2013年11月15日号「ものみの塔」の記事
16節「エホバの牧者たちに従いなさい」
わたしたちは,神の羊の群れの中で一致と安全を保つために,わたしたちの「後ろで」行くべき道を告げる「言葉」に聞き従う必要があります。この「言葉」には,聖書を通して聖霊が述べる事柄や,エホバとイエスが,従属の牧者として任命した人たちを通して述べる事柄が含まれます。
17節「七人の牧者,八人の君侯―今日のわたしたちにとってどんな意味があるか」
(3)その攻撃の際,エホバの組織から与えられる指示は,奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし,わたしたちは皆,同意できるかどうかにかかわらず,どんな指示にもすぐに従うべきである。それらの指示に従うことは命を意味するからである。
みんなびっくり、「変でも従え」ものみの塔!
今後ますます、分からなくても「従え、従え、従うんだ神権的戦いなのだ」となるのかな。
そのうち、みんなあきれて寄付をしなくなり、
加えて訴訟も増え、
特別開拓者、旅行する監督、べテル奉仕者を養えなくなり、
インチキ神の組織は倒産するのでした。
ものみの塔国際印刷会社の法律部門のリスクマネージメントは、各会衆、各JWへの責任転嫁で、これまでどおりまずい事態に陥ればトカゲのしっぽ切りで逃れますよ。
ものみの塔の詭弁「独立の精神は悪である」について
詭弁とは、間違っていることを、正しいと思わせるようにしむけた議論のことです。
独立を自立に置き換えて考えると、ものみの塔の教えの極端さが分かるでしょう。
物質的に、また霊的にいつまでも他の人に依存すべきですか。
そのような人は大人でしょうか。
それは幼児の特徴ではありませんか。
独立の精神を極悪視する背後の動機は何でしょうか。
それは統制のためではありませんか。
聖書によって確立された真理以外の点において、異なる意見を排斥する正当な理由がありますか。
真理は、誰が伝えたとしても真理です。
要点は、わたしたちは真理に従うのであり、それを伝えたものに従うのではないということです。
では、ものみの塔協会の教えは全て真理でしょうか。
- 1914年はキリストが天で即位しその見えない臨在が始まった年でしょうか。
- 1914年から1世代のうちにハルマゲドンが来るのでしょうか。
- 1919年にイエスは、ものみの塔協会を選んで忠実で思慮深い奴隷として任命したのでしょうか。
- 1975年は人類史の6000年の終わりであり、キリストの1000年統治の始まりの年となる可能性があるという教えにより世界中で多くの人々がJWになりました。それから 40年経った2015年の現在は、本当に終わりの直前の時でしょうか。
- ヨハネ 10:16 の「他の羊」は、それが語られたときより2000年も後に現れる地的なクラスについての予言でしょうか。
- 天への召しは1935年に完了したのでしょうか。
- 神は本当にJWの統治体を導いているのでしょうか。
これらの教理的な教えに関して、内心「ものみの塔協会」と異なる意見、聖書の解釈を持つJWの方は少なくないと思います。
ものみの塔協会でさえ、これまで自らの解釈を何度も変更してきました。
それは、何を物語っていますか。
ものみの塔協会も真理を模索中であり、真理の啓示を受けたわけでもなく真理を知らないということです。
協会を神聖視したり、絶対視したりする根拠はありません。
しかし、ものみの塔協会は聖書の真理と「ものみの塔協会」を同一視し、組織に従うよう強要しています。
それは、不法の人の特徴です。
テサロニケ第二 2:4
4 彼は,すべて「神」と呼ばれる者また崇敬の対象とされるものに逆らい,自分をその上に高め,こうして神の神殿に座し,自分を神として公に示します。
神の代弁者としての自らの権威を強固なものにする一つの方法は、独立の精神は諸悪の根源であるという詭弁です。
真理からの独立と、人間の憶測からの独立は本質的に異なっています。
真理からの独立は成り立ちません。真理を無視して生き続けることは不可能です。
しかし、人間の憶測からの独立は、偽りからの開放であり真理を知る第一歩となります。
それで各自は自らの頭で物事の裏表、上下左右、本質を考える自由を放棄すべきではありません。
だれから真理を学んだかは重要ですか。
「ものみの塔の宣教活動により真理を学んだのだから、ものみの塔に従うべきだ」と主張できるでしょうか。できません。
真理が重要なのであって、真理を伝える経路が重要なのではありません。
研究司会者も、長老も、ものみの塔協会も重要な存在ではありません。
聖書の真理が重要であり、その理解を可能にした神が重要なのです。
わたしたちの信仰は神と、その真理に対するものであり、人や組織に対するのもではありません。
コリント第一 3:6-7
