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ギリシャ語70人訳がつくられた背景
西暦前6世紀に背教のイスラエル人たちは、70年間のバビロン捕囚により民族離散を経験し、各地に The Diaspora と呼ばれるヘブライ語を失った四散したイスラエル人たちの社会が形成されて行きます。
西暦前4世紀
西暦前336 アレクサンダー大王、マケドニア王国の王として即位、その後急激に世界覇権者となり、ギリシャ帝国による世界のギリシャ化 (Hellenization) が始まり、ヘレニズム文化が広まり、コイネー(共通)ギリシャ語が世界共通言語となる。
ヘレニズム文化圏では、コイネ・ギリシャ語により、どこの出身であっても自由に会話ができました。
西暦前3世紀までに、ギリシャ帝国の支配下のエジプトのアレキサンドリアにギリシャ語を母国語とするユダヤ人の社会が形成されていました。
アレキサンドリアのヘブライ語を失ったユダヤ人たちの必要に答えて、「ユダヤ人の律法」は、プトレマイオス2世フィラデルフォス(紀元前285年~247年)の要請により、イスラエルの12部族からそれぞれ6人ずつ、計72人のエルサレムから来たヘブライ人翻訳者によってギリシャ語に翻訳されたと言われています。
聖書学者は、ヘブライ語聖書の最初の5冊は、おそらく紀元前3世紀初頭か中頃に、アレクサンドリアの大規模なコミュニティを中心としたプトレマイオス朝のユダヤ人によって、ヘブライ語からコイネーギリシャ語に翻訳されたことに同意しています。残りの書は、おそらく紀元前2世紀に翻訳されました。
ギリシャ語70人訳聖書は、現存する最古の聖書写本です。またギリシャ語70人訳聖書は1947年に発掘された死海写本(西暦前2世紀の最古のヘブライ語写本)と調和しており、翻訳の正確さが立証されています。ギリシャ語70人訳(最古のギリシャ語写本)と死海写本(最古のヘブライ語写本)を基に聖書の原文回復がなされています。
イエスや初期クリスチャンたちはギリシャ語70人訳聖書から引用しており、ギリシャ語70人訳聖書はキリスト教徒の聖書と見なされていました。
背教のユダヤ人によるヘブライ語聖書
西暦1世紀にメシアを拒絶して殺害したユダヤ教宗教指導者たちは西暦70年のエルサレムの滅びにより、数、立場、権力を失いユダヤ教存亡の危機に追いやられました。フラウィウス・ヨセフス (Flavius Josephus) によると、110万人が死に、9万7千人が捕虜となり奴隷にされ、エルサレムの住民のうち4万人が生き残り、皇帝は彼らを好きな場所に行かせたと記録しています。
ローマ帝国内で奴隷にされた生き残ったユダヤ人たちの間でパリサイ派ユダヤ教は主流になり、パリサイ派のラビ(宗教指導者)たちは生き残ったユダヤ人たちがキリスト教に改宗しないように、また自らの宗教権威の維持のためにヘブライ語聖書の改ざんを始めます。
西暦2世紀に背教ユダヤ教の宗教指導者たちが待ち望むメシアが登場します。
西暦132年
メシアを自称するユダヤ人革命指導者シモン・バル・コクバ (Simon bar Kokhba) は武装蜂起しローマ支配からの独立を勝ち取ります。ユダヤ教のラビの最高指導者アキバ (Akiva) はシモンをメシアであると宣言し民数記24章17節の「ヤコブから一つの星(コーカーブ)が出る」という聖句の成就であるとして、シモンにバル・コクバ(星の子)という名前を与えました。
背教ユダヤ人のメシアは、ナザレのイエスのようなものではなくシモン・バル・コクバのような軍事指導者です。2年半続いたシモン・バル・コクバの統治はローマ軍の反撃により終わり、バル・コクバは戦死し、ラビ・アキバは処刑され、多くの高官たちが死刑となり、58万人のユダヤ人が命を落としました。ユダヤ国滅亡の後、エルサレムは予定通りローマ風の都市として再開発され、ユダヤ人は4世紀までエルサレムへの立ち入りを禁止されました。
シモン・バル・コクバの第二次ユダヤ戦争は、偽メシアと背教ユダヤ教の宗教指導のインチキを暴露し、多くのユダヤ人が本当のメシア、ナザレのイエスに目を向けるのに貢献しました。それで、ユダヤ教の宗教指導者たちは、人々がキリスト教に改宗することを防ぐためナザレのイエスの信用を失墜させる画策をしました。
パリサイ派のラビたちはクリスチャンが用いているギリシャ語70人訳聖書に代わるギリシャ語聖書を作りました。この独特なギリシャ語聖書は、ナザレのイエスのメシアとしての信ぴょう性を失わせるために、預言や年代記、系図などに改ざんがなされています。この独特な改ざんギリシャ語聖書は、ヘブライ語に翻訳され、後にヘブライ語マソラ本文として知られるようになります。現存する最古のヘブライ語マソラ本文は、11世紀のレニングラード写本 (Leningrad Codex) です。
- 現存する最古の聖書写本
- BC 03 ギリシャ語70人訳(イエスや使徒たちが用いた聖書写本)
- BC 02 ヘブライ語死海写本(ギリシャ語70人訳と調和しているヘブライ語聖書写本)
- AD 11 ヘブライ語レニングラード写本(西暦70年の滅びを逃れたパリサイ人ラビによる聖書の写本、西洋キリスト教の標準訳聖書)
背教ユダヤ教のマソラ本文がヘブライ語聖書の主流となる経緯
当初ギリシャ語70人訳聖書はクリスチャンの聖書として普及し、多くの聖書翻訳で用いられていましたが、5世紀以降事態が変化しました。ジェローム (Jerome) は4世紀中頃に生まれたカトリックの司祭、歴史家、翻訳者でした。382年、ローマ教皇ダマスス1世 (Damasus I) はジェロームに福音書の新しいラテン語訳を作成するよう命じました。その後、ジェロームは旧約聖書の翻訳にも作業を拡張しました。彼の全聖書は現在、ラテン語ウルガタ訳聖書 (Latin Vulgate) として知られています。
当初ジェロームはギリシャ語70人訳聖書から翻訳を始めましたが、背教のユダヤ人たちの影響を受け、ギリシャ語70人訳の精度や質を低く評価するようになり、ギリシャ語訳からの翻訳より、原語のヘブライ語訳からの翻訳の方が翻訳の精度や質が高いと考えるるようになり、背教者のヘブライ語マソラ本文を採用するようになります。ジェロームのラテン語ウルガタ訳聖書は、背教ユダヤ人により改ざんされたヘブライ語マソラ本文から翻訳されました。
