Monday, July 6, 2015

信仰の質

神への信仰は、すべての人が持つわけではありません。
また信仰の質には程度があります。



テサロニケ第二 3:2
2 また,わたしたちが,害を加えようとする邪悪な人々から救い出されるようにと。信仰はすべての人が持っているわけではないのです。

ヤコブ 1:3
3 あなた方が知っているように,こうして試されるあなた方の信仰の質は忍耐を生み出すからです。

神の存在を認める人が是認されるのではありません。
なぜなら、悪霊たちもその事実を認め、神を擁護せず、神に関するあらゆる偽りの教えを広め神を嘲笑しているからです。

ヤコブ 2:19
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているです。




あなたの信仰の質は健全でしょうか

あなたは、あなたの命の源 YHWH (エホバ、ヤーウェ)神を擁護しますか。

この方はわたしたちの楽しみのためにすべての良いものを与えてくださいました。
人体のすばらしい造り、機能、美は神について何を物語りますか。
不完全で生まれているためその益を100% 受けていないにしても感謝のいわれではありませんか。

神がわたしたちに完全な命を回復なさる時それは人々にとってさらなる喜びの理由となるでしょう。

使徒 17:25
25 . . . ご自身がすべて[の人]に命と息とすべての物を与えておられる

テモテ第一 6:17-19
17 今の事物の体制で富んでいる人たちに命じなさい。高慢になることなく,また,不確かな富にではなく,わたしたちの楽しみのためにすべてのものを豊かに与えてくださる神に希望を託すように。18 そして,善を行ない,りっぱな業に富み,惜しみなく施し,進んで分け合い,19 自分のため,将来に対するりっぱな土台を安全に蓄え,こうして真の命をしっかりとらえるようにと。

神が、わたしたちの益のために惜しみなく寛大に下さるので、神の愛が分かる人は、神と同じように善良で寛大であるように励まされています。

エホバ神はご自分の最愛の独り子をわたしたちの救出のために与えてくださいました。
それは神の愛について何を物語るでしょうか。
パウロの説明によると、神は既に最も貴重なものを与えて下さったので、わたしたちの幸福に必要なものは、何でも与える用意があり、またそれを望んでおられるということです。

ローマ 8:32
32 ご自身のみ子をさえ惜しまず,わたしたちすべてのためにこれを引き渡してくださったその方が,どうしてそのご親切によって,[み子]と共にほかのすべてのものをも与えてくださらないことがあるでしょうか

そのような善良で寛大な神をあなたは擁護しますか、それともその方の基準や公正を疑いますか。
神は行動が遅いとか、神の方法は公正でないとか、聖書は単なる人間の教育書であるなどの見方にどう反応しますか。



神を批判、嘲笑するものたちについては以下の聖句があてはあります。


エゼキエル 18:25
25 「『そして,あなた方は必ず言うであろう,「エホバの道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ,どうか,聞くように。わたしの道は正しく調整されていないのか。あなた方の道が正しく調整されていないのではないか




エゼキエル18章全体は個人の責任と裁きの基準を説明しています。
それによると、親子でも、それぞれ個人個人責任を問われることが強調されています。

それは、申命記 24:16 の具体的な説明となっています。

申命記 24:6
16 「父は子供のゆえに死に処されるべきではなく,子供もまた父のゆえに死に処されるべきではない各人は自分の罪のために死に処せられる


これらの聖句は責任能力ない子供について書かれていません。
むしろ大人として犯した罪に対して責任を取れる、あるいは取らされる年齢に達している者についての基準です。「子」という表現を親の罪の影響をこうむる乳児や児童に適用するのは妥当ではありません。

「自分のまくもを刈り取る」という原則はいつでも働いています。

親の罪は明らかに胎児や生まれる子供に影響を与えます。
しかしその悪影響は、子に対する神の裁きではありません。
ダビデの姦淫の結果、姦淫の子は生きることはありませんでした。
ダビデの罪の悪影響は、姦淫の子の死をもたらしました。

