杭 vs 十字架

2015/07/08 0

JW 教理 聖書

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キリストの弟子のトマスはキリストの復活を信じませんでした。

キリストの死について、トマスの描写

ヨハネ 20:25 (新世界訳日本語)
25 そのためほかの弟子たちは,「わたしたちは主を見た!」と彼に言うのであった。しかし彼は言った,「そのくぎの跡を見,わたしの指をくぎの跡に差し入れ,手をその脇腹に差し入れない限り,わたしは決して信じない」。

日本語では、「手」も「釘」も単数扱いされていますが、原語と英語では、それは複数となっています。

Joh 20:25 (新世界訳英語)
25 Consequently the other disciples would say to him: "We have seen the Lord!" But he said to them: "Unless I see in his hands the print of the nails and stick my finger into the print of the nails and stick my hand into his side, I will certainly not believe."

「手 」(hand) は、手首 (wrist) や腕 (arm) ではありません。

hand, wrist, arm


「釘」(nails 複数)


ギリシャ語スタウロスの意味
σταυρός stauros stau-ro's

苦しみの杭 (torture stake)、 又は交差した杭 (cross)

聖書中の用法
1) 交差した杭 (cross)
a)フェニキア人からギリシャ人とローマ人が借用した、良く知られた、最も残忍で屈辱的な処罰。ローマ人の中の重罪犯、特に卑下された奴隷、強盗、作家、暴動の首謀者などや、時々地方の行政官の気まぐれにより、正しく平和を愛する人たち、ローマの市民でさえはり付けられた。
b)キリストが経験した十字架。
2) 塀や柵に用いられる先の尖った杭。

キリストの罪名板の取り付け位置について

ローマ人が苦しみの杭の上につけた罪状には、「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれていました。

ヨハネ 19:19
19 ピラトはまた,[罪]名を書いて,それを苦しみの杭の上につけた。それは,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書かれていた。

マルコ 15:26
26 そして,彼の罪状を書き込んで「ユダヤ人の王」と記したものが上方に[掲げられた]。

ルカ 23:38
38 また,彼の上方には,「これはユダヤ人の王」と書き記したものがあった。

「上方に」という表現は、ものみの塔の挿絵になるように上方に上げられた手の「上方」ということでしょうか。

目撃証人のマタイはそれがイエスの頭の上であることを記録しています。

マタイ 27:37
37 また彼らは,「これはユダヤ人の王イエス」と記した罪状を彼の頭上に掲げた。

まとめ

「手」(hands)も、また手を杭にはり付けた「釘」(nails)も複数。
罪状は「頭上」に掲げられていた。
ローマ人は処刑に交差した杭 (cross) を用いていた。

上記の要素から判断して、キリストは十字架で処刑されたと見る方が自然のように思います。

おそらく、交差した杭の一本は処刑の現場にあり、イエスは他の一本をピラトのところからゴルゴタまで運ばされることになったのでしょう。しかし、一晩中の尋問と拷問、愚弄のため、非常に重いその杭を運ぶ体力を消耗していたため、ローマの兵士は途中からキレネ生まれのシモンにそれを運ばせました。そして、現場で交差した杭の処刑具が組み立てられその上に両腕を広げたイエスが乗せられてその右と左の手の平に「釘」がそれぞれ打ち込まれたと思われます。そして、イエスの頭のすぐ上に罪状が取り付けられたのでしょう。

偶像について

キリストが処刑された、ローマ人が用いていた処刑具である交差した杭(十字架)を偶像視はできません。
しかし、処刑道具が十字架である可能性を否定する根拠は十分でないと思います。
むしろ、聖書中の記録はその可能性を示しています。

ユダヤ風の一本の杭にしろ、交差したローマ風の杭にしろ、キリストが罪なくして処刑された事実には極めて重要な意味があります。

それは、全人類、アダムの全ての子らに救いをもたらす根拠となりました。それで、キリストの死に関する話は、キリスト教の主要な音信です。その音信は、創世記 3:15 の神の最初の約束の成就を説明するものです。

コリント第一 1:18
18 苦しみの杭(十字架)についての話,滅びゆく人々にとっては愚かなことですが,救われつつあるわたしたちにとっては神の力なのです

キリストの死の意義については、「➡ 裁きと救い」、「➡ 罪と死と救い」をご覧下さい。

組織宗教の類似性

キリスト教会(カトリック、プロテスタント、その他)は、
十字架を象徴として用いている。


ものみの塔聖書冊子協会は、
JW.orgや「ものみの塔」を象徴として用いている。



もし、ある人がそのようなシンボルを崇拝の対象と見なすなら、それは聖書により非難されている偶像崇拝行為となるでしょう。

私たちにとって神聖なものは、私たちの永遠の救出のために命を与えてくださった方であり、その方の処刑の道具の「十字架」や、非聖書的な「母なる組織」でも、「ものみの塔シンボル」でもあり得ません。

ヨハネ第一 5:21
21 子供らよ,自分を偶像から守りなさい。

わたしたちは「十字架」についての話を宣べ伝えいるのであり、十字架を崇敬の気持ちを持ってみているのではありません。



クリスチャンは身分を示すシンボルなど不要です。
クリスチャン人格と生き方が信仰の証しとなります。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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