エノクの書、外典、偽典などについて

2015/08/20 5

聖書

t f B! P L

聖書筆者が引用、言及している資料について

聖書の筆者が引用したり言及したりしている書物はいくつもあります。

それらの古代の情報源の原本を確立することはできません。

しかし、聖書に記録されている箇所の史実性を疑う根拠はないでしょう。
聖書以外からの情報が聖書の真理全体と調和し矛盾をきたしていないなら真実として受け入れることができます。

でも、それは情報が取られた書物全体が聖書のように全て信頼のおける情報を提供していることを保証するものではありません。

使徒パウロは、クレタ人の詩人の言葉を引用していますが、それはその者が神の霊感を受けているということではありません。

テトス 1:12
12 彼らのうちのある者,彼ら自身の預言者*が言いました,「クレタ人は常に偽り者,害をもたらす野獣,無為に過ごす大食家」と
*Epimenides, a Cretan poet of the sixth cent. B.C.E.

エノクの書も同様にみなせます。
エノクの書は、6つの主要な部分によって構成されています。
考古学者たちは、300-400年かけて書かれた複数の筆者の作品をまとめたものと評価しています。

見張りの者の書 The Book of Watchers (chapters 1-36)
西暦前3世紀の終わりから西暦前2世紀の始めににかけて書かれたとされている。
この部分が最も信憑性が高いとされている部分です。聖書の内容と調和しています。
主題は「最後の審判」です。
内容は、
紹介(1-5章)最後の審判
堕落(6-36章)地上の女性との性関係のためのみ使いたちの天からの降下、子どもたちの邪悪さ、人類の堕落

寓話の書 The Book of Parables (chapter 37-71)
西暦1世紀に書かれたとされている。
主題は「メシアとその裁き」です。
内容は、
寓話1 義人、み使い、メシアのいる天についてのエノクの幻(38-44章)
寓話2 メシアによる裁き(45-57章)
寓話3 人の子(58-71章)

天文学と暦の書 The Book of Astronomy and Calendar (chapter 72-82)
西暦前3世紀の終わりから西暦前2世紀の始めごろ書かれたとされています。
主題と内容は、気象の要素、星、太陽、月の動きと暦についてです。

幻想の書 The Book of Vision (chapter 83-90)
西暦前165-160に書かれたとされている。(マカベア家による反乱のころ)
主題は、裁きと歴史です。
内容は、
幻1 最初の裁きとしての大洪水(83-84章)
幻2 反逆までのイスラエルの歴史(85-90章)

エノクの祝福と警告の書 The Book of Warnings and Blessings of Enoch (chapter 91-104)
西暦2世紀の初期に書かれたとされている。
主題は、警告と祝福と啓示です。
内容は、
週の啓示の預言(91-93章)
罪人と義人に臨むこと(94-104章)

ノアの書 The Book of Noah (chapter 105-108) 追加の書
西暦2世紀に書かれたとされている。
内容は、
この部分は後からの思いつきとして追加されたもののようです。それはノアの書のような他の書物からの断片を含んでいます。

エノクの書を読むと、聖書の記述と調和している部分とそうでない部分があることが分かります。
それで、この書物自体が霊感の書物でないことは歴然としています。

聖書の記録により歴史書を含めあらゆる書物の信憑性を評価できます。
聖書全体の真理が基準であり、その逆はありません。

箴言 30:5
5 神のことばはすべて精錬されている。[神]はご自分のもとに避難する者たちの盾である。6 その言葉に何も付け加えてはならない。[神]があなたを戒めることのないため,あなたがうそをつく者とされないためである。

コリント第二 10:4-6
4 わたしたちの戦いの武器は肉的なものではなく,強固に守り固めたものを覆すため神によって強力にされたものなのです。5 わたしたちは,[いろいろな]推論や,神の知識に逆らって立てられた一切の高大なものを覆しているのです。そして,一切の考えをとりこにしてキリストに従順にならせています。6 また,あなた方自身の従順が全うされたら,一切の不従順に対して直ちに処罰を加える用意を整えているのです。

