神の目的は?!

2024/03/07 0

教理 聖書

t f B! P L

  • 「新約聖書」とは手紙の寄せ集め。
  • 神は人類の所有権を悪魔に譲渡した。
  • 聖書の神は人間に似ている。
  • 祭司職は神と悪魔との抗争の調停役。


2024/03/04のyooさんのコメントから始まった聖書に関する記事です。

yooさんのブログ「JW完全論破ブログ」 の記事について書いたコメントをまとめました。

「新約聖書」とは手紙の寄せ集めで、霊感を受けた聖書ではないのか。

エホバの証人は、ヘブライ語聖書についてyooさんが書いていること理解しています。またクリスチャンギリシャ語聖書の聖典性も信じています。

クリスチャンギリシャ語聖書の聖典性は、yooさんが書いているように背教したクリスチャン組織のカルタゴ会議で決定されたのではありません。ローマカトリック教会や、それから派生した他の組織宗教が聖書の聖典性を決定したのではありません。サタンが用いるそれらの国家宗教組織は、初期クリスチャンの間ですでに確立されていた聖典を、自らの権威の確立のために追認した(利用した)にすぎません。

また、背教のクリスチャン組織が顕在化する前の、使徒たちを含む初期クリスチャンたちは、神からの霊の賜物を与えられており、霊感のクリスチャンギリシャ語聖書として知られる手紙やキリストについての証の書物を、後代の王国の子たちのために備えました。それで、それらの霊感の手紙類は、yooさんが書いているような単なる「手紙の寄せ集め」ではありません。それは、ヘブライ語聖書と同じ神の霊感の書物であり、王国の子たちの信仰の土台であり、信じる者たちを導く神の力です。

➡ 聖書写本の記事を読んでください。

初期クリスチャン会衆における神の霊の強力な働きについて補足します。
西暦33年のペンテコステの日に、神はご自分の霊を120人のキリストの弟子たちに注ぎクリスチャン会衆を発足させました。 その出来事、またそれに続く使徒たちの宣教の記録は、使徒たちの活動に書かれています。
それで、神の霊の働きを知りたいなら、使徒たちの活動を注意深くお読みください。 そうすれば、パウロやその他の使徒たちが書き残した手紙が霊感の書物であることが分かるでしょう。

➡ 使徒たちの活動

西暦1世紀のクリスチャンたちを導いた神の霊は、1コリント 12:10に書いてあるように、ある人に「霊感のことばを識別する力」を与えました。 それで、初期クリスチャンの王国の子たちにより、クリスチャンギリシャ語聖書の聖典目録が確立され、当時のクリスチャン社会で流布され活用されていたことが分かります。

1コリント 12:4-11
4 さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。5 奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。6 働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。7 しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます。8 たとえば,ある人には霊によって知恵のことば,ある人には同じ霊にしたがって知識のことば,9 ある人には同じ霊によって信仰,ある人にはその一つの霊によっていやしの賜物,10 さらにある人には強力な業の働き,ある人には預言すること,ある人には霊感のことばを識別する力,ある人には種々の異言,そしてある人には異言を解釈する力が与えられています。11 しかし,これらのすべての働きを同一の霊が行なうのであり,その欲するとおりに各々に分配するのです。

また、バイブル (bible) という言葉の語源は、ギリシャ語のbiblos(ビブロス)の複数形のbiblia(ビブリア)です。 biblos(ビブロス)はパピルスという植物の茎の内皮でものを書く紙で、biblia(ビブリア)は、その小冊子をまとめて本の形にしたものです。

ヘブライ語聖書は、巻物に書かれて、ユダヤ人の会堂に保管され、人々は、会堂で聖書を読んだり、聞いたりしていました。

クリスチャン時代の手紙やキリストの活動の記録は、当初巻物に書かれていましたが、初期クリスチャンたちは、クリスチャンギリシャ語聖書の聖典を各自が写本して保持して活用したため、他の古代の写本と比べ物にならない程多くのクリスチャンギリシャ語聖書の聖典写本がつくられ、今日まで残っています。

