音書にはギリシャ語パルーシアは出てきません。

それで、この独特なことばパルーシアはマタイの書に「あとで付け足された」疑いが生じます。

イエスの使徒たちは、多分ギリシャ語パルーシアを使わなかったでしょう。なぜなら当時のユダヤ人の共通言語はギリシャ語ではなくアラム語だったからです。 cf. Aramaic New Testament

マタイ 24:3
3 [イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ、弟子たちが自分たちだけで近づいて来て、こう言った。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、あなたの臨在 (parousia)と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。

マルコ 13:4
4 「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。

ルカ 21:7
7 そこで彼らは質問して言った、「師よ、そのようなことは実際にはいつあるのでしょうか。また、そのようなことが起きるように定まった時のしるしには何がありますか」。

マルコとルカの記録からイエスが述べたエルサレムの神殿の滅びの時と、そのしるしを弟子たちが尋ねていたたことをが分かります。

その時点では、イエスの弟子たちにはイエスの将来の2度目の到来の考えはありませんでした。彼らはイエスがすぐに支配を始めることを期待していました。

使徒 1:6 に書かれてあるように、イエスの復活の後でさえ、弟子たちは「将来王権をもつキリストが天から再び到来する」ことを理解していませんでした。

使徒 1:6
6 さて、集合したときに、彼らは[イエス]に尋ねはじめた、「主よ、あなたは今この時に、イスラエルに王国を回復されるのですか」。

弟子たちの思いは、遠い将来のイエスの2度目の到来ではなく、イスラエルの支配権の差し迫った引継ぎでした。「遠い将来の天軍を率いたイエスの再来」は、弟子たちにとってまだ思いも及ばないことでした。

このように、遠い将来のイエスの2度目の到来についての質問は当時の弟子たちの状況に合いませんので、臨在 (parousia) は疑わしい付け足しと見なせます。

また、パルーシア (parousia) は臨在 (presence) と訳すより、出現、到来、(advent, arrival, coming) と訳す方が聖書全体の記録と調和します。
cf. Strong's Lexicon 3952 parousia

遠い将来のイエスの2度目の到来

弟子たちの当面の関心に答えて、イエスは「サタンの世を裁くための2度目の到来」に関する預言をしました。その預言のなかで、イエスは差し迫っている背教のエルサレムの滅びも含めました

イエスの弟子たちの差し迫った関心事である「エルサレムの滅び」の預言に対する答えは、マタイの15-22、マルコの14-18、ルカの5-24に記されています。

差し迫った将来のエルサレムの滅びについての挿入された予言は、淡い赤色でハイライトしています。

マタイ 24:1-51
1 さて、イエスが[そこを]たって神殿から去って行かれるところであったが、弟子たちが神殿の建物を示そうとして近づいて来た。2 [イエス]はそれにこたえてこう言われた。「あなた方はこれらのすべてのものを眺めないのですか。あなた方に真実に言いますが、石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」。

3 [イエス]がオリーブ山の上で座っておられたところ、弟子たちが自分たちだけで近づいて来て、こう言った。「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。

4 そこでイエスは答えて言われた、「だれにも惑わされないように気を付けなさい。5 多くの者がわたしの名によってやって来て、『わたしがキリストだ』と言って多くの者を惑わすからです。6 あなた方は戦争のこと、また戦争の知らせを聞きます。恐れおののかないようにしなさい。これらは必ず起きる事だからです。しかし終わりはまだなのです。

7 「というのは、国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がり、またそこからここへと食糧不足や地震があるからです。8 これらすべては苦しみの劇痛の始まりです。

9 「その時、人々はあなた方を患難に渡し、あなた方を殺すでしょう。またあなた方は、わたしの名のゆえにあらゆる国民の憎しみの的となるでしょう。10 またその時、多くの者がつまずき、互いに裏切り、互いに憎み合うでしょう。11 そして多くの偽預言者が起こって、多くの者を惑わすでしょう。12また不法が増すために、大半の者の愛が冷えるでしょう。13 しかし、終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。14 そして、王国のこの良いたよりは、あらゆる国民に対する証しのために、人の住む全地で宣べ伝えられるでしょう。それから終わりが来るのです。
15 「それゆえ、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、預言者ダニエルを通して語られたとおり、聖なる場所に立っているのを見かけるなら、(読者は識別力を働かせなさい、)16 その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。17 屋上にいる人は、家から物を取り出そうとして下りてはならず、18 野にいる人は、外衣を拾おうとして家に帰ってはなりません。19 その日、妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります!20 あなた方の逃げるのが冬期または安息日にならないように祈っていなさい。
21 その時、世の初めから今に至るまで起きたことがなく、いいえ、二度と起きないような大患難があるからです。22 実際、その日が短くされないとすれば、肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし、選ばれた者たちのゆえに、その日は短くされるのです。

23 「その時、『見よ、ここにキリストがいる』とか、『あそこに!』とか言う者がいても、それを信じてはなりません。24 偽キリストや偽預言者が起こり、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうとして、大きなしるしや不思議を行なうからです。25 ご覧なさい、わたしはあなた方にあらかじめ警告しました。26 それゆえ、人々が、『見よ、彼は荒野にいる』と言っても、出て行ってはなりません。『見よ、奥の間にいる』[と言っても]、それを信じてはなりません。
27 稲妻が東の方から出て西の方に輝き渡るように、人の子の(臨在)到来もそのようだからです。28 どこでも死がいのある所、そこには鷲が集まっているでしょう。

