シオニズムについて

2015/06/28

サタンの世 シオニズム ものみの塔協会

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シオニズムの始まり

シオニズム (Zionism) は、ロスチャイルド (Rothschild)によって設立され推進されている宗教を利用した政治的な運動です。

シオニズム (Zionism) はユダヤ教 (Judaism) と関係ありません。

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1881年
第20代アメリカ合衆国大統領ジェイムス・ガーフィールド (President James A. Garfield) は暗殺の2週間前に次のように述べています。

だれでも我が国のお金の量をコントロールしているものが、すべての産業と商業の究極の主人である . . . そして何かにつけ一握りのトップにより、すべての制度がいとも簡単にコントロールされることを悟るなら、インフレやデフレの時期がどのように作られるか分かるでしょう。

“Whoever controls the volume of money in our country is absolute master of all industry and commerce…and when you realize that the entire system is very easily controlled, one way or another, by a few powerful men at the top, you will not have to be told how periods of inflation and depression originate.”

イスラエルの父と言われるエドモンド・ジェイムス・ロスチャイルド

エドモンド・ジェイムス・ロスチャイルド (Edmond James Rothschild)

1882年
エドモンドはパレスチナに土地を購入するために美術品の購入を控えました。リション・レジオン (Rishon LeZion) の最初の用地の資金を調達し、彼はシオニスト運動の指導的な擁護者となりました。ユダヤ人の祖国を創設する目的で、彼は産業化と経済発展を促進しました。

1924年
彼はパレスチナユダヤ人入植協会 (Palestine Jewish Colonization Association, PICA) を設立しました。そして125,000エーカー (50,586ヘクタール、1億5300万 坪) の土地を取得し、投機的事業を開設しました。

エドモンド・ロスチャイルドは、イスラエルのワイン産業の重要な役割も担いました。パレスチナにおいて彼の管理の下で、入植農地、ブドウ畑が作られ2つの主要なぶどう酒製造所がリション・レジオン (Rishon LeZion) とジクロン・ヤアコブ (Zchron Yaakov) に開設されました。

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1895年
ジェイムス・メイヤー・ロスチャイルド (James Mayer Rothschild) の末の息子エドモンド・ジェイムス・ロスチャイルド (Edmond James Rothschild) はパレスチナを訪問し、最初のユダヤ人入植地の設立のために資金を提供しました。これは彼らの長期的な目的であるロスチャイルドの所有する国の創設を助成するためでした。

シオニスト評議会の設立

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1879年
ロスチャイルドはシオニズムを促進するシオニスト評議会を設立し、最初の会議をドイツのミュンヘン (Munich) で開催することを取り決めます。(シオニズムとはすべてのユダヤ人を単一のユダヤ国家に移民させるという唯一の目的をもつ政治的な運動)

しかし、ミュンヘンで極めて幸福に暮らしていた当地のユダヤ人からの激しい反対を受け、その最初の会議はスイスのバーゼル (Basle) で8月29日に開催されました。その会議は、アシケナージユダヤ人のセオドア・ヘルツル (Theodor Herzl) により司会されました。

ヘルツルは日記にこう記しています。
ユダヤ人の苦難が悪化することは重要なことだ。それが我々の計画の実現の手助けとなるだろう。わたしは一つのすばらしいアイディアを持っている。私は反ユダヤ主義 (Antisemitism) を引き起こし、ユダヤ人の富を一掃するだろう。ユダヤ人の迫害、抑圧を強めることにおいて、反ユダヤ主義はそれによって我々の手助けとなるだろう。反ユダヤ主義は我々の最良の友となるだろう。

ヘルツルは後にロスチャイルドの赤いヘキサグラム(六線星型、六芒星 ろくぼうせい、りくぼうせい)、を取り入れたシオニスト組織の大統領に選任されます。そのシオニストのヘキサグラム旗印は、51年後にイスラエルの国旗となります。

アメリカでは、ユニオン・パシフィク・レールロード (Union Pacific Railroad) の取締役のエドワード・ヘンリー・ハリマン (Edward Henry Harrriman) が南部太平洋鉄道 (Southern Pacific Railroad) を買収しました。その資金はロスチャイルドから提供されました。

1901年
エドモンド・ジェイムス・ロスチャイルドにより設立されたパレスチナ入植地のユダヤ人たちは、代表者をロスチャイルドに派遣し、彼に次の要請をします。
あなたが、イシブ (Yishuv) (ユダヤ人入植地)を救いたいなら、まずそれから手を引き、改善の必要なことを自ら改善する可能性を入植者に許可してください。(つまり入植地の自治権を要請しました)
エドモンド・ジェイムス・ロスチャイルドは、これにとても腹を立て、こう返答しています。
わたしが、だだわたしだけがイシブ (Yishuv) を造った。それで、誰も、入植民たちも、いかなる組織もわたしの計画に干渉する権利は無い。

1919年
1月、アシケナージユダヤ人カール・リープクネヒト (Karl Liebknecht) とロサ・ルクセンバーグ (Rosa Luxemburg) は他のロスチャイルド資金による共産主義革命の先導を試みてドイツのベルリンで射殺されました。