神のことばに精通するなら真実と嘘の識別が容易になるでしょう。
神のことばに頼る人は幸いです。その信頼が失望にいたることはありません。

使徒ヤコブは、悪霊たちが信じていることを引用して論議を展開しています。

ヤコブ 2:19
19 あなたは,ただひとりの神がおられることを信じているというのですね。なるほどそれはりっぱです。ですが,悪霊たちも信じておののいているのです。

使徒パウロは、ある人々が主張する偽りを用いて論議を展開しています。

ローマ 3:8
8 そして[なぜ],わたしたちが言いがかりを受け,わたしたちがそう唱えているとある人たちが言うとおり,「良いことが来るように悪いことをしよう」と[言わ]ないのですか。そうした[人たち]に対する裁きは正当なものです。

これとは対照的に、聖書以外の文献、人々の語った真実の情報も沢山活用されています。

真実であれ、偽りであれ、霊感の論議を支えるパーツであり、その一コマで悩む人の思いがおかしいと思います。
疑う口実を求めているなら、それはその人の思考であり、わたしのものではありません。

聖書は多くの書物からの引用を含んでいます。
エノクの書を特別視する必要はありません。
ポイントは、文献が霊感を受けているかどうかではなく、引用されている箇所が真理か、真実か、および霊感を受けて展開されている論議を支えるものであるかという点です。

ですから、融通のきかない義にすぎる見方は、真理や真実を把握する上で何の役にもたたないでしょう。

以下に霊感を受けた聖書筆者が引用している文献のいくつかのサンプルを列挙します。

創世記 5:1-2
1 これがアダムの歴史の書である。神はアダムを創造した日に,これを神に似た様にお造りになった。2 男性と女性にこれを創造された。そののち[神]は彼らを祝福し,その創造された日に彼らの名を“人”と呼ばれた。
(アダムは霊感を受けたと言えないでしょう。)

サムエル第二 1:18
18 ユダの子らは「弓」を教わるようにと言った。見よ,それはヤシャルの書に記されている。

民数記 21:14
14 そのために“エホバの戦い”の書にはこう述べられている。
「スファのワヘブとアルノンの奔流の谷,

サムエル第一 10:25
25 そこで,サムエルは王権に伴って当然受けるべきものについて民に話し,それを書に記して,エホバの前に納めた。それからサムエルは民を皆,それぞれ自分の家へ帰した。

歴代第一 27:24
24 ツェルヤの子ヨアブは数え始めたが,し終えなかった。このため,憤りがイスラエルに臨み,その数はダビデ王の時代の事績の記録には載らなかった。

歴代第一 29:29
29 王ダビデの事績は,最初のものも最後のものも,予見者サムエルの言葉,預言者ナタンの言葉,幻を見る者であるガドの言葉の中にまさしく記されている。

歴代第二 9:29
29 ソロモンのその他の事績は,最初のものも最後のものも,預言者ナタンの言葉,シロ人アヒヤの預言,ネバトの子ヤラベアムに関する幻を見る者であるイドの幻の記録に記されているではないか。

歴代第二 13:22
22 また,アビヤのその他の事績,すなわち彼の行ないと言葉は,預言者イドの注釈に記されている。

歴代第二 20:34
34 エホシャファトのその他の事績は,最初のものも最後のものも,まさしく,イスラエルの“王たちの書”に載せられたハナニの子エヒウの言葉の中に記されている。

歴代第二 24:27
27 彼の子ら,彼に対するおびただしい宣告および[まことの]神の家の土台を置くことについては,まさしく“王たちの書”の注釈に記されている。こうして,その子アマジヤが彼に代わって治めはじめた。

歴代第二 33:19
19 彼の祈り,その嘆願が聞き入れられたこと,そのすべての罪,その不忠実なこと,および彼がへりくだる前に高き所を築いて,聖木や彫像を立てた場所は,彼の幻を見る者たちの言葉にまさしく記されている。

エステル 2:23
23 そこで,この事が追及され,結局明らかにされたので,彼らふたりは杭に掛けられることになった。その後,このことは王の前でその時代の事績の書に書き記された。

エステル 6:1
1 その夜中,王の眠りは消失した。それゆえ,[王]はその時代の事績の記録の書を持って来るように言った。こうして,王の前でその朗読が行なわれることになった。