29 「それらの日の患難のすぐ後に、太陽は暗くなり、月はその光を放たず、星は天から落ち、天のもろもろの力は揺り動かされるでしょう。30 またその時、人の子のしるしが天に現われます。そしてその時、地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき、彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、天の雲に乗って来るのを見るでしょう。31 そして彼は、大きなラッパの音とともに自分の使いたちを遣わし、彼らは、四方の風から、天の一つの果てから他の果てにまで、その選ばれた者たちを集めるでしょう。

32 「では、いちじくの木から例えとしてこの点を学びなさい。その若枝が柔らかくなり、それが葉を出すと、あなた方はすぐに、夏の近いことを知ります。33 同じようにあなた方は、これらのすべてのことを見たなら、彼が近づいて戸口にいることを知りなさい。

34 あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません。35 天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです。

36 「その日と時刻についてはだれも知りません。天のみ使いたちも子も[知らず]、ただ父だけが[知っておられます]。

37 人の子の到来 (arrival, advent) はちょうどノアの日のようだからです。38 洪水前のそれらの日、ノアが箱船に入る日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていました。39 そして、洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが、人の子の到来 (coming) もそのようになるのです。

40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ、他方は捨てられるのです。41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ、他方は捨てられるのです。

42 それゆえ、ずっと見張っていなさい。あなた方は、自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。

43 「しかし、一つのことを知っておきなさい。家あるじは、盗人がどの見張り時に来るかを知っていたなら、目を覚ましていて、自分の家に押し入られるようなことを許さなかったでしょう。

44 このゆえに、あなた方も用意のできていることを示しなさい。あなた方の思わぬ時刻に人の子は来るからです。

45 「主人が、時に応じてその召使いたちに食物を与えさせるため、彼らの上に任命した、忠実で思慮深い奴隷はいったいだれでしょうか。

46 主人が到着して、そうしているところを見るならば、その奴隷は幸いです。47 あなた方に真実に言いますが、[主人]は彼を任命して自分のすべての持ち物をつかさどらせるでしょう。

48 「しかし、もしそのよこしまな奴隷が、心の中で、『わたしの主人は遅れている』と言い、49 仲間の奴隷たちをたたき始め、のんだくれたちと共に食べたり飲んだりするようなことがあるならば、

50 その奴隷の主人は、彼の予期していない日、彼の知らない時刻に来て、51 最も厳しく彼を罰し、その受け分を偽善者たちと共にならせるでしょう。そこで[彼は]泣き悲しんだり歯ぎしりしたりするのです。

マルコ 13:1-37
1 [イエス]が神殿から出て行かれる時であったが、弟子の一人がこう言った。「師よ、ご覧ください、何という石、それに何という建物なのでしょう」。2 しかし、イエスは彼に言われた、「あなたはこれらの大きな建物に見入っているのですか。石がこのまま石の上に残されて崩されないでいることは決してないでしょう」。 3 そして、[イエス]がオリーブ山の上で神殿の見える所に座っておられた時であったが、ペテロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが自分たちだけでこう尋ねはじめた。4 「わたしたちにお話しください。そのようなことはいつあるのでしょうか。そして、これらのすべてのものが終結に至るように定まった時のしるしには何がありますか」。

5 そこでイエスは彼らにこう言い始められた。「だれにも惑わされないように気を付けなさい。6 多くの者がわたしの名によってやって来て、『わたしがそれだ』と言って多くの者を惑わすからです。7 また、戦争のことや戦争の知らせを聞いても、恐れおののいてはなりません。[これらの事は]必ず起きますが、終わりはまだなのです。

8 「というのは、国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がり、またそこからここへと地震があり、食糧不足があるからです。これらは苦しみの劇痛の始まりです。

9 「あなた方は、自分自身に気を付けていなさい。人々はあなた方を地方法廷に引き渡し、あなた方は会堂で打ちたたかれ、わたしのために総督や王たちの前に立たされるでしょう。彼らに対する証しのためです。10 また、あらゆる国民の中で、良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません。11 しかし、人々があなた方を引き渡そうとして引いて行くとき、何を話そうかと前もって思い煩ってはなりません。何であれその時に与えられること、それを話しなさい。あなた方が話しているのではなく、聖霊が[話している]のです。

12 さらにまた、兄弟が兄弟を、父が子供を死に渡し、子供が親に逆らって立ち上がり、彼らを死に至らせるでしょう。13 そしてあなた方は、わたしの名のゆえにすべての人々の憎しみの的となるでしょう。しかし、終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です。

14 「しかしながら、荒廃をもたらす嫌悪すべきものが、[立っては]ならない所に立っているのを見かけるなら(読者は識別力を働かせなさい)、その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。15 屋上にいる人は下りてはならず、家から何かを取り出そうとして中に入ってもなりません。16 また、野にいる人は、自分の外衣を拾おうとして後ろのものに戻ってはなりません。17 その日、妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! 18 それが冬期に起きないように祈っていなさい。
19 それは、神がなされた創造の初めからその時まで起きたことがなく、また二度と起きないような患難の日となるからです。20 実際、YHWHがその日を短くされなかったとすれば、肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし、そのお選びになった、選ばれた者たちのゆえに、[神]はその日を短くされたのです。

