JWの「輸血」に関する決定は、個人の良心的な選択の領域を逸脱しています。
それは、宗教組織による制裁という背景を伴っています。
組織が個人の決定を支配している現状
隠れんぼさんのコメント
通りすがりの信者Aさんの提示してくださった 京都民医連中央病院の「倫理委員会」についての内容を読ませて頂きました。大変参考になりました。
特に最後の「第三十六回 倫理委員会 議事録」では
「エホバの証人の医療機関連絡委員会京都委員会」の豊福氏がオブザーバーで入ってきて話をしていますが
「事前資料①-E「エホバの証人への無輸血治療-倫理的・医学的・法的考察」のP4に~」から始まる論文内容について著者を
「いえ、海老名の医療機関情報デスクの者です。」 とハッキリ明言されており、私も論文ネットで確認しましたが著者3人とも全員エホバの証人の医療機関情報デスクの方ですね。 それじゃあ組織側にとって良好なデータになるに決まってますよね。
また各種医療に関しても 「私どもは医療の専門家ではないので全く分かりません」
「私どもは医学の専門家じゃございませんので、その部分については全く分からない。」
と発言されているのにも驚きを隠せませんでした。
まあこういった部分はごまかすだろうと思っていましたがここまで予想以上に酷いものだとは思ってもいませんでしたので・・・。
「医療関係者と信者である患者との間で、より良い信頼関係を築くための架け橋」と言う名の「医療機関連絡委員会」がこれでは・・・。
また輸血を行った証人の方に対しての組織や会衆側からの処置に関して質問されても
>「受け入れる側の問題というよりも、まず本人の良心がものすごく痛むのではないかなと考えるのです。」
>「神の命令に背いた思いが強くて、戻ってくるのがなかなか難しいのかも知れないという気がします。」
と言っており、組織の排斥制度について全く触れていないというのも面白い部分ではありました。
私達も習った通りの神権的戦術ではありますが、こういうのらりくらりとかわして「会衆側が」本人にどのような措置をとるのかと言う話題から見事にそらしていますね。
ハッキリ言えば良いのにと思いますが、さすがに会衆の全成員から無視されるという「愛ある」処分を受けながらも毎回の集会に出席して暫くの期間(長老達から見て本人が悔い改めたかどうかという気分的に霊的な証を見た)後にようやく会衆に復帰することが出来るシステムですなんて言えませんもんねw
現役の方が見たらなぜそこをハッキリ言わないんだ!とも思ってしまうところでしょうが。
全血輸血や自己血輸血以外の輸血(血液分画等)に関しては、神の愛にも「クリスチャンは自ら決定しなければなりません。」という「個人の良心」で決定すべき内容であり、組織ではなく個人と神との祈りと信仰で決めなさいというようなあやふやな言葉で示されていますし。
「組織」が言うからダメなのか、「神」が言うからダメなのかという事をハッキリ教えられてない信者の方が殆どだと思います。
私がこの輸血問題で一番恐ろしいと考えるのは、「組織」が輸血も新しい光が増し加わると言う名の色々な理由を付けて良心の自由で大丈夫だと言ってしまえばそれまで「神が聖書に書いてあるから」輸血を拒否していたはずの多くの兄弟姉妹たちが、 「組織」の述べる理由に納得したから(もちろん多くの葛藤はあるでしょうが)輸血も良心の自由に沿って可否を決めようと急に考えが変わってしまうであろうことが、これまでの14万4千人や終わりの日の解釈変更や選挙についての良心の自由についての変更を受け入れていった兄弟姉妹の多さを考えると容易に想像できる事です。
そこには「組織」の納得のいく教えはあるかもしれませんが、「聖書」の内容を信仰していたはずのそれまでのクリスチャン兄弟姉妹はどこにいったのか疑問でなりません。
だって、それまでは輸血したって事を公言した兄弟姉妹をみんなして「排斥者」扱いしてた兄弟姉妹が、輸血が良心の自由で大丈夫だと発表あったら、急に輸血したって人が兄弟姉妹にいても「まぁ、兄弟姉妹の良心の決定だからね。神と個人の関係だから。」なんて「実に寛容な」姿勢に変わるんですよ。
組織が言うから大丈夫もしくはダメなのか、聖書または神が言うから大丈夫もしくはダメなのかは大きな違いであると思うのですがここに疑問を挟まず、海老名支部はもとより特権者の兄弟達に意見しないのがエホバの証人社会の中で平穏に生き残る方法ではあるんですがね。
