背教者のユダヤ教

2024/08/05 0

サタンの世 考古学

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背教の始まりとサタンの支配

サタンの策略により罪に陥ったアダムとエバは、救出の約束を与えられてエデンの園から追放されました。その後、罪人アダムの家族は罪をもって生まれ、偽りと脅しによるサタンの支配を受けるようになります。

これが、人類の歴史の始まりです。上辺の類似性による空想にすぎない進化論の結果などではありません。

アダムの家族の歴史は、嘘、脅し、賄賂、殺人の歴史であり、聖書に書かれてある人類史の始まりの記録の真実性の証拠となっています。

神の像に作られた人は、内面の神の像(イメージ)により、本来、正直、義、公正、親切、謙遜であることを望みますが、アダムから受け継いだ罪と、サタンの偽りと脅しの支配のために虚無の人生をおくり短い生涯を終えます。

それでも、神はアダムの家族を見捨ててはいません。アダムが罪に陥ったとき、救いの胤の約束を与え、アダムの家族を保護し導いてきました。神の救いの胤の約束により、アダムとエバは子供をもうけ、人類家族が存在するようになりました。

虚無を経験し死んでいく罪人アダムの家族には、神から与えられた救いの希望があるので輝く将来があります。

ローマ 8:20-22
20 創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。21 すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。22 わたしたちが知るとおり,創造物すべては今に至るまで共にうめき,共に苦痛を抱いているのです。

人類には、罪とサタンの支配から解放され神の子供の栄光ある自由を持つようになる将来が保障されています。

その時が実現するまでは、罪とサタンの支配により、嘘、脅し、搾取、不公正、争い、賄賂、暴力、殺人などのあふれる世界に住むことになります。

罪とサタンの支配の影響は、神の民の中でも同じように働き神の民を背教させました。その歴史を見てみましょう。

神の民イスラエルの背教の歴史

1513 BC
神はエジプトの奴隷の民イスラエルを救出し、アラビアのシナイ山で律法契約によりご自分の民としました。

イスラエル人は、律法により保護や教育を受け内面の神の像を反映して生きることが求められました。そうすることは、イスラエル人にとって祝福となりました。

神の崇拝のための取り決めでは、会見の天幕、契約の箱、祭司職、大祭司、祭り、安息日、犠牲などが規定されていました。これらの崇拝にかかわる仕事はレビ族が担いました。

エジプトの奴隷状態から解放されたイスラエル人は、契約締結の当初から神への不信仰を示し、約束の地に入るまで40年間、荒野をさまようことになります。

約束地での当初の神の崇拝の特徴

1473 BC
約束の地に入り、そこに定住を始めたイスラエル人たちの神の崇拝では、BC15世紀からBC6世紀までの900年ほど、アロン系の大祭司、祭司職、レビ人たちや、各家族の頭は、神の道を教える者として働き、ラビ (rabbi) と呼ばれる教師は存在しませんでした。

ラビ (rabbi) や律法学者、パリサイ派 (Phariseeses)、サドカイ派 (Sadducees)、エッセネ派 (Essenes)、会堂 (シナゴーグ、Synagogue)、サンヘドリン (Sanhedrin)、タルムード (Talmud) などは、当初存在していませんでした。

それらは、背教したイスラエルが587 BCから537 BCまでの70年間バビロン捕囚を経験した時以降からユダヤ教の崇拝に生じた不要なものです。

注) 上記の年代で計算すると50年となりますが、聖書の記述では70年間の捕囚となっています。70年の解釈については諸説があります。古代史の年代の確定についても諸説ありますので、各自で整合性を取ってください。