列王第一 11:41
41 ソロモンのその他の事績,彼の行なったすべてのこと,および彼の知恵は,ソロモンの事績の書に記されているではないか。

上記の文献の原本は存在しません。
エノクの書の原本も存在していないのと同じです。
現在あるエノクの書は西暦前3世紀のもので、それはエノクが生きていた時代のものではありません。

誰が述べたり書いたりしたとしても真理は、やはり真理ですよね。
サタンや悪霊たちは神の存在を知っています。
彼らは神の名前、イエスの素性も知っています。

聖書は悪霊たちに言及して書いてある箇所がいくつもあります。
もちろん悪霊たちは神の霊感を受けてはいませんよね。

エホバ神を信じていない異邦人の歴史家、詩人の言葉を引用してパウロは論議を展開し、それが聖書に記録されています。

異邦人の歴史家や詩人は、もちろん神の霊感など受けていません。
イスラエル人の歴史家の書物や世俗的な公文書なども沢山聖書中に引用されていいます。
そららの文献は、もちろん霊感の書物ではありません。

ポイントは、
霊感の書物でない文献や、神を信じてない学者や詩人、悪霊たちのことばでさえ、それが真理であっても偽りであっても、討議中の論議を支えるものであれば、問題なく用いられるということです。

「霊感の書物に書かれていることは、すべて他の霊感の書物のなかに書かれているべきである。だから聖書以外からの引用を含む書物は霊感を受けていない。」といいう発想は道理を逸しており聖書の実体からかけ離れています。聖書はそのように書かれてはいません。

もちろん、そのような極端な見方を取りたければ、それはそれで自由です。
しかし、それはわたしの見方ではありません。

聖書の内面の調和は、聖書以外の文献や引用句によって崩れることはありません。
聖書の内容に精通すれば、聖書の内面の調和をより一層意識できます。
内面の調和が理解できれば、不協和音の箇所は容易に分かり、取り除くなり、調整するなりして聖書の真理の純度を高めることができます。

乳にあずかる幼児にはできなくても、大人のクリスチャンにとってそれは容易なことです。
そして、聖書は、いつまでも自分で考えることができない幼児のままでいることを勧めてはいません。

むしろ円熟した大人を目指して成長することを励ましています。

ヘブライ 5: 11-14
11 彼について言うべきことはたくさんありますが,説明しにくく[思え]ます。あなた方は聞く力が鈍くなっているからです。12 実際あなた方は,時間の点から見れば教える者となっているべきなのに,神の神聖な宣言の基礎的な事柄を,もう一度だれかに初めから教えてもらうことが必要です。そして,固い食物ではなく,乳を必要とするような者となっています。13 乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです。14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

エフェソス 3:13-14
13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。14 それは,わたしたちがもはやみどりごでなくなり,人間のたばかりや誤らせようとたくらむ巧妙さによって,波によるように振り回されたり,あらゆる教えの風にあちこちと運ばれたりすることのないためです。15 そうです,わたしたちは真理を語りつつ,愛により,すべての事において,頭であるキリストを目ざして成長してゆきましょう

ものみの塔のインチキシステムの中ではいつまで経っても赤子のままですよ。

聖書預言について

以前にも書いていますが、

聖書の預言には2つのタイプがあります。
1) 意味が明白で理解が期待されている預言
2) 意味が不明で理解が期待されていない預言

意味が明白で理解が期待されている預言について

それは、主に警告のためのものです。
それは事前の警告ですから、誰でも意味が分かる必要があります。
この種の預言は他の人からの解説を必要としません。警告に従うか従わないかは各自の判断となります。

例えば、

マタイ 24:15
15 「それゆえ,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,預言者ダニエルを通して語られたとおり,聖なる場所に立っているのを見かけるなら,(読者は識別力を働かせなさい,)16 その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。

ルカ 21:20-22
20 「また,エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら,その時,その荒廃が近づいたことを知りなさい。21 その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい。[都]の中にいる者はそこを出なさい。田舎にいる者は[都]の中に入ってはなりません。22 なぜなら,これは処断の日であり,それによって,書かれていることのすべてが成就するのです。

これは、事前の警告であり、それが生じたら山に逃げて生き延びることができます。
この種の預言において信者の間の不一致などありません。
指示は明白で誰にでも容易に分かります。
それでも、預言的警告への対応の仕方には違いがあるでしょう。
結果がどうなるかは、やはり個人の問題となります。

