児童性的虐待の扱い

2017/11/21 0

JW ものみの塔協会 小児性愛者

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ものみの塔協会の「2人の証人」のルールの常軌を逸した適用

ものみの塔協会は、「2人の証人」のルールに常軌を逸して(無分別に)こだわり、被害者の子供の人権に対する配慮を犠牲にしています。

児童性的虐待は、無防備な子供が身近な親族や知人により性的に犯されることです。
その卑劣な犯罪行為は、目撃者などあるはずもなく、加害者と被害者だけの世界となります。

しかも、被害者は無防備で無力な子供ということです。

その子が卑劣な犯罪行為を自力で正すことなどあり得ないことです。
被害にあった子供の思いと心、および体が受ける甚大な影響を誰が気遣うべきですか。

もちろん、それは親であり身近な大人でしょう。

一般の人々と同じでエホバの証人の社会でも、子供たちが性的に襲われて虐待を受けることが起きます。

そのような、忌むべき事態が生じたら親や身近な大人はどのように犠牲となった子供を助けることができるでしょうか。

みなさんも、真剣にこの問題を考えてください。

「ものみの塔」エホバの証人たちは、以下の聖書の字句を根拠に道理に反して犠牲者である子供を助けることをせず、犯罪を隠蔽し加害者を放置し、さらなる被害を生み出す状況を容認します。

申命記 19:15
15 「人の犯すどんな罪の場合であれ,何かのとがまた罪に関しただ一人の証人が立ってこれを責めるべきではない。二人の証人の口または三人の証人の口によってその件は定められるべきである。

マタイ 18:16
16 しかし,もし彼が聴かないなら,あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人の証人の口によって確証されるためです。

何事も2人の証人により確証されることが要求されています。

この要求は、知恵の反映だといえます。
この要求に従うべきだと思いますが、問題は、どのように神の要求を実行すべきかという点です。

個人間の犯罪でひとりも証人がいないなら、問題を調査することを放棄すべきということでしょうか。

それとも、問題を徹底的に調査して、調査の過程で事情を聴取した者たちが必要とされる証人となり、2人か3人の証人により事態(真相)が確定されることを意味しているでしょうか。

わたしは、神による「2人の証人」の要求は、後者を意味していると思います。

ものみの塔協会の解釈は、2人の証人がいなければ調査を放棄し何もできないとするものであり、公正、憐れみ、忠実さの放棄と言えます。ものみの塔協会の聖句の歪曲により、犠牲となった多くの人々が保護や助けを受けることもなく放置され、何年もの間、心が死んだまま生きることを強いられてきました。一方、加害者は、何の処置も受けず、引き続き悪行を行い続け、更なる犠牲者を生み出してきました。

生み出されたこれらの腐った実は、ものみの塔協会のいい加減な聖書解釈が邪悪であることを証明しています。

個人間で犯されるひそかな罪(犯罪)の扱い

個人間で犯される重大な犯罪の扱いを復習します。

まず、申命記 19:15 節の「2人の証人のルール」がどのように実施されるべきかを、16-21節の説明から読み取ってみましょう。

申命記 19:15-21
15 「人の犯すどんな罪の場合であれ,何かのとがまた罪に関しただ一人の証人が立ってこれを責めるべきではない。二人の証人の口または三人の証人の口によってその件は定められるべきである。16 暴虐をたくらむ証人がある人に敵して立ち,これに背きの責めを負わせようとする場合,17 論争にかかわるその両人は,エホバの前,その時期に務めを果たしている祭司と裁き人たちの前に立たねばならない。18 そして裁き人たちは徹底的に調べなければならない。もしその証人が偽りの証人で,自分の兄弟に偽りの責めを負わせたのであれば,19 あなた方は,その者が自分の兄弟にたくらんだとおりのことをその者に対して行なわなければならない。こうしてあなたの中から悪を除き去るのである。20 それにより,残りの者たちも聞いて恐れ,そのような悪事を二度とあなたの中で行なわないであろう。21 そして,あなたの目は哀れみ見てはいけない。魂には魂,目には目,歯には歯,手には手,足には足である。

16節以降に「偽りの証人」が現れる場合が説明されています。
偽りの証人ですから、現実には証人はいないということになります。
つまり、2人の証人のないケースということです。

そのような場合、問題を放棄することは容認されません。
証人が偽証しているかどうかを徹底的に調査することが祭司と裁き人たちには要求されています。

犯罪の関係者は、証人がいてもいなくても神の前で裁かれることが要求されています。

では、性的虐待を受けた子供が、自分を虐待した大人を訴えた場合、
犠牲者の子供は証人として加害者の大人に責めを負わせる訴えを起こしていることになります。

論争に関わる両人は、神の前に立ち、祭司と裁き人たちは問題を徹底的に調べる責任があります。

徹底的な調査により罪を確定し裁きが下されるべきです。

ものみの塔エホバの証人のインチキ指導者たちは、裁きに関する神の意向を全く理解していません。

マタイ 18:16 の「二人または三人の証人」による事実の確証について

次に、マタイ 18:16 節の要求についても文脈を見てみましょう。

マタイ 18:15-17
15 「さらに,もしあなたの兄弟が罪を犯したなら,行って,ただあなたと彼との間でその過ちを明らかにしなさい。彼があなた[の述べること]を聴くなら,あなたは自分の兄弟を得たのです。16 しかし,もし彼が聴かないなら,あなたと一緒にあと一人か二人を連れて行きなさい。一切のことが二人または三人の証人の口によって確証されるためです。17 もし彼がそれらの人たち[の述べること]を聴かないなら,会衆に話しなさい。もし会衆[の告げること]にさえ聴かないなら,その人を,あなたにとって,諸国民の者また収税人のような者としなさい。

