Friday, July 10, 2015

奇跡的なしるし

イエスの弟子たちは、たびたび「信仰の少ない者たち」といわれました。
ユダヤ人は「しるしを見なければ信じない」といわれています。

そのような不信仰な人々の中で神のメシアは仕事を始めました。
それで、神は、疑う余地のない聖霊の働きにより人々の信仰を築く必要がありました。

バプテスマのヨハネは、聖霊が下る人が霊でバプテスマを施すメシアであることを神から告げられていました。そしてイエスのバプテスマのときにそのしるしを確認し、世に神のメシアを紹介しました。

ヨハネ 1:33-34
33 わたしもその方を知りませんでしたが,水でバプテスマを施すようにわたしを遣わした方が,『あなたは霊が下ってある人の上にとどまるのを見るが,それがだれであろうと,その者こそ聖霊でバプテスマを施す者である』とわたしに言われました。 34  そしてわたしは[それを]見たので,この方こそ神の子であると証ししたのです」。



イエスは、多くの奇跡を行い、人々はイエスに信仰を働かせました。

ヨハネ 7:31
31 それでも,群衆のうちの大勢の者が彼に信仰を持った。そして,こう言い始めた。「キリストが到来しても,この人が行なったよりも多くのしるは行なわないのではないか」。




同じことが、クリスチャン会衆の誕生についても言えます。

イエスの弟子たちは、聖霊のバプテスマを待つように、復活したイエスより告げられていました。

それは、ユダヤ人のペンテコステの祭りの際に起きました。
エルサレムのある2階の部屋に集まる120人の弟子たちは、霊に満たされて外国語で神について、またイエスの復活について語り始めました。

祭りのために各地からエルサレムに集まっていた外国語を話すユダヤ人たちは、この奇跡的な出来事により、その日のうちに3,000人が信者となりました。

要点は何ですか。
奇跡的な出来事は、世(不信者)に対する神からの証であるということです。
クリスチャン会衆の揺籃期(誕生したばかりの幼児期)において、世に対する強力な神からの証は必要でした。

神は、多くの奇跡的な霊の働きにより、証に加わられました。
ですから、キリスト教(クリスチャン会衆)は神により確立されたといえます。

使徒 1:4-5
4 そして,彼らと会合しておられた時に,この指示をお与えになりました。「エルサレムを離れないで,父が約束され,またわたしから聞いたものを待っていなさ い。 5  ヨハネは確かに水でバプテスマを施しましたが,あなた方はこれから幾日もたたないうちに聖霊をもってバプテスマを施されるからです」。

使徒 2:4-7, 22, 41
4  彼らはみな聖霊に満たされ,霊が語らせるままに異なった国語で話し始めたの である。5 ところで,エルサレムには,天下のあらゆる国から来たユダヤ人で,敬虔な人々が住んでいた。 6  そして,この音が起こった時,大勢の人が共にやって来て,あっけに取られてしまった。彼らが自分の言語で話しているのをめいめいが聞いたからである。 7  実際,彼らは非常に驚き,不思議がって言いだした,「まあ,見なさい,話しているこの人たちは皆ガリラヤ人ではないか。
11  [また]クレタ人やアラビア人なのに,そのわたしたちが,神の壮大な事柄について彼らがわたしたちの国語で話すのを聞いているのだ」。 12  確かに,彼らはみな非常に驚き,また当惑して,「これはどういうことなのか」と互いに言い合った。
22 「イスラエルの皆さん,この言葉を聞いてください。ナザレ人イエス,それは,あなた方も知っているとおり,神がその人を通してあなた方のただ中で行なわれた強力な業と異兆としるしにより,神によってあなた方に公に示された人ですが,
41 そのため,彼の言葉を心から受け入れた者たちはバプテスマを受け,その日におよそ三千人の魂が加えられた

使徒 5:12-16
12 そのうえ,使徒たちの手を通してその後も多くのしるしや異兆が民の間に起こった。 そして彼らは皆そろってソロモンの柱廊にいた。 13  ほかの者たちはだれも彼らに加わる勇気を持ってはいなかったが,それでも民は彼らをほめたてるのであった。 14  そればかりか,主を信じる者が,男も女も大ぜい加えられていった。 15  そのため,人々は病人を大通りにまで連れ出して来て,そこで小さな寝床や寝台に横たえ,ペテロがそばを通る際,せめてその影でも[病人]のだれかにかかる ようにした。 16  また,エルサレム周辺の都市の大勢の人が,病気の人や汚れた霊に悩まされる者たちを連れて集まって来た。そして,彼らはひとり残らず治されるのであった。

使徒 14:3
3 それゆえ,彼らはかなりの時を過ごしてエホバの権威のもとに大胆に語り,[神]は彼らの手を通してしるしや異兆を起こさせて,その過分のご親切に関する言葉に証しをされた

使徒 19:11-12
11 そして神はパウロの手を通して異常なまでの力ある業を行ないつづけられた。 12  そのため,ただ布切れや前掛けを彼の体から取って患っている人のところに持って行くだけで,疾患は去り,邪悪な霊たちは出るのであった。