サムエル第二 12:13-14
13 そこでダビデはナタンに言った,「わたしはエホバに対して罪をおかした」。するとナタンはダビデに言った,「エホバもまた,確かにあなたの罪を見逃されます。あなたは死ぬことはありません。14 それにしても,あなたはこの事によって,疑いもなく不敬な仕方でエホバを扱ったので,あなたに生まれたばかりのその子は,必ず死ぬでしょう」。

出エジプト 34:7
7 愛ある親切を幾千[代]までも保ち,とがと違犯と罪とを赦す者。しかし,処罰を免れさせることは決してせず,父のとがに対する処罰を子や孫にもたらして,三代,四代に及ぼす」。

申命記 24:6 は、上記の2つの聖句と整合を取って理解すべきです。

ここでも、悪の影響が4代まで及ぶ点は興味深い記述と思います。
ダビデの姦淫の子は望まれるものでく、その子の命は絶たれました。
その苦痛を招いたのは神ではなくダビデ本人です。

姦淫の子の死はダビデに対する処罰であり、死んだ子のに対する処罰ではありません。
それで、この姦淫の子は将来楽園の地で命を得るでしょう。
これらの不都合はすべてダビデの罪のために生じました。

ダビデの罪が招いた問題において、神の公正さや辛抱強さ、賢明な取り扱いを疑う理由はありません。
加えて神の取り扱いは表明されている基準に反していません。
むしろ、罪とその影響の重大さを銘記すべきです。
罪の悪影響は乳児を含め他の人に及びます。


では、思いを整理するために、エゼキエル18章全体を読んで下さい。

エゼキエル 18:1-32
1 そして,エホバの言葉が引き続きわたしに臨んで言った,2 「あなた方はイスラエルの土地についてこの格言的なことばを述べて,『父たちが熟していないぶどうを食べるのに,子らの歯が浮く』と言うが,これはあなた方にとってどういう意味なのか。
3 「『わたしは生きている』と,主権者なる主エホバはお告げになる,『あなた方がこの格言的なことばをイスラエルで述べることはもはやなくなる。4 見よ,すべての魂—それはわたしのものである。父の魂がそうであるように,子の魂も同様に—それらはわたしのものである。罪を犯している魂—それが死ぬのである

5 「『そして人については,それが義なる者で,公正と義を行ない,6 山の上で食べず,その目をイスラエルの家の糞像に上げず,友の妻を汚さず,不浄のときの女に近寄らず,7 だれをも虐待せず,負債に対して取った質物を返し,何も略取せず,飢えた者に自分のパンを与え,裸の者を衣で覆い,8 利息を取って与えることはせず,高利を取らず,不正から手を引き戻し,人と人の間に真の公正を行ない,9 わたしの法令によって歩みつづけ,わたしの司法上の定めを守って真実を行なおうとしたのなら,その人は義なる者である。彼は必ず生きつづける』と,主権者 なる主エホバはお告げになる。

10 「『そして,人が父となって,その子強盗で,血 を流す者であり,これらのことの一つに類することを行なった[のであれば]11 (しかし彼自身はこれらのことを何一つ行なわなかった),また,その者が山の上で食べ,友の妻を汚し,12 苦しんでいる貧しい者を虐待し,物を略取し,質物を返さず,糞像に目を上げたなら,彼は忌むべきことを行なったのである。13 彼は高利を取って[ものを]与え,利息を取った。それで,彼は決して生きつづけることはない。彼はこれらすべての忌むべきことを行なった。彼は必ず死に処 せられる。彼の血はその身に帰する