21 「またその時、『見よ、ここにキリストがいる』、『見よ、そこにいる』と言う者がいても、[それを]信じてはなりません。22 偽キリストや偽預言者が起こり、できれば選ばれた者たちを迷わそうとして、しるしや不思議を行なうからです。23 ですから、あなた方は気を付けていなさい。わたしはあなた方にすべてのことを前もって告げたのです。

24 「しかしその日、その患難ののちに、太陽は暗くなり、月はその光を放たず、25 星は天から落ちてゆき、天にあるもろもろの力は揺り動かされるでしょう。26 またその時、人々は、人の子が大いなる力と栄光を伴い、雲のうちにあって来るのを見るでしょう。27 そしてその時、彼はみ使いたちを遣わし、四方の風から、地の果てから天の果てまで、自分の、選ばれた者たちを集めるでしょう。

28 「では、いちじくの木から例えを学びなさい。その若枝が柔らかくなって、その葉を出すと、あなた方はすぐに、夏の近いことを知ります。29 同じようにあなた方は、これらのことが起きているのを見たら、彼が近づいて、戸口にいることを知りなさい。30 あなた方に真実に言いますが、これらのすべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません。31 天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は過ぎ去らないのです。

32 「その日または時刻についてはだれも知りません。天にいるみ使いたちも子も[知らず]、父だけが[知っておられます]。33 ずっと見ていて、目を覚ましていなさい。あなた方は、定められた時がいつかを知らないからです。

34 それは、自分の家を離れ、自分の奴隷たちに権威を与え、各々にその仕事を[ゆだね]、戸口番には、ずっと見張っているようにと命令して、外国に旅行に出た人のようです。

35 それで、あなた方は、家の主人がいつ来るか、一日も遅くなってからか、真夜中か、おんどりの鳴くころか、あるいは朝早くかを知らないのですから、ずっと見張っていなさい。36 彼が突然に到着して、あなた方の眠っているところを見つけることがないようにするためです。37 しかし、わたしがあなた方に言うことは、すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」。

ルカ 21:5-36
5 後に、ある者たちが、神殿に関し、それがりっぱな石や献納物で飾られていることについて話していたところ、6 [イエス]はこう言われた。「あなた方が見入っているこれらの物について言えば、石が一つとしてこのまま石の上に残らず、[すべてが]崩されてしまう日が来ます」。

7 そこで彼らは質問して言った、「師よ、そのようなことは実際にはいつあるのでしょうか。また、そのようなことが起きるように定まった時のしるしには何がありますか」。

8 [イエス]は言われた、「惑わされないように気を付けなさい。多くの者がわたしの名によってやって来て、『わたしがそれだ』とか、『その時が近づいた』とか言うからです。そのあとに付いて行ってはなりません。9 さらに、戦争や無秩序な事態について聞いても、恐れおののいてはなりません。これらはまず必ず起きる事だからです。しかし、終わりはすぐには[来]ないのです」。

10 それから[イエス]はさらにこう言われた。「国民は国民に、王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。11 そして、大きな地震があり、そこからここへと疫病や食糧不足があります。また、恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう。

12 「しかし、これらのすべての事の前に、人々はあなた方に手をかけて迫害し、あなた方を会堂や獄に引き渡し、あなた方はわたしの名のために王や総督たちの前に引き出されるでしょう。13 それはあなた方にとって証しの[機会]となるのです。14 それゆえ、どのように弁明するか前もってけいこなどしないことを心に定めなさい。15 わたしがあなた方に口と知恵を与えるからです。あなた方の反対者がみな一緒になっても、それに抵抗することも論ばくすることもできないでしょう。

16 さらに、あなた方は、親、兄弟、親族、友人たちによってさえ引き渡され、彼らはあなた方のうちのある者たちを死に渡すでしょう。17 またあなた方は、わたしの名のゆえにすべての人の憎しみの的となるでしょう。18 それでも、あなた方の髪の毛一本すら決して滅びることはありません。19 あなた方は自らの忍耐によって自分の魂を獲得するのです。

20 「また、エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら、その時、その荒廃が近づいたことを知りなさい。21 その時、ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。[都]の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は[都]の中に入ってはなりません。22 なぜなら、これは処断の日であり、それによって、書かれていることのすべてが成就するのです。23 その日、妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります! その土地に非常な窮乏が、そしてこの民に憤りが臨むからです。24 そして人々は剣の刃に倒れ、捕らわれとなってあらゆる国民の中へ引かれてゆくでしょう。そしてエルサレムは、諸国民の定められた時が満ちるまで、諸国民に踏みにじられるのです。
25 「また、太陽と月と星にしるしがあり、地上では、海のとどろきと[その]動揺のゆえに逃げ道を知らない諸国民の苦もんがあるでしょう。26 同時に人々は、人の住む地に臨もうとする事柄への恐れと予想から気を失います。天のもろもろの力が揺り動かされるからです。27 そのとき彼らは、人の子が力と大いなる栄光を伴い、雲のうちにあって来るのを見るでしょう