ギリシャ語70人訳に精通していた人々は、メシアの預言が改ざんされていたことを知っていたため、ジェロームのラテン語ウルガタ訳聖書に強く反対しました。しかし、背教ユダヤ人の改ざんがジェロームのラテン語ウルガタ訳聖書を通してキリスト教に入り込みました。有名な司教であり作家でもあったヒッポのアウグスティヌス (Augustine of Hippo) は、ジェロームを捏造者であると非難しています。
最終的に、背教ユダヤ人の改ざんヘブライ語マソラ本文から翻訳されたジェロームのラテン語ウルガタ訳聖書はカトリック教会の標準ラテン語聖書となりました。しかし、ギリシャ語圏の東方では70人訳聖書が置き換えられることはなく、今日に至るまで東方正教会の標準聖書となっています。
ジェロームのラテン語ウルガタ訳聖書は、最初の英語およびドイツ語聖書翻訳(ジェームズ王欽定訳聖書など)や、今日のカトリック教徒とプロテスタント教徒が使用するほぼすべての聖書翻訳の基準となりました。
それで、ものみの塔協会の新世界訳聖書を含め西側のほとんどの聖書は、メシアの予言、系図、年代記においてギリシャ語70人訳と異なっています。
神のメシア-ナザレのイエスを否定するための改ざん
神のメシア-ナザレのイエスを拒絶して殺害した背教のユダヤ教宗教指導者たちとユダヤ人たちは、YHWHから見捨てられ西暦70年にローマ軍によるエルサレムの破壊により国家を失い全地に散らされました。生き残りのユダヤ人の宗教指導者たちはYHWHから懲らしめられたユダヤ人たちがヘブライ語聖書を調べキリスト教に改宗するのを防ぐため、神のメシア-ナザレのイエスを否定する改ざんをヘブライ語聖書に加えました。その一例を見てみましょう。
詩編 110:4
4 YHWHは誓いをお立てになりました。(そして悔やまれません。)
「あなたは定めのない時に至るまで,
メルキゼデクのさまにしたがう祭司である!」
メルキゼデクはヘブライ語聖書中に2回登場します。
他の一つは創世記 14:18です。
創世記 14:18
18 また,サレムの王メルキゼデクはパンとぶどう酒を携えて来た。彼は至高の神の祭司であった。
この至高の神の祭司の素性は不明であり、アブラハムはメルキゼデクに戦利品の1/10を渡しました。
ナザレのイエスはユダ族出身で律法の祭司の家系の者ではありませんでしたが、メシアはメルキゼデクのさまにしたがう祭司と預言されているように、祭司の家系の者以外の者でも神の任命により祭司となれることが分かります。「ユダ族出身のナザレのイエスは、律法の祭司の家系の者ではないですが、メルキゼデクのさまにしたがう祭司である」とパウロは論じています。
パウロは、律法による祭司職に勝る神の誓いによる祭司職の任命によりユダ族のナザレのイエスが大祭司とされ、律法による世襲制の祭司職は終わることを論じています。
ヘブライ 5:4-10
4 また,アロンも[そうであった]ように,人はこの誉れを自分で取るのではなく,神に召された時にのみ[取る]のです。5 それでキリストもまた,[自ら]大祭司となって自分に栄光を付したのではなく,彼について,「あなたはわたしの子。わたしは,今日あなたの父となった」と語られた方[によって栄光を与えられました]。6 その方はまたほかの箇所で,「あなたはメルキゼデクのさまにしたがって永久に祭司である」とも言っておられます。
7 [キリスト]は,肉体でおられた間,自分を死から救い出すことのできる方に,強い叫びと涙をもって,祈願を,そして請願をささげ,その敬虔な恐れのゆえに聞き入れられました。8 彼はみ子であったにもかかわらず,苦しんだ事柄から従順を学ばれました。9 そして,完全にされた後,自分に従う者すべてに対し,永遠の救いに責任を持つ者となられました。10 彼は,はっきり神によって,メルキゼデクのさまにしたがう大祭司と呼ばれているからです。
ヘブライ 7:1-28
1 このメルキゼデク,つまりサレムの王,また至高の神の祭司であり,王たちの討伐から帰るアブラハムを出迎えて祝福し,2 アブラハムがすべての物のうちその十分の一を配分した人ですが,[このメルキゼデク]は,訳せば,まず第一に「義の王」,次いでまたサレムの王,つまり「平和の王」です。3 彼は,父もなく,母もなく,系図もなく,生涯の初めもなければ命の終わりもなく,神の子のようにされていて,永久に祭司のままです。
4 では,家長アブラハムが主な戦利品のうちから十分の一を与えたこの人がいかに偉大であったかを見てください。5 確かに,祭司の職を受ける,レビの子から出た人たちには,律法にしたがって什一を民から,つまり,アブラハムの腰から出たとはいえ,自分の兄弟である人々から徴収するおきてがあります。6 しかし,彼らの系統を引かない人がアブラハムから什一を受け,約束を得ていた彼を祝福したのです。7 さて,議論の余地のないことですが,小さいほうの者が大きいほうの者から祝福されます。8 そして,一方の場合,什一を受けるのは死んでゆく人たちですが,他方の場合には,生きていると証しされている人なのです。9 そして,言ってみれば,什一を受けるレビでさえ,アブラハムを通して什一を払ったのです。10 メルキゼデクが出迎えた時,彼はまだ自分の父祖の腰にあったからです。
11 そこで,もし完全にすることが本当にレビの祭司職を通してであったとすれば,(それを特色として民は律法を与えられたのですが,)メルキゼデクのさまにしたがい,またアロンのさまにしたがうとは言われない別の祭司の起こる必要がさらにあるでしょうか。12 祭司職が変えられつつあるので,当然律法の変更も生じるのです。13 これらのことが言われている人は別の部族の成員であり,その[部族]の者はだれも祭壇での職務を行なったことがないからです。14 わたしたちの主がユダ,すなわちモーセが祭司については何も語らなかった部族から出たことは全く明白なのです。
15 それで,メルキゼデクとの類似点を持つ別の祭司が起こることはいよいよ明らかです。16 その方は,肉に依存するおきての律法によってではなく,滅びることのない命の力によって[祭司と]なりました。17 証しとして,「あなたはメルキゼデクのさまにしたがって永久に祭司である」と言われているからです。
