炭素14による年代測定について
C14の自然崩壊時間を用いた時間計測システムです。この方法には前提があります。
- 大気中のC14濃度が生物の体内におけるC14濃度と同じである。
- 現在の大気中のC14濃度を基準に用いて、木の年輪から分かる絶対年代と比較し相関グラフ化して過去の大気中のC14濃度を予測する。
- C14の半減期は5730年である。それで精度はC14濃度1/2で5730年前のもの、1/4で11460年前のものと判断する。C14の半減期が短い ため10万年、100万年のような時間計測はできない。(長い時間を計測するためには、半減期のもっと長い放射性元素または他の方法が用いられます。)
- 上記の制限からC14による年代測定は濃度1/8(17190年)以下の測定で用いるのが実際的といえます。それ以上になるとC14残留濃度割合が低くなるにつれて、その精度は低下してゆきます。結果は誤差が拡大していくということです。
大気中のC14濃度に与えたノアの洪水の影響は、主に水の天蓋の存在からよく説明されています。
大気中のC14は崩壊してN14(窒素14)になります。一方大気中の宇宙線量(太陽からの電磁波)が増えると、N14は太陽からの電磁波によりエネルギーを得てC14に戻ります。太陽からの電磁波を遮断する水の天蓋や他の未知の要素の存在から当時の大気中のC14濃度は低かったとみなされています。
➡ 宇宙のインチキについてはフラットアースの記事をお読みください。
C14による年代計測は人類史の範囲であり、それ以上昔の地球に関する年代決定には使用できません。
C14の半減期は5730年で、
1/8くらいの残量で 5730 × 3 = 17190年くらいまでの時間の測定に用いられます。
炭素14は有史の年代測定で活用できます。
絶対確実な年代測定方法は木の年輪を数えることです。
科学者は木の年輪による絶対年齢とC14による年代で相関グラフをつくり、過去の大気中のC14の濃度を予測しています。
放射性炭素14法の限界
それでは放射性炭素14の限界について見てみましょう。この方法が使われるのは主に遺跡の年代測定で、古代の年代測定には必ずといっていいほど登場します。具体的には、土器などに含まれる有機物の炭素14を測定して、その土器の作られた時代を特定しています。
その成果はことに日本の考古学で目ざましいもので、これまで紀元前1000年くらいと考えられてきた縄文時代が、それよりも遥かに昔から続いていたことが明らかになってきました。長野県石小屋洞窟遺跡や、神奈川県夏島貝塚から発掘された縄文式土器を炭素 14法で測定したところ、なんと1万2000年前という数字が出ました。更に東京の鈴木遺跡から発掘された磨製石斧は、もっと古い2万5000年前という数字が出ています。
これはエジプト文明やメソポタミア文明、インダス文明そして中国文明といった4大文明の発祥よりも古いものです。しかしちょっと様子がおかしいことに、当の考古学者が、それほど躍起になってはいないのです。
彼らは、古いことは認めるがそのまま信じることはできかねない、というより、本心では全くといっていいほど信じていないようです。なぜなら彼ら事体が、放射性炭素14法そのものに疑問を持っているからです。
これは日本の考古学者に限ったことではなく、海外においては、もっと信用度が低いと見られています。なぜなら、はじき出された数字が明らかにおかしい場合が多々あるからです。
例を挙げると、ある研究機関が現在生きている海のカキの殻を、試しに炭素14法で測定したところ、驚くべきことに2600年前という数字が出てしまいました。さっきまで生きていた生物の体が2600年前のわけはありません。
同様の結果はドイツでもありました。ドイツの高速道路であるアウトバーン沿いの生きている樹木を炭素14法で測定したところ、数千年前と出ました。これらは極端な例ですが、最近の精度はかなり高くなっているようです。
ですが、それでも毎年のように算出方法は修正され続けていると聞いています。なぜこのようなとんでもない年代が出てしまうのでしょうか?