ソロモン王の背教

統治の始めには神からの知恵を求めた、ダビデとバテシバの子ソロモン王は、異国の妻を増やしたため、晩年に内在する罪とサタンの影響により背教します。

神の恵みを受けていながらサタンとなった霊の神の子と同様に、知恵とあらゆる良いものを与えられていたソロモンは、すべての良いものの源であるYHWH神を軽んじます。

1列王 11:1-43
1 ときに,ソロモン王は,ファラオの娘と共に多くの異国の妻たち,すなわちモアブ人,アンモン人,エドム人,シドン人,[および]ヒッタイト人の女を愛した。2 この[女]たちは,エホバがかつてイスラエルの子らに,「あなた方は彼らの中に入ってはならず,彼らもあなた方の中に入ってはならない。確かに彼らはあなた方の心を傾けさせて,彼らの神々に従わせるであろう」と言われたその国々の者であった。ソロモンは彼女たちに固く付いて,[これを]愛したのである。3 それで,彼は七百人の妻,すなわち王妃たちと,三百人のそばめを持った。その妻たちはしだいに彼の心を傾けさせた。4 そして,ソロモンが年老いた時,その妻たちが彼の心を傾けさせて,ほかの神々に従わせたので,その心は父ダビデの心のように,その神エホバと全く一致してはいなかった。5 そして,ソロモンはシドン人の女神アシュトレテと,アンモン人の嫌悪すべきものミルコムに従って行くようになった。6 また,ソロモンはエホバの目に悪いことを行ないはじめ,その父ダビデのようにエホバに全くは従わなかった。
7 ソロモンがエルサレムの前にある山の上にモアブの嫌悪すべきものケモシュのため,またアンモンの子らの嫌悪すべきものモレクのために高き所を築きだしたのは,そのころであった。8 そして,自分たちの神々のために犠牲の煙を立ち上らせ,犠牲をささげた,その異国のすべての妻たちのためにも,彼はそのようにした。
9 それで,エホバはソロモンに対していきり立たれた。彼の心が,イスラエルの神エホバ,二度も彼に現われてくださった方から傾いてそれたからである。10 そして,この事に関し,ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたが,彼はエホバの命じられたことを守らなかった。11 そこでエホバはソロモンに言われた,「このことがあなたに起こり,あなたはわたしが命じて課したわたしの契約と法令を守らなかったので,わたしは必ず王国をあなたから裂き取り,それを必ずあなたの僕に与える。12 とはいえ,あなたの父ダビデのために,あなたの時代にはそうしない。あなたの子の手から,わたしはそれを裂き取る。13 ただし,わたしが裂き取るのは王国全部ではない。わたしの僕ダビデのため,またわたしが選んだエルサレムのために,一つの部族を(ベンジャミン族),わたしはあなたの子(ユダ族)に与えるであろう」。
14 そこで,エホバはソロモンに反抗する者,すなわち王の子孫のエドム人ハダドを起こすようになった。彼はエドムにいた。15 そして,ダビデがエドムを討ち倒し,軍の長ヨアブが打ち殺された者を葬ろうとして上って来たとき,エドムの男子をみな討ち倒そうとしたのである。16 (ヨアブと全イスラエルがそこにとどまったのは六か月間で,ついに彼はエドムの男子をみな断ち滅ぼした。)17 ときに,ハダドは,その父の僕の数人のエドム人と共に逃げ去って,エジプトへ行こうとした。そのとき,ハダドは幼い少年であった。18 それで彼らは立ってミディアンを出,パランへ行き,パランから人々を引き連れて,エジプトへ,エジプトの王ファラオのところへ行った。すると,[ファラオ]は彼に家を与えた。また,パンを彼にあてがい,土地を彼に与えた。19 そして,ハダドはファラオの目に引き続き大いに恵みを得たので,[ファラオ]は自分の妻の妹,すなわち貴婦人タフペネスの妹を妻として彼に与えた。20 やがて,タフペネスの妹は彼に男の子ゲヌバトを産み,タフペネスはその子をファラオの家のただ中で乳離れさせた。ゲヌバトは引き続きファラオの家で,ファラオの子らのただ中にいた。
21 ときに,ハダドは,ダビデがその父祖と共に横たわったこと,また軍の長ヨアブが死んだことを,エジプトで聞いた。それでハダドは,「わたしを去らせ,わたしの土地に行かせてください」とファラオに言った。22 しかしファラオは彼に言った,「あなたはわたしと共にいて,何がなくて困っているというので,自分の土地へ行こうとするのか」。これに対して彼は言った,「何でもありません。ただ,どうしてもわたしを去らせて頂きたいのです」。 23 それから神は[ソロモン]に対してもう一人の反抗者,すなわちエルヤダの子レゾンを起こされた。彼はその主,ツォバの王ハダドエゼルのもとから逃げ去った者であった。24 そして彼は,ダビデが彼らを殺したとき,人々を自分の側に集めて,略奪隊の長となった。そこで,彼らはダマスカスに行って,そこに住むようになり,ダマスカスで治めはじめた。25 こうして,彼はソロモンの時代中ずっとイスラエルに反抗する者となり,それもハダドがもたらした危害に加えてのことであった。彼はシリアを治めていた間,イスラエルを憎悪していた。
26 また,ツェレダの出身のエフライム人ネバトの子で,ソロモンの僕,ヤラベアムがいた。その母の名はツェルアといい,やもめ女であった。彼も王に対してその手を上げるようになった。27 そして,これが彼が王に対してその手を上げた理由である。ソロモンは,塚を築いた。彼はその父“ダビデの都市”の破れ目をふさいだ。28 ところで,ヤラベアムという人は勇敢で,力のある人であった。ソロモンはこの若者が勤勉な働き者なのを見ると,彼をヨセフの家のすべての強制奉仕の監督とした。29 そして,丁度そのころ,ヤラベアムがエルサレムから出て行くと,シロ人の預言者アヒヤが道で彼を見つけたのである。[アヒヤ]は新しい衣で身を包んでいた。彼ら二人は自分たちだけで野にいた。30 そこでアヒヤは身に着けていた新しい衣をつかみ,それを十二切れに引き裂いた。31 次いで彼はヤラベアムに言った,
「自分のために十切れを取りなさい。イスラエルの神エホバはこのように言われたからです。『見よ,わたしはソロモンの手から王国を引き裂くことにしよう。わたしは必ず十部族をあなたに与える。32 ただし,一つの部族は,わたしの僕ダビデのため,またわたしがイスラエルのすべての部族の中から選んだ都市,エルサレムのために,引き続き彼のものとなる。33 というのは,彼らがわたしを捨て,シドン人の女神アシュトレテや,モアブの神ケモシュや,アンモンの子らの神ミルコムに身をかがめるようになり,彼の父ダビデのように,わたしの目に正しいことと,わたしの法令と司法上の定めを行なって,わたしの道に歩まなかったからである。34 しかし,わたしは彼の手から王国全部は取らない。わたしは彼をその一生の間,長としておくからである。それは,わたしが選んだわたしの僕ダビデのためであり,彼がわたしのおきてと法令を守ったからである。35 それでも,わたしはその子の手から王権を必ず取り,それを,十部族をも,あなたに与える。36 そして,彼の子には一つの部族を与える。それはわたしの名をそこに置くため,わたしのために選んだ都市,エルサレムで,わたしの僕ダビデがわたしの前にいつも一つのともしびを保つためである。37 また,あなたはわたしの選ぶ者であり,あなたは自分の魂の渇望するものをみな確かに治め,必ずイスラエルの王となるであろう。38 そして,もし,わたしがあなたに命じるすべてのことに従い,わたしの僕ダビデが行なったように,わたしの法令とおきてを守って,確かにわたしの道に歩み,わたしの目に正しいことを実際に行なうなら,わたしもまた必ずあなたと共におり,わたしがダビデのために建てたように,永続する家をあなたに建て,イスラエルをあなたに与えよう。39 そして,わたしはこのためにダビデの子孫を辱める。ただし,いつまでもではない』」。
40 ときに,ソロモンはヤラベアムを殺そうとするようになった。それでヤラベアムは立って,エジプトへ,エジプトの王シシャクのもとに逃げ去って行き,ソロモンが死ぬまでエジプトにいた。
41 ソロモンのその他の事績,彼の行なったすべてのこと,および彼の知恵は,ソロモンの事績の書に記されているではないか。42 そして,ソロモンがエルサレムで全イスラエルを治めた期間は四十年であった。43 それからソロモンはその父祖たちと共に横たわり,彼の父“ダビデの都市”に葬られた。その子レハベアムが彼に代わって治めはじめた。