14 「『そして,見よ,人が父となったが,その[子] 自分の父の行なったすべての罪を見ているが,見ても,そのようなことを行なわない。15 山の上で食べず,目をイスラエルの家の糞像に上げず,友の妻を汚さなかった。16 だれをも虐待せず,質物を奪わず,何も略取せず,飢えた者に自分のパンを与え,裸の者を衣で覆い,17 苦しむ者から手を引き戻し,高利も利息も取らず,わたしの司法上の定めを実行し,わたしの法令によって歩んだ。彼がその父のとがのゆえに死ぬことはない。彼は必ず生きつづける。18 一方その父は,紛れもない詐取を行ない,兄弟から物を略取し,すべて良くないことをその民の中で行なったので,見よ,彼はそのとがのために必ず死ぬ。

19 「『そして,あなた方は必ず言うであろう,「父にとががあるのに,子が何も負わなくてもよいのはどうしてか」と。さて,その子については,彼は公正と義を行ない,わたしのすべての法令を守った。彼はそれを行ないつづけている。彼は必ず生きつづける。20 罪を犯している魂—それが死ぬのである

子が父のとがのゆえに何かを負うことはなく,父が子のとがのゆえに何かを負うこともない。義なる者の義はその人自身に帰し,邪悪な者の邪悪はその人自身に帰する

21 「『さて,邪悪な者については彼が自分の犯したすべての罪から立ち返り,実際にわたしのすべての法令を守り,公正と義を行なうのであれば,彼は必ず生きつづける。彼は死なない。22 彼の犯したすべての違犯—それが彼を責めるために思い出されることはない。彼は自分の行なったその義のために生きつづけるのである』。

23 「『一体,わたしは邪悪な者の死を喜ぶだろうか』と,主権者なる主エホバはお告げになる,『[わたしは]彼がその道から立ち返り,実際に生きつづけることを[喜ぶ]のではないか』。

24 「『さて,義なる者がその義を離れて, 実際に不正を行なうとき,すなわち彼が邪悪な者の行なったすべての忌むべきことにしたがって事を行ない,そして生きている[とき],彼の行なったそのすべ ての義なる行為は何一つ思い出されることはない。自分の犯した不忠実と自分の犯した罪とのために,そのために彼は死ぬであろう。

25 「『そして,あなた方は必ず言うであろう,「エホバの道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ,どうか,聞くように。わたしの道は正しく調整されていないのか。あなた方の道が正しく調整されていないのではないか

26 「『義なる者がその義を離れて,実際に不正を行ない,それゆえに死ぬとき,彼は自分の行なった不正のために死ぬのである。
27 「『また,邪悪な者が自分の犯した邪悪から立ち返り,公正と義を行なうようになるなら,彼は自分の魂を生き長らえさせる者となる。28 彼は見て,自分の行なったすべての違犯から立ち返るとき,必ず生きつづける。彼は死なない。

29 「『そして,イスラエルの家は必ず言うであろう,「エホバの道は正しく調整されていない」と。イスラエルの家よ,わたしの道,それは正しく調整されていないだろうか。正しく調整されていないのは,あなた方の道ではないか』。

30 「『それゆえ,イスラエルの家よ,わたしはあなた方を各々その道にしたがって裁くであろう』と,主権者なる主エホバはお告げになる。『立ち返れ。あなた方のすべての違犯から[自分を]立ち返らせよ。何物もあなた方にとがを生じさせるつまずきのもととなってはならない。31 あなた方の犯したすべての違犯を自分の身から振り捨て,自分のために新しい心と新しい霊を造れ。イスラエルの家よ,どうしてあなた方は死んでよいだろうか』。

32 「『わたしは死んでゆく者の死を少しも喜ばないからである』と,主権者なる主エホバはお告げになる。『それゆえ,あなた方は[自分を]立ち返らせて,生きつづけよ』」。



ここで扱われている基準は、責任能力のある人に対するもので、各自は自分の行為の責任を取らされ、それに応じた処罰を受けることが強調されています。親の罪や処罰の影響を受ける乳児について述べているのではありません。



あなたは信仰の質は、神の道を擁護しますか、 それとも古代の神の民イスラエルよのうに「神の道は正しく調整されていない」と言いつづけるでしょうか。

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