6 わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神が[それを]ずっと成長させてくださったのです。7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
経済的独立
物質的に他の人を当てにして、あるいは他の人に依存して生きることを聖書は勧めていますか。親のすねをかじって生きることを聖書は勧めていません。
経済的に独立し他の人を物質的に助けられる者になるべきです。
組織から生活費の支給を受けて働くクリスチャンなど聖書的にあり得ません。
特別開拓者、旅行する監督、支部で働く人々は、生活のすべてを「ものみの塔印刷会社」に依存しています。
ですからその立場を保守することにならざる得ず、その特権を失いたくないでしょう。
それでそのような特権階級は、既得特権にしがみつき、ものみの塔印刷会社の言いなりのパリサイ人となり協会の決定第一主義の名の下に偏った裁きの片棒を担ぎます。
それで、ものみの塔協会(印刷会社)の特別開拓奉仕者、旅行する監督、べテル奉仕者は全てキリストの使徒としての資格にかなっていません。それらの人々は聖書により支持されない、ものみの塔協会(国際印刷会社)に生活を依存しているインチキ雇われ人たちです。
律法契約下の10分の一税による祭司やレビ人の扶養義務はキリスト教の始まりと共に終わりました。
終了した制度を再びキリスト教に持込む者たちは真のキリスト教の姿を逸脱しています。
キリスト教の姿は国家支配制度ではなく、個々の人々の兄弟関係であり、組織により恩恵を受けて働く組織の代表者などとは無関係です。
キリスト教の強力な推進者として働いた使徒パウロの歩みから学ぶべきです。
テサロニケ第一 2:9
9 兄弟たち,あなた方は,わたしたちの労と刻苦とを覚えているはずです。わたしたちは神の良いたよりをあなた方に宣べ伝えましたが,それは,あなた方のだれにも費用の面で重荷を負わせないようにするために,夜昼働きながらのことでした。
使徒 20:34-35
34 この手が,わたしの,そしてわたしと共にいる者たちの必要のために働いたことを,あなた方自身が知っています。35 わたしは,このように労苦して弱い者たちを援助しなければならないこと,また,主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』との言葉を覚えておかなければならないことを,すべての点であなた方に示したのです」。
テサロニケ第一 4:11-12
11 また,わたしたちが命じたとおり,静かに生活し,自分の務めに励み,手ずから働くことをあなた方の目標としなさい。12 それは,外部の人々との関係では適正に歩むため,またあなた方が何にも事欠くことのないためです。
テサロニケ第二 3:11-12
11 ところが聞くところによると,あなた方の間で,ある者たちが無秩序な歩み方をし,少しも働かないで,自分に関係のないことに手出ししているとのことです。12 そのような人たちに,主イエス・キリストにあって命じまた勧めます。静かに働いて,自分の労によって得る食物を食べなさい。
エフェソス 4:28
28 盗む者はもう盗んではなりません。むしろ,骨折って働き,自分の手で良い業を行ない,窮乏している人に分け与えることができるようにしなさい。
寄付を集めて組織運営をし、雇われ宣教者を派遣する指示は聖書のどこにもありません。
聖書中の宣教の業は個人の自由意志と自費により行われました。
また、聖書中の寄付は、宣教者の派遣ではなく、主に貧しい人々や災害地救援のために用いられていました。
霊的独立(自立)
霊的に他の人に依存することを聖書は勧めていますか。クリスチャンは、いつまでも他の人の教えや導きに依存する子供のような状態に留まることではなく、成長して神のことばの正しい理解に導かれる大人となることが期待されています。
それで他人を組織に依存させることを強調し続ける「ものみの塔協会」は聖書に従っているとは言えません。
「ものみの塔協会を通してでなければ聖書の真の理解は得られない」という教えは詭弁であり欺きです。
エフェソス 4:11-16
11 そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。12 それは,奉仕の業のため,またキリストの体を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。14 それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。15 そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう。16 この[キリスト]をもととして,体の各部すべては,調和よく組み合わされることにより,また必要なものを与えるすべての関節を通して協働することにより,それぞれの部分が定めの機能を果たすにつれて,愛のうちに自らを築き上げることを目ざした体の成長に資するのです。