また、初期クリスチャンたちは、クリスチャンギリシャ語聖書の聖典写本の携帯を望み、巻物の形から今日の本のような冊子本の形でギリシャ語聖書写本を残しています。

初期クリスチャンの中には「霊感のことばを識別する力」を与えれていた人たちがおり、その神からの力により、当時クリスチャンの間で流布していた手紙や証の書の中から、聖典目録がすでに確立され、クリスチャンたちの信仰の土台となり、今日まで続く本物のクリスチャン活動を導く力となっていました。

ですから、初期クリスチャン各自は冊子本の形で聖典を複写し所有し、当時の世界の隅々に広げることができ、その数の多さは他の古代写本の数をはるかに超えて残っており、今日でもその内容を読むことができます。

神は人類の所有権を悪魔に譲渡したのか。

神は人類の所有権を放棄してサタンに渡したという主張についてです。

サタンの偽りにより、アダムとエバが罪に陥ったとき、神はアダムの家族を見捨てることはありませんでした。

神は天と地とその中の被造物全てに対する権威(所有権、支配権、その他なんであれ神に属する権威)を放棄なさっていません。そのようなことはあり得ません。罪を犯したアダムの家族(アダムも含めて全人類)は、神のものです。

サタンは、罪を犯したアダムの家族の所有者ではありません。

サタンは、嘘を用いて神のものを強奪しました。 神がだまされたのではなく、神のものである人がだまされ、また偽りに同調してサタンの奴隷となりました。 この出来事は、神が企画して生じたものではありません。

サタンも含めすべての被造物は神の権威の下に存在を許されています。 そして、「すべて自分がまくものを刈り取る」という神の掟の下で神の定めの時に裁きが臨みます。

サタンは、偽りと脅しで機能する自分の世をつくることを許されたに過ぎません。 いずれ、サタンは自らの行為の結果を刈り取ることになります。

神は、サタンにいかなる権威も与えていませんし、ご自分の権威を放棄してもいません。 サタンに渡されているものは、偽りと脅しで自分の世をつくる自由であり、それは神から与えられた権威、また罪を犯した人類に対する神が放棄した所有権ではありません。

サタンは、偽りと脅しで人類の世をつくりました。 サタンが持っている権威は、自分の世に対するインチキと脅しで作り上げた権威にすぎません。 サタンの世の権威は、神からの権威ではありません。 サタンの世に住むアダムの家族は、サタンの偽りと脅しの奴隷です。

人類の所有者である神は、西暦1世紀にキリストを用いてサタンの力を砕き、人々をサタンのインチキ権威から解放なさっています。 なぜなら、人類は神のものだからです。神は罪を犯した人類に対する所有権を放棄していません。

サタンの権威は、サタン自身がインチキと脅しで作り上げた自分の世に対するものです。 サタンの世はサタンの権威で機能しています。サタンは、望むものに自分が築いたインチキ権威を与えます。

サタンが、自分の世で築いた権威はサタンのものです。サタンに権威を築くことを神は許されたので、それらの権威はサタンに渡されていると言えます。 サタンは、自分の世の権威と栄光をイエスに提供しています。

ルカ 4:5-6
5 それで彼は[イエス]を連れて上り,またたく間に人の住む地のすべての王国を見せた。6 そして悪魔は言った,「この権威すべてとこれらの栄光をあなたに上げましょう。それはわたしに渡されているからです。だれでもわたしの望む者に,わたしはそれを与えるのです。

サタンが持つ、また提供できる世の権威や栄光は、神が与える権威や栄光ではありません。 サタンの世の権威や栄光は、偽り、脅し、貪欲、不公平、抑圧によって築かれるもので、多くの人々を虐げ、犠牲にします。 サタンの世の権威は被造物を高めるクズであり、サタンの世の栄光は、競争心や妬みによって作られたインチキ栄光でクズです。

そのようなクズをイエスは受け取りませんでした。

サタンは、不法に自分の世をつくりました。 神がそうする権威を与えたのでも、人類の所有権をサタンに譲渡したのでもありません。 キリストは、不法につくられたサタンの世を除去します。