18 したがって,その弱さと効果のなさとのゆえに,先行のおきては押しのけられることになります。19 律法は何をも完全にせず,さらに勝った希望をそこに持ち込むことがそれを行なったからです。その[希望]によってわたしたちは神に近づいて行くのです。20 また,それは明言された誓いのないものではありませんでしたから 21 (というのは,明言された誓いなしに祭司となっている人々が現にいる一方,その方について,「YHWHは誓いを立てられた(そして悔やまれることはない),『あなたは永久に祭司である』」と言われた方の,明言された誓いによる[祭司]がいるからです),22 イエスはそれだけ勝った契約の保証として与えられた者ともなったのです。23 さらに,[祭司]としてとどまることを死によって阻まれるため,多くの者が[次々に]祭司とならなければなりませんでしたが,24 彼は永久に生き続けるので,後継者を持たずに自分の祭司職を保ちます。25 それゆえ,彼は自分を通して神に近づく者たちを完全に救うこともできます。常に生きておられて彼らのために願い出てくださるからです。
26 このような大祭司,忠節で,偽りも汚れもなく,罪人から分けられ,もろもろの天よりも高くなられた方こそわたしたち[の必要]にかなっていたのです。27 この方は,あの大祭司たちがするように,まず自分自身の罪のために,次いで民の[罪]のために,日ごとに犠牲をささげる必要はありません。(ご自身をささげた時,そのことをただ一度かぎり行なわれたからです。)28 律法は弱さを持つ人たちを大祭司として任命しますが,律法の後に来た,明言された誓いの言葉は,永久に完全にされたみ子を任命するのです。
背教のユダヤ教の宗教指導者たちは、命の始まりも終わりもなく素性の不明な神の大祭司メルキゼデクをセムに置き換える工作をして、パウロの論議を無効にすることを画策しました。
ラビたちは、メルキゼデクはセムであり、セムはレビの先祖であるので、メルキゼデクのさましたがってとは、レビの血統にしたがってと同じであり、パウロが主張したようにレビの血統の外のイエスが大祭司に任命されたというキリスト教の主張が成り立たないようにしました。
セムとメルキゼデクが同一人物であるように見せかけるため、セムとアブラハムの時代が重なるようにセムの子孫の生きた期間を短くしました。70人訳聖書に保存されている元の聖書の年代記によれば、創世記の記述でアブラハムがメルキゼデクに出会う何世紀も前にセムは亡くなっていますが、背教ラビたちは創世記からセムとアブラハムが同時代人になるまでの年月を削減し、メルキゼデクとセムは同一人物であると主張しました。こうして、神がレビの血統以外から祭司を任命した唯一の例を除きました。それで彼らは、ユダ族のイエスが神によって「世の罪」を取り除くために大祭司として特別に任命された(ヨハネ1:29)という法的根拠はなく、キリスト教はでたらめであると主張しています。西暦2世紀のパリサイ人ラビの改ざんヘブライ語聖書用いる今日のユダヤ教徒たちは同じ主張をしてナザレのイエスを神のメシアとして認めていません。
パリサイ人ラビによる創世記11章の年代記の改ざん
ヘブライ語マソラ本文をギリシャ語70人訳聖書と比較してみると、パリサイ人ラビたちの年代記は、息子を生む年を100年短くしセムからアブラハムまでの期間を、全体で780年削減しています。
ヘブライ語マソラ本文 新世界訳聖書 |
ギリシャ語70人訳 The 2001 Translation |
創世記 11:1-31 1 さて,全地は一つの言語,一式の言葉のままであった。2 そして,東に向かって旅をしているうちに,人々はやがてシナルの地に谷あいの平原を見つけて,そこに住むようになった。3 そして,彼らは各々互いにこう言いだした。「さあ,れんがを造り,焼いてそれを焼き固めよう」。それで,彼らにとってはれんがが石の代わりとなり,歴青がモルタルの代わりとなった。4 そうして彼らは言った,「さあ,我々のために都市を,そして塔を建て,その頂を天に届かせよう。そして,大いに我々の名を揚げて,地の全面に散らされることのないようにしよう」。 5 それからYHWHは,人の子らの建てた都市と塔とを見るために下って来られた。6 その後YHWHは言われた,「見よ,彼らは一つの民で,彼らのすべてにとって言語もただ一つである。そして,このようなことを彼らは行ない始めるのだ。今や彼らが行なおうとすることでそのなし得ないものはないではないか。7 さあ,わたしたちは下って行って,あそこで彼らの言語を混乱させ,彼らが互いの言語を聴き分けられないようにしよう」。8 こうしてYHWHは彼らをそこから地の全面に散らし,彼らはその都市を建てることからしだいに離れていった。9 それゆえにそこの名はバベルと呼ばれた。そこにおいてYHWHは全地の言語を混乱させたからであり,YHWHは彼らをそこから地の全面に散らされた。
10 これがセムの歴史である。 12 そしてアルパクシャドは35年生き,そののちシェラハの父となった。13 そして,シェラハの父となった後アルパクシャドは403年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 14 そしてシェラハは30年生き,そののちエベルの父となった。15 そして,エベルの父となった後シェラハは403年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 16 そしてエベルは34年のあいだ生き,そののちペレグの父となった。17 そして,ペレグの父となった後エベルは430年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 18 そしてペレグは30年のあいだ生き,そののちレウの父となった。19 そして,レウの父となった後ペレグは209年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 20 そしてレウは32年のあいだ生き,そののちセルグの父となった。21 そして,セルグの父となった後レウは207年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 22 そしてセルグは30年のあいだ生き,そののちナホルの父となった。23 そして,ナホルの父となった後セルグは200年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 24 そしてナホルは29年のあいだ生き,そののちテラの父となった。25 そして,テラの父となった後ナホルは119年生きつづけ,その間に息子や娘たちの父となった。 26 そしてテラは70年のあいだ生き,そののちアブラム,ナホル,ハランの父となった。