隠れんぼさん、
医療倫理委員会の記事の解説ありがとうございます。
ものみの塔インチキ「神の代理店」の「半面事実作戦」をはっきり暴いていただきありがとうございます。
会衆からの排斥、戒め、特権の削除の銃口を背中から突きつけられて「従え」との圧力の下で、血に関する気まぐれな方針に従っているJWの様子が良く表現されていました。
JWの「輸血」に関する決定は、個人の良心的な選択の領域を逸脱しています。
それは、宗教組織による制裁という背景を伴っています。
そこが、問題の核心です。
個人の選択の問題として、おもに2つの理由が考えられます。
1) 宗教上の理由(宗教組織の教義ではなく聖書による個人の信仰)
2) 医療上のリスク(輸血の危険を十分意識し認識している)
医療関係者は、以上の2つの理由を考慮する必要があります。
この問題における「ものみの塔協会」の関わりは、組織が個人に代わり決定を支配している点です。
この点は、ものみの塔の「半面事実作戦」よって隠されていますが、次第に明らかになりつつありますね。
間違いのもと
ものみの塔協会は神の代理店という教え。天皇は現人神(あらひとがみ)という教えと同じですね。
このインチキのために絶対服従が要求され、違反者に組織的な制裁が準備されています。
排斥、降格、立場の削除は、統制のための「ものみの塔」の処罰といえます。
しかし、それらの「も塔」の処遇は神の裁きと何の関係もありません。
これで、みんなが「ものみの塔」のインチキを知るようになったと思います。
ついでに、医療産業と医療制度のインチキも知るようになったと思います。
宗教組織も、医療組織も、その他の組織(人間の集団)は全て偽りの父の管理下にありますので、その偽善に欺かれないようにしてください。
ヨハネ第一 5:19
19 [また,]わたしたちが神から出ており,全世界が邪悪な者[の配下]にあることを知っています。
日本の医学会はすべて陸軍731部隊のパリサイ人たちの天下り先であり、未だにその強力な権威主義の下にあります。
興味のある方はネットで731部隊について調査してみてください。
驚愕の真実を知ることになるでしょう。
医療機関連絡委員会の方の発言内容
ヤコブ 4:11-1211 兄弟たち,互いのことを悪く言うのはやめなさい。兄弟のことを悪く言ったり,自分の兄弟を裁いたりする人は,律法を悪く言い,律法を裁いているのです。そして,律法を裁くのであれば,あなたは律法を行なう者ではなく,裁き人です。12 立法者また裁き主である方はひとり,それは救うことも滅ぼすこともできる方です。しかし,[自分の]隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか。
ものみの塔協会の天才バカボンたち、組織崇拝マイコンロボットたちは、ものみの塔のインチキを見破って警告を発している兄弟たちを背教者とみなし(裁き)、彼らの忠告や説明に一切耳を傾けず、拒絶的ですね。
彼らに対して、「隣人を裁くあなたは,いったいだれなのですか。」が当てはまります。
隠れんぼさんのコメント
参考に出てきた医療機関連絡委員会の方の発言内容が予想以上に杓子定規の内容だった上に医療理解もあまりにも酷かったものですから書かせていただきました。
・「医療機関連絡委員会」とは、おっしゃられるとおり医学知識の有無に程度はあれ(というかホントに殆ど無い)、「ボランティア」の兄弟によって構成されている組織ですから仕方の無いことですね。
しかし緊急時にはそのような「ボランティア」の兄弟に頼らざるを得ないエホバの証人が大勢いるというのが本当に残念な現状です。
協会はそのボランティアの兄弟が「・・・輸血に代わる有効な手段があるという事実を病院職員に知らせます。また,緊急事態が生じると,初期医療に当たる医師と,エホバの証人に関して無血で同様の症例を扱ったことのある外科医が協議できる場を設けるようにして,援助を行ないます。」と言っています…(勘弁して欲しいです)
・ヘモグロビン値についてですが、誤解される方もいると思いますので補足しておきます。
(全血輸血も含む輸血を前提として)Hb値は輸血の目安として使われてきた判断材料の一つであることは間違いありません。
しかし、あくまでも一つであり一番重要なのは手術が必要となってくる「患者」と「症例」によってかなり変わってきます。