ヨハネ第1 3:8
8 罪を行ないつづける者は悪魔から出ています。悪魔は初めから罪をおかしてきたからです。神の子が現わされたのはこのためです。すなわち,悪魔の業を打ち壊すためです。

サタンの権威は、自分の世に対するもので、世の支配者と呼ばれています。 サタンの権威は、イエスに対して何の力もありませんでした。

ヨハネ 14:30
30 わたしはもう,あなた方と多くは語らないでしょう。世の支配者が来ようとしているからです。そして,彼はわたしに対して何の力もありません

サタンの権威は偽りと脅しに屈する者たちに対する権威にすぎません。 サタンの偽りと脅しはイエスには何の力もありませんでした。 なぜなら、イエスは真理を知っており、真理を愛し、真理のうちに神とつながって生きていたからです。

1ヨハネ 5:19 に書いてある「全世界は邪悪な者の配下にある」とはどういう意味でしょうか。

それは、全世界はサタンの偽りと脅しの下におかれているということです。 それが、地に対するサタンの権威であり、サタンの汚れた霊であるということです。

しかし、人がひとたび真理を知ったなら、サタンの権威は力を失います。

エフェソス 2:2
2 あなた方は,この世の事物の体制にしたがい,また空中の権威の支配者,不従順の子らのうちにいま働いている霊にしたがって,一時はそうした[罪]のうちを歩んでいました。

サタンの権威は、真理を知る人に対して力はありません。クリスチャン(王国の子たち)とはそのような人たちです。

神は、罪を犯した人類の世を放棄していません。 神は、ご自分の地上の子供たちに対する所有権をサタンに譲渡などしていません。 全人類は、神のものであり、キリストの犠牲により、すべての人は価を持って買い取られています。 その買取の価は、サタンに支払われたのではありません。 イエスの贖いの血は神に捧げられました。

アダムが罪に陥った時、神が救出を約束なさったのはなぜでしょうか。 それは、罪を犯したアダムとその家族は神のものだからです。 神は罪を犯したアダムの家族をサタンに放棄などしていません。ご自分の子として救出のために行動なさいました。

マタイ 12:11
11 [イエス]は彼らに言われた,「あなた方のうち,一匹の羊を持っていて,それが安息日に穴に落ち込んだ場合,それをつかんで引き出さない人がいるでしょうか。12 どう考えても,人は羊よりずっと価値のあるものではありませんか

たとえ話の羊の所有者が穴に落ちた自分の羊を引き出したように、神はご自分のものであるアダムの家族を罪の穴から引き出します。

聖書の神は人間に似ているか。

神と人についてです。
yooさんは、「聖書の神は人間に似ている」と書いていますが、それは逆です。 人間が神に似ています。

それは、人が神の像に似せて造られたと聖書に書かれているとおりです。

では、神と人との違いは何でしょうか。 それは、神は始まりも終わりもない永遠の存在だということです。

永遠の存在とは何を意味しますか。 それは、神の高貴な神性は不変であるということです。 真実、公正、力、知恵、愛、憐み、美、その他何であれ神の性質は欠けることも崩れることも堕落することもありません。

命の始まりのある人の場合は、神のように変節することない存在になるポテンシャルが与えられています。 神のように変節することのない存在になるためには学ぶべきことがあります。

それは、永遠の存在である神の霊と調和して生きることを学ぶ必要があるということです。 それに失敗するなら、自らの内にある神の像を維持できず堕落して自滅するか、自分と他の者にとって有害な存在となり裁かれて命の恵みから取り除かれます。それがサタン、悪霊、人類に生じたことです。

神の霊に調和して生きることを学ぶ最初のステップは神のことばに従うことです。

神のことばへの一つ一つの従順は、神と共に生きることであり、そのように生きているなら神の霊に調和した存在になれます。こうして、命の始まりのある神の子たちは、神のように変節しない永遠の存在者となります。

霊者も人間も、神の像に似せて造られ、変節しないものになるポテンシャルをもって命を始めます。 そのポテンシャルを生かすかどうかは本人次第です。 神は、霊者や人を変節しないロボットとして造ったのではなく、神ご自身のように「自分が望むものになるもの」として造りました。 つまり、神のように「自分がなるものになる」像に人を造りました。 それで、神の霊と調和して変節しないものになるかどうかは、本人次第ということです。