イエスはここで、個人間の問題を扱っています。
個人間の犯罪ですから、他人は知らないでしょう。
つまり、2人の証人などいないということです。

被害者が、最初にできることは、加害者にその者の罪を明らかにすることです。
加害者が罪を認めないなら、一人か二人を伴って加害者の罪を暴露することになります。
その際伴った一人か二人は、被害者と加害者の双方の態度や言い分の証人となります。
それから、被害者は必要であれば、今や証人となった一人か二人の証人をつれて、問題を会衆に告げることになります。
会衆は2人の証人の証言も含めて事態を徹底的に調査して真相を確定する責任を負うことになります。
何もせずに、事態を放置し、その結果犠牲者が苦しむようなことは容認できません。

申命記には、訴えがなされたなら「裁き人たちは徹底的に調べなければならない。」と書かれていますし、イエスの述べた二人または三人の証人は必ずしも悪行の目撃証人ではなく、被害者と一緒に行って加害者に会い双方の言い分の証人となる人たちです。

強姦などの犯罪の目撃証人などいるはずがありません。
まして、それが子供であればなおさらです。

性犯罪の裁きについて

では、強姦犯罪、小児性愛者による犯罪は2人の目撃証人がいなければ裁けないのでしょうか。

申命記 22:23-27
23 「ある人と婚約した処女の娘がいて,[別の]男が市内でこれに出会って共に寝た場合,24 あなた方はその両人をその都市の門のところに連れ出して,これを石撃ちにしなければならない。そのふたりは死なねばならない。娘は市内にいたのに叫ばなかったため,男のほうは仲間の者の妻を辱めたためである。こうしてあなたは自分の中からよこしまな事を除き去らねばならない。
25 「しかし,男が婚約しているその娘を見つけたのが野原であり,その男が彼女をつかまえてこれと寝たのであれば,彼女と寝たその男のほうだけが死ななければならない。26 そして,その娘に対しては何も行なってはならない。その娘には死に価する罪はない。この場合は,人が仲間の者に立ち向かい,これを,すなわち魂を殺害した場合と同じだからである。27 その者が彼女を見つけたのは野であったのである。婚約していたその娘は叫んだが,これを救い出す者がいなかった。

2番目のケースのようなレイプの場合、目撃証人は存在しませんが、本人の証言と、状況証拠をもって法的な処置が講じられています。

犠牲者の被るトラウマ(trauma)や身体的なダメージは強力な状況証拠とみなせるでしょう。
徹底的な調査を行い真相を確定し双方に必要な処置を施すべき責任を回避すべきではないでしょう。

指導的な大人は神の前に重大な責任を負っています。

また世俗の権威は、邪悪な者を裁く神の奉仕者とも言われています。

ローマ 13:1-4
1 すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。2 したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。3 支配者たちは,善行にではなく,悪行にとって,恐れるべきものとなるのです。それで,あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。善を行なってゆきなさい。そうすれば,あなたはそれから称賛を受けるでしょう。4 それはあなたの益のための神の奉仕者だからです。しかし,もしあなたが悪を行なっているのであれば,恐れなさい。それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。

それで、犯罪が犯されたなら、世俗の権威に裁きを求めることを躊躇させる理由はないでしょう。
「支配者たちは、悪行にとっておそれるべきものとなる」と書かれていますし、また「神の奉仕者であり、悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。」とも言われています。

ですから、子供から性的虐待の訴えがあったなら、直ちに警察に通報すべきでしょう。
そのようにして、犯罪から子供たちを守ることを優先すべきでしょう。

ものみの塔エホバの証人の小児性愛者の不適切な扱い

ものみの塔エホバの証人の指導者たちの「わたしたちは、2人の証人が得られなければ何もできません。」的な発想は、あまりに幼稚で非現実的です。

また、子供の性的虐待が生じると、その悪事を警察に通報しないようにアドバイスしてきたために多くの犠牲者を出してきました。

Victims 'told not to report' Jehovah's Witness child abuse
ルイーズ・パーマー (Louise Palmer) は、JWの強姦者を警察に通報することは「エホバに恥辱をもたらすので、通報しないように」と長老たち(会衆の指導者たち)から告げられました。

Jehovah's Witnesses let sex offender interrogate victims
エホバの証人は性犯罪者に被害者を尋問させます




エホバの証人社会での「児童性的虐待問題の扱い」のシュミレーション

会衆内である子供に児童性的虐待が起きます。
その子の様子が変になり明るさがなくなります。
やがて、その子は助けを求めて問題を親に告げます。
または、親の方から子供の様子がおかしいので、その子に何が起きたか尋ねて問題を知ることになります。

親子は、問題の解決と助けを求めて会衆の長老に相談します。

助けの必要な子供に会衆の長老は「神の組織の恥となるので黙っていなさい」と告げて全てを終わらせます。

それでも、収まりの付かない親は警察に通報し子供を守ります。

そのような良心的な親を会衆は「証拠ナシに他の信者を訴えた」として排斥します。

エホバの証人の雇われ長老たちの良心が正常に機能しないのはなぜでしょうか。

それは、ものみの塔協会のマニュアルに従えば正しいと思い込んでいるからです。
エホバの証人たちは「ものみの塔協会」を神の代理機関と思い込み「ものみの塔」のマニュアルにより洗脳され、それを抜きにして推論できません。

「協会」依存症の彼らの良心は正常に機能しません。
「協会」を否定すれば、自分の居所がなくなるからです。

エホバの証人たちは、長老から伝道者まで、すべて「ものみの塔協会」のインチキの奴隷です。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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