ヘブライ 2:4
4 しかも神は,[数々の]しるし,また異兆やさまざまの強力な業をもって,またご意志のままに聖霊を配ることによって,その証しに加わられたのです。



霊の通常を越えた奇跡的な働きは、世に対する神からの証しであることが分かります。

クリスチャン会衆の始まりに、神はご自分の意思により、各クリスチャンの信仰に応じて普通を越えた霊の賜物を各自に与えました。

その間にクリスチャンギリシャ語聖書が神の霊の働きにより備えられ、将来の王国の子たちの信仰の拠所となるようになりました。

それで、最後の使徒ヨハネの死後、霊の普通を越えた働きは止み、クリスチャン会衆は、完成した霊感の書物と天のキリストに委ねられました。

また予告されてい た背教により小麦は雑草の中に姿を消しました。とはいえ霊感の書物とキリストの導きにより、現在に至るまでいつの時代にも、聖書が入手できる地域に真のク リスチャンが存在し、彼らは胤の約束により天的な希望を保って命を終えています。

使徒 20:32, 29-30
32 そして今,わたしはあなた方を神とその過分のご親切の言葉にゆだねます。その[ことば]はあなた方を築き上げ,神聖にされた者たちすべての間の相続財産をあなた方に与えうるのです。
29 わたしが去った後に,圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。 30  そして,あなた方自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう。



これは、実際に歴史で生じたことです。
それで、神の民はその始めにおいてサタンの罠である、大いなるバビロン(キリストの偽の王国)に囚われて現在に至っています。





初期クリスチャンに与えられた霊の賜物について、

コリント第一 14:22
22 それゆえ,異言はしるしのためです。それも,信者に対してではなく,不信者に対してです。

コリント第一 12:4-7
4 さて,賜物はさまざまですが,霊は同じです。 5  奉仕の務めはさまざまでも,主は同じです。 6  働きはさまざまでも,すべての人の中であらゆる働きをされる神は同じです。 7  しかし,霊の顕現は,有益な事柄を目的として各々に与えられます

ローマ 12:3, 6
3 わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって,あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい。
6 こうしてわたしたちは,自分に与えられた過分のご親切に応じてそれぞれ異なった賜物を持っているのですから,

これらの霊の賜物は、幼児期の会衆を築き上げるため、また世(不信者)に対するしるしとして与えられた神からの証です。それらの霊の賜物は、養子縁組の霊ではありません。それは、霊によって油注がれた「再び生まれた」クリスチャンに与えられた神からの異なる賜物です。

ですから、養子縁組の霊と、普通を超えたさまざまな霊の賜物とを混同してはいけません

霊によって再び生まれるクリスチャンは、必ずしも奇跡的、感情的な経験をするのではありません。

聖書をとおして各クリスチャンは、自分が何ものか、神からの召しは何かを自覚できるでしょう。
なぜなら、奇跡的な経験があっても、なくても聖書による希望は1つしかありません。
それは、約束の胤に対する天への召しです。

この点で、他のクリスチャンの約束の胤としての確信の正当性を裁くことができる人はいません。

ローマ 14:4
4 他の人の家僕を裁くとは,あなたはだれなのですか。その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。


普通を超えた霊の働き、あるいは賜物は、その初期の目的を達成し、また霊感の書物の完成とともに、霊の奇跡的な賜物を持つキリストの直接の弟子たちが死の眠りについて後、次第に見られなくなりました。

コリント第一 13:8
8 愛は決して絶えません。それに対し,預言[の賜物]があっても,それは廃され,異言があっても,それはやみ,知識があっても,それは廃されます。

普通を超えた経験(幻、夢、声、その他)を伴って霊によって生まれたと確信している人には、そのような経験をしない人を見下したり、また他の人も自分と同じような経験をすることを期待したりする正当な理由はありません。

また、そのような感情的な経験を持たずに、神のことばの理解により確信を得ている人は、奇跡的な出来事を期待する必要はありませんし、またそのような経験を語る人を裁く必要もありません。

人は、風がどの方向から吹くか分かりません。

ヨハネ 3:8
8  風はその望む所に吹き,あなたはその音を聞いても,それがどこから来てどこへ行くのかを知りません。霊から生まれた者も皆そのようです」。

コリント第一 2:11, 14-15
11というのは,人の事柄は,その人のうちにある人間の霊を別にすれば,人々のうちいったいだれが知っているでしょうか
14 しかし,物質の人は神の霊の事柄を受け入れません。それはその人には愚かなことだからです。また彼は[それを]知ることができません。それは霊的に調べるべき事柄だからです。 15  一方,霊的な人は実にすべての事柄を調べますが,その人自身はいかなる人によっても調べられません

だれも、人の確信、希望がどこから来るか見えませんし分かりません。
胤の約束により産み出される人々の信仰は、単にその人の知的な理解だけの産物ではありません。
知的な理解を可能にし、また理解したことに心で信仰を働かせる過程も神の霊の働きを抜きにしては生じません。

それで、一般的に信仰は、神の霊の実といわれています。
つまりクリスチャンの信仰は神の霊の働きの産物です。

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