その結果、イスラエルは10部族の北のイスラエルと、2部族の南のユダに分裂し、王も祭司もレビ人も神の道から離れ、私欲を求める者となり、偶像崇拝、および道徳の崩壊を招きました。

1037 BC ダビデの王権を継ぎソロモンは王となる。ソロモンの背教まで30年ほどの神の崇拝と平和と繁栄の時期の始まり。その間に神殿、行政施設、各地の要塞や軍事施設の建設、諸外国との交易を行い平和と繁栄を享受しました。シバの女王の訪問のころが絶頂期で、その後ソロモンの背教により、幾つかの紛争が生じイスラエルの平和と繁栄は失われます。わずか40年の統治期間でした。ソロモンが20才で王位を継いだとしたら、60才で死んだことになります。短い生涯でした。
1027 BCエルサレムの神殿の完成。神殿の最初の大祭司は、アロン (Aaron) の第3子エレアザル (Eleazar) 家系のザドク (Zadok) で、その後大祭司の後継はザドクの家系の者となる。
997 BC ソロモンの背教によりダビデの王国は2つに分裂する。ソロモンのアンモン人 (Ammonite) の妻ナアマ (Naamah) の息子レハベアム (Rehoboam) が南のユダの王、エフライム族のソロモンの僕ネバトの息子ヤラベアム (Jeroboam) が北のイスラエルの王となります。

ソロモンとサタンの類似

ソロモンは、サタンを示唆するティルスの王と同じように多くの交易を行い、その知恵や才能など神からの祝福のため多くの富を持っていました。 商人が持ち込んだ銀や金、その他の品物のほかに、ソロモンの金の年間収入は666タラントになりました。

1列王 10:14-15
14 ときに,一年間にソロモンのところに入って来た金の重さは,金六百六十六タラントにもなった。15 このほかに,旅をする者たちから[のもの],貿易商,アラブのすべての王たち,およびその地の総督たちから得た収益があった。

エゼキエル 28:11-19
11 また,エホバの言葉が引き続きわたしに臨んで言った,12 「人の子よ,ティルスの王に関して哀歌を唱えよ。あなたは彼に言わなければならない,『主権者なる主エホバはこのように言われた。
「『「あなたは知恵に満ち,美しさの点で完全であり,ひな型に封印する者。13 あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。ルビー,トパーズ,碧玉,貴かんらん石,しまめのう,ひすい,サファイア,トルコ玉,エメラルド。あなたの中のはめ込み台と受け具の作りは金であった。あなたの創造された日にそれらは整えられていた。14 あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,わたしがあなたを置いたのである。神の聖なる山にあなたはいた。あなたは火の燃える石の中を歩き回った。15 創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった。
16 「『「あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを汚れた者として神の山から出し,あなたを火の燃える石の中から滅ぼすであろう。
17 「『「あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた。わたしは地の上にあなたを投げ出す。わたしはあなたを王たちの前に置く。[彼らが]あなたをながめるためである。
18 「『「あなたの満ちあふれるとがのために,あなたの商品の不正のゆえに,あなたは自分の聖なる所を汚した。それで,わたしはあなたの中から火を出すであろう。それが必ずあなたをむさぼり食う。そしてわたしは,あなたを見るすべての者たちの目の前で,あなたを地上の灰とするであろう。19 もろもろの民の中であなたを知っている者たちは皆,必ず驚いてあなたを見つめるであろう。あなたは必ず突然の恐怖となり,もはや定めのない時に至るまでいなくなるであろう」』」。

ソロモンの背教の要因は、ティルスの王(サタン)とは異なりますが、神から離れる要素は、祝福の源を軽視したり忘れたりすることにあります。自分の持つ、命、命を楽しむ能力、喜びをもたらす活動、幸福、平和に必要なすべての物や関係は、YHWH神からの贈り物で「もらったもの」です。

1コリント 4:7
7 というのは,だれが人を他と異ならせるのですか。実際,自分にあるもので,もらったのではないものがあるのですか。では,確かにもらったのであれば,どうしてもらったのではないかのように誇るのですか。

全ての良いものの源であるYHWH神から離れる者、神の親切や善良さを意識し損ねる者は愚か者です。

大祭司の職権の乗っ取り

レビ族 (Levites) の大祭司ザドクの家系の大祭司の職務は、ネブカドネザル (Nebuchadnezzar) によりエルサレムの神殿が破壊された587 BCから537 BCまでの70年間バビロン捕囚の間は中断し、
注) 上記の年代で計算すると50年となりますが、聖書の記述では70年間の捕囚となっています。70年の解釈については諸説があります。古代史の年代の確定についても諸説ありますので、各自で整合性を取ってください。
その後ペルシャ帝国の統治により崇拝が回復したとき再開し、ギリシャのセレウコス王朝の末期の166 BCにハスモン家による反乱で、シメオン族 (Simeonites) のハスモン家 (Hasmoneans) に強奪され、イスラエルが37 BCにローマ帝国により属国とされたとき、ハスモン家は大祭司の職を失い、70 ADにエルサレムの神殿が滅ぼされるまでレビ族 (Levites) の家系の大祭司がローマ帝国により任命されました。

BC2世紀にマカベア家の反乱(ハスモン家による祭司職の乗っ取り)が生じた時に、それに抗議する勢力としてサドカイ派が存在するようになりした。サドカイ派の名称は、ダビデとソロモンの時代に大祭司であったザドク (Zadok) に由来します。サドカイ派はザドクの子孫か、その支持者たちの裕福な特権階級の人たちです。ザドクの子孫 (Zadokite) は、バビロン捕囚やハスモン家による祭司職の乗っ取りを経てAD1世紀まで、大祭司や祭司などの神殿の権威を占めていました。