(人々の賜物により、クリスチャンは自立した大人となることが期待されています。いつまでも長老や組織に依存することなど意図されていません。)
コリント第2 1:24
24 わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。
ヘブライ 5:13-14
13 乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。
(ものみの塔に盲従する長老は義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。)
ガラテア 6:5
5 人はおのおの自分の荷を負うのです。
ローマ 14:4, 12, 22
4 他の人の家僕を裁くとは,あなたはだれなのですか。その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。
12 それですから,わたしたちは各々,神に対して自分の言い開きをすることになるのです。
22 あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。
ルカ 12:57
57 なぜあなた方は,何が義にかなっているかをも自分で判断しないのですか。
テサロニケ第一 5:21-22
21 すべてのことを確かめなさい。りっぱな事柄をしっかり守りなさい。22 あらゆる形の悪を避けなさい。
ヨハネ第一 4:1
1 愛する者たちよ,霊感の表現すべてを信じてはなりません。むしろ,その霊感の表現を試して,それが神から出ているかどうかを見きわめなさい。多くの偽預言者が世に出たからです。
使徒 17:11
11 さて,[ここの人たち]はテサロニケの人たちより気持ちがおおらかであった。きわめて意欲的な態度でみ言葉を受け入れ,それがそのとおりかどうかと日ごとに聖書を注意深く調べたのである。
ものみの塔の教えに従っていれば大丈夫と思い込んでいるJWの皆さん、
裁きのときに「私は、唯一真の神の組織、ものみの塔の教えに従っただけです」という言訳がが通ると思いますか。
エバは、「蛇です。蛇がわたしを欺きました。」と言いました。
アダムは、「女です。あなたが与えた女が言ったので食べました。」と述べました。
ものみの塔、あるいは他のどの組織または人にではなく、聖書によって訓練された自分の良心に従う人たちは幸いです。
使徒 5:29
29 それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った,「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。
(ものみの塔協会の統治体より神のことばに従わねばなりません。)
サムエル第一 15:22
22 するとサムエルは言った,「エホバは,エホバの声に従うことほどに焼燔の捧げ物や犠牲を喜ばれるでしょうか。ご覧なさい,従うことは犠牲に勝り,注意を払うことは雄羊の脂肪に[勝り]ます。
(ものみの塔協会の奇異な要求ではなく、エホバの声に従うべきです。)
ダニエル 3:18
18 しかし,もしそうされないとしても,王よ,ご承知ください。あなたの神々はわたしたちが仕えているものではありません。あなたが立てた金の像をわたしたちは崇拝いたしません」。
(ものみの塔協会という偶像をわたしたちは崇拝いたしません。)
ヨハネ 14:15
15 「もしわたしを愛するなら,あなた方はわたしのおきてを守り行なうでしょう。
(もしキリストを愛するなら、ものみの塔の要求ではなく、キリストのおきてを守り行うでしょう。)
使徒 4:19
19 しかし,それに答えてペテロとヨハネは彼らに言った,「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。
(神より、ものみの塔協会に従うことが、神から見て義にかなったことなのかどうか、あなた方自身で判断してください。)
おまけ
「長老の不完全さを大目に見ましょう。」という呼びかけについてルカ 12:48
48 . . . 実際,だれでも多く与えられた者,その者には多くのことが要求されます。そして,人々が多くをゆだねた者,その者に人々は普通以上を要求するのです。
ヤコブ 3:1
1 わたしの兄弟たち,あなた方の多くが教える者となるべきではありません。わたしたちがより重い裁きを受けることをあなた方は知っているからです。
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