では、具体的に放射性炭素14法の手順を見てみましょう。
まず始めに対象物を実験用のガスバーナーで、対象となる物体の中から不純物を取り除いてクリーニングを行ないます。その後ガイガー計数管に入れて、炭素14が放つ放物線を測定して、その値によって比率を計算し、方程式に則って最終的な年代を出します。当たり前のことですが、放射性炭素14法は対象物に炭素14が含まれていなければ使えません。ということは、
有機物を全く含まない金属や石そのものは、直接的に年代は測定できません。
有史以前の時の算定は、半減期が125億年のカリウム-アルゴン法、やその他の方法で行われています。
また有史前の時の設定は、進化論を前提に決められています。
進化論は生命の誕生、発展のメカニズムの説明ではなく、外見を無意味な膨大な時間で結ぶ心理トリックです。
このビデオ(1h30)で進化論者のワンパターン解説を聞くことができます。
映像は魅力的です。
最初から最後まで、膨大な時間が生き物を環境に適応させ進化させてきたというワンパターン解説をしています。
何十億年の後に突然新たな生き物が現れて来ます。
何十億年もかけてなされる小さな変化の蓄積が新たな生命、種を生み出すという考えは、説明責任のすり替えであり、心理的なトリックです。
小さな変化が蓄積してどのように無機物を生命体に変えられるのか、またどのように遺伝子の壁を越えて新種に変化できるのかの説明はありません。
また、小さな変化の蓄積で生命を作ったり、ある生き物から別の生き物へ変化させることに、いまだかって成功したことがないのに、知性による制御された力の働きなしでは生じ得ない変化の原動力を目のくらむような膨大な時間にすり替えて、それが起きたとの主張を繰り返しています。
このような説明は変化のプロセスの論理的な説明ではなく希望的観測の表明に過ぎません。
事実遺伝子工学は、人為的な遺伝子操作をしない限り種の壁を越えられないことを教えています。
遺伝子の組み合わせによる変化に限界があることが分かっています。
そうであれば、ある生物が別の種類の生き物に進化することはできません。
自然の摂理のとおり、豚は豚であり、豚がその気になってもライオンにはなれません。何百億年経っても無理です。
マタイ 7:16
16 . . . いばらからぶどうを,あざみからいちじくを集めることなどないではありませんか。
ルカ 6:44
44 木はそれぞれその実によって知られるからです。たとえば,人はいばらからいちじくを集めず,また,いばらの茂みからぶどうを切り取ることもありません。
ヤコブ 3:12
12 わたしの兄弟たち,いちじくの木がオリーブを,ぶどうの木がいちじくを生じさせることはできないではありませんか。
知性により制御された力の働きがない限り、無限の多様性をもつ地球のような惑星、およびその中の多様な生き物は存在しえません。
自然界の背後にある、認知可能な知性は、全てのものをその知恵によって創られた神のものです。
また、生物の多様性は、「その種類にしたがって」という神の定めた限界内で生じます。
創世記 1:11-12, 20-21, 24-25
11 次いで神は言われた,「地は草を,種を結ぶ草木を,種が中にある果実をその種類にしたがって産する果実の木を,地の上に生え出させるように」。するとそのようになった。12 そして地は草を,その種類にしたがって種を結ぶ草木と果実を産する木,その種類にしたがって種が中にあるものを出すようになった。それから神は[それを]良いとご覧になった。
20 次いで神は言われた,「水は生きた魂の群れを群がり出させ,飛ぶ生き物が地の上を,天の大空の表を飛ぶように」。21 そうして神は大きな海の巨獣と動き回るあらゆる生きた魂,すなわち水がその種類にしたがって群がり出させるもの,また翼のあるあらゆる飛ぶ生き物をその種類にしたがって創造してゆかれた。そして神は[それを]良いとご覧になった。