イエスが地上で活動したときの大祭司は、サドカイ派 (Sadducees) のアンナス (Ananus)、およびカヤファ (Caiaphas) でした。

大祭司は、神殿の宝物庫や什一 (tithe) や神殿での活動全般の管理者でもありましたので、背教した大祭司や祭司たちは立場を利用して私腹を肥やしていました。

王、大祭司、祭司、レビ人などの背教はイスラエル全体を堕落させ偶像崇拝、道徳の崩壊を招き神からの処罰が臨みます。ソロモンの神殿は587 BCにネブカドネザルにより破壊され、神から背教し神秘主義に夢中になったイスラエル人は神秘主義の発祥地バビロンでの70年の流刑の処罰を受けることになります。

清い崇拝の中心である神殿を失い異国の地で囚人となったイスラエル人たちは、苦境の地で神の崇拝を維持するため神殿に代わる会堂 (Synagogue) を建設しユダヤ人共同体 (community) の交友や、問題の処理、律法の学習の場としました。会堂では律法が朗読され、解説がなされ、ラビ (rabbi) と呼ばれる教師の身分 (status) が生まれ、後代のパリサイ派 (Pharisees) の原型となる律法学者が形成されるようになり、神の崇拝と異教の神秘主義を融合した独特のユダヤ教、ラビ的ユダヤ教 (Rabbinc Judaism) を発展させて行きます。タルムード (Talmud ) やカバラ (cabala) はそのころつくられました。バビロンの南部の都市スーラ (Sura) のユダヤ人居住区にあったスーラ・アカデミー (Sura Academy) と呼ばれる律法の学校でバビロニア・タルムード (Babylonian Talmud) が生み出されました。

70年間のバビロン捕囚が終了する537 BC、神はペルシャのクロス大王を用いバビロン捕囚のユダヤ人たちを解放しました。パレスチナに戻ったユダヤ人たちは、334 BCのアレクサンダー大王の東方遠征開始によるアケメネス朝ペルシャ帝国の終焉まで、神殿の再建と自治を許され、ペルシャ支配の下で200年ほどで国家を再建しました。

その間に、イスラエル再建のために神が用いた人々は、ダニエル、ゼルバベル、ハガイ、ゼカリヤ、モルデカイ、エズラ、ネヘミヤなどです。

ヘレニズム(ギリシャ化)による分裂

332 BC
アレキサンダー大王によるギリシャ帝国の覇権の拡大によりイスラエルはギリシャの属国となり、ある程度の自治権を与えられますが、大祭司や地方総督はギリシャ帝国が任命し、年貢やみつぎものを徴収され、ギリシャ文化との融合を求められました。

ギリシャの支配は、ラビ的ユダヤ教にとって挑戦となります。ギリシャ支配に協力的でギリシャ化を歓迎する大祭司や祭司、総督などの富裕支配層と、ギリシャ化に危機感を持つラビ的ユダヤ教信者たちの間に分離や対立が生じるようになります。

ギリシャ支配のヘレニズム時代に、大祭司ザドクの家系の正当性を主張する富裕層が多いサドカイ派 (Sadducees)、ギリシャ化を退ける熱心なラビ的ユダヤ教信者、ラビ (rabbi) や律法学者のパリサイ派 (Pharisees) などが出現し、大祭司、サドカイ派、パリサイ派、長老、有力者など71人で構成するユダヤ最高法院 (Sanhedrin) もこのころつくられました。

BC6世紀以降に出現したラビ、サドカイ派、パリサイ派、サンヘドリン、ユダヤ人の会堂 (Synagogue) は、ヘブライ語聖書には出てきません。それらはバビロン捕囚後のユダヤ教の特徴で、クリスチャンギリシャ語聖書に登場する単語です。

ギリシャ帝国はイスラエルの大祭司に税金の徴収権、地域の商業監督権、その他を委託し属国を支配していましたので、宗主国の代理人で年貢(税金)徴収役の大祭司は、宗主国の要求に合わせて代理統治をする限りギリシャ帝国からサラリーをもらい優遇されていました。それで、サドカイ派、ザドク家系の大祭司たちは親ヘレニズム (pro-Hellenism) であり、エルサレムにギリシャの競技場、ギリシャ市場の開設斡旋をしていました。財政管理における不正や神殿での商売の促進などから、ピンハネや賄賂をとることも容易にできました。ですから、イエスは、神殿管理者たちを「『わたしの家は祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるのに、あなた方はそれを強盗の洞くつとしている」と非難しました。(マタイ 21:12-13)

それで、ギリシャ帝国の支配者に賄賂を贈って大祭司の職権を買い取ることが始まりました。

帝国と属国の支配者 (大祭司やサドカイ派) との世俗的な関係は、ラビ、パリサイ派、エッセネ派、その他ユダヤ教熱心派にとって危機的なものと映り、イスラエル人同士の対立が激化してゆきます。

BC2世紀は、ギリシャ帝国からローマ帝国へ覇権が移る時期で、シリアのセレウコス朝、エジプトのプトレマイオス朝、ローマの間での覇権争いや内戦が繰り返されていました。シリア・セレウコス朝の属国であったイスラエルの大祭司や代理統治者たちは、自分の都合に合わせてシリア、エジプト、ローマと同盟したり、裏切ったり、賄賂を送ったりして、自らの保身や帝国の支配から独立を狙っていました。

168-167 BC
ベンジャミン族のメネラオス (Menelaus) は、アロン系の大祭司オニアス (Jason ONIAS) より高額の賄賂をセレウコス朝アンティオコス4世 (Antiochus iv Epiphanes ) に贈り大祭司の任命を受け大祭司オニアスを追放する。

そのころ、アンティオコス4世エピファネス王とおそらくは大祭司メネラオスが先頭に立って、伝統的なユダヤ教に対するシリア・セレウコス朝による一連の迫害が始まりました。

マカベア家(本来のユダヤ名はハスモン家)の反乱の始まり

ハスモン家 (Hasmoneans) のマッタティアス (Mattathias) には、
ユダ・マカベウス(Judah Maccabee)、エレアザル・アヴァラン (Eleazar Avaran)、シモン・タッシ(Simeon)、ジョン・ガディ (John Gaddi)、ジョナサン・アッファス(Yonatan)の5人の子供たちがいました。
マカベア (Maccabee) は、ユダ・マカベウスにつけられたヘブライ語で金槌 (hammer) を意味するあだ名です。彼らはハスモン家 (Hasmoneans) の人です。