アダムの場合、サタンの策略に巻き込まれ、神のことばを軽んじ変節しました。 変節したアダムの子孫の人類は、もはや、神の像を反映できません。 神の像から変節した人類は、神のようになるのではなく、神の像から逸脱したものとなりました。

そのような変節した人間に神が似ているという発想は聖書も神も知らない人の発想です。

神のように変節しない永遠の存在になりたいなら、神のことばを侮らないで、そのすべてにおいて神に従うものとなる必要があります。

神と自分を比較して考えれば、自分がいかに神の像から逸脱しているかが分かるでしょう。 人間は神の像に似せて造られていますので神的ですが、アダムの子孫の現状は、「聖書の神は人間に似ている」などとは言えません。

神の怒り、悲しみ、親切、憐み、慈しみ、妬み、喜び、辛抱、忍耐、侮り、嘲り、その他の感情は人間も持っていますので神の感情を推測できますが、その深さや質において計り知れず人間の感情と比べものにならないでしょう。

人間の限られた、また偏った思いや感情によって全能者を評価したり侮ることはできません。 神は天と地とそのなかのすべてのものの造り主です。 その力と知恵、理解力において人間とは比較になりません。

聖書の神は、神から見てバッタのような人間には似ていません。 この方は、全知全能の全能者であり、この方に達成しえないことはありません。

全地全能の神について軽率に語るなら、それはその人の恥となると思います。

イザヤ 40:20-23
20 あなた方は知らないのか。あなた方は聞かないのか。それは発端からあなた方に告げられなかったか。あなた方は地の基[の時]から理解力を働かせなかったのか。22 地の円の上に住む方がおられ,[地]に住む者たちは,ばったのようである。その方は天を目の細かい薄織りのように張り伸ばしておられ,それをその中に住むための天幕のように広げ,23 高官たちを無に帰しておられ,地の裁き人たちをも実在しないもののようにされた。

ヨブ記 37:14-16
14 ヨブよ,ぜひこのことに耳を向けるように。 立ち止まって,神のくすしいみ業にあなたが注意深いことを示せ。 15 あなたは知っているか。神がそれらに取り決めを課したときのことを。 また,その雲の光を照らさせたときのことを。 16 あなたは雲の釣り合いを保つことについて知っているか。 知識の全き方のくすしいみ業を。

ヨブ記 38:1-5
1 そこでエホバは風あらしの中からヨブに答えて言われた, 2 「計り事を暗くしているこの人はだれか。 知識がないのに言葉によって。 3 どうか,強健な人のように,あなたの腰に帯を締めるように。 わたしはあなたに尋ねてみたい。あなたはわたしに知らせよ。 4 わたしが地の基を置いたとき,あなたはどこにいたのか。 [わたしに]告げよ。もしあなたが確かに悟りを知っているのなら。 5 だれがその度量衡を定めたのか。もしあなたが知っているのなら。 あるいは,だれが測り綱をその上に張り伸ばしたのか。

ヨブ記 40:1-5
1 そしてエホバはさらにヨブに答えて言われた, 2 「とがめだてする者が全能者と争おうとするのか。 神を戒める者がこれに答えよ」。

ヨブ記 42:1-6
1 そこでヨブはエホバに答えて言った, 2 「私はあなたがすべてのことをなし得ることを知りました。 あなたには達成し得ない考えはないことを。 3 『知識がないのに計り事を暗くしているこの人はだれか』。 それゆえ,私は語りましたが,理解していませんでした。 私の知らない,私にとって余りにもくすしいことを。 4 『どうか,聞くように。そうすれば,わたしが話すであろう。 わたしはあなたに尋ねるので,あなたはわたしに知らせよ』。 5 私はあなたのことをうわさで聞いていましたが, 今は,私のこの目があなたを確かに見ております。 6 それゆえに,私は撤回し, 塵と灰の中でまさしく悔い改めます」