27 そしてこれがテラの歴史である。 31 後にテラは,その子アブラムと,ハランの子で自分の孫のロトと,その子アブラムの妻である嫁のサライを連れ,一行は彼と共にカルデア人のウルを出てカナンの地に向かった。やがて彼らはハランに来て,そこに住むことになった。32 そして,テラの日数は205年となり,その後テラはハランで死んだ。
創世記 12:1-4 4 そこでアブラムはYHWHが語られたとおりに出かけて行き,ロトも彼と共に行った。そしてアブラムはハランを出たとき75歳であった。 |
創世記 11:1-32 1 [当時]、全世界が同じことばを発していました。なぜなら、すべての人が同じ言語を話していたからです。2 そして彼らは東から移住し、シナルに平地を見つけ、そこに住み始めました。3 それから、人々は隣人にこう言いました。「さあ、レンガを作ってかまどで焼こう。」それで、レンガが「石」となり、タールが「モルタル」として使われました。4 そして彼らは「さあ、天に届く塔のある街を建てよう。そして、全地の面に散らばってしまう前に、自分たちの名声を築こう。」と言いました。 5 それで、YHWHは人の子らが建てたこの町とその塔を見るために下って来られた。6 そしてYHWHはこう言われた。「見よ、彼らはみんな同じ人種で、同じ口調で話している。そして今、彼らはこれを始めた。[やがて]彼らはやろうと決めたことは何でも達成できるようになるだろう。」7 「それゆえ、私たちはそこに行って彼らの言語を変え、誰も隣人の声を理解できないようにしよう。」8 それでYHWHは彼らをそこから全地の面に散らされたので、彼らは町とその塔の建設をやめた。9 それで、この都市は「混乱」と名付けられています。なぜなら、そこはYHWHが地上のすべての言語を混乱させ、そこから彼らを全地に散らした場所だからです。
10 セムの系図は次のとおりである。 12 アルパクシャドはカイナンの父となったとき135歳。13 アルパクシャドはカイナンの父となった後、さらに330年間生き(他の息子や娘をもうけ)、そして死んだ。 カイナンはシェラハの父となったとき130歳。そしてシェラハの父となった後、彼は330年間生き(他の息子や娘をもうけ)、そして死んだ。 14 シェラハはエベルの父になったとき130歳。15 そしてエベルの父となった後、彼はさらに330年間生き(他の息子や娘をもうけながら)、そして死んだ。 16 エベルはペレグの父になったとき134歳。17 そして、ペレグの父となった後、彼は(他の息子や娘をもうけながら)270年間生き、そして死んだ。 18 ペレグはレウの父になったとき130歳。19 レウの父となった後、彼は(他の息子や娘をもうけながら)209年間生き、そして死んだ。 20 レウはセルグの父になったとき132歳。21 彼はセルグの父となった後、他の息子や娘をもうけながら 207年間生き、その後死んだ 22 セルグはナホルの父となったとき130歳。23 彼はナホルの父となった後、200年間生き(他の息子や娘をもうけ)、そして死んだ。 24 ナホルはテラの父になったとき79歳。25 彼はテラを生んだ後、129年間生き(他の息子や娘を生み)、そして死んだ。 26 テラは70歳の後、アブラム、ナホル、そしてハランの父となった。 27 テラの系図は次のとおりである。テラはアブラム、ナホル、ハランの父となり、ハランはロトの父となった。28 ハランは、生まれた地、カルデア人の国で父テラのもとで死んだ。29 アブラムとナホルは二人とも、女性をめとり、アブラムの妻の名前はサライ、ナホルの妻の名前はミルカ。彼女はハラン(ミルカとイスカの父)の娘。30 しかし、サライは不妊で、子供は生まれなかった。 31 それからテラは息子のアブラム、アブラムの妻サライ(義理の娘)、孫のロト(ハランの息子)を連れて、カルデア人の地からカナンの地へと向かった。しかし、彼らはハランに着くと、そこに住み始めた。32 そしてその後、テラはハランの地に205年間住み続け、そこで死んだ。
創世記 12:1-4 |
ヘブライ語マソラ本文 (Masoretic Text) は、セムをメルキゼデクにするために聖書の年代記を改ざんした聖書です。西暦1世紀からのギリシャ語70人訳聖書を用いるキリスト教徒たちは、背教ユダヤ教パリサイ派のラビたちの捏造を騙されることなく偽りを退けてきました。
西暦70年の神の裁きにより国家を失い全地に散らされた残党パリサイ派のラビたちの目的は、ナザレのイエスの信用を聖書から破壊することです。彼らの主張によれば、メルキゼデクはセムであり、祭司の任命は世襲制の外では生じていないというものです。この主張のためにセムがアブラハムの時代まで生き続けたような年代記を捏造しました。
パリサイ派ラビたちの年代記をギリシャ語70人訳のそれと比較すると、上記の画像が示すようにパリサイ派ラビたちの年代記がいかに異常であるか分かります。
セムは自分の子たちや孫たちの死をアブラハムを含めて、アブラハムに至るまでみとったことになります。
注) 上の棒グラフで、テラが130才のときにアブラハムが誕生したとすると、アブラハムの人生は、450-625となります。
ギリシャ語70人訳聖書の系図では、アルパクシャドの子カイナンが出てきます。カイナンはルカ3章のイエスの系図にも出ています。
ルカ 3:34-36
34 [アブラハムは]テラの[子],
[テラは]ナホルの[子],
35 [ナホルは]セルグの[子],
[セルグは]レウの[子],
[レウは]ペレグの[子],
[ペレグは]エベルの[子],
[エベルは]シェラハの[子],
36 [シェラハは]カイナンの[子],
[カイナンは]アルパクシャドの[子],
[アルパクシャドは]セムの[子],