28 しかし、これらの事が起こり始めたら、あなた方は身をまっすぐに起こし、頭を上げなさい。あなた方の救出が近づいているからです」。

29 そうして[イエス]は彼らにひとつの例えを話された。「いちじくの木やほかのすべての木をよく見なさい。30 それらが既に芽ぐんでいれば、あなた方はそれを観察して、もう夏の近いことを自分で知ります。31 このように、あなた方はまた、これらの事が起きているのを見たなら、神の王国の近いことを知りなさい。

32 あなた方に真実に言いますが、すべての事が起こるまで、この世代は決して過ぎ去りません。33 天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしの言葉は決して過ぎ去らないのです。

34 「しかし、食べ過ぎや飲み過ぎまた生活上の思い煩いなどのためにあなた方の心が押しひしがれ、その日が突然、わなのように急にあなた方に臨むことがないよう、自分自身に注意を払いなさい。35 それは、全地の表に住むすべての者に臨むからです。36 それで、起きることが定まっているこれらのすべての事を逃れ、かつ人の子の前に立つことができるよう、常に祈願をしつつ、いつも目ざめていなさい」。 37 こうして[イエス]は、日中は神殿で教え、夜には出て行って、オリーブ山と呼ばれる山に宿を取られるのであった。38 そして民はみな、彼[の話]を聞こうとして、日中早くから、神殿にいる彼のもとに来るのであった。

メシアの最初の到来

創造された直後のアダムとエバがサタンの策略により罪に陥ったとき、神は彼らを救うために胤を与えることを約束しました。約束の胤は、アダムの家族を罪と死、そしてサタンの支配から解放します。そのため、神は、アダムの家族を救う約束の胤を生みだすアダムからメシア(キリスト)までの家系を確保しました。

エバが長男カインを産んだとき、神の助けで約束の胤につながる男子を生んだと彼女は言いました。しかし、約100年後、カインは弟アベルを殺し、神の約束の胤を生み出す家系となることにおいて失格しました。その後、アダムが130歳のとき、神はアダムとエバに別の胤を与え、エバは彼をセツと名付けました。

こうして、約束の胤の家系は確保されました。

創世記 3:15
15 そしてわたしは、お前と女との間、またお前(蛇)の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼(約束の胤)はお前(蛇)の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕くであろう」。

創世記 4:1
1 さて、アダムはその妻エバと交わりを持ち、彼女は妊娠した。やがて彼女はカインを産んで、こう言った。「わたしはYHWHの助けでひとりの男子 (a man) を産み出した」。

創世記 4:25
25 それからアダムは再び妻と交わりを持ち、それによって彼女は男の子を産み、その名をセツと呼んだ。彼女の言うところでは、「カインがアベルを殺したので、神はその代わりに別の胤を立ててくださった」からであった。

創世記 5:3
3 そしてアダムは百三十年のあいだ生き、そののち自分に似た、自分の像どおりの子の父となり、その名をセツと呼んだ。

アダムの罪から2,000年以上経って、アダムの家族を解放する胤の約束がアブラハムに再び与えられました。諸国の民が自らを祝福する約束の胤は、アブラハムの家系から出ることになります。そしてアブラハムの子孫はイスラエル人として知られるようになりました。

アブラハムとの契約から430年後、神は約束の胤が統治する祭司の王国をつくるためにイスラエル人と律法契約を結ばれました。

祭司の王国の王はヘブライ語ではメシア、ギリシャ語ではキリストと呼ばれます。メシアは「任命のための油を注ぐ」または「油を注がれた者、任命された者」を意味します。

神のメシア、約束の胤は、聖書に預言されていたとおり、1世紀に来ました。しかし、背教のイスラエル人たちはイエスを神のメシアとして受け入れず、拒絶しました。

ですから、イスラエル人たちはまだ彼らの理想のメシアの到来を待ち望んでいます。しかし、神のメシアの最初の到来は西暦1世紀にすでに終わっていますので、今日の背教のイスラエル人たちが待っているメシアは神のメシアではない偽りのメシアです。

神のメシアの最初の到来

西暦29年
ナザレのイエスは、西暦29年9月にヨルダン川で洗礼者ヨハネからバプテスマを受けました。その後、イエスは背教したイスラエルの国から王国の子たちを選ぶために、メシアの王国を宣べ伝える業を始めました。

イエスは3年半の間、メシアの王国統治の教えと祝福について教え、あらゆる病気を治し、悪霊を追い出しました。そして最後に、西暦33年ニサン14日に処刑の杭の上で罪のない死を遂げました。

イエスの罪のない死はサタンの処刑を確定させ、アダムの家族が罪と死、そしてサタンの支配から救われることを保証しました。この救いは、アダムとエバがサタンの罠に陥ったときにYHWHによって預言されていました。

蛇は約束の胤のかかとを砕き、それによって蛇の頭は砕かれます。創世記の記述にあるように、メシアは罪のない死によってサタンを征服します。

創世記 3:15
15 そしてわたしは、お前と女との間、またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼(メシア)はお前(サタン)の頭を砕き、お前(サタン)は彼(メシア)のかかとを砕くであろう」。

イエスは最初の到来の際、神のメシアとして予言されていたことをすべて成し遂げ、復活し、YHWHによってすべての天使の上に高められました。

紀元29年9月のメシアの最初の到来は、ローマの世俗史によって確証されています。ルカによれば、バプテストのヨハネはティベリウス帝の治世の15年に宣教を始めました。(ルカ3:1-6)