イザヤ 55:8-11
8 「あなた方の考えはわたしの考えではなく,わたしの道はあなた方の道ではないからである」と,エホバはお告げになる。9 「天が地より高いように,わたしの道はあなたの道より高く,わたしの考えはあなたの考えより[高い]からである。10 降り注ぐ雨,また雪は,天から下り,実際に地にしみ込み,ものを生じさせ,芽を出させ,そして,種が種をまく者に,パンがそれを食べる者に実際に与えられなければ,その場所に帰らない。11 わたしの口から出て行くわたしの言葉も,それと全く同じようになる。それは成果を収めずにわたしのもとに帰って来ることはない。それは必ずわたしの喜びとしたことを行ない,わたしがそれを送り出したことに関して確かな成功を収める。

全知全能の神は、自由意思を持つ者たちの堕落が生じても、ご自分の考えを達成することができます。 自由意思は責任を伴い、責任は裁きを招き、すべてのものは「自分のまくものを刈り取る」ことになります。 サタンや悪霊の堕落、アダムの失敗は、神の目的の達成を妨げることはできません。 サタン、悪霊、アダムがもたらした障害は西暦1世紀にイエスによって取り除かれました。 全地は、神の意図したとおり、アダムの家族の永遠の住みかとなります。

この「救いの知らせ」が聖書のテーマです。

祭司職は神と悪魔との抗争の調停役か。

祭司は、神を代表して人々に神のことばを伝えました。これは祭司職が神の道の教育職であることを意味します。現に、古代イスラエルにおいて、祭司は神の律法の教育係でした。

祭司はまた、人を代表して神に人々の罪の許しを求めました。これは祭司職が人々のためのとりなし役であることを意味します。

モーセの律法が与えられる前、アダム、ノア、アブラハムなどの時代の神の民は、家族の頭が祭司の役割を担っていました。

ですから、祭司職の主要な仕事は、神の道の教育と人々の罪のとりなしです。 それには、病気の癒しや裁きなども付随します。

yooさんは「祭司職は神と悪魔との抗争の調停役」と書いていますが、 それは聖書から立証できません。

なぜなら、神は調停人など必要としませんし、神とサタンの抗争など存在しないからです。

まず、神ご自身が立法者で裁き主なので調停人は不要です。 だれでも、神によって裁かれます。

ヤコブ 4:12
12 立法者また裁き主である方はひとり,それは救うことも滅ぼすこともできる方です。

また、神とサタンとの間に抗争は存在しません。 サタンは犯罪者で神から裁かれ処刑されます。

アダムが罪に陥った時、神は関係者たち(蛇、エバ、アダム)に刑を宣告しました。 それで、罪を犯した者たちはすでに神から裁かれています。 あとは、処刑の執行を待つだけです。 サタンも悪霊たちも、アダムの家族も刑執行まで留置されているに過ぎません。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼(女の胤)はお前(蛇)の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

蛇とその胤は頭を砕かれることになっています。 つまり、サタンと悪霊たち、サタンに同調するアダムの子孫たちへの刑の宣告は滅びです。

犯罪者たちはすでに裁かれて、刑執行まで留置されています。

2ペテロ 2:4
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡された

2ペテロ 3:7
7 しかし,その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです。

刑執行までの留置期間は、それぞれが、言い逃れのできない「腐った実(悪の証拠)」を生み出す時となります。

天と地のすべての神の子たちは、堕落の結果を見て、人間の場合は実際に経験して、神の正しさを学ぶことになります。

最初から終わりを知る神にとって、そのような腐った実を生み出す時間など必要ではありませんが、時間と空間に支配されている神の子たちにとってそれは必要でした。それで、神は被造物の限界に合わせてことを進めています。