フランスのパリでベルサイユ講和会議が開催。
その講和会議は、第一次世界大戦後にドイツが戦勝国に支払う必要のある賠償金の額を決定するために開催されました。
アシケナージユダヤ人バーナード・バルーク (Bernard Baruch) による117名のシオニストたちの代表団が主導し、彼らのためのパレスチナの約束の議題を提出しました。この時点でドイツは、誰の影響でなぜアメリカがドイツを攻撃したかを悟りました。それがロスチャイルドによることを悟ったのです。

ドイツ国民は、シオニストに裏切られたと感じています。なぜなら、アメリカを参戦させることを条件に、ロスチャイルドがパレスチナのために英国と交渉をしたときドイツは世界中で一番ユダヤ人に友好的な国だったからです。事実ドイツの1822年の開放布告 (German Emancipation Edict) はドイツのユダヤ人にドイツ人がもつすべての権利を保障していました。

ドイツはまた、ヨーロッパの中でダヤ人にいかなる制限も課していない唯一の国でした。ロシアにおける1905年の最初の共産主義革命の試みの後ユダヤ人がロシアから逃れねばならなかったとき、ドイツは避難所さえ提供しています。

ロスチャイルドは ロシア革命や第1次世界大戦により何百万の無実の血を流す一方、 その結果パレスチナはユダヤ人の祖国として確定され、それがロスチャイルドに引き渡され、ロスチャイルドにコントロールされている英国の監督下に置かれました。

その当時パレスチナの人口の1%にも満たないユダヤ人がそこに住んでいました。ベルサイユ講和会議の主催者のボスはエドモンド・ジェイムス・ロスチャイルド男爵だったことは興味深いことです。

ベルサイユ講和会議は、(自らが作り出した)すべての戦争を終わらせる口実の下に世界政府の樹立のためにロスチャイルドによる一つの試みとしても用いられました。この政府は「国際連盟」 (League of Nation) と呼ばれました。残念なことに十分の数の国の賛同を得られず、やがて「国際連盟」は終わりました。

1934年
スイス銀行の銀行機密法 (secrecy laws) が改革され、銀行の機密を漏らした銀行職員の違法行為は懲役刑となりました。この全ては、両サイドに戦争資金を融資するためにロスチャイルドがたくらむ第二次世界大戦の準備のためでした。

フランス革命以来、これまでの近代史の戦争はロスチャイルドにより仕組まれ、戦争の両サイドに融資することで彼らは戦争を操りその度ごとに自らの富を築きその支配の力を強化してきました。アメリカの独立戦争、ロシア革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、その他の紛争、戦争の双方にロスチャイルド国際銀行連合は戦争融資をしてきました。それでそのような銀行家とその関連軍需産業は「死の商人」と呼ばれています。

1946年
7月22日、将来のイスラエルの大統領のアシケナージ・ユダヤ人、ダヴィド・ベン-グリオン (David Ben-Gurion) は、別の将来のイスラエルの大統領、アシケナージ・ユダヤ人、メナヘム・ベギン (Menachem Begin) にパレスチナのキング・デビッドホテル (King David Hotel) にテロ攻撃を実行するように命令します。その目的は英国を追い出すためです。その結果91名が殺害され、そのほとんどは市民でした。イギリス人28名、アラブ人41名、ユダヤ人17名、その他5名の民間人が犠牲になり、約45名が負傷しました。

メナヘム・ベギンは誇らしげに自らを「モダン・テロリズムの父」と宣言しています。このキング・デビッドホテルの襲撃の重大性を考慮すると、それは、その当時の最大の犠牲者を出した単一のテロ攻撃でした。その記録が破られたのは、それから40年以上もたった1988年のスコットランド・ロッカビー (Lockerbie) 上空でパンナム旅客機が爆破され270人が犠牲になったときです。

1947年
第二次大戦前英国は、パレスチナ人と英国人兵士に対するテロ攻撃からパレスチナ人を保護するためにこれ以上のパレスチナへの入植は無いと宣言していました。国際連合はパレスチナを2つの国家に分割することを決定します。一つはシオニストの国家、他方はアラブの国家です。エルサレムは、全ての宗教信仰に開放された国際地域 (an international zone) として残されることになります。

この移行は1948年5月15日に実施されるように計画されました。国際連合はアラブの資産を他人に引き渡す権利を持っていません。その当時ユダヤ人はパレスチナの6%の土地を所有し、アラブは94%の土地を所有していました。国連決議 181 (resolution 181) は、アラブ人に43%の土地を残しユダヤ人が57%の土地を取得することを許可しました。

1948年
その年の春、ロスチャイルドは、イスラエル(ロスチャイルドの所有するシオニスト国家)を主権国家として認めるようにアメリカ第33代大統領ハリー・トルーマン (Harry S. Truman) を、彼の遊説列車の中で1億9600万円 (200万ドル) で買収します。
そして彼らはパレスチナにおいてイスラエルはユダヤ人の主権国家であることを宣言します。そしてその半時間も経たないうちにトルーマン大統領はアメリカ合衆国はそのことを認めた最初の国となったと宣言しました。