また血圧に対しても「輸液でなんとかなる」、というのも一時的効果であって術中・術後の経過を観察していくうえで「血液の成分」の大切さを軽んじられる点があるようで危ぶまれます。
血圧を維持するのと、生命を維持するために血液成分が必要なのは別ものです。
緊急時に、それこそ生理食塩液で一時的に血圧等の低下を防ぐことは出来てもその後すぐにでも血液成分等の回復措置が求められます。
また、どの医療ジャーナルをお読みになったのかは分かりませんが、無輸血手術で後遺症が無い時もあるでしょうが、全てのオペで全くないということはありえません。
これは輸血をしてもしなくても同じことです。
当然ながら同じ理由で無輸血手術において死亡報告ゼロなどと言うのは見聞したことがありません。あればとっくに危険を伴う輸血はどこの病院もしていないでしょう。
※出来ましたらどの学会で報告されているものなのか教えて頂けますでしょうか。ASH学会等大雑把でもかまいません;目ざめよや他の冊子の掲載記事号でも大丈夫です。
カレブさんが書いてある記事と重複して申し訳ないのですが勘違いしないで頂きたい部分として、輸血=危険というわけではなく、手術=危険であり、手術が必要な状態になっている時点でかなり危険な状況なのです。
その為に必要な措置の一つとして輸血があり、他の強心剤も薬剤もすべて等しく危険を伴うものです。(もちろん手術する=輸血しなければならない ということもありません)
無輸血手術に関しまして、当然できたらそのようにしたいというのが現場の本音でしょう。
輸血は感染症の危険性もはらんでおり、緊急時にすぐ対応出来るかどうかも関わってきます。
しかし、だからといって無輸血であることが安全などと思うのはかなり極端な発想です。
あらかじめ万全の準備していたとしてもオペ中に何が起こるのかはオペをするまでわかりません。
大量出血する事態を常に想定して置かなければなりません。
他の代用製剤は副作用の懸念が大きいものや、そうでなくても体質によってはアレルギー反応を起こすため使えない人もいます。
そのため、非常事態を想定し、輸血の準備を行っていなければ医療過誤があると言われても仕方ありません。Hb値等は一つの指標であり絶対ではない事は間違いありませんので術式の最中に「Hb値が下がったから輸血しよう」という事は現在の医療現場で普通は考えられません。
もしそんな簡単に輸血するような医療従事者が今もいるのならばそちらもかなり極端な発想の医者(?)と言えるでしょう。
患者の症状と様態を踏まえて、HbまたはHt各値がどの程度降下しているかを総合的に観察した結果輸血しなければいけないかどうか判断する必要が出て来ます。
輸血しなくても助かる見込みが高い場合もありますが、しなければ助からない見込みが高い場合も確実に存在するのです。
突発的な事故・災害などの緊急現場で、個人の「良心」に委ねられている血液製剤・代用剤を入手出来ない場合や、大量出血の場合はもちろんのこと、エホバの証人と言われる「ものみの塔」を信仰している人々は世界中におり、我々の甘受している先進的な医療を受けることができない貧しい地域にも大勢いることを忘れないで下さい。
なお「輸血」解禁が不可能というのは「全血輸血」が現在の医療制度が整っているところでは一般的ではなく、血液製剤や血液代用剤等も利用した「部分輸血」が現場で一般的に普及しているためだと思います。
協会側が「部分輸血」に関しては「血液分画」というおおざっぱな分け方で分類してくれたおかげ(?)で受け入れられる「血液製剤」の幅が大きくなっており「個人の良心」に沿って決められるようにしているため、現在の先進国で、一般的に安全に進められる前提の症例に対する手術に関しては、輸血の問題は殆どクリアしているといえます。
つまり先進国の医療では全血輸血が必要な症例や重篤な場合を除き、実質「輸血」解禁はほぼされかけているのが現状だと思います。
分画したとはいっても結局血は血なのは変わりないのですが、ものみの塔側が個人の良心に委ねていると書いてある以上、「部分輸血」を受け入れて長生きすることも自由なかわりに「部分輸血」も拒否した事が原因で死亡したとしてもそれは本人の信仰と良心の選択の問題と言えるようになっています。
そういった意味で、現在においては「部分輸血」について教義を多少広く変えることはあったとしても、多くの方が想像する「輸血(全血輸血)」を解禁することはほぼ無いに等しいと私も思います。