サタンと悪霊たちには救いはありませんが、サタンの策略の犠牲となったアダムの家族には救いの希望が差し伸べられています。

サタンと悪霊たちは、生ける神からの刑の執行に恐れおののいています。

マタイ 8:28-29
28 [イエス]が向こう側に着いて,ガダラ人の地方に入ると,悪霊に取りつかれた二人の男が記念の墓の間から出て来て彼に会ったが,[この二人は]ことのほか狂暴であったので,だれもその道を行ってそばを通る勇気がなかった。29 ところが,見よ,彼らが絶叫してこう言った。「神の子よ,わたしたちはあなたと何のかかわりがあるのですか。わたしたちを責め苦に遭わせようとして,定められた時よりも前にここに来たのですか」。

ヤコブ 2:19
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです。

アダムの子どもたちには救いの希望が差し伸べられているので悔い改めが宣べ伝えられています。

使徒 17:30-31
30 確かに,神はそうした無知の時代を見過ごしてこられはしましたが,今では,どこにおいてもすべての者が悔い改めるべきことを人類に告げておられます。31 なぜなら,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」。

マタイ 16:27
27 人の子は,自分の使いたちを伴って父の栄光のうちに到来することに定まっており,その時,各々にその振る舞いに応じて返報するのです。

祭司の王国について

神がアブラハムからイスラエル国民をつくり、祭司の王国の約束を与えた目的は、約束の女の胤による祭司の王国をつくるためです。

祭司の王国は、アダムの家族を罪から救出し、犯罪者サタンの世を滅ぼし、神が当初意図しておられた世界を地上につくるために神から権威を与えられた取り決めです。

アブラハムの胤の主要な方はイエス・キリストであり、イエスに従う王国の子たちが副次的な胤としてキリストとともに祭司の王国の成員となります。

アブラハムの生来の子孫のイスラエル人たちは、他の民族と同じ罪人アダムの子孫なので、不信仰に陥り祭司の王国を形成するのに必要な数の王国の子たちを生み出すことができませんでした。

神への信仰は、血肉によって生じるものではありません。 どの民族も血肉のつながりで真の信仰をもつ王国の子たちの祭司の王国の成員の全員を生み出すことはできません。

神は、その点も承知しており、サタンの影響下にある罪人イスラエルに再三にわたり警告、導きを与えておられます。

西暦1世紀に主要な胤イエス・キリストがイスラエル国民の間で「祭司の王国」の活動を開始し、アブラハムの生来の子孫であるイスラエル人の中から王国の子となる信仰のある人々を集め出されました。ですから、祭司の王国はメシアの王国であり、天の王国、神の王国とも呼ばれています。

イエス・キリストの罪のない死により、サタンの処刑は確定し、王国の子たちは諸国民からも集められるようになります。それ以来、今日に至るまで、キリスト教は全地に宣べ伝えられ本当の信仰をもつ王国の子たちがあらゆる民族、民、言語の人々から集められてきました。

本物のクリスチャンは、王国の子たちであり、キリストと共に祭司の王国の成員となり、サタンの業を打ち砕き、アダムの家族の回復の仕事にあずかります。

➡ アダムとエバについて学んでください。
➡ 「王国の子たち」について学んでください。

付録

人類に対する神の積極的な関心

■ 神は、善良なマンション管理人のように地の住人に対する責任を誠実に、つまり積極的に、怠けることなく果たしておられます。

神は人類にご自分を明らかにされていますが、サタンの世の騙されている人々は、それを意識しません。
神は、人類に無関心ではありません。地の創造の始めから今に至るまで変わらず全地を世話なさっています。

創造の第7日は神の安息日と言われていますが、それは創造の業についてであり、神は、アダムの家族のために働き続けています。

ヨハネ 5:17
17 しかし[イエス]は彼らにこう答えられた。「わたしの父はずっと今まで働いてこられました。ですからわたしも働きつづけるのです」。

使徒14:17
17 とはいえ,ご自分は善いことを行なって,あなた方に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなた方の心を存分に満たされたのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。

ローマ 1:19-20
19 神について知りうる事柄は彼らの間で明らかだからであり,神がそれを明らかにされたのです。20 というのは,[神]の見えない[特質],すなわち,そのとこしえの力と神性とは,造られた物を通して認められるので,世界の創造以来明らかに見えるからであり,それゆえに彼らは言い訳ができません。