意味が不明で理解が期待されていない預言について

その主な目的は神の栄光のためです。
その種の預言は、預言が成就して後に理解が与えられます。
この種の預言の理解を事前に知り、それによって栄光を受ける預言者はいません。
ある出来事が成就してから、それが預言された通りに完璧に成就したことが知らされます。
それによって栄光を受ける方は神のみとなります。

例えば、
メシアについての預言は、それが成就して後に理解されました。
ヘブライ語聖書の預言や律法から預言されていた詳細がナザレのイエスに上に成就したことを、イエスの弟子たちは、すべてが成就して後に理解しました。

ルカ 24:25
25 すると[イエス]は彼らに言われた,「ああ,無分別で,預言者たちの語ったすべてのことを信じるのに心の鈍い人たちよ。26 キリストはこうした苦しみを経て自分の栄光に入ることが必要だったのではありませんか」。27 そして,モーセとすべての預言者たちから始めて,聖書全巻にある,ご自分に関連した事柄を彼らに解き明かされた

ヨハネ 12:12-15
12 次の日,祭りに来ていた大群衆は,イエスがエルサレムに来られることを聞くと,13 やしの木の枝を取って彼を迎えに出て行った。そして,大声でこう叫びはじめた。「救いたまえ! エホバのみ名によって来たる者,イスラエルの王こそ祝福された者!」14 しかしイエスは,若いろばを見つけてから,その上に座された。まさにこう書いてあるとおりである。15 「シオンの娘よ,恐れてはならない。見よ,あなたの王が来る。ろばの子に座って」。16 弟子たちは初めこれらの事を気に留めなかったが,イエスが栄光を受けられたその時になってから,彼についてこうしたことが書かれており,また自分たちが[イエス]に対してこれらの事を行なったということを思い出したのである

イエスの弟子たちは、メシアに関するすべての預言を理解することは期待されていませんでした。なぜならその必要がないからです。それでこの種の預言を事前に知ろうとして頭を使うのは無駄なことです。

ダニエル書、啓示の書などの印による預言は事前に理解することは期待されていません。物事が成就して後に詳細が理解され神に栄光が帰されるでしょう。

ですから、王国の子たちの主要な関心事は、自分と関係ない預言の理解などではありません。
知るべき必要な情報は既に聖書で明らかにされており将来の出来事について、王国の子たちは無知ではありません。

テサロニケ第一 5:1-5
1 さて,兄弟たち,時と時期については,あなた方は何も書き送ってもらう必要がありません。2 エホバの日がまさに夜の盗人のように来ることを,あなた方自身がよく知っているからです。3 人々が,「平和だ,安全だ」と言っているその時,突然の滅びが,ちょうど妊娠している女に苦しみの劇痛が臨むように,彼らに突如として臨みます。彼らは決 して逃れられません。4 しかし,兄弟たち,あなた方は闇にいるのではありませんから,盗人たちに対するように,その日が不意にあなた方を襲うことはありません。5 あなた方はみな光の子であり,昼の子なのです。わたしたちは夜にも闇にも属していません。

出来事のタイミングを計算やその他で知ることのできる人はいません。

使徒 1:7
7 [イエス]は彼らに言われた,「父がご自分の権限内に置いておられる時また時期について知ることは,あなた方のあずかるところではありません

王国の子たちの主要な関心事は、クリスチャンとして果たすべき責任であり、知るべきことを知り、行うべきことを行うことです。

使徒 1:8
8 しかし,聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。

マタイ 10:32
32 「それゆえ,人の前でわたしとの結びつきを告白する者はみな,わたしも天におられるわたしの父の前でその者との結びつきを告白します。33 しかし,だれでも人の前でわたしのことを否認する者は,わたしも天におられるわたしの父の前でその者のことを否認します。

預言に対する見方やクリスチャンの責任について王国の子たちの間に分裂はありません。
聖書を十分知らない霊的な赤子の間に分裂があるだけです。

もし、ある人が預言に関心があるとしても、事前に預言の実体を知ることはできないでしょう。なぜならその必要がないからです。成就して後に詳細を知ることになるでしょう。

また、他の聖句によって確認できる預言的な実体もあります。
例えば、啓示の「大群衆」とかは将来の出来事ですが、それがマタイ25:41の義なる羊であるとみなすことができます。