ですが教義において「輸血」を禁止、または「良心の決定」に委ねられるなどといって暗黙の了解の下、実質禁止している事は、本当に「全血輸血」もしくはそれに準じる「血液」が必要な重症・重篤な人や非医療先進国の人々を放置し、見殺しにしているとしか思えません。
血液の専門家ではありませんのであまり詳しくは書けませんがご参考にして頂ければ幸いです。
信者B兄弟は書きました。
「循環系の一部か?」「主要か分画か?」なんてパリサイ人みたいなこと、私が言い出したのではなく、こうした隅々の是非を論じて信者を裁いているは「ものみの塔協会」ですよ。確かに気づいてほしいですね。
聖書で地面に注ぐよう命じられているのは屠殺された動物の血(ゆえにその命を表す)と考え、神から与えられた命を大切にしたいと思い、生きたままの自分の血を、貯血式で自らに戻す方法を選択して手術に臨みます。
しかし「循環系の一部」とは見なされないため審理委員会にかけられますが、自分は、自分の良心の内に神の律法に違反したとは考えていない、と言ったら勝手に断絶扱いされます。
B兄弟、
兄弟がお気づきのように、ものみの塔は真のクリスチャン会衆ではありません。
それは、人々の宗教心を利用して成長し利益を上げる宗教企業体です。
しかも、それが生み出している実は良くありません。
いつまでも、そこに留まることは兄弟の人格育成に貢献しないでしょう。
血の扱いに関する「ものみの塔」の独善的で、一貫性の欠けた見方
輸血は、第二次世界大戦において負傷した兵士の救命のために開発され用いられ始めました。1950-1960年代は全血の輸血がほとんどで、その後医療の進歩とともに現在では各種血液成分の輸血に取って代わりました。
「血を避けるように」との聖書の命令の解釈を宗教組織が独善的に行い独自の基準を信者に強要し、それに基づいて裁くということが生じています。
ものみの塔協会は、血を「禁じられた成分」と「受け入れらる成分」に分類しました。
その分類の基準となる考え方は、彼らの説明によると血液中に占める各成分の割合であるとされています。
しかし、その見方でさえ極めて独善的で一貫性に欠けています。
では、これからご説明いたします。
禁じられている血の成分
血漿白血球 (leukocytes)
赤血球
血小板
許可された血の成分
アルブミン免疫グロブリン
血友病治療剤、血液凝固第8, 9因子
これは、血液に占める割合による分類とされています。
しかし、その主張は一貫性を欠きます。
血漿
血漿は血液の55%を占めているので血の主要な成分と見なされました。しかし、その血漿の93%は水です。
残りの7%を占める成分は、アルブミン、免疫グロブリンです。
ものみの塔の裁決によると、血漿は禁じられ、アルブミンと免疫グロブリンはOKとなりました。
血漿としては占める割合が高く、アルブミンやグロブリンとしてはその割合が低いからということです。
しかし、血漿のほとんどは水ですね。
この分類、何か変だと思いませんか。
アルブミンは1Lの血液中に45gあるといわれています。
また1Lの血液から25gのアルブミンを抽出できます。
体の30-50%の火傷の治療に600gのアルブミンが必要とされます。
それだけのアルブミンを得るために何リッターの血液が必要でしょうか。
45Lの血液が必要です。
その45Lもの血液はいったんどこかに溜め置く必要があります。
ものみの塔の聖書解釈によると全ての血は地面に流されるべきで溜め置いて後で利用することは禁じられています。
しかし、アルブミンを得るために大量の血がどこかで貯蔵され処理される必要があります。
免疫グロブリン
免疫グロブリンはワクチン注射に用いられます。1本のワクチン注射に使う免疫グロブリンを得るために3Lの血が必要です。
免疫グロブリンのために大量の血が貯蓄され処理されます。
ものみの塔協会の宣教者たちは第3世界に派遣される際、コレラワクチンの注射を受けます。
献血がなされると、大量の血液が貯蔵され、各血液成分を得るために処理されます。
このプロセス自体が、ものみの塔の聖書解釈では肯定されません。
しかし、ものみの塔は、アルブミンやグロブリンは血液の微量成分なので良心的に受け入れるかどうか決めてくださいと無責任で一貫性を欠いた説明をします。
あなたは、ものみの塔の独善的(独断的)な決まりについて行けますか。