サタンの世が神の地所を壊しているのに、それを神のせいだとは言えません。
神が悪を放任しているので、神は積極的に人類の世に関与していないとは言えません。

神は、地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定めの時をお持ちです。

啓示 11:17-18
17 こう言った。「今おられ,かつておられた方,全能者なるエホバ神,わたしたちはあなたに感謝します。あなたはご自分の大いなる力を執り,王として支配を始められたからです。18 しかし,諸国民は憤り,あなたご自身の憤りも到来しました。また,死んだ者たちを裁き,預言者なるあなたの奴隷たちと聖なる者たちに,そして,あなたのみ名を恐れる者たち,小なる者にも大なる者にも[その]報いを与え,地を破滅させている者たちを破滅に至らせる定められた時が[到来しました]」。

神はやがてサタンの世を終わらせる行動を起こされます。 サタンの世の邪悪な住民たちが地を荒廃させていますが、それでも普通の人々が地で快適に暮らせるように神は管理者として誠実にご自分の責任を果たしておられます。

邪悪な住民に対しての神の行動がまだ先であるという理由で、神は無関心とか、無能とか、積極的でないとか、などと言えません。

2ペテロ 3:9
9 エホバはご自分の約束に関し,ある人々が遅さについて考えるような意味で遅いのではありません。むしろ,ひとりも滅ぼされることなく,すべての者が悔い改めに至ることを望まれるので,あなた方に対して辛抱しておられるのです。

滅びに定められた世に対し神の辛抱が働いているということは、神の積極的な関与を意味しています。 何かを辛抱している時、それに無関心ではいられません。

悔い改める一人の罪人の故に天において喜びがあると言われています。 それは、救いを必要としている人類の世に対する天の関心の高さを表しています。

ルカ 15:7,10
7 あなた方に言いますが,このように,悔い改める一人の罪人については,悔い改めの必要のない九十九人の義人について以上の喜びが天にあるのです。
10 あなた方に言いますが,このように,悔い改める一人の罪人については,神のみ使いたちの間に喜びがわき起こるのです」。

命は神からのものですし、命を支えるものもすべて神からいただいています。 加えて、将来の救いの希望も与えられています。 信仰のある人は、これらの事実を神の積極的な関与と見ます。

世が悪いのは神の積極的な関与がないからではありません。
神はご自分の責任を積極的に、また誠意をもって果たされています。
アパートが荒れているのは、管理人のせいではなく、住人が邪悪だからです。

やがて、邪悪な者たちに対して行動を起こされるでしょう。

偽りと脅しでつくられたサタンの世は邪悪であり、騙されている多くの人々は、サタンの世(闇)を愛しています。

ヨハネ 3:19-21
19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。20 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。21 しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。

善良なマンション管理人は、地を荒廃させている邪悪な住民を取り除かれます。
その仕事は、神にしかできません。

■ 神の裁きについて
イエスは神の裁きの刑執行人なので、神が裁きを子にゆだねたという表現と矛盾しません。 イエスは「自分が聞くとおりに裁く」とも述べています。

ヨハネ 5:30
30 わたしは,自分からは何一つ行なえません。自分が聞くとおりに裁くのです。そして,わたしが行なう裁きは義にかなっています。わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わした方のご意志を求めるからです。

サタンは神にとって脅威ではない。

■ サタン、悪霊、人の悪は神の脅威とはなりません。

サタン、悪霊、アダムの子たちは、神の像につくられた、神の子たちでしたが、神の霊や神のことばを侮り、神から離れ犯罪者となりました。

自分の愛する子たちが、罪を犯し悪に変質することは、神にとって心痛となりますが、被造物の悪は神に危害をもたらすことはありません。

神の心痛は、神を狼狽させたり、おびえさせることはありません。
被造物の悪は、神にとって脅威とはなりません。

神の心痛と脅威は無関係です。 自分の愛する子供の堕落は心痛となるでしょうが、そのせいで神がおびえる(動揺する)ことなどありません。

だれでも、自ら悪を行うことによって、神の愛のうちにとどまらない者は、神の子ではなくなります。

申命記 32:4-6
4 岩なる方,そのみ業は完全, そのすべての道は公正である。 忠実の神,不正なところは少しもない。 義であり,廉直であられる。 5 彼らは自ら滅びとなることを行なった。 彼らはその子供ではない。その欠陥は彼ら自らのもの。 曲がってねじけた世代よ! 6 エホバに対してあなた方はこのように行なってゆくのか。 愚鈍で知恵のない民よ。 それはあなたを生み出した父, あなたを造り,あなたに安定を与えた方ではないか。