アウグストゥスは西暦14年8月17日に亡くなり、ティベリウスは9月15日にローマ元老院によって皇帝に任命されました。したがって、彼の在位 15年目は西暦28年後半から西暦29年の8月または9月までとなります。

イエスは、メシアとしての働きを始めるために、西暦29年9月にバプテスマを受けました。これが神のメシアの最初の到来でした。イエスは、西暦 33年ニサン14日に犠牲の死を遂げるまで3年半働き、その後、霊として復活し、天に戻りました。

西暦33年ニサン14日の天体の記録は、西暦33年ニサン14日のイエスの死を裏付けています。

聖書の記述と一致するのは西暦33年の天文学的記録だけなので、イエスが西暦33年に亡くなったことがわかります。

西暦33年ニサン14日という確認された日付から、神のメシアの最初の到来は西暦29年9月であったと分かります。他に選択の余地はありません。
cf. 西暦33年 ニサンの14日


ダニエルのメシアの到来に関する預言も、メシアの最初の到来が西暦29年であったことを示しています。そして、メシアの最初の到来はエルサレムの荒廃の時であると決定されています。ですから、メシアの最初の到来は、ユダヤ教の宗教制度を終わらせ、また背教したイスラエル国家の裁きの時です。

ダニエル 9:24-27
24 「あなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められた70週がある。これは、違犯を終結させ、罪を終わらせ、とがの贖いをし、定めのない時に至る義を携え入り、幻と預言者とに証印を押し、聖の聖なる所に油をそそぐためである。25 そして、あなたが知り、また洞察するべきことであるが、エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに、7週、そしてさらに62週があるであろう。それは元どおりにされ、公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが、それは苦境の時になされるであろう。 26 「そして、その62週の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持たないであろう。 「そして、その都市と聖なる場所とは、やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで、その終わりは洪水によるものとなる。そして、終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である。 27 「また彼は多くの者のために1週のあいだ契約の効力を保たねばならない。そして、週の半ば (1/2) に、彼は犠牲と供え物とを絶えさせる。 「また、嫌悪すべきものの翼の上には、荒廃をもたらす者がいるであろう。そして、絶滅に至るまでは、定められている事柄が、荒廃に横たわるものの上にも常に注ぎ出されるであろう」。

エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられたのは、紀元前455 年で、その年ペルシャのアルタクセルクセス王はネヘミヤにエルサレムの再建を許可しました。その年から、メシアの最初の到来を決定する預言的な 70週を数えることができます。エルサレム再建の許可から「指導者メシア」までの期間は、7 + 62週、つまり 69週 (483年) であると言われています。

西暦前455年から483年経過すると西暦29年になります。
483 - 455 + 1 = 29 (紀元0年は存在しませんので、1年加える必要あります。)

このように、ダニエルの預言は、何世紀も前に、メシアの到来の正確な年を指摘していました。多分、西暦 1 世紀のユダヤ人は、ダニエルの預言に基づいて計算し、メシアの出現に注意していました。聖書は次のように伝えています。「民衆は待ち望んでおり、みなヨハネについて心の中で『彼はもしかするとキリストなのかもしれない』と考えていた。」 (ルカ 3:15) 彼らはメシアを待ち望んでいたものの、彼が到来する正確な月、週、日を指摘することはできませんでした。彼らはバプテストのヨハネがキリスト(メシア)であるかもしれないと思っていました。バプテストのヨハネは西暦29年の春に宣教を始めました。それは、イエスが西暦29年9月にバプテスマを受ける約6か月前のことでした。


メシアの最初の到来は、アダムの創造から 4,000 年後に起こりました。
cf. Calculations based on biblical genealogies.

メシアの最初の到来によって、イスラエル国家は検閲され、欠陥があると判断され、捨てられました。

ルカ 19:41-44
41 そして市の近くに来た時、[イエス]はそれを眺め、それのために涙を流して、42 こう言われた。「もしあなたが、そうですあなたが、この日に、平和にかかわる事を見分けていたなら―しかし今、それはあなたの目から隠されているのです。43 あなたの敵が、先のとがった杭でまわりに城塞を築き、取り巻いて四方からあなたを攻めたてる日が来るからであり、44 彼らは、あなたとあなたの中にいるあなたの子らを地面にたたきつけ、あなたの中で石を石の上に残したままにはしておかないでしょう。あなたが自分の検分されている時を見分けなかったからです」。

マタイ 23:36-38
36 あなた方に真実に言いますが、これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう。 37 「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石打ちにする者よ―わたしは幾たびあなたの子供たちを集めたいと思ったことでしょう。めんどりがそのひなを翼の下に集めるかのように。しかし、あなた方はそれを望みませんでした。38 見よ、あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています。

神のメシアを拒絶し殺害したエルサレムは西暦70年にローマ軍によって破壊され、背教したイスラエル人は国家を失い、世界中に散らばりました。

メシア・イエスは罪のない死によってサタンを征服し、天に戻り、王国の宣教の業を追随者である王国の子たちに残しました。それ以来、地上に残された王国の子たちは、将来のイエスの2度目の到来を待ち続けています。