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その象徴が、ロスチャイルドの赤いヘキサグラムの青色バージョンであったために、ものすごい反対にも関わらす、イスラエルの国旗が公表されます。

これは、ヘキサグラム(六芒星)が古代の神秘主義宗教でモレク (Moloch)、またアシタロテ (Astaroth) のシンボルとして用いられていたことを知る多くのユダヤ人たちを怒らせました。
ヘキサグラム (Hexagram) (六芒星)はまた、サトゥルヌス (Saturn) 神秘主義におけるサタン (Satan) を表すためにも用いられています。

これは、誰でもイスラエルの名の下に殺される者は、事実上サタンに犠牲として捧げられることを表します。これらの意義を唱えるユダヤ人たちは、ユダヤ人の最古のシンボルであるメノラ (Menorah) を用いるべきであると考えています。

またヘキサグラム(六芒星)はユダヤ人的なシンボルでさえないと指摘しています。イスラエルの国旗はロスチャイルドのシオニストによるデザインであり、その国旗は現在のイスラエルが何ものであるかを良く物語っています。

4月19日の早朝、イスラエルの将来の大統領メナヘム・ベギン (Menachem Begin) と別の将来のイスラエルの大統領イツハク・シャミル (Yitzhak Shamir) の率いる132人のユダヤ人テロリストにより、アラブの村デイル・ヤシーン (Deir Yassin) で寝ている200人の男、女、子供の大虐殺が起きます。

デイル・ヤシーン事件

国際連合がパレスチナをユダヤ人独立国家とアラブ人独立国家に移行した5月15日の直後に、イスラエルはアラブへの軍事攻撃に着手しトラックに据付けた拡声装置からアラブ人に、ただちに撤退しなければ虐殺すると脅しました。
デイル・ヤシーンの村の惨事が記憶に新しい80万人のアラブ人たちは慌てて逃げました。彼らは、近隣のアラブ人国家に助けを求めました。しかしそれらの国は、戦力においてイスラエルがはるかに勝っており、またロシアのユダヤ人スターリン体制による支援をがあることを理由に関わりを持ちませんでした。

この襲撃の後、ユダヤ人は、国連により不法に与えられた57%を超えてかってのパレスチナの78%を治めるようになりました。
パレスチナ人の多くはクリスチャンです。彼らには、この不正な襲撃によりイスラエルと国連により奪われた家、資産、仕事の償いを決して与えられませんでした。これらの人々は結局テント・シティのスラム難民となりました。加えて、少なくとも半数のパレスチナの人たちは逃亡の際に自らの出生証明書を失いました。そしてイスラエル国家は、市民権を証明できるパレスチナ人だけがイスラエルの領地に戻ることができるとの法律を可決し、その結果40万人のパレスチナ人はパレスチナに残した土地や家に戻れず、全てを失いました。

イスラエルの創始者の一人で、初代大統領のアシケナージ・ユダヤ人のダヴィド・ベン-グリオン (David Ben-Gurion) は、5月21日付の日記の中でシオニストの目的について、あからさまにこう述べています。
アラブ連合のアキレス腱はレバノンである。この国(レバノン)におけるイスラム教の優位性は見せかけであり簡単に覆すことができる。そこにリタニ川 (Litani river) 沿いに南の国境とするクリスチャンの国家を樹立すべきである。
我々は、その国家と同盟協定を締結するだろう。このようにして、我々がアラブの地域の力を弱め、アンマン (Amman) を爆撃するとき、我々はトランス・ヨルダン (Trans-Jordan) を一掃することができるだろう。そしてその後シリアが降伏するだろう。もしまたエジプトがあえて我々と戦うつもりなら、我々はポートサイド (Port Said) とアレキサンドリア (Alexandria) とカイロ (Cairo) を爆撃するだろう。
我々は、このようにして戦いを終わらせ、我々の先祖のためにエジプト、アッシリア、カルディアに報復をするだろう。

情報源

シオニスト国際銀行連合が用いている方法は、人々や国を互いに戦い合う2つの陣営に分断し、その双方に戦いに必要な資金や物資を提供し、利子と賠償金により稼ぎ支配のための自らの目的を達成することです。
彼らはアメリカ独立戦争の両サイドに融資しました。
彼らは第一次世界大戦の両サイドに融資しました。
彼らは第二次世界大戦の両サイドに融資しました。

今、彼らは同じように両サイドに融資して第三次世界大戦の準備を進めています。
彼らは、論争や争いを作り、その両サイドを支持し自らの目的を達成してゆきます。
これが、その始まりからシオニストたちが用いてきた手法です。

アメリカの民主主義は、実際は、アメリカ人をだます単なるパフォーマンスまたは見世物に過ぎません。

舞台裏には、案の定シオニストがいます。
関心があるなら、ご自分で調査してみてください。
手始めにCFRを調べてみてください

箴言 16:28
28 悪巧みをする者は常に口論を送り出し,中傷する者は親密な者たちを引き離してゆく。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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