もちろん別の適用を考えることもできます。

しかし、この種の聖書解釈の相違は、王国の子たちの信仰の一致を脅かすほどのものではありません。

事が成就して後に、多くの詳細を知ることになるでしょう。

聖書解釈の問題の多くは、以下の原則で適切に処理できます。

ローマ 14:5, 22
5 ある人は,ある日がほかの日に勝ると判断し,別の人は,どの日もほかのすべての日と同じであると判断します。おのおの自分の思いの中で得心していなさい
22 あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。

人の思いや自由意志を支配できる人はいませんので、いつでも聞く耳のある人は聴きなさい。(同調できる人は、同調しなさい。)ということになります。

ローマ 14:10, 4
10 それなのに,あなたはなぜ自分の兄弟を裁くのですか。また,なぜ自分の兄弟を見下げたりするのですか。わたしたちはみな,神の裁きの座の前に立つことになるのです。
4 他の人の家僕を裁くとは,あなたはだれなのですか。その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。

フィリピ 3:14
14 キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです。15 それで,わたしたちのうち円熟した者は皆,このような精神態度を抱きましょう。そして,もしあなた方が何かの点でこれと異なる考え方をしているとしても,神はここに述べた[態度]をあなた方に啓示してくださるでしょう。16 いずれにしても,自分がどこまで進歩したかに応じ,その同じ仕方で整然と歩んでゆきましょう

聖書目録について

➡ 聖書目録は、キリストの使徒たちの存命中に既に確立されていました。

カトリック教会は、既に確立されていた聖書目録を承認したにすぎません。
その目的は、自らの権威を聖書に基づくものとして印象付けるためです。
そのようにして彼らは、信者を支配するためいわばモーセの座に着きました。
しかし実際彼らが行ったことは、一般の人々が聖書を読めないようにすることでした。
そのために1000年以上にわたりカトリック教会の支配が人々を苦しめることになりました。

聖書に精通していない人々の間に分裂があるのであって、聖書に精通している人々の間に分裂はありません。

王国の子たちは、西暦1世紀から今日に至るまで、どこに住んでいても同じ思いでしっかり結ばれています。彼らは頭であるキリストと結ばれており同じ思い、信仰、希望を持っています。

ヨハネ 10:16
16 「また,わたしにはほかの羊がいますが,それらはこの囲いのものではありません。それらもわたしは連れて来なければならず,彼らはわたしの声を聴き,一つの群れ,一人の羊飼いとなります

この1つの群れは西暦1世紀から存在しています。

聖書に精通して、偽りを見抜いてください。

外典や偽典は単なる人間のコメントにすぎません。
それは主体ではありません。

大切な真理は聖書です。
ですから聖書に精通すれば真理と偽りを識別できます。

ヘブライ 5:13-14
13 乳にあずかっている者はみな義の言葉に通じておらず,その人は赤子なのです
14 一方,固い食物は,円熟した人々,すなわち,使うことによって自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分けられるようになった人々のものです。

まず、聖書に精通してください。
そうすれば偽りによって誤導されることはないでしょう。

聖書の真理に精通すれば、真理と調和しない箇所を容易に識別できます。
また写本の比較研究も聖書の純度を高める助けとなります。

聖書中の他の聖句や写本から明らかになった疑わしいいくつかの聖句

三位一体
➡ マタイ28:19
➡ パルーシア
➡ 家から家
➡ コリント第一 14:33-35 、テモテ第一 2:11-15
➡ 新約聖書におけるエホバ(特にJWの聖書)

その他まだあると思いますが、聖書の真理そのものが、聖書中の加筆や変更を暴露します。

加えて、聖句の誤った適用も他の聖句により見破ることが可能です。
サタンは聖句を用いてイエスと論じました。
イエスも対抗する聖句を用いてバランスを取りました。
それでイエスのように聖句に精通するなら誤りの働きを見破れるでしょう。