西暦1世紀当時から、神のメシアを拒絶し殺害したパリサイ派ラビたちの陰謀によりユダヤ人の言い伝えや系図を巡る論争があり、使徒パウロは当時のクリスチャンたちに助言を与えています。
1テモテ 1:3-4
3 自分がマケドニアにたとうとしていた際,わたしはあなたがエフェソスに滞在しているようにと励ましましたが,今また同じようにします。それはあなたが,異なった教理を教えたり,4 作り話や系図に注意を寄せたりしないようにと,ある人々に命じるためです。そうしたことは結局のところ何にもならず,調べるための問題を出すだけで,信仰に関連して神からのものを分かち与えることにはなりません。
テトス 1:13-14
13 この証しは真実です。それゆえにこそ,絶えず彼らを厳しく戒めなさい。彼らが信仰の点で健全になり,14 ユダヤ人の説話や,真理から離れてゆく人々のおきてに気を奪われることのないためです。
そして、イエスキリストを含め当時のクリスチャンたちはギリシャ語70人訳の元となったヘブライ語聖書やギリシャ語70人訳聖書を用いていました。これが現実です。
ヘブライ語マソラ本文の系図や年代記に基づくアダムからイエスまでちょうど4,000年という計算は間違いです。年代計算をすべきではないと言っているのではなく、年代計算に頼らなくても、キリストの再来の時期を知るための必要な情報は、すでに聖書に書かれてありますので、何も困ることはないということです。
預言的解釈に長けた人たちが指摘しているようにキリストは2日後に戻ります。西暦29年にナザレのイエスがバプテスマを受けてキリストの活動を開始してから2029年に2,000年が経過します。それでキリストの2度目の到来はやがて起きます。
それを裏付けるように世界情勢は、へびとへびの胤たちの露骨な動きによって終わりの日のしるしをより一層現しています。キリストの帰りを待ち望む王国の子たちがそのしるしを読み間違えることはありません。
キリストが戻る前に死んだとしても、だれでも死んだら次の瞬間は、裁きのためのキリストの帰還の時につながります。 無意識、無存在の死者は時を経ることなく、つまり時の経過を意識することなくキリストの帰還の裁きに至ります、つまり裁きの時に復活します。
ですから、いつの時代でも終わりの日は、いわば1世代となります。アダムの日からキリストが裁きのために戻られまで、全ての人は、自分が生きた1世代の生き方で裁かれます。ヘブライ 9:27 に「人がただ一度かぎり死に,そののち裁き[を受けること]が定め置かれている。」と書かれてあるとおりです。
ギリシャ語70人訳聖書は、幾つかのバージョンがあり、それぞれに違いが見られます。この聖書写本にもミスや改ざんの跡が見られますが、他の聖書写本や古代文献との比較研究により精度の高い翻訳がなされるよう継続的努力が払われています。
Biblical Chronologies
Why the Greek Septuagint?
聖書のタイムライン
アダムの罪 | 創造されて間もないアダムとエバはサタンの策略により罪を犯したため、死によるリセットを受けることになります。 |
胤の約束 | 神はアダムの家族をサタンの支配と罪と死から救出する胤の約束をアダムに与えました。それで罪人アダムの家族は神の約束の胤による解放の希望をもって死ぬまでの虚無の人生を送ることになります。胤の約束はアブラハムに繰り返されアブラハムの家系から人類の救出者メシアが誕生することになります。 |
イスラエル国民の誕生 | アブラハムの生来の子孫のイスラエル人たちはエジプトで奴隷となり、神の救出を経験し祭司の王国となるためにアラビアのシナイ山で神との律法契約に入りました。祭司の王国の王は神のメシア(油注がれた者)と呼ばれアダムの家族を罪と死そしてサタンの支配から救出する約束の胤のことです。イスラエル人たちは約束の胤の王国の子たちとなる予定でした。 |
ソロモンの背教 | 律法契約により王国の子たちとなることを期待されていたイスラエル人たちはサタンの影響に屈しソロモン王の時代に背教しました。その結果王国は北のイスラエルと南のユダ王国に分裂しYHWH神の崇拝から離れ異教のモレクやタンムズを崇拝するようになります。 |
バビロン捕囚 | 背教の10部族のイスラエルはアッシリアに捕囚となり、背教の2部族のユダは70年間バビロン捕囚の神罰を受けます。その神罰によりエルサレムの神殿は破壊されサマリアやエルサレムからイスラエル人たちは極東の日本に至るまで東方に四散してゆきました。これらの四散したイスラエル人のことをディアスポラ (The Diaspora) と言います。 背教のイスラエル人たちはタルムード、カバラと呼ばれるユダヤ教の神秘主義聖典をつくり人間の伝統や迷信に従う者になります。パリサイ派、律法学者、ラビ、シナゴーグ(ユダヤ人の会堂)などは、エルサレムの神殿を失ったイスラエル人たちが神殿や祭司職に代わる崇拝の様式として発展させました。 |
エルサレムの再建 | 神はペルシャのクロス大王を用いて捕囚のイスラエル人たちを解放しエルサレムを再建しYHWH神の清い崇拝を回復します。70年間荒廃したエルサレムに戻ったイスラエル人たちは神殿を再建しYHWH神の崇拝を再開し、約束の胤メシアの到来を待つことになります。 |
メシアの予言 | 神は、ダニエルにメシアの到来の予言を与え、メシアは神殿再建の合図から69週目に到来し、それから1周間イスラエル人に契約の恩典が及び、週の半ばで律法契約を成就して影である律法契約を終わらせることを示します。イスラエル人たちは、➡ ダニエル 9:24-27の予言からメシアの到来の時を知っていました。 |
メシアの到来 | 西暦29年の秋(9月)にナザレのイエスはヨルダン川でバプテストのヨハネからバプテスマを受けメシアの王国伝道活動を開始しました。イエスは背教のユダヤ教権威の奴隷となっていた人々を開放し、同時に祭司の王国が将来もたらす救いを実演し、あらゆる病気を癒し、悪霊を追い出し、死者を復活させました。人々はナザレのイエスの奇跡や教えに引き寄せられ信仰を持った大勢の人々がイエスの弟子となりました。他方、自分たちの立場を失うことを恐れた背教のユダヤ教の宗教指導者たちは、メシアの活動を不快に感じイエスを拒絶し神のメシアとして認めませんでした。 |