167 BC
ギリシャ軍の一隊がモディイン (Modi'in) に現れ、ギリシャの神々への犠牲の法令を施行するよう命じた時、ハスモン家 (Hasmoneans) のマタティアス (Mattathias) は村の尊敬される一員として、模範を示して異教の神々への犠牲を村に捧げるよう求められ、その見返りとして富と「王の友」という名誉ある称号を約束されましたが、マタティアスは拒否し、別のユダヤ人が名乗り出て犠牲を捧げようとしたとき、マタティアスは、その者とギリシャの役人の両方を殺害し、敬虔なユダヤ教徒に「律法に熱心で、契約を支持する人は皆、私と一緒に出て来なさい。」と決起を呼びかけたとされています。

犠牲を強要していたギリシャ政府の役人を殺害した後、マタティアスと5人の息子はユダヤの荒野に逃げ、そこで反ヘレニズムのユダヤ教徒によるゲリラ部隊を作ります。その地域は当時ゴフナ丘陵 (Gophna Hills) として知られており、現在のジフナ (Jifna) に近い地域です。マタティアスは1年間反乱を率い、死ぬ前に2人の息子にそれぞれの資質に基づいて異なる役割を与えました。シモン (Simon) は相談役に、軍才のあるユダ (Judah) は軍司令官に任命されました。このユダのあだ名が、シリア・セレウコス支配を打ち砕くハンマー (Maccabee) で、後日カトリック教会によりマカベア家の反乱として普及されました。本来の名前はハスモン家 (Hasmoneans) です。1マカバイ書によると、マタティアスは166 BCの春から165 BCの春の間のどこかの時点で亡くなり、モディインの先祖の墓に埋葬されました。

マカベア反乱軍には、当初ハシディアン (Hassideans) と呼ばれる、崇拝の自由を求める信心深いユダヤ教徒たちが加わりましたが、マカベア家の意図が政治的な独立戦争であることに気づいたとき、彼らはマカベア反乱軍から離脱しました。

1マカバイ書によると、セレウコス朝アンティオコス4世(Antiochus iv Epiphanes ) は、エルサレムの神殿の日々の焼燔の捧げものの祭壇の上に祭壇を築き、その上で豚の生贄を捧げ神殿を汚し、神殿の建物や器具を破壊し、異教のオリンポスの神ゼウス (Zeus) に献堂したとされています。

それに反発したユダ・マカベウス(Judah Maccabee)の反乱軍は、神殿をセレウコス朝から奪回し、荒廃した神殿を補修し2年後の165 BC/12/25 (Chislev 25) に神殿を再びYHWH神に献堂したとなっています。その出来事の記念としてイスラエルでは12月にハヌッカ (Hanukkah) と呼ばれる「献納の祭り」が行われるようになりました。

マカベア家の反乱物語の信憑性

このマカベア書に書かれてあるマカベア家の武勇伝は全て真実でしょうか。セレウコス朝の終焉期のマカベア家の反乱記録は、1マカベア書、2マカベア書、マカベア家の歴史家ヨセフス (Flavius Josephus) から取られたもので互いに食い違いがいくつも見られます。それで、祭司の家系でないマカベア家の威信を高めるために英雄ものがたり (heroic story) がつくられたと見なされています。

聖書の予言から見ても、メシアの到来までに神殿が破壊され日々の焼燔の捧げものが2年間も中断することは考えられません。エルサレムの神殿の常供の捧げものは、メシアの到来によって絶たれることになっており、それまでは日々の常供の捧げものが中断することは無いとみなせます。それで、33 ADにイエスが新しい契約を有効にするまでは、影である律法契約による神殿での常供のささげものは継続されると考えられます。

ダニエル 9:24-27
24 「あなたの民とあなたの聖なる都市に関して定められた七十週 (490年) がある。これは,違犯を終結させ,罪を終わらせ,とがの贖いをし,定めのない時に至る義を携え入り,幻と預言者とに証印を押し,聖の聖なる所に油をそそぐためである。25 そして,あなたが知り,また洞察するべきことであるが,エルサレムを修復して建て直せという言葉が発せられてから指導者であるメシアまでに,七週 (49年),そしてさらに六十二週 (434年) があるであろう。それは元どおりにされ,公共広場や堀と共にまさしく建て直されるが,それは苦境の時になされるであろう。
26 「そして,その六十二週 (434年) の後にメシアは断たれる。自らのためには何も持たないであろう。
「そして,その都市と聖なる場所とは,やって来るひとりの指導者の民がこれを滅びに至らせる。それで,その終わりは洪水によるものとなる。そして,終わりに至るまで戦争がある。定められているものは荒廃である。
27 「また彼は多くの者のために一週 (7年) のあいだ契約の効力を保たねばならない。そして,週の半ば (3.5年) に,彼は犠牲と供え物とを絶えさせる
「また,嫌悪すべきものの翼の上には,荒廃をもたらす者がいるであろう。そして,絶滅に至るまでは,定められている事柄が,荒廃に横たわるものの上にも常に注ぎ出されるであろう」。


455 BCネヘミヤによるエルサレムの城壁の修復、ダニエル9章の70週 (490年) の予言の開始。
406 BC455 BCから7週 (49年) 後にエルサレムの修復の完了。
29 AD406 BCから62週 (434年) 後にイエスがバプテスマを受けメシアの出現。
33 AD29 ADから1/2週 (3.5年) 後にイエスの死により律法契約が終わり、新しい契約が有効となり、神殿での常供の捧げものが不必要となる。
36 AD29 ADから1週 (7年) 後に律法契約の効力が終了し、異邦人が新しい契約に招かれる。
70 ADローマ軍によりエルサレムの神殿は破壊され、100万人のユダヤ人が命を失い、生き残った9万人ほどのユダヤ人は、エルサレムから、世界各地のユダヤ人社会へ散らされる。律法契約の終わりとエルサレムの破壊により系図や神殿を失ったユダヤ人たちは、その後聖書的なユダヤ教の実践が不能となる。