イエスが戻られるとき、それはサタンの世界を終わらせ、アダムの家族に祝福をもたらす時となります。

マタイ 28:18-20
18 すると、イエスは近づいて来て、彼らにこう話された。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。19 それゆえ、行って、すべての国の人々を弟子とし、わたしの名において彼らにバプテスマを施し、20 わたしがあなた方に命令した事柄すべてを守り行なうように教えなさい。そして、見よ、わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです」。

使徒 1:6-11
6 さて、集合したときに、彼らは[イエス]に尋ねはじめた、「主よ、あなたは今この時に、イスラエルに王国を回復されるのですか」。7 [イエス]は彼らに言われた、「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは、あなた方のあずかるところではありません。8 しかし、聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け、エルサレムでも、ユダヤとサマリアの全土でも、また地の最も遠い所にまで、わたしの証人となるでしょう」。9 そして、これらのことを言われたあと、彼らが見守る中で、[イエス]は挙げられ、雲に取り上げられて彼らから見えなくなった。10 そして、[イエス]が進んで行く間、彼らが空を見つめていると、さらに、見よ、白い衣を着た二人の人が彼らのそばに立って、11 こう言った。「ガリラヤの人たちよ、なぜ空を眺めて立っているのですか。あなた方のもとから空へ迎え上げられたこのイエスは、こうして、空に入って行くのをあなた方が見たのと同じ様で来られるでしょう」。

ヘブライ 9:28
28 キリストもまた、多くの人の罪を負うため、ただ一度かぎりささげられました。そして、彼が二度目に現われるのは罪のことを離れてであり、それは、[自分の]救いを求めて切に彼を待ち望む者たちに対してです

マルコ 1:9-15
9 そのころのこと、イエスがガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けられた。10 そして、水から上がられてすぐ、天が分かれ、霊がはとのようになって自分の上に下って来るのをご覧になった。11 そして、天から声があった、「あなたはわたしの子、[わたしの]愛する者である。わたしはあなたを是認した」。 12 それからすぐ、霊が彼を駆り立てて荒野に行かせた。13 それで彼は四十日のあいだ荒野にいて、サタンの誘惑を受けた。そして野獣と共におられたが、み使いたちが彼に仕えていた。 14 さて、ヨハネが捕縛されたのち、イエスはガリラヤに行き、神の良いたよりを宣べ伝えて、15 こう言われた。「定めの時は満ち、神の王国は近づきました。あなた方は悔い改めて、良いたよりに信仰を持ちなさい」。

ルカ 7:19-23
19 そこでヨハネは自分の弟子のうち二人の者を呼び寄せ、「あなたが来たるべき方なのですか。それとも、わたしたちはほかの方を待つべきでしょうか」と言わせようとして、彼らを主のもとに遣わした。20 彼のところにやって来ると、その人たちはこう言った。「バプテストのヨハネはわたしどもをあなたのもとに遣わして、『あなたが来たるべき方なのですか。それとも、わたしたちは別の方を待つべきでしょうか』と申しております」。21 その時[イエス]は、病気や悲痛な疾患また邪悪な霊から大勢の人を治し、また多くの盲目の人にものを見る恵みを授けておられた。22 ゆえに、その[二人]に答えてこう言われた。「行って、あなた方が見聞きしたことをヨハネに報告しなさい。盲人は見えるようになり、足なえの人は歩き、らい病の人は清められ、耳の聞こえなかった人は聞き、死人はよみがえらされ、貧しい人々には良いたよりが告げられています。23 それで、わたしにつまずかなかった人は幸いです」。

ヨハネ 10:1-5
1 「きわめて真実にあなた方に言いますが、羊の囲いに戸口を通って入らず、どこかほかの場所からよじ登る者、その者は盗人であり、強奪者です。2 しかし、戸口を通って入る者は羊の羊飼いです。3 戸口番はこの者に対して[戸を]開け、羊はその声を聴き、彼は自分の羊の名を呼んで導き出します。4 自分のものをみな外に出すと、彼はその前を行き、羊はあとに付いて行きます。彼の声を知っているからです。5 よその者には決して付いて行かず、むしろその者からは逃げるのです。よその者たちの声を知らないからです」。(イエスの宣教活動は王国の子たちのためのものでした。イエスは彼らを背教したユダヤ教から導き出しました。王国の子たちはイエスと共にメシアの王国を共有します。)

ヨハネ 19:28-30
28 この後、イエスは、それまでにすべての事が成し遂げられたのを知って、聖句が成し遂げられるために、「わたしは渇く」と言われた。29 そこには、酸いぶどう酒のいっぱい入った器が置いてあった。それで彼らは、その酸いぶどう酒をじゅうぶん含ませた海綿をヒソプ[の茎]に付け、それを彼の口もとに持って行った。30 さて、酸いぶどう酒を受けてから、イエスは、「成し遂げられた!」と言われた。そして、頭を垂れ、[ご自分の]霊を引き渡された(3pm くらい)。

使徒 17:30-31
30 確かに、神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが、今では、どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。31 なぜなら、ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め、彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。

ヘブライ 1:3-4
3 . . . そして、わたしたちの罪のための浄めを行なった後、高大な所におられる威光の右に座られました。4 こうして彼はみ使いたちよりも優れた名を受け継ぎ、それだけ彼らに勝る者となられました。