白血球
人体は、2-3kgの白血球を持っています。ほとんどの白血球は体の細胞の中にあり、免疫として細菌の駆除を行っています。
白血球の僅か2-3%が血液中にあります。
割合からすると、白血球は血液の主要な成分とはいえません。
臓器移植の場合は、輸血よりも多くの白血球が他人に移植されます。
母親の初乳の白血球の量は、50,000個/平方ミリメートルあります。
血液の場合は、4,000-11,000個/平方ミリメートルあります。
初乳を飲むことは、輸血より多くの白血球を取り入れることになります。
白血病の治療について
1940年代は、白血病患者の平均寿命は16.5歳でした。しかし、現在は、輸血により通常の寿命となっています。
医学の進歩により、病気の人が恩恵を受けることを喜べるのではありませんか。
ものみの塔はパリサイ人みたいだね。
パリサイ人の特徴とは
細かい規則を作りたがる。マタイ23:16-22
16 「盲目の案内人よ,あなた方は災いです! あなた方は,『神殿にかけて誓っても,それは何のことはない。しかし,神殿の金にかけて誓うなら,その者には務めがある』と言うのです。17 愚か者,また盲目の者たちよ! 金とその金を神聖にした神殿とでは,実際のところどちらが偉大なのですか。18 また,『祭壇にかけて誓っても,それは何のことはない。しかし,その上の供え物にかけて誓うなら,その者には務めがある』と[言います]。19 盲目の者たちよ! 供え物とその供え物を神聖にする祭壇とでは,実際のところどちらが偉大なのですか。20 それゆえ,祭壇にかけて誓う者は,それとその上のすべての物にかけて誓っているのです。21 そして,神殿にかけて誓う者は,それとそこに住んでおられる方にかけて誓っているのです。22 また,天にかけて誓う者は,神の座とそこに座しておられる方とにかけて誓っているのです。
規則にこだわり、憐れみを忘れる。
マルコ 3:4-5
4 次いで彼らにこう言われた。「安息日に許されているのは,善行をすることですか,悪行をすることですか。魂を救うことですか,殺すことですか」。しかし彼らは黙っていた。5 それで[イエス]は憤りを抱いて彼らを見回したのち,その心の無感覚さを深く憂えつつ,「あなたの手を伸ばしなさい」とその人に言われた。そこで彼が伸ばすと,その手は元どおりになったのである。
規則が犯されると憤慨する。
ルカ 13:14-17
14 しかし,これに対してその会堂の主宰役員は,イエスが安息日に[病気を]治したということで憤慨し,群衆にこう言いはじめた。「仕事をすべき日は六日ある。だから,それら[の日]に来て治してもらうがよい。安息日にはいけないのだ」。15 しかしながら,主は彼に答えてこう言われた。「偽善者たち,あなた方はそれぞれ安息日に自分の牛やろばを畜舎からほどき,[水を]飲ませに引いて行くのではありませんか。16 それなら,アブラハムの娘で,サタンが,見よ,十八年も縛っていたこの女が,安息日にこのかせから解かれるのは当然ではありませんでしたか」。17 さて,[イエス]がこれらのことを言われると,その反対者たちはみな恥ずかしく思うようになった。しかし,群衆はみな,彼の行なった栄光ある事柄すべてを歓ぶようになった。
おまけ
それは医療が善良な人々だけにより運営されていないという現実です。サタンの世の政治、産業、教育、宗教、その他の領域に見られる貪欲や欺きが医療の分野にも存在します。
ですから、血液製剤による感染症の問題や医療ミスなどの問題が後を絶ちません。
それで、輸血について個人的にどうするかを決める際、医療上のリスクも考慮すると良いと思います。
だれも個人の決定を裁くことはできないでしょう。
マイコンロボットさんのコメント
私の1つ前の投稿で説明したように、「分画」という概念が取り入れられたのは、医学の発展に伴ってその必要性が必然的に生じたからであって、要約するとこうなります。
- エホバの証人が輸血拒否を導入した当時、全血輸血しか手段は無かった。
- 分画技術の登場。「血は命だからである」とする聖書の言葉を根拠に、生命維持と直結すると思われる4つの分画のみを「主要分画」と便宜上定義した。
- 主要分画の定義(赤血球、白血球、血小板、血漿)は今日まで変化無し。これが真相のはずなのですが、それでも「コロコロ」という表現が妥当でしょうか?