ダニエル書の70週の予言から分かるように、神の予言は、その成就する日時は不明でも、成就の年を指し示しています。ですから、AD1世紀当時のユダヤ人たちは、メシアの出現を期待していました。

ルカ 3:15
15 さて,民は待ち設けており,またすべての者がヨハネに関し,「あるいは彼がキリストではなかろうか」と心の中で考えを巡らしていた。

賄賂による大祭司たち

セレウコス朝アンティオコス4世(Antiochus iv Epiphanes ) への賄賂で大祭司になったメネラオス (Menelaus) から追放された➡ アロンの家系の大祭司ジェイソン・オニアス (Jason ONIAS) はエジプトのプトレマイオス朝へ逃れ、そこで神殿を建設し、プトレマイオス朝から大祭司の任命を受け、クレオパトラの傭兵集団を組織し、プトレマイオス朝の内戦や、セレウコス朝のアンティオコス4世(Antiochus iv Epiphanes ) との戦いに参戦します。エジプトのジェイソン・オニアス (Jason ONIAS) のユダヤ教神殿は、クレオパトラの政治的な武装集団施設となります。アンティオコスがエジプトとの戦闘で戦死したという噂を聞いてオニアス (Jason ONIAS) はエルサレムを攻撃しメネラオス (Menelaus) を要塞に追い込みましたが、アンティオコスは戦死しておらず、エルサレムに急襲しオニアスは殺害されます。生き残ったメネラウスは、163-162 BCにアンティオコス5世の摂政リシアス (Lysias ) により処刑され、その後アロン系のアルキモス(Alcimus) がシリア・セレウコス朝のデメトリアス I (Demetrius I) から大祭司に任命されます。 大祭司アルキモス (Alcimus) は、親ヘレニズムでエルサレムのギリシャ化を推進したため、ハシディム (Hasidim) と呼ばれる敬虔なユダヤ教徒やマカベア家と衝突し、シリア・セレウコス朝にマカベア家の除去を要請します。

デメトリアス I (Demetrius I) は、軍隊を派遣し、マカベア家のユダ・マカベア (Judah Maccabee) は、ゲリラ戦でいくつかの勝利を収めますが、160 BCにバッキデス (Bacchides) 率いるシリア軍がライサ(Laisa/Elasa)でユダの軍を破り、ユダは戦場で戦死しました。

ユダ・マカベア (Judah Maccabee) の後継者はマカベア家のヨナタン(Jonathan)、別名アフス (Apphus) となります。ヨナタンは、ユダヤ地方から砂漠に撤退し、ユダヤは再びシリア・セレウコス朝の代理支配たちに戻されます。

その後、バッキデス (Bacchides) はヨナタンのゲリラ軍の全滅を試みますが、失敗したためヨナタンと休戦交渉を行います。その休戦の間ヨナタンは、自軍の強化を図ります。

シリアの王位を主張するアレクサンダー・バラス (Alexander Balas) がデメトリオス1世 (Demetrius I) とヨナタンの支持をめぐって争ったとき、ヨナタンはアレクサンダーを支持し、アレクサンダーは彼を大祭司に任命し、「王の友人」と称し、ユダヤの軍事および行政の統治者に任命しました。

145 BC
デメトリオス 2 世 (Demetrius II) がエジプトのプトレマイオス 4 世の助けを借りてアレクサンダー・バラス (Alexander Balas) を退位させたとき、イスラエルのヨナタンの支配権を認めました。しかし後にデメトリオス 2 世は「シリア軍をエルサレムのシリアの要塞アクラ (Akra) から撤退させる」というヨナタンとの約束を破ったため、ヨナタンはアレクサンダー バラスの息子で王位を新たに主張するアンティオコス 6 世 (Antiochus VI) の摂政トリフォン (Tryphon) の側につきました。しかし、ヨナタンがシリア占領下のアクラ (Akra ) とエルサレムの残りの地域の間に高い壁を築くと、トリフォンはヨナタンを交渉に招き、捕虜にした後、ヨルダン川東岸のバスカマ (Bascama) という場所で処刑しました。

マカベア家の最後の人物であるシモン (Simon)、 別名タシ (Thasi) は、ヨナタンが捕らえられた後、ユダヤ軍を結集し、トリフォンの軍隊がエルサレムのシリアの守備隊を支援するのを阻止しました。後に、トリフォンがアンティオコス6世を処刑し、自らシリアの王であると宣言すると、シモンはデメトリオス 2 世 (Demetrius II) の側につき、デメトリオス 2 世は支援の見返りとして、過去および将来のすべての年貢の廃止とともに、ほぼ完全な政治的自由を与えました。シモン自身は「大祭司、偉大な指揮官、ユダヤ人の王子」として認められました。

134 BC
エリコ近郊のドク (Doch) の要塞での宴会中に、シモン (Simon) は息子のユダとマタティアスとともに、義理の息子のプトレマイオスによって暗殺され、残された息子のジョン・ヒルカノス (John Hyrcanus) が跡を継ぎ、ハスモン朝 (Hasmonaean dynasty) を継承しました。

生き残ったジョン・ヒルカノス (John Hyrcanus) は、プトレマイオスの殺害計画を阻止し、エルサレムの支配権を保持し、ユダヤの統合と領土拡大の観点からハスモン朝の統治者の中で最も成功した者となります。

125 BC
マカベア家のジョン・ヒルカナス (John Hyrcanus) は、イドマヤを征服し、そこに住むヤコブの双子の兄弟のエサウの子孫のエドム人たちに割礼を受けてユダヤ教に改宗することを強制し、イドマヤ地方に住む人々は名目上のユダヤ人となります。

BC1世紀に世界覇権はギリシャからローマに変わり、63 BCにイスラエルはローマの属国となります。39 BCにローマはエドム人のヘロデをイスラエルの王に任命し、数年後にマカベア家の最後の支配者アンティゴナスとその一族45人を殺害しマカベア家による支配は終わります。

