Monday, June 29, 2015

伝道について

西暦一世紀にイエスの贖いを理解し受け入れた人たちは、クリスチャンして知られるようになりました。

それはキリストの教えに従って生きる生き方でした。それには信者同士の支えや実際的な援助もありました。また宣べ伝えるべき音信もありました。クリスチャンたちは心に確信している救いの音信を決められ た方法ではなく機会のあるときに喜んで他の人たちと分かち合ったに違いありません。

ローマ帝国の大半の人々は奴隷の身分でした。その当時の生活の活動領域 はとても限られていたに違いありません。またパウロや他の使徒たちのようにある特定の人々は直接イエスからの任命により活動していました。それらの自由に 活動できる人たちの宣教のおかげでキリスト教の生き方は西暦33年から半世紀も経たないうちに当時知られていた世界中に広まったと書かれています。

ロー マ 1:8
8 . . . あなた方の信仰のことが世界じゅうで語られているからです。




まず、キリスト教の音信について考えてください。


伝えるべき音信は何でしょうか。
それは、神のとの和解の音信です。
使徒パウロのアレオパゴスでの証言から異邦人が何を知るべきかが分かります。(使徒 17:22-31)

要約しますと、
世界とその中の全てのものをつくられた神がおられる。
神はこれまでの無知の時代を終わらせた。
全ての人に悔い改めが求められている。(神との和解を意味している)
全人類を義を持って裁く日が定められている。
キリストの復活の事実はその保証である。


神 -- キリスト -- 人
ということです。

それでクリスチャンは、上記の関係を十分理解し信じ、和解(救い)や、裁きについて証しする責任を自ら喜んで受け入れている人々です。

これらの基本的な教えを頭で理解するのは難しいことではありませんが、それでも信仰を働かせるには神の霊の働きが不可欠であるゆえ私たちの信仰は神からの賜物と見なせます。(ヨハネ 6:44)


ものみの塔協会の作った崇拝の取決めについて、

聖書から考えて、週数回のグループ伝道、奉仕報告、週2日の集会、年3回の大会をあたかも神からのもののように見なすことができるでしょうか。

神やイエスが、ものみの塔協会を用いていると信じない限り、それらのいわば宗教活動は聖書的に意味を持たないでしょう。

次の聖書的な例を考えてください。

フィ リポが伝道したエチオピアの宦官は、イエスを受け入れたときその場でバプテスマを受け、1人で喜んでエチオピアに帰っていきました。新たな人生観を得て暮 らせるとしても、帰った先ではこれまでと変わらない日常があったでしょう。この例は、誰かがキリスト教の崇拝のための取決めを造らなければならないという 見方を支持するものではないでしょう。

それでキリスト教の音信を受け入れて新たな人生観を得た信者たちは自分の生活の中で受け入れた教えを 話したり、実践していたに違いありません。その教えを受け入れる人が増えると会衆が形成されクリスチャンの交友を楽しむことができたと思います。クリス チャンは愛餐の習慣をもっていたといわれていますので、互いに集り合うことがそのようななされていたと思われます。

また集会の様子も、もの みの塔が企画した公開公演、ものみの塔研究、書籍研究、神権宣教学校、奉仕会のようなスタイルとはかけ離れています。

一世紀当時の兄弟たちは、ユダヤ人の 会堂やその他の公の場所に出かけて公開公演のような証言活動を展開しています。

またコリント第一 14章の聖句によると、兄弟姉妹たちは、それぞれ霊の賜物に動かされて発言しており、答えの決まった教義問答のような司会者による質疑応答の形式でなかっ たことが分かります。またパウロがそこで言及している集会の秩序のための取決めは賜物を持つ各自が自分の賜物をふさわしく制御することを求めています。



家から家の伝道について、

ものみの塔協会は、この「家から家の伝道活動」を自らの聖書的なトレードマークとしていますが、その根拠は立証されているでしょうか。

まず、家から家にと訳されているギリシャ語は、カト オイコンです。
そのギリシャ語を直接英語にすると according to house (家により、家に従って)です。
その意訳で from house to house (家から家) と in private homes (個人の家々)が新世界訳聖書で用いられています。

以下がその箇所です。

使徒 20:20
20 同時にわたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした。
これは、パウロがエフェソスの長老たちに述べた言葉です。 from house to house (家から家)と意訳されています。
in private homes (個人の家々)でも意味は通じます。

使徒 5:42
42 そして彼らは毎日神殿で,また家から家へとたゆみなく教え,キリスト,イエスについての良いたよりを宣明し続けた。
ここでも意訳は、from house to house (家から家)です。
in private homes (個人の家々)でも意味は通じます。

使徒 2:46
46 そして,思いを一つにして日々絶えず神殿におり,また個人の家々で食事をし,大いなる歓びと誠実な心とをもって食物を共にし,
ここでは、in private homes (個人の家々)と意訳されています。
from house to house (家から家)では意味は通じません。