カレブさんのHPを調べてみても、これに反する歴史的な変化を認めることはできないように思います。というか、こと、輸血拒否に関していえば、長文である事で満足してしまい、一番重要な証明の部分が完全に抜け落ちているようにも思うのです。
あるいは上記の説明が真実ではないと、信ずるべき別の証拠が確かに存在するのであれば、可能な限りの情報を、まずご提示いただけたらと思います。(定義すら存在しない批判には、反証すらできないのです)
血の主要成分として、ものみの塔が決めた理由は単純であり、それは彼らの雑誌や出版物にはっきり書かれています。
赤血球、白血球、血小板、血漿という主要成分は他の血液誘導体より量的に割合が多いと医学会が認めていたからであり、生命維持に直結する重要性がポイントではありません。
事実、病気の人にとって生命維持に直結する成分は、血液からすると微量のアルブミンや免疫グロブリンのような血液誘導体である場合がほとんどです。
ものみの塔はそのようなことさえ理解していませんでした。
彼らの推論は極めて表面的であり、それ故に血に関する裁決において一貫性がありません。
マイコンロボットが挙げた「人肉嗜食」の例について
この例は神への信仰とは別物です。神を信じていない多くの人々は、人間や動物の血を飲むことや、人肉嗜食を良心的に拒みます。そこには、神への忠誠の問題はありません。
同じように輸血をみなす人がいても不思議ではありません。
それで、輸血の問題を神への信仰の表明に位置づけ、それによって人を裁き制裁まで課すものみの塔のやり方は通常の人間の判断を超えた極めて独断的、独善的で専横なものです。
それができるのは、自らを「神の代理店」として意識し、その権威を印象付けたいためです。 それで、マイコンロボットのこの問題へのアプローチはピンボケそのものです。
マイコンロボットさんのコメント
キリストが実によって見分けられると言っておられるように、エホバの証人の示す行動という実によって、この教えに賭ける決定を自ら下し、自分の理解と異なる部分が多少なりともあるとしても、協会の指示に服す、というのが正解です。(しかし今のところそういうのは無いですね。疑問はその都度解決するよう心がけていますので)つまりもし、他にもっとふさわしい実を示している団体が出現したならば、そちらに乗り換える事もあるかもしれません。が、そんな組織は皆無なのが実情です。
神の目的を考慮するならば、救いを知らせる世界規模の活動であるべきだ、という視点(神を認めない事それ自体ですら死に値する罪なのです)から考えると、代わりとなるものがこれから現れるとも、ちと考えにくいわけでして…とりあえずこの点、目ざめているようにとのキリストの指示には従っているつもりです。
教義の実践をすら必要としない他のキリスト教はむしろ、まどろみの内にあるようにすら映る、という事です。私達が命がけの宣教をすらしているというのに、その間、あなた方はいったい何をやっていたのですか、と。
ものみの塔は、パリサイ-マイコンロボットを世界中で製造してきました。
その数は700万ほどいます。
ものみの塔パリサイ人たち(天才バカボン、マイコンロボット)に、次のキリストのことばが当てはまります。
彼らの誇る世界的な伝道活動は神の目に無価値で、人々の真の救いの障害に過ぎません。
つまり、ものみの塔の伝道で真のクリスチャンは生み出されません。
ものみの塔はパリサイ人製造所です。
マタイ 23:13-15
13 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は人の前で天の王国を閉ざすからです。あなた方自身が入らず,また入る途中の者が入ることをも許さないのです。14 ――
15 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡り,それができると,これを,自分に倍してゲヘナに行くべき者とするからです。
ものみの塔のパン種に気をつけなさい。
マタイ 16:6, 12
6 イエスは彼らに言われた,「じっと見張っていて,パリサイ人とサドカイ人のパン種に気を付けなさい」。
12 その時,彼らは,パンのパン種ではなく,パリサイ人とサドカイ人の教えに気を付けよと言われたのだ,ということを会得した。
ルカ 12:1
1 . . . 「パリサイ人たちのパン種に気を付けなさい。それはつまり偽善のことです。
ものみの塔の偽善的な聖書解釈に気をつけなさい。
ものみの塔は白く塗った墓です。
マタイ 23:27
27 「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです! あなた方は白く塗った墓に似ているからです。それは,外面はなるほど美しく見えますが,内側は死人の骨とあらゆる汚れに満ちているのです。28 そのように,あなた方もまた,確かに外面では義にかなった者と人に映りますが,内側は偽善と不法でいっぱいです。
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