メシアの死と復活 | 背教のユダヤ教の宗教指導者たちは陰謀を企て、偽証、賄賂、脅しなどを駆使してナザレのイエスをローマ権力を利用して処刑しました。パリサイ派、サドカイ派など当時のユダヤ教の宗教権威が神のメシアに対して行った暴行を見れば、後代の背教のユダヤ教の宗教指導者たちが神のメシアを拒絶するためなら平気で聖書の改ざんができることが分かります。 ナザレのイエスは、神のメシアとして罪を犯さず、預言されたことをすべてを成し遂げ、刑柱上で犠牲の死を遂げました。メシアの罪のない死は、サタンの処刑を確定し、イエスは刑柱上の死をもってサタンを征服しました。それで、神はイエスを復活させ将来のサタンの世の裁きの保証としました。 イエスの弟子たちはイエスの復活の証人となり、サタンの敗北とサタンの世の裁きと、それがもたらす救いの希望を喜びに満たされて全地に宣明する活動を開始しました。それらメシアの王国の子たちは、神の神慮によりクリスチャンとして知られるようになります。 |
エルサレムの滅び | 西暦70年に背教のエルサレムの神殿はローマ軍により破壊され、エルサレムで110万が殺害され9万7千人が捕虜となり4万人が生き残ったと伝えられています。この2度目のエルサレムの滅びは神の最終的裁きで、過去のネブカドネザルによるバビロン捕囚後の神殿再建の時と異なり神殿の再建はありませんでした。神のメシアを拒絶し殺したユダヤ教は終わりました。それ以来、世界中に四散した律法契約違反者のユダヤ人たちの崇拝は、聖書の神YHWH神の崇拝と無関係です。 |
背教ユダヤ教の陰謀 | 神から捨てられたユダヤ教の宗教指導者たちは、ユダヤ人たちがナザレのイエスをメシアとして信じてキリスト教に改宗することを妨げるためヘブライ語聖書中のメシアに関する記述の改ざんを始めます。 イエスの弟子の初期クリスチャンたちはギリシャ語70人訳聖書からナザレのイエスが神のメシアであることを論じて人々にキリスト教を広めていましたので、西暦70年のエルサレムの滅びの生き残りのパリサイ派ラビたちはギリシャ語70人訳聖書に代わるヘブライ語聖書をつくりユダヤ人がキリスト教に改宗することを防ぎました。 背教のキリスト教会の宗教指導者たちは背教のユダヤ教パリサイ派のラビたちと融合するようになり、背教者たちの作ったヘブライ語聖書(ヘブライ語マソラ本文)が西側世界で標準訳聖書として普及するようになりました。今日のほどんどの聖書の年代記には改ざんがみられます。 |
キリストの再来 | 西暦29年にバプテスマを受けてメシアの活動を始めたメシア(キリスト)は、再び来ることを約束して西暦33年に天に戻りました。それから今日までおよそ2,000年経っています。 1985年からのインターネットの発展により、世界中がつながり情報革命がおこり、これまで隠されてきた真実が知られるようになりました。世界は背教ユダヤ教パリサイ派ラビたちのオカルト金融制度によりコントロールされている現実が暴露され、ロスチャイルド、イルミナーティ、フリーメイソン、シオニズム、共産主義、イエズス会、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、宗教組織、世界大戦、国連などの国際機関、宇宙開発、医療制度、教育制度、気候変動、ハイテク気象操作、ハイテク人工災害、その他あらゆる分野のインチキが知られるようになりました。 アダムの時から今日まで邪悪な者たちが支配するサタンの世では、多くの人々が悪の犠牲者となり、誰も悪を裁くことができず泣き寝入りを強いられて人生を終えてきました。サタンの世を終わらせる力は人々にはありません。それができるのは神のメシアだけです。今日起きている世界中の混乱は、神のメシアの再来の近さのしるしです。それは、だれでも容易に分かるほどはっきりしてきました。 ルカ 12:54-56 |
聖書の系図、年代記による年代計算の問題点
神のことばを託された古代の予言者たちは、メシア(キリスト)の救いに関する時期を知りたいと願って聖書を調べていました。約束のメシアんは西暦1世紀に到来し、すべてを成し遂げて天に戻られました。西暦1世紀に救いは達成され、サタンは敗北しました。イエスの弟子たちはメシアの救いの証人でありメシアにより成就した預言の当事者たちでした。ですから、彼らには確信と理解と喜びがありました。神は約束通りメシアを遣わして西暦1世紀に救いの業を完遂なさってくださいました。
1ぺテロ 1:10-12
10 ほかならぬこの救いに関して,勤勉な探究と注意深い調査が,あなた方に向けられた過分のご親切について預言した預言者たちによって行なわれました。11 彼らは,自分のうちにある霊が,キリストに臨む苦しみとそれに続く栄光についてあらかじめ証しをしていた時,それがキリストに関して特にどの時期あるいはどんな[時節]を示しているかを絶えず調べました。12 彼らは,天から送られた聖霊をもってあなた方に良いたよりを宣明した人々を通して今あなた方に発表されている事柄に奉仕しましたが,それが,自分自身のためではなく,あなた方のためであることを啓示されました。み使いたちは,実にこうした事柄を熟視したいと思っているのです。
神のメシアと直接関わった人々は、メシアの王国の仕事と帰還の約束を与えられ、 主人が帰るまで目覚めて待つように告げられました。キリストの帰還の目的は、キリストの弟子たちとの勘定清算と世の裁きのためです。
キリストは、西暦1世紀から帰還の時までの王国子の子たちと勘定清算を行います。よくやった人たちはキリストの王国支配に与る報いを受けます。どの世代の王国の子たちも、自分の1度限りのクリスチャンの生き方で清算がなされることを自覚して生きています。ですから、いつ主が戻られるか年代計算をする必要がありません。自分が死ぬまでの生き方がキリストの勝利の証しであれば勝利者となるからです。
事実、救いは年代を正確に知ることとは無関係です。それで、年代計算で時を定めることが重要でもあるかのようにこだわることはありません。
この記事で指摘しているように、背教ユダヤ教、背教クリスチャンによって改ざんされた聖書では正確な年代計算は不可能です。また、その必要もありません。
「テラは70才でアブラハム、ナホル、ハランの父となり、その後、アブラハムとサラ、ロトを連れてカルデア人のウルを出てカナンの地のハランに住むようになり、205年ハランに住んで死んだと書かれています。」