➡ ローマ時代のイスラエルのエドム人の王統について

偽メシア(キリスト)の出現

神のキリストの出現が近づいたBC2世紀に、バビロンから解放されたイスラエル人たちはマカベア家の反乱により、ギリシャ帝国からの独立を勝ちとったものの再びローマ帝国の属国となり、ローマ帝国からの独立をもたらすマカベア家のジョン・ヒルカナス (John Hyrcanus) のような地上の政治的なメシアの到来を待ち望んでいました。

ですから、神のメシアであるイエス・キリストが出現したとき、メシアに関する間違った期待を持っていたイスラエル人たちは、イエス・キリストをメシアとして受け入れませんでした。地上の支配権力者としてイエスに失望したということです。

イエスを神のメシアとして受け入れたキリストの弟子たちでさえ、当初、キリストがイスラエルの支配を地上に回復するものと間違った期待を持っていました。ですから、復活したキリストに、「今この時にイスラエルに王国を回復するのですか」と尋ねています。(使徒 1:6)

キリストの王国は地上の支配権力ではありません。33年にキリストの罪のない犠牲の死により、キリストの犠牲の影(予表)であるエルサレムでの神殿の犠牲は廃止され律法契約は終わりました。この時点で神はユダヤ教を捨て去られ、エルサレムの神殿は70年に破壊されユダヤ教の崇拝の様式は終わりました。ですから背教者たちのユダヤ教には救いはありませんし、今日の1947年のロスチャイルド資本によるイスラエル国家の出現や、ユダヤ教のエルサレムの神殿の再建計画は神と無関係な世俗的な出来事や計画に過ぎません。

マタイ 23:38
38 見よ,あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています。(神は背教者のイスラエルとは無関係です。)

ヘブライ 8:9
9 それは,わたしがその手を取って[彼らの父祖たち]をエジプトの地から連れ出した日にその父祖たちと立てた契約によるのではない。彼らはわたしの契約のうちにとどまらなかったからである。そのためわたしは彼らを顧みることをやめた』と,エホバは言われる」。(律法契約の終わりにより、神は、背教者のユダヤ教と無関係になりました。)

AD1世紀に神のメシア(イエス・キリスト)を拒絶し殺害し、全地に散らされた背教者のユダヤ教は、メシアを名乗る多くの偽メシアを生み出しています。

同様に、イエス・キリストを信じると唱えるキリスト教世界も、その始まりから背教しており、背教のキリスト教も、再来のキリストを名乗る多くの偽キリストを生み出しています。

カトリック教会が7世紀に作ったイスラム教も、背教のユダヤ教であり、マホメッドをアブラハムの子イシュマエルからのメシアとして信じています。

背教者のユダヤ教、キリスト教、イスラム教から生まれた偽メシア、偽キリストのいくつかの例を上げます。(他に大勢います。)

サバタイ・ツヴィ Sabbatai Zevi (1626-1676)
オスマン・トルコのユダヤ教神秘主義者で、スミルナ(現トルコのイズミル)出身の出家ラビ。彼はセファルディ系ラビ、またはアシュケナージ系ラビと見なされていて彼の家系については2つの意見があります。彼はおそらくアシュケナージ系でしょう。オスマン帝国全土で活動したゼヴィは、待望のユダヤ教の救世主であると主張し、サバタイ派運動の創始者であり、その信奉者は後にドンメ (Dönme) 「改宗者」または隠れユダヤ人 (crypto-Jews) として知られるようになりました。これは最も重要な救世主運動の1つであり、その影響はユダヤ全土に広まりました。ツヴィはユダヤの戒律に縛られた「神の火花 (divine sparks)」(ユダヤ神秘主義カバラ用語)を高めるために戒律を破ることを信じ、実際に伝統的なユダヤのタブーに違反する行為を行いました。例えば、カシュルート(ユダヤの食事法)で禁じられている食べ物を食べたり、儀式的な近親相姦を行ったり、定められた断食日を祝祭日として祝ったりしました。


ヤコブ・フランク Jacob Frank (1726-1791)
18世紀から19世紀にかけて生まれたサバタイ派の宗教運動で彼の名にちなんで名づけられたフランキズム (Frankism) の創始者です。 ヤコブ・フランクはサバタイ・ツヴィの生まれ変わりであると主張し、罪を犯すというサバタイ・ツヴィの習慣に従い、さらにそれをさらに進めました。彼の信奉者の間では父娘の近親相姦が一般的に行われ、乱交は儀式の重要な部分を占めています。フランクはユダヤ教の規範を完全に否定し、信者たちに道徳的境界を越える義務があると説きました。最盛期には5万人の信者がおり、主にポーランド、中央ヨーロッパ、東ヨーロッパに住んでいたユダヤ人でした。国際金融資本の総元締めロスチャイルド家はユダヤ神秘主義カバラ (cabala)信奉者のヤコブ・フランクの追随者、フランキスト (Frankist) です。

1947年
第二次世界大戦後、フランスのロスチャイルド家が出資してパレスチナにイスラエル国家を作りました。米国のフリーメイソン大統領トルーマンが最初にイスラエルを主権国家として承認しました。

ロスチャイルドにより建てられたイスラエルの最高裁の建物 は、神秘的な象徴 (occult symbolism) で、聖書の秘教 (cabala) 的解釈と異教の儀式の融合の場所です。世界で本当の権力を持つオカルト信者たちは、その隠された意味を理解しています。世界は、フランキストが動かしています。


メナヘム・メンデル・シュネールソン
Menachem Mendel Schneerson (1902-1994)
チャバド・ルバビッチの第7代ラビ。彼の信奉者の多くは、彼が存命中、彼がユダヤ人の救世主であると信じていており、1994年の彼の死後も、そのように信じ続けている者もいます。彼は、ハシディズム(信心深いユダヤ教徒)のグループを、アメリカで最も影響力のあるロビー団体に変え、5,000以上の教育・社会センターの国際ネットワークを築き、幼稚園、学校、薬物リハビリセンター、障害者介護施設、シナゴーグなどを多数建設しています。シュネールソンは、タルムード、ハラハ、カバラ、ハシディズムの教えに対する学識と貢献で知られています。彼はアメリカの大統領や州知事に最も影響力のある人物でした。

