Saturday, June 27, 2015

脱塔後の生活

脱塔後の生活について書きます。



脱塔後は、奪われていた時間や知力、体力を自分の生活の改善のために使うことができます。
自由を実感できるでしょう。

若い人たちの場合、勉強や技術の習得などのための時間がたっぷりありますよ。
60代の方々も生活に余裕が生まれるでしょう。
霊的な食物は、ものみの塔のインチキ味付けのない真理を聖書から得られます。
聖書を読み考える時間もたっぷり取れるようになります。

西暦1世紀の兄弟姉妹たちの霊的食物は聖書でした。
そして、それ以来今日まで完成した聖書がやはりクリスチャンの霊的食物です。
ものみの塔は霊的食物の供給源ではありません。
むしろ食べ続けると健康を害する食品添加物で味付けしたジャンクフードみたいなものです。


ものみの塔ジャンクフード、JW.orgから即配達



キリスト教の歴史を見ると、組織宗教はそれぞれ独自の食品添加物を用いて聖書を味付けして人々を支配してきたことが分かります。
イエスが警告したように組織宗教は自分たちの伝統(都合のいい独自の解釈)で神の言葉を無効にします。

マルコ 7:9-13
9 [イエス]はさらに続けてこう言われた。「あなた方は自分たちの伝統を保とうとして,巧妙にも神のおきてを押しのけています。10 たとえば,モーセは,『あなたの父と母を敬いなさい』,そして,『父や母をののしる者は死に至らせなさい』と言いました。11 ところがあなた方は,『もし人が自分の父や母に向かって,「わたしの持つものであなたがわたしから益をお受けになるものがあるかもしれませんが,それはみ なコルバン(つまり,神に献納された供え物)なのです」と言うならば』と言います― 12 あなた方はもはやその人に,自分の父や母のために何一つさせないのです。13 こうしてあなた方は,自分たちが伝えた伝統によって神の言葉を無にしています。そして多くのこれと同様の事をあなた方は行なっています」。

自分の霊性を満たしたければ、聖書を読んで自分で考えるようにするといいですよ。自分の頭を使うことにより、やがて物事がはっきり見えてくるでしょう。

ヘブライ 5:13-14
13 乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

いろいろ知りたいことがあれば、ネットや図書館で調べることもできます。
自分で調査し、自分で考え、答を見出す努力を惜しむべきではありません。

マタイ 7:7-11
7 「求めつづけなさい。そうすれば与えられます。 探しつづけなさい。そうすれば見いだせます。たたきつづけなさい。そうすれば開かれます。8 だれでも求めている者は受け,探している者は見いだし,まただれでもたたいている者には開かれるのです。9 実際,あなた方のうち自分の子からパンを求められるのはだれでしょうか―その人は石を渡したりはしないではありませんか。10 あるいは,[子]は魚を求めるかもしれません―その人は蛇を渡したりはしないではありませんか。11 それで,あなた方が,邪悪な者でありながら,自分の子供たちに良い贈り物を与えることを知っているのであれば,まして天におられるあなた方の父は,ご自分 に求めている者に良いものを与えてくださるのです。

箴言 2:2-9
2 我が子よ,あなたがわたしのことばを受け入れ,わたしのおきてを自分に蓄え,2 そして,耳を向けて知恵に注意を払い,心を識別力に傾けるなら,3 さらに,理解を求めて呼ばわり,識別力を求めて声を上げるなら,4 銀を求めるようにそれを求めつづけ, 隠された宝を求めるようにそれを尋ね求めつづけるなら,5 そのとき,あなたはエホバへの恐れを理解し,まさに神についての知識をも見いだすことであろう。6 エホバご自身が知恵を与えてくださるからである。そのみ口からは知識と識別力が出る。7 そして,廉直な者たちのために実際的な知恵を蓄えてくださる。忠誠のうちに歩む者たちのために,[神]は裁きの道筋を見守ることによって盾となってくださ る。8 また,ご自分の忠節な者たちの道を守ってくださる。9 そのとき,あなたは義と裁きと廉直さと,良いことに関する行路全体を理解するであろう。

ものみの塔食品添加物たっぷりの料理より、聖書を自分の導きにする人は幸いです。

聖書は人を良い方へ変えるでしょう。
ものみの塔によって培われた神に近い自分を中心に隣人(世の人)を見るパリサイ人格が、次第に憐れみ深い親切を愛するキリストを見倣うものに変化するでしょう。

「世の人」という概念は消え去り、全ての人を愛すべき隣人とみなせるようになるでしょう。
無神論者、自分と異なる意見を持つ人を説き伏せることの無意味さが分かるようになるでしょう。
自分の信仰や主体性を失わずに他の人の自由や意見を尊重して振舞えるようになるでしょう。
隣人を愛して助ける人になれますよ。

テモテ第二 3:15-16
16 聖書全体は神の霊感を受けたもので,教え,戒め,物事を正し,義にそって訓育するのに有益です。17 それは,神の人が十分な能力を備え,あらゆる良い業に対して全く整えられた者となるためです。


神の崇拝は、宗教組織の取り決めをこなすことではありません。
それは、生き方であり、生き方は新しい人格の反映です。
新しい人格は聖書をとおし神の霊により培われます。

どこにいても、いつでも生き方により神を崇拝することができます。
その人の思いと心はいつも神に向いています。
いつでも、どこでも神とキリストと結ばれています。

ヨハネ 4:20-24
20 わたしたちの父祖はこの山で崇拝しました。それなのにあなた方は,崇拝するべき場所はエルサレムだと言います」。21 イエスは彼女に言われた,「女よ,わたし[の言うこと]を信じなさい。あなた方が,この山でも,エルサレムでもないところで父を崇拝する時が来ようとしています。22 あなた方は自分の知らないものを崇拝しています。わたしたちは自分の知っているものを崇拝しています。救いはユダヤ人から起こるからです。23 とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。24 神は霊であられるので,[神]を崇拝する者も霊と真理をもって崇拝しなければなりません」。

教会でも、寺でも、神社でも、どこの山でも、王国会館でもないところで、真の崇拝者たちが霊と真理をもって父を崇拝する時はイエスのときから始まっています。

ヤコブ 1:26-27
26 自分では正しい方式に従う崇拝者であると思っていても,自分の舌にくつわをかけず,自らの心を欺いている人がいれば,その人の崇拝の方式は無益です。27 わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです


集まりあうことについて
クリスチャンの友人がいれば、互いの都合がつけば、いつでもクリスチャンの交友を楽しめます。
食事を共にしたり、会話を楽しんだりできます。
組織宗教の集会のパターンに習う必要はありません。

これから、覚醒した多くのJWがものみの塔を出るでしょうから、近所にJW出身のクリスチャンを見つけることができると思います。それぞれが、生活の建て直 しを始めると思いますので互いの都合に合わせて交友を楽しめると思います。「毎週1回は必ず集まる」みたいな縛りは不要です。
ものみの塔スパルタ軍隊式取り決めのイメージを捨て去ってください。
それはクリスチャンのものではありません。
それはものみの塔投資株式会社のセールスマンのためのものです。
 
ものみの塔マイコン集会
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脱塔に先立ち、会衆の集会や巡回大会などで、「ひそひそ話し」をして脱塔後のクリスチャンの友を見つけるといいですよ。多分、みんなすでに見つけていると思います。

それで、何も心配する理由などありませんね。
クリスチャンの自由が待っています。
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みんな元気でね

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