テラは何才でアブラハム生んだのか、また何年生きたかは書かれていません。
この種の年代記の不連続性はいくつもありますので、年代記の確定や正確さは人の推量の産物となります。
ギリシャ語70人訳、ヘブライ語マソラ本文、その他どの写本や翻訳でも、救いの知らせ歪める間違いを見抜いて、より重要な事に思いを向けると良いですよ。
6 件のコメント:
マソラ本文も七十人訳だと後者の方が誤訳と数値のずれが多すぎるのかなという印象があります。『七十人訳聖書』に記録されている通りに、メトゥセラがラメクを生んだのが167歳の時で、ラメクがノアを生んだのが188歳の時で、ノアは大洪水の時に600歳であったとするなら、メトゥセラは大洪水の時に955歳で14年も洪水後に生きてることになります。(167+188+600=955)
ヨセフスは七十人訳を使用していたようですが、カイナンを含めておらず三世紀以降にカイナンがギリシャ語写本の中に含まれて後代へ継承されてるとも考えられます。しかし、ヨセフスも色々見当違いなことを言ったりしてることもあるし、歴史の古さを誇ることでギリシャ人達へユダヤ文化を権威づけたかった思いもあるのか、七十人訳の長い年数の系図を好んでいるようです。
そう考えるとベストはユダヤ教も異邦人も互いに寄り添いあいながらキリストを受け入れて対立せずに写本を譲り合って整合性の取れた書簡や文献を後代へ継承していくべきでしたが、背教ユダヤと背教キリスト教達が互いに対立しあって各自で書簡を保存してきた印象になります。そしてレビ人は写字において熟練しており伝統を保存することに重きを置いてるので、マソラ本文には洪水後にメトセラが生き延びているような大きなミスはないのかなと思えます。
そういう意味で、数値が異なっていたり普通の単語においても誤訳が多い七十人訳よりもユダヤ人ががむしゃらに頑なに保存してきた文献の記録としての正確さを考慮するなら、マソラ本文の全てを否定するよりも、あくまで旧約聖書全体はヘブル語で保存されてきたマソラの方を好む人がいても不思議ではないと思います。
また、アダムからキリストまでは流布してる聖書つまりマソラを使わないと丁度四千年になりませんし、ダニエル69週目がイエスの洗礼時でキリストなる神殿が完成したジャストタイミングだとわかるので、そこで初めてキリストの初臨を起点に2千年ちょうどを足して再臨の時期を見定めることができます。
七十人訳を使うと、アダムからキリストまで大幅に4000年をオーバーするので、2000年後ジャスで再臨するとも言い難くなるでしょうし、初臨を起点に二千年後になるのかも断言できないと思います。とはいえ、七十人訳を擁護する方の意見も尊重したいと思います。記事と異なる意見のコメント大変失礼いたしました。
ギリシャ語70人訳の年代記では、ノアは、1662年に誕生し950年生きて2612年に死にました。ノアが600才のときに洪水が起きましたので洪水は2262年に起きたことになります。
メトセラは、1287年に生まれ969年生きて2256年に死にました。ですから洪水はメトセラの死後6年たって起きています。
ヘブライ語マソラ本文は、長子誕生の年を70人訳より100年少なくしています。
アダムからセムまでの年代表を載せましたので見てください。
https://bible9.blogspot.com/2025/04/70.html#adam-shem
ご返信ありがとうございます。
https://www.blueletterbible.org/lxx/gen/5/1/
こちらの七十人訳聖書のギリシャ語では167歳の時と記載されてるので、図解の中で七十人訳聖書でも187歳と表記されてますがマソラ本文の年数に合わせて修正されたのでしょうか。
七十人訳聖書ではメトセラは167歳でラメク誕生とあるので洪水後に生き残ってしまいますね。
マソラ本文でも本題と関係ない箇所例えばアハジヤの年齢表記のミスがありますが、洪水後にメトセラが生き残るミスはないので前後において正確な記録として有効かと個人的に考えてます。
ユダヤ教がメシアの到来をちょうど四千年に系図改ざんするとは考えにくく、図らずともそうなってるマソラ本文は厳重な書き写しで後代に継承されており、あくまで旧約聖書においての史実と年数表記では正確と思います。
ありがとうございました。
メトセラが187才のときにレメクを生んだということは、レメクは1474に生まれて753年生きて2227に死んだことになります。ノアの洪水は2262年に起きていますので洪水の35前です。
メトセラが167才のときにレメク生んだならば、洪水の55年前に死んだことになります。
70人訳にも幾つかの写本があり、それぞれ異なる記載があります。
用いた70人訳は、記事の中にもリンクを載せています。
2001訳
https://2001translation.org/about/why-the-septuagint
https://2001translation.org/read/genesis#_5
と
Biblical Chronologiesサイトです。
https://biblearchaeology.org/research/biblical-chronologies/2530-from-adam-to-abraham-an-update-on-the-genesis-5-and-11-research-project
読んでみてください。ためになりますよ。
4,000年とか7,000年にこだわる必要はないと思います。
ヨベルの年信奉者たちは、聖書の出来事は49年ごとのヨベルサイクルに従って起こると信じて無理やりな解釈をしたり記録の改ざんも行った可能性があります。
A4: This is a very important question! We can see how the antediluvian chronology in SP Genesis 5 has been deflated to a total (1307 years) that is even less than the MT (1656 years). The question is: Why?