人の善は、当人と他の者を益するのであって、それを神は喜びますが、それは神に何の利益も与えません。 人の悪は、当人と他の者を害するもので、それは、神の心痛となりますが、神を害することはありません。

被造物は、すべてのものの根源者に利益や危害を与えることはできません。 だれも、神を買収できませんし、神を窮地に至らせることもできません。 サタン、悪霊、アダムの悪は神の脅威とはなりません。

すべては、まくものをを刈り取らされることになります。

ガラテア 6:7
7 惑わされてはなりません。神は侮られるような方ではありません。何であれ,人は自分のまいているもの,それをまた刈り取ることになるのです。

ヨブ記 35:6-8
6 たとえあなたが実際に罪をおかしても,[神]に対して何を成し遂げられよう。 また[たとえ]あなたの背きの罪が実際に増えても,[神]に何を行なえるだろう。 7 たとえあなたが実際に正しくても,[神]に何を与えられよう。 あるいは,[神]はあなたの手から何を受けられようか。 8 あなたの邪悪はあなたのような人に対するもの, あなたの義は地の人の子に対するものであろう

箴言 9:12
12 あなたが賢くなったのなら,それは自分のために賢くなったのである。あなたがあざけったのなら,あなたが,ただあなただけが[それを]負うことになる。

結論

■ 信仰について

信仰は聞くことから生じます。 聖書にそう書いてあります。

ローマ 10:17
17 ですから,信仰は聞く事柄から生じるのです。一方, 聞く事柄はキリストについての言葉によるのです

キリストは、神を父と呼び、神は自分より偉大ですと言っています。 キリストは神を崇拝しています。 崇拝は、神だけがに示される最高の敬意です。 つまり、敬意の極致が崇拝です。

敬意は敬意の対象を過小評価したり、侮ることはありません。

それで、組織宗教の指導者や聖書学者、その他の専門家と呼ばれる人が書く、あるいは話す、神に関する評価が全能者に対して示されるべき最高度の敬意を少しでも低めるものなら、それはその人が聖書も神も知らないことを表しています。

そのような人の解説は、神の崇拝において何の益にもならないでしょう。 その種の聖書解説本を読むより、敬意をこめて、聖書を読み、神についての理解を神に求める方が神との関係を改善し深められます。

クリスチャンギリシャ語聖書を含め、聖書全体は神の霊感の書物です。

2テモテ 3:14-17
14 しかしあなたは,自分が学びまた確信した事柄に引き続きとどまっていなさい。あなたは,それをどのような人たちから学んだかということ,15 また,幼い時から聖なる書物に親しんできたことを知っているのです。その[聖なる書物]はあなたを賢くし,キリスト・イエスに関する信仰によって救いに至らせることができます。16 聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。17 それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです。

2テモテの手紙は、西暦65年に、ローマ皇帝ネロにより再び囚人となった使徒パウロが、自分の死期の直前にテモテに書き送った手紙です。そのころまでに、クリスチャンギリシャ語聖書の目録は、西暦96-98年に書かれたヨハネの啓示とヨハネよるその他の手紙と福音書を残してほぼ完成しており、霊感の書物として当時の王国の子たちの活動を導いていました。

そのことを考えると、パウロがここで言及している「聖なる書物」は単にヘブライ語聖書のことではないことが分かります。 聖書全体は、クリスチャンギリシャ語聖書とヘブライ語聖書の全体のことです。

そして、聖書全体は神の霊感を受けており、神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるために備えられたと書かれています。

ですから、王国の子たちは聖書を唯一の導きとして、天の父を崇拝します。
それは、王国の子たちの主、イエス・キリストと同じです。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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