➡ ユダヤ人指導者シュネールソン(Schneerson)とWatchtower


文鮮明 Sun Myung Moon (1920–2012)
韓国のソウルに設立された統一教会の創設者であり指導者であり、自身をキリストの再臨であると考えていながら、イエス本人であるとは考えていない、といった矛盾すること述べています。統一教会の信者 (Moonies) は一般的に、彼が救世主でありキリストの再臨であり、イエスの未完の使命を果たすために選ばれたと信じている。統一教会はアメリカのCIAが作った宗教団体です。






ミルザ・グラーム・アフマド Mirza Ghulam Ahmad (1835-1908)
インドのカディヤン出身のイスラム教徒のアフマドは、自分が期待されていたマフディー(イスラム教徒の救世主)であると主張し、イエスは磔刑(たくけい)を生き延びた後、自然死したと主張し、イエスの将来の到来に関する予言は、マフディーがイエスの資質と性格を身に付けていることを指しており、マフディーと共に肉体的に戻ってくることではないと主張しました。意味不明ですが、イスラム教とキリスト教の不思議な融合思想が見られます。





クロード・ヴォリヨン Claude Vorilhon (1946-)
現在「エロヒムの使者」ラエルとして知られるフランスのプロのテストドライバーで、元自動車ジャーナリスト。1972年にUFO宗教ラエル運動の創始者および指導者となった。ラエル主義は、地球上の生命はエロヒムと呼ばれる地球外生命体によって科学的に創造されたと説く。彼は1973年に地球外のヒューマノイドと出会い、救世主になったと主張した。その後、彼はヤハウェという地球外生命体である「実の父」から与えられた任務に専念している。





デイヴィッド・アイク David Icke (1952-)
爬虫類人間 (Reptilians) というアイデアを考案し、1991年にウォーガンのインタビューで「神の子」であると主張したニューエイジ陰謀論者。

大川隆法 Ryuho Okawa (1956-2023)
日本の幸福の科学の創始者。大川は、ムハンマド、キリスト、仏陀、孔子の霊と交信し、エル・カンターレ (El Cantare) と呼ばれる至高の霊的存在の化身であると主張しました。

麻原彰晃 Shoko Asahara (1955–2018)
日本の終末カルト集団オウム真理教の創設者。1992年に麻原は『我がキリストを宣言する』を出版し、その中で自らをキリスト、日本で唯一の完全に悟りを開いた師であると宣言し、神の子羊と同一視しました。1995年の東京地下鉄サリン事件の後、麻原は2018年に逮捕され、絞首刑に処されました。オウム真理教もCIAが作りました。


聖書の救世主(メシア、キリスト)とインチキ宇宙科学や異教思想をブレンドした奇異でバカげたメシアやキリストの出現は後を絶ちません。偽メシアや偽キリストは、神の真のキリストへの関心や理解を妨げる障害であり、その働きはサタンによります。

2コリント 4:3-4
3 そこで,もしわたしたちの宣明する良いたよりに事実上ベールが掛けられているとすれば,それは滅びゆく人たちの間でベールが掛けられているのであり,4 その人たちの間にあって,この事物の体制の神が不信者の思いをくらまし,神の像であるキリストについての栄光ある良いたよりの光明が輝きわたらないようにしているのです

2コリント 11:13-15
13 そのような人たちは偽使徒,欺まんに満ちた働き人で,自分をキリストの使徒に変様させているのです。14 それも不思議ではありません。サタン自身が自分をいつも光の使いに変様させているからです。15 したがって,彼の奉仕者たちが自分を義の奉仕者に変様させているとしても,別に大したことではありません。しかし,彼らの終わりはその業に応じたものとなります。

2テサロニケ 2:9-12 9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,10 また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼らが[こうして滅びゆくのは],真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです。11 そのゆえに神は,誤りの働きを彼らのもとに至らせて,彼らが偽りを信じるようにするのであり,12 それは,彼らすべてが,真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受けるためです。

まとめ

アダムの失敗以来、人類は約束の救世主の到来を待ち望んできました。
背教者のユダヤ教は、メシアの到来を待ち望み、背教者のキリスト教やイスラム教は、メシアの2度目の到来を待ち望んでいます。

嘘と欺き、賄賂と脅し、殺人により営まれるサタンの世では、特に神の約束の胤(救世主)についての良い知らせは、嘘と欺き賄賂と脅し殺人により真実を知ることが困難な状況がつくられ、人々は偽メシア、偽キリストへ誘導されています。

それでも、闇は光に打ち勝つことはできません。
一つの真実の光は闇を打ち破ります。

神は、人々が真実を知ることを望んでいます。ですから、今後、ますます真実が明らかになされるでしょう。

ダニエル 12:4
4 「そしてダニエルよ,あなたは終わりの時までこれらの言葉を秘し,この書を封印しておくように。多くの者が行き巡り,[真の]知識が満ちあふれる」。

終わりの時の各自の挑戦は、偽りの中で真実を見つけること、また偽りが崩壊するまで掴んだ真実を固守することです。

ヨハネ 8:31-32
31 そこでイエスは,自分を信じたユダヤ人たちにさらにこう言われた。「わたしの言葉のうちにとどまっているなら,あなた方はほんとうにわたしの弟子であり,32 また,真理を知り,真理はあなた方を自由にするでしょう」。

アダムから受け継いだ罪とサタンの影響により、神の民イスラエルは背教し、背教者のユダヤ教は、ラビ、パリサイ派、サドカイ派、ハシド派、タルムード、カバラ、シナゴーグ、サンヘドリン、マカベア家の反乱、地上のイスラエル国家再現、エルサレムの神殿の再建計画などを生み出してきました。それらは、YHWH神と無関係なサタンに誘導された人間の企てに過ぎません。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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