24 次いで神は言われた,「地は生きた魂をその種類にしたがい,家畜と動く生き物と地の野獣をその種類にしたがって出すように」。するとそのようになった。25 そして神は,地の野獣をその種類にしたがい,家畜をその種類にしたがい,地面のあらゆる動く生き物をその種類にしたがって造ってゆかれた。そして神は[それを]良いとご覧になった。
神のことばの真理は論理的で自己矛盾はなく観察される事実と調和しています。また、それはいつでも再現できます。
進化論は外面の類似性から発展させた実質のないトリックです。
ですから、再現できません。
再現による証明が不能なので、その必要がないように、それは何百億年かけてそうなったと言います。
何百億年生きてどうなるか観察できる人などいません。
そのようにして説明責任を逃れています。
聖書から分かる人類の有史、つまりアダムの創造から今日までは、はおよそ6000年程度です。
ものみの塔協会の勝手な年代解釈
「も塔」によると創造の1日の長さが7000年とされています。現在は創造の第7日が6000年ほど経った時点となります。
そうすると、6 × 7000 + 6000 = 48000
ということで、地球の歴史が48000年となります。
この4万8000年はいろいろな見地でおかしいでしょう。
「も塔」もそれが分かっているので、面白い説明を加えています。
この4万8000年は、神が地球の環境を人が住めるように整え始めたときからカウントするもので、その前に太陽系、地球には長い期間が存在していた言っています。創世記の1章の2節まではその「長が~い時」を表していると述べています。(sk 苦しそうですね。)
創世記 1:1-2
1 初めに神は天と地を創造された。
2 さて,地は形がなく,荒漠としていて,闇が水の深みの表にあった。そして,神の活動する力が水の表を行きめぐっていた。
創造の1日の長さを7000年と決めて歴史を説明しようとするので、多くの矛盾を作り出し人々を混乱させています。
1975年のハルマゲドン騒ぎも、その年がアダムの創造から6000年目であり、その後キリストの1000年統治が始まり、人類の創造の第7番目の7000年が祝福のうちに完了するという教えで世界中が騙され(sk 私もその一人)「も塔」宗教商売が繁盛しました。シュネールソン一味 がほくそ笑んだに違いない。
2 件のコメント:
June 25, 2015 at 4:04 AM のコメントの誤字、脱字の修正版です。
世界中に見られる森林全体が化石化した地域、木立が直立のまま石化している森林、シベリア地方の無数の瞬間冷凍生物の遺体、また極地方が温暖であった証拠、各地の地層中に見られる化石の記録、また中国、ギリシャ、アメリカ、その他各地の渓谷の存在などからすると氷層学者の説明は説得力に欠きます。
氷層学からのみ過去を見るのではなくもっと広く調べるべきと思います。
また通常と異なる氷層の出来方がある可能性を否定はできないと思います。
地球規模の大洪水が及ぼす影響を正確に理解している人はいないでしょう。
洪水の水は海水の塩分濃度を薄くし、洪水の水流による地域的な濃度格差が生じた可能性は否定できないと思います。
また、6000年以上の年輪のある木については、
植物が水の中で1年ほど生きられる可能性も否定できないと思います。
さらに、有袋類などの特定の生き物が特定の地域に住んでいる事実は、箱舟を出たそれらの生き物が陸路で各地は渡ったと見ることができます。
洪水直後は海底は今ほど深くなく、高い山脈はなかったとみなせます。
証拠としては、最近世界各地で発見されている海底遺跡です。それらの海底遺跡は、かって海底が浅かったことを物語っています。
沖縄の与那国海底遺跡もその証拠のひとつです。
この遺跡は世界から注目されていて多くの学者が調査に来ています。
洪水は神がもたらしました、そうであれば、その後始末も神が見届けるでしょう。
ノアの洪水の後、洪水をもたらした神がその後の生態系に無関心で何の関与もしなかったと思う方がどうかしています。
自然界を見ても、そこに神の知恵や働きが見えない無神論者は、神が洪水後の生態系を導いたことなど考えが及ばないだろうなぁ~。
