本物シナイ山はアラビアにあります。
多くの人は、エジプトの奴隷状態から開放されたイスラエル人たちがモーセにより律法契約に入ったシナイ山がシナイ半島の南端の山だと思い込んでいます。シナイ半島に位置する伝統的なシナイ山は、コンスタンチヌスの母親が、幻で見た山で、それをシナイ山と宣言して、それが今日まで受け継がれてきています。
しかし、シナイ半島にあるこの山は、聖書の描写に合っているでしょうか。
そもそも、シナイ半島はエジプトの支配下にあり、エジプト人はたちは容易に陸路でイスラエル人たちを追跡することが可能でした。
聖書の記録から、シナイ山の正確な位置を見定めてみましょう。
使徒パウロは、シナイ山がアラビアにあると述べています。
ガラテア 4:25
25 そこで,このハガルは,アラビアにある山シナイを表わし,今日のエルサレムに当たります。彼女は自分の子供たちと共に奴隷の身分にあるからです。
聖書は、シナイ山は、モーセが羊飼いをしていたミデアンの地にあるとしています。ミデアンは、シナイ半島ではなく北アラビアに位置していました。
羊飼いのモーセが、ミデアンの地から海を隔てて遠く離れた、シナイ半島の奥まで羊の放牧のために、羊と伴に歩いて旅をすることなど、あり得ないことです。
出エジプト記 2:15
15 後にファラオはその事について聞き及び,モーセを殺そうと図った。しかしモーセはファラオのもとから逃げて行き,ミディアンの地に住もうとした。そして彼はある井戸のそばに腰を下ろした。
出エジプト記 3:1、12
1 さてモーセは,ミディアンの祭司であるエテロの羊の群れの牧者となった。彼はその娘婿であった。荒野の西側に群れを追っているうち,彼はついに[まことの]神の山,ホレブに来た。
12 するとこう言われた。「わたしがあなたと共にいるからである。そして,わたしがあなたを遣わしたという,あなたのためのしるしはこれである。すなわち,あなたが民をエジプトから導き出した後,あなた方はこの山で[まことの]神に仕えるであろう」。
本物のシナイ山は、紅海(スエズ湾の方ではなく、アカバ湾の方)に面するアラビア半島のミデアンの地にある ジャベル・アル・ロー (Jebel el Lawz) です。現地のベドウィン族は、その山を「モーセの山」と呼んでいます。
その山は、周辺の山より高く(2575m)、その頂きは黒く焼けていて聖書の描写に適合しています。
その山の頂は、花崗岩が焼けて黒くこげています。
出エジプト 19:18
18 するとシナイ山はその全山が煙った。エホバが火のうちにあってそこに下って来られたためである。その煙は窯の煙のように立ち上り,山全体が激しく震動した。
申命記 4:11-12
11 「それであなた方は近くに来て,山のふもとに立った。すると,山は燃えており,火は中天に達していた。闇と,雲と,濃い暗闇とがあった。 12 そしてエホバは火の中からあなた方に話しはじめられた。あなた方は言葉の響きを聞いていたのであり,何の形も見てはいなかった。ただ声だけであった。
出エジプト 24:17
17 そして,イスラエルの子らの目に,エホバの栄光は山頂にあってむさぼり食う火のように見えた。
聖書の記録を裏付ける遺跡
その山のふもとに、石を積み上げたアロンの金の牛の祭壇とみられる祭壇があります。 その祭壇にはエジプトの牛のぺトラグラフが描かれてあります。出エジプト 32:4-5
4 そこで彼は人々の手から[その金]を受け取り,それを彫り道具で形造って子牛の鋳物の像に仕上げた。すると彼らは言いだした,「イスラエルよ,これがあなたをエジプトの地から導き上ったあなたの神だ」。 5 アロンはこれを見て,その前に祭壇を築きはじめた。最後にアロンは呼ばわって言った,「明日,エホバへの祭りがある」。
山の周囲には、民が宿営した際の、いくつもの遺跡が見出されています。
サウジアラビア政府は、その山全体をフェンスで囲いガードハウスを設け24時間監視しています。
牛の祭壇、12の円柱、木の境界標識、幕屋と祭壇、その他聖書の遺跡はフェンスの中にあり近づけません。
山の麓の境界標(木の支柱) (出エジプト 19:12, 21-23)
イスラエル12部族の12本の円柱 (出エジプト 24:4)
上記の遺跡はシナイ山(ジャベル・アル・ロー)の東側(山の正面側)に見られます。そこに300万人を超す群集と家畜が約2年近く宿営しました。
シナイ山の西側(山の裏側、アカバ湾側)には、レフィディムにおいて、モーセが杖で打って水が出た岩があります。
出エジプト 17:1, 6
1 その後イスラエルの子らの全集会はシンの荒野を出発して,一行程ずつ[進んで行った]。それはエホバの命令にしたがって進んだものである。こうして彼らはレフィディムに宿営することになった。ところが,そこには民の飲む水がなかった。
6 見よ,わたしはそこの,ホレブの岩の上であなたの前に立つ。そしてあなたはその岩を必ず打つように。すると水がそこから出て,民はそれを飲むことになる」。その後モーセはイスラエルの年長者たちの見るところでそのとおりに行なった。
イスラエル人とエジプト人の入り混じった300万人を超える群集が渡った紅海は、シナイ半島の西側のスエズ湾ではなく、シナイ半島の東側のアカバ湾 (Gulf of Aquaba)です。
アカバ湾の対岸は、アラビア半島で、そこにシナイ山(ジャベル・アル・ロー、モーセの山)があります。
シナイ半島側のヌエバビーチ(ピハヒロト)で、300万人を超す群集と家畜の前は紅海、後ろは迫り来るファラオの馬と兵車と騎兵部隊という窮地が生じました。
出エジプト 14:1-4
1 次いでエホバはモーセに話してこう言われた。2 「イスラエルの子らに話しなさい。引き返して,ミグドルと海との間,バアル・ツェフォンを望むピハヒロトの手前に宿営を張るように,と。その正面,海のほとりにあなた方は宿営を張る。3 その時ファラオはイスラエルの子らに関して必ずこう言うであろう。『彼らはあの地でまごついている。荒野が彼らを封じ込めた』と。4 こうしてわたしはファラオの心をまさにかたくなにならせる。彼は必ずその跡を追い,わたしはファラオとそのすべての軍勢とによって自らに栄光を得るのである。エジプト人は,わたしがエホバであることを必ず知るであろう」。そこで彼らはそのとおりに行なった。
エホバ神は紅海を分けて、イスラエルの群集をアラビア半島側へ救出なさいました。
それで、この劇的な奇跡の起こったこの場所には、その遺跡(遺物)の発見が期待されます。
このヌエバビーチと対岸のアラビア半島のビーチには、ソロモン王が建立したされる記念の柱が存在しています。
その柱には、
エジプト (Mizraim)
ファラオ (Pharaoh)
モーセ (Moses)
ソロモン (Solomon)
イスラエル(Israel)
エホバ (Yahaweh)
の文字を確認できます。
さらに、ヌエバビーチから対岸のアラビア半島までの海底は、アカバ湾でここの部分だけが盛り上がって、砂地の海底街道のようになっています。そしてその海底に、多くのエジプトの戦車の部品(珊瑚に覆われた車輪、車軸、スポーク)や馬の骨やひづめが散在しています。
Exodus of Moses at Red Sea
The Real Mount Sinai :: Part 3 of 6
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本当のシナイ山
出エジプトからシナイ山までのルート(英語)
ジャベル・アル・ロー(英語)
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