では、イエスやパウロの伝道の仕方は何を物語っているでしょうか。

聖書によるとイエスやパウロは主にユダヤ人の会堂、人が集る野外(ガリラヤ湖の湖畔、オリーブ山、市場など)で宣べ伝えていました。


弟子たちを組織して家から家へ戸別訪問をした記録は聖書にはありません。

しかしイエスもパウロも良いたよりを受け入れた人たちから個人的に家に招待されその家を訪問したいくつかの例が記録されています。

例えばマタイ、ザーカイ、ラザロ、パリサイ人などはイエスを食事に招いています。その場を利用してイエスは集っている人々を教えられました。パウロも同じようにルデヤ、牢番などから自宅に招かれて、その場を用いて教えています。その他ペテロはコルネリオから自宅に招かれコルネリオの家族がクリスチャンになるのを助けました。

これらの例から何を学べるでしょうか。
イエスキリストもパウロやペテロのような弟子たちも個人的に人々の家庭に招かれる機会を用いてクリスチャン宣教を行なっていたということではありませんか。それで、この聖書の記録に裏付けられた「カト オイコン」の意訳は in private homes つまり個人の家々の方がふさわしいと言えます。


マタイ 10 章とルカ 10 章の記録は、家から家の伝道活動について述べていますか、それとも訪問先の村での宿舎探しについて述べていますか。

マタイ 10:9-14
9 あなた方の腰帯の財布のために金や銀や銅を手に入れてはならず,10 また,旅のための食物袋も,二枚の下着も,またサンダルや杖も[手に入れては]なりません。働き人は自分の食物を受けるに価するのです。11 「どんな都市または村に入っても,そこにいるふさわしい人を捜し出し,去るまではそこにとどまりなさい。12 その家の中に入るときには,家の者たちにあいさつをしなさい。13 そして,その家がふさわしいなら,あなた方の願う平安をそこに臨ませなさい。しかし,もしふさわしくないなら,あなた方からの平安をあなた方のもとに帰ら せなさい。14 どこでも,人があなた方を迎え入れず,またあなた方の言葉を聴かない所では,その家またはその都市から出る際に,あなた方の足の塵を振り払いなさい。

ルカ 10:1-7
1 これらの事ののち,主はほかの七十人を指名し,行こうとしておられたすべての都市と場所へ,自分に先立って二人ずつお遣わしになった。2 その際,彼らにこう言いはじめられた。「確かに,収穫は大きいですが,働き人は少ないのです。それゆえ,収穫に働き人を遣わしてくださるよう収穫の主人に お願いしなさい。3 出かけて行きなさい。ご覧なさい,わたしはあなた方をおおかみの中にいる子羊のように遣わすのです。4 財布も,食物袋も,サンダルも携えて行ってはなりません。また,道中では,だれともあいさつの抱擁をしてはなりません。5 どこでも家の中に入ったなら,まず,『この家に平和がありますように』と言いなさい。6 そして,平和の友がそこにいるなら,あなた方の平和はその人の上にとどまるでしょう。しかし,いないなら,それはあなた方のもとに戻って来るでしょう。7 それで,そこの家にとどまって,人々が備える物を食べたり飲んだりしなさい。働き人は自分の報酬を受けるに値するからです。家から家へと移って行ってはなりません

そこにふさわしい人を探し出し、去るまではそこにとどまりなさい。
そこの家にとどまって、. . . 家から家へと移って行ってはなりません。
などの表現に注目してください。

ここで述べられていることは明らかに訪問先における宿舎探しのことです。

ものみの塔協会は、これを家から家の伝道活動に適用して、それがキリスト教の特徴であると、ものみの塔誌で教えています。
しかしそれは知的な欺きです。

しかも、時間の報告を要求し、それによって人を評価までしています。
そのために、幾人かの羊たちは全く不必要な良心の呵責に悩まされたりしています。

この伝道の方式は、聖書的な根拠を欠く、ものみの塔協会独自の無価値な崇拝の方式であることに気付いてください。

それで、ものみの塔協会を離れても「伝道をどうしようか」などと悩む理由は全く無いことを悟ってください。

組織宗教から離れてできることは、
これまでの拘束されていた時間を有効に活用して聖書を読み通したり、研究し思いをそれこそ造り変えることができます。

真のクリスチャンの生き方を求めて何でも自分にできるこができるのではありませんか。
ネットを活用して他の兄弟姉妹たちと思いを分け合ったりできますし、そのうちにご自分の近くの兄弟姉妹たちと直接どこかで集ってクリスチャンの交友を楽しむことができるようになるでしょう。

恐れることは何もありません。
神を愛し、隣人を愛し、自分の資力の範囲で慎ましくハルマゲドンまで生活を楽しんでいけると思います。

ヤコブ 1:27
27 わたしたちの神また父から見て清く,汚れのない崇拝の方式はこうです。すなわち,孤児ややもめをその患難のときに世話すること,また自分を世から汚点のない状態に保つことです。

マタイ 28:20
そして,見よ,わたしは事物の体制の終結の時までいつの日もあなた方と共にいるのです。

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