神は、特定の生き物が保護されるように動物たちを特定の場所に導くことができないとは言えません。
動物たちの渡りの仕組みを作られた方にとってそのくらいお茶の子さいさいでしょう。
大洪水という一大イベントの始まりからその後始末まで神は責任を持って物事を成し遂げられたと考える方が自然です。
ここまでは、無神論者向け、
ここからは、聖書を信じている人向け。
イエスキリストや使徒たちは、ノアの洪水をどう見ていましたか。
ある人たちのように寓話と見ていましたか。
マタイ 24:37-39
37 人の子の到来はちょうどノアの日のようだからです。38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の到来[の時]もそのようになるのです。
ペテロ第二 2:4-5
4 まさに神が,罪をおかしたみ使いたちを罰することを差し控えず,彼らをタルタロスに投げ込んで,裁きのために留め置かれた者として濃密な闇の坑に引き渡されたのであれば,5 また,古代の世を罰することを差し控えず,不敬虔な人々の世に大洪水をもたらした時に義の伝道者ノアをほかの七人と共に安全に守られた[のであれば],
ペテロ第二 3:5-7
5 それは,彼らの望みのままに,このことが見過ごされているからです。つまり,神の言葉によって,昔から天があり,地は水の中から,そして水の中に引き締まったかたちで立っていました。6 そして,それによってその時の世は,大洪水に覆われた時に滅びを被ったのです。7 しかし,その同じみ言葉によって,今ある天と地は火のために蓄え置かれており,不敬虔な人々の裁きと滅びの日まで留め置かれているのです。
ノアの洪水は寓話ではありません、それはキリストの到来が寓話でないのと同じです。
クリスチャンは、サタンの世に終わりをもたらすキリストの到来を待ち望んでいます。
ノアが600歳の時洪水が起きたと記述されていますが、地球の6000年の時に炎の洪水が起きることの暗示になっています。しかし再臨の日時はイエスすら知らないと述べているので、それはヤフワ神のみが把握されていることだと思います。なぜ日時が分からないのかは早めるとあるからなのか一年単位でのずれは無いとはいえ、日時的なずれとタイミングは神だけが決めているからだと思います。神の御子イエスが六千年目を知らないなんてありえません。イエスですら知らないのは日時ですね。
1975年が6千年期になるとなぜものみの塔が考えていたのかわかりませんけど、聖書に記述されてる年代と系図を計算すればエルサレム再建命令から69周年目がぴったり4000年目になります一年のズレもなく。知人が資料を作成してくれましてツイッターで拡散されてます。海外に向けても拡散してるところです。皆さんもばら撒いてください。40年の荒野生活とか4日目に過ぎ越しの羊を屠って食べるとか神殿の長さが全部足して4000何とかやら、旧約時代に裁き人や預言者が登場するタイミングに4が絡んでいるのは偶然ではないでしょう。
それでイエス・キリストの再臨は四千年からぴったり二千年後の時になります。千年王国終了派の好む西暦に加算されてるファントムタイム説が嘘なら数年で終わりになります。イエスがキリストになった時から二千年後に来るって長過ぎて嘘つけと普通は思うのでしょうが、ノアの洪水はアダムの創造の時から約2千年後手前に起きましたし、アダムなんか子孫に救世主が誕生すると見越してカインとか名付けて期待してたけどまさかの殺人鬼になってしまいイエスの到来まで四千年ぴったり経過しました。
ですから遅いくてまるでもう来ないように感じられるかもしれませんが、やはり六千年の計画を知らぬ者等にとっては盗人のようにその日が訪れることになると思います。我々が聖書にある計画を神の視点で認識するならその年に向けて回心して備えることができます。仕事を辞めろとかカルトみたいなことは言わなくていいでしょうけど、不敬虔な生活はやはり改めるべき段階に来てることは明らかと思います。
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