イエスは弟子たちに再来を約束しました。イエスの2度目の到来によってサタンの世は終わり、王国の子たちは天に連れて行かれ、キリストの千年統治に加わることになります。

ヨハネ 14:1-3
1 「あなた方の心を騒がせてはなりません。神に信仰を働かせ、またわたしにも信仰を働かせなさい。2 わたしの父の家には住むところがたくさんあります。そうでなかったなら、わたしはあなた方に告げたことでしょう。わたしはあなた方のために場所を準備しに行こうとしているのですから。3 そしてまた、わたしが行ってあなた方のために場所を準備したなら、わたしは再び来て、あなた方をわたしのところに迎えます。わたしのいる所にあなた方もまたいるためです。(王国の子であるイエスに従う者たちに与えられた希望は、アダムとエバが失った地上の命ではなく、天の命です。ですから、すべてのクリスチャンは、自分がどのような希望に召されているかを理解し自覚すべきです。)

西暦1世紀の宣べ伝える業

西暦1世紀当時のキリストの弟子たちは、エルサレムの滅びと、キリストの再来 (return) によってもたらされる終わりを意識して活動しました。

エルサレムの滅びについて言えばその規模はひとつの地域に限られており、関係する人もユダヤ人とユダヤ教に改宗した人々でした。それらのユダヤ教に関わる人々が年に数回エルサレムで行なわれる祭りに参加する義務を負っており、彼らだけが自らの命のためにイエスの預言的な警告に従って行動する必要がありました。イエスは、エルサレムが野営をはった軍隊により先のとがった杭により囲まれたなら、その滅びの近さを知りエルサレムから出るように預言的な警告を与えています。

エルサレムを訪れる必要ない異邦人にとってその警告は意味を持たなかったでしょう。しかし、異邦人のクリスチャンたちも、キリストの再来 (return) によるサタンの体制の終わりの預言により、やはり終わりを意識して活動していたはずです。

西暦56年ごろパウロはローマ人への手紙の中で、クリスチャンの信仰が世界中で語られていると書いています。

ローマ 1:8
8 . . . あなた方の信仰のことが世界じゅうで語られているからです。

それで、キリストの再来 (return)、または帰還 (coming back) のときの世の終わり、または裁きの音信は当時のローマ世界の全域で知られていました。

それで、エルサレムの滅びと、世界の滅びの音信を当時の人々は聞いたことになります。
そしてエルサレムの滅びはユダヤ教に関わる人々に対する警告となりました。
エルサレムの滅びも、世界の滅びも、ある意味で、その音信を宣べ伝えたキリストの弟子たちの世代のうちに来ると見なすことができると思います。

エルサレムの滅びについて

まず、エルサレムの滅びは、イエスの伝道により、「この世代に、預言者たちの血の責任が問われる」と言われていました。

マタイ 23:35-36
35 こうして,義なるアベルの血から,あなた方が聖なる所と祭壇の間で殺害した,バラキヤの子ゼカリヤの血に至るまで,地上で流された義の血すべてがあなた方に臨むのです。36 あなた方に真実に言いますが,これらのことすべてはこの世代に臨むでしょう。

ルカ 11:50-51
50 こうして,世の基が置かれて以来流されたすべての預言者の血がこの世代に対して要求されるのである。51 アベルの血から,祭壇と家との間で殺されたゼカリヤの血に至るまでが』。そうです,あなた方に言いますが,それはこの世代に対して要求されるのです。

そして、上記の預言的警告のとおり弟子たちの世代のうちに、西暦70年にエルサレムはローマ軍により滅ぼされました。

キリストの再来 (return) について

また、キリストの再来 (return) もひとつの世代と関わって生じることが述べられています。

マルコ 8:38
38 だれでも,この罪深い姦淫の世代にあってわたしとわたしの言葉を恥じるようになる者は,人の子も,聖なるみ使いたちと共に自分の父の栄光のうちに到来 (coming) する時,その者を恥じるのです」。

キリストの再来 (return) についてマタイ 16:27 は、こう述べています。

マタイ 16:27
27 人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来 (coming) することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するのです。

この栄光のうちのに到来するキリストの再来 (return) は、エルサレムの滅びとは別のものです。

イエスは、上記のマタイ 16:27 の後にペテロとヤコブとヨハネを伴って山に行きそこで変貌し、父の栄光のうちに到来する様をそれら 3人の使徒たちに示されました。

マタイ 17:
1 六日後,イエスはペテロとヤコブおよびその兄弟ヨハネを伴い,彼らだけを高大な山の中に連れて来られた。2 そして彼らの前で変ぼうされ,その顔は太陽のように輝き,その外衣は光のようにまばゆくなった。

その時のことを後日ペテロは、西暦64年ごろペテロ第二 1:16 でこう述べています。

ペテロ第二 1:16
16 そうです,わたしたちが,わたしたちの主イエス・キリストの力と再来 (return) についてあなた方に知らせたのは,巧みに考え出された作り話によったのではなく,その荘厳さの目撃証人となったことによるのです。

この聖句から、何が分かりますか。
キリストの再来 (return) は、キリストの変貌によって示されているような荘厳なディスプレーを伴うことが分かります。

それは、天から示される再来 (return) の顕現であり、各々に対する返報のときなのです。
ですから、キリストの再来 (return) は、ものみの塔の説明のような、目に見えない何の顕現も伴わない話だけのものではありません。