I have developed a theory that Genesis 5 SP was corrupted by the Book of Jubilees, most likely in the second century BC. Jubilees claims to be from Moses, and was used as authoritative at Qumran. The chronology of Jubilees and SP Genesis 5 mirror each other for the pre-Flood period. Jubilees constructs an artificial chronology of OT history by imposing 50 jubilee cycles of 49 years each from Adam to the death of Moses. The year at the end of this time, Anno Mundi 2450, amount to a Jubilee of jubilees, and terminates with Moses' death and Joshua's entry into Canaan. Thus, Jubilees reflects a deliberately altered chronology of OT history to make its timeline conform to jubilee cycles. In other words, the jubilee structure is imposed on the OT text, and the primeval chronology has been significantly emended to conform to the new revelation. In a word, the chronology of Jubilees for Genesis 5 (and 11) is "fudged."
人間の思いで神の思いを測ることはできませんので、神の1日は1000年とか、安息日の周期とか聖書中の記述を根拠に、こうあるべきだ的主張はできませんよ。
使徒 1:7
父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません。
ペトロの手紙二 3:8 愛する人たち、このことだけは忘れないでほしい。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようです。
また神は七日で創造し七日目を安息日にしていることからも、1000年サイクルを意識せざるを得ないと思います。
「時と時期」に関しては一世紀当時の使徒たちが二千年後を意識する必要性に駆られることがない意味合いもありながら神の創造の七日間の啓示は隠されていたと思います。尚且つ「時期」に関する原語も「天の瞬間」を示唆するとも読み取れますので、千年サイクルや年月が全く分からないことを決定づける聖句とも言い難いように感じます。読み手に理解をゆだねるような書き方ですかね。
グロックに聞くと、187歳と記載してるギリシャ語写本もあるとのことで、それなら採択できますね。167歳は洪水後生き残るので写本ミスでしょう。ギリシャ語写本でも数字が写本の種類で異なるということで、各自がマソラ本文かセプトゥアンギを照合させていくしかないですね。
古代の歴史家も言い分はあるでしょうが、宗教同士での対立も生じていると思われますので、先入観もありそれぞれが出した結論が絶対正確かは各自が読んで判断するしかないと思われます。
セプトゥアンギを採択するなら今は6000年を超えてるので、再臨がちょうど二千年後とは言い切れず約二千年後つまり2400年後くらいかもしれませんし、そうなると今から四百年後になるとも考えられるという推論になりますね。
各自が、どの解釈を採択するか判断するといいと思います。ありがとうございました。
はい、おっしゃるとおりです。
神にとって1000年は1日であり、人との関りでそのように見ておられるのでしょう。また、7000年も1日であり、何かの観点でそのように見ておられるのでしょう。
時を意識して生きることは自然であり、遠くを見るようなものです。
昔の族長たちは、約束の成就にあずかりませんでしたけど、遠くを見て暮らしていました。いつでも、同じです。
イエスは、ご自分の再来のときを季節に例えて周囲の変化により夏の近さが分かると教えました。それで十分だと思います。
アダムのときから、6000年経っているのか、7000年経っているのかは現存する聖書写本からは確定できません。これが現実です。それでも、西暦1世紀に救いは達成されていますので困りませんよね。
人は食べて、飲んで、友を持ち、短い命を楽しみ、希望の内に死の眠りに付けます。ですから神に感謝して正しく生きれば将来の命は保証されています。この点で何も困ることはありません。
サタンの世から、また蛇の胤たちが作り出す悪は不快ですが、それが除かれるまで、蛇のように用心深く、鳩のように純真に対処することしかできないですよね。
ですから、イエスは、天の父に祈って助けを求めるように勧めています。やがて訪れる自分の命の終わり、または裁きの日まで忍耐する上で、終わりがいつ来るかを知ることは絶対必要なことではないでしょう。
その日がいつ来るかを知ることが必要であれば、神がその必要を満たさないことはないと思います。現状をみれば、だれもその日とその時刻を知ることはできませんし、その年でさえ分からない状況なので、「やがて来るでしょう。」となります。
それでいいと思います。
改ざん聖書から、その根拠を示して2028年とか2029年とか言っても良いと思います。それは、そこまで遠くを見ている行為であり、「おおかみ少年」のように責任を追及されるような嘘でも扇動などでもないからです。
聖書の予言を意識している人たちは、同胞たちが遠くを見ている気持ちを理解しています。
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