ものみの塔の教えは、ネブカドネザルの7つの時の独自の解釈に基づく、「巧みに考え出された作り話」に当ります。(ペテロ第二 1:16)

西暦1世紀のクリスチャンたちは、そのキリストの再来 (return) が自分たちの世代のうちに起きることを意識して生活していました。

ですから、西暦 51年ごろテサロニケ第二 2:1-2 にあるような助言がなされています。

テサロニケ第二 2:1-2
1 しかし,兄弟たち,わたしたちの主イエス・キリストの再来 (return) ,またわたしたちがそのもとに集められることに関して,あなた方にお願いします。2 主の日が来ている (coming) という趣旨の霊感の表現や口伝えの音信によって,またわたしたちから出たかのような手紙によって,すぐに動揺して理性を失ったり,興奮したりすることのないようにしてください。

イエスの弟子たちにとって、このキリストの再来 (return) は、ある意味で彼らの世代のうちに到来すると見なすことができます。

まず以下の2つの点を思いに留めてください。

  1. 一世代は誕生から死にいたるまでの期間をさすこと。(ここでの仮定)
  2. 死は存在の消滅で無意識であり、死者は時間の経過を意識できないこと。(事実)

西暦1世紀から今日に至るどの時代のクリスチャンも、キリストの再来 (return) の際に生き残るためのクリスチャン人格の形成の期間は、自らの死までか、または生きてキリストの再来 (return) に直面するまでかの、いずれにしても自分が生きている間の1世代しかありません。

しかもキリストの再来 (return) がいつ始まるかは誰にも分からないわけですから、それが自分の生きているうちに来る可能性は、いつの時代のクリスチャンにもあることになります。

また死は、死者にとって時間のワープのようなものですから、いつの時代においても、死んだら、いわば次の瞬間はキリストの到来 (coming) に至っていることになります。

それで、どの時代のクリスチャンにとってもキリストの再来 (return) は遅くてもその人の1世代のうちにに来ると見なすことができます。

キリストの再来 (return) は、裁きのときであり、各々が、良いものでも、悪いものでも自分の行いの返報を受けるときです。
それで、どの時代のクリスチャンも良い返報を受けるための準備の期間はその人の生涯つまり、1世代しかありません。

ペテロ第二 3:11-12 の助言に従いクリスチャン人格を培う期間は長くても1世代しかないのです。

ペテロ第二 3:11-12
11 これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,12 主の日の到来 (coming) を待ち,[それを]しっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その[日]に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです。

どの時代のクリスチャンにとっても、キリストの再来 (return) は自分が生きているうちに始まるかもしれませんし、何年も後になるかもしれないものなのです。仮にキリストの再来 (return) が自分が死んでから何百年も後であるとしても、死そのものは、時間の経過を意識できませんので、死後は直ちにキリストの再来の時に至ることになります。それで、いつの時代のクリスチャンも、終わりは一世代のうちに来ると見なすことができます。自分の生きているうちか、遅くとも自分が死ぬときにその裁きがあると見なせます。

ヘブライ 9:27
27 そして,人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれているように,

死は、無意識の死者のとって時間のワープであり直ちにキリストの再来 (return) の裁きに至ります。

それで、いつの時代のクリスチャンにも上記のペテロの助言が当てはまることになります。
私たちが信仰のうちに神の恵みを得るクリスチャン人格を培うための期間は生きている間に限られています。

誰にとっても言えることですが、クリスチャンにとっても時間はとても貴重で人生のうちの残されている時間を有効に用いるように励まされています。

エフェソス 5:15-17
15 ですからあなた方は,自分の歩き方をしっかり見守って,それが賢くない者ではなく賢い者の[歩き方]であるようにし,16 自分のために,よい時を買い取りなさい。[今は]邪悪な時代だからです。17 それゆえ,もはや道理をわきまえない者となってはなりません。むしろ,何が主のご意志であるかを見分けてゆきなさい

フィリピ 1:10
10 それは,あなた方がより重要な事柄を見きわめるようになり,こうして,キリストの日に至るまできずなく,他の人をつまずかせることなく,11また,イエス・キリストによる義の実に満たされて,神の栄光また賛美となるためです。

クリスチャンは 自分の世代のうちにキリストが戻られることを意識して1度限りの生涯を大切に生きます。人は死ぬと時間の経過を意識することなくキリストの再来の時に至ります。それで、どの時代のクリスチャンも自分の世代(一生)のうちにキリストに会うことを期待して前途の希望を確実にする生き方を追い求めます。

テモテ第二 4:6-8
6 わたしはすでに飲み物の捧げ物のように注ぎ出されているのです。わたしの解き放たれる定めの時は目前に迫っているからです。7 わたしは(パウロは生涯をかけて、つまりパウロ自身の1世代に)戦いをりっぱに戦い、走路を最後まで走り、信仰を守り通しました。8 今から後、義の冠がわたしのために定め置かれています。それは、義なる審判者である主が、かの日(キリストの再来の日)に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし、わたしだけにではなく、その顕現を愛してきたすべての人に[与えてくださるのです]。

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自己紹介



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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