聖書中の不協和音は容易に識別できると思います。
不協和音の原因となっている聖句は疑わしい聖句としてマークできます。

疑う理由を探すために聖書を読んでも益は得られないでしょう。
自分の信じていないものを読むのは時間の浪費と思います。
むしろ単純で明快な真理を探すために聖書を読めばやがて真理の全体を知ることになるでしょう。
そして確信している真理の全体が聖書中の偽りを排除すると思います。

わたしが「も塔」にいた頃は、サタンの働きによる「も塔」の偽りに誤導されていましたが、神の言葉に精通するにつれ偽りはその力を失いました。

も塔の偽りは使徒パウロが述べたようにもはやクズでしかありません。

フィリピ 3:7-11
7 しかし,わたしにとって得であった事柄,それをわたしは,キリストのゆえにすべて損と考えるようになりました。8 いや,この点で言えば,わたしは実際のところ,わたしの主キリスト・イエスに関する知識の優れた価値のゆえに,一切のことを損とさえ考えています。[キリスト]のゆえにわたしはすべてのものを損失しましたが,それらを多くのくずのように考えています。それは,自分がキリストをかち得て 9 彼と結ばれた者とみなされるためです。そして,律法による自分自身の義ではなく,キリストに対する信仰によるもの,すなわち,信仰に基づいて神から来る義を得,10 こうして,[キリスト]とその復活の力またその苦しみにあずかることを知り,彼のような死に服し,11 何とかして死人の中からの早い復活に達しえないものかと[努めているのです]。

偽りは一時的であり、真理は永遠です。
サタンの成功は一時的であり、真理への愛は偽りを見破ります。
それで、神は偽りの働きを許しました。

箴言 12:19
19 永久に堅く立てられるのは真実の唇であり,偽りの舌はほんの一瞬にすぎない。

テサロニケ第二 2:9-17
9 しかし,不法の者が存在するのはサタンの働きによるのであり,それはあらゆる強力な業と偽りのしるしと異兆を伴い,10 また,滅びゆく者たちに対するあらゆる不義の欺きを伴っています。彼らが[こうして滅びゆくのは],真理への愛を受け入れず,救われようとしなかったことに対する応報としてなのです。11 そのゆえに神は,誤りの働きを彼らのもとに至らせて,彼らが偽りを信じるようにするのであり,12 それは,彼らすべてが,真理を信じないで不義を喜びとしたことに対して裁きを受けるためです。
13 しかし,エホバに愛される兄弟たち,わたしたちは,あなた方について常に神に感謝しなければなりません。神は,霊をもって神聖な者とすることにより,また真理に対するあなた方の信仰によって,あなた方を救いのために初めから選び出してくださったからです。14 ほかならぬこの定めに,[神]はあなた方を,わたしたちの宣明する良いたよりを通して召してくださったのであり,それは,わたしたちの主イエス・キリストの栄光を得るためなのです。15 それですから,兄弟たち,しっかりと立ち,口伝えの音信によってであれ,あるいはわたしたちの手紙によってであれ,あなた方が教えられた伝統をしっかり守 りなさい。16 また,わたしたちの主イエス・キリストご自身と,わたしたちを愛し,過分のご親切によって永遠の慰めと良い希望を与えてくださったわたしたちの父なる神が,17 あなた方の心を慰め,あらゆる良い行ないと言葉の点で,あなた方を確固たる者としてくださいますように。

真理を愛する人はキリストの声に従います。

ヨハネ 18:37
37 それでピラトは彼に言った,「それでは,あなたは王なのだな」。イエスは答えられた,「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」。

ヨハネ 3:19
19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。20 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。21 しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。

マラキ 3:18
18 そしてあなた方は必ず,義なる者と邪悪な者,神に仕える者と仕えなかった者との[相違]を再び見るであろう」。

啓示 22:10-15
10 彼はまたわたしにこう言う。「この巻き物の預言の言葉を封じてはならない。定められた時が近いからである。11 不義を行なっている者,その者はいよいよ不義を行なうように。不潔な者はいよいよ不潔になるように。しかし,義なる者はいよいよ義を行ない,聖なる者はいよいよ聖なる[者]となるように
12 「『見よ,わたしは速やかに来る。そして,わたしが与える報いはわたしと共にある。各々にその業のままに報いるためである。13 わたしはアルファでありオメガであり,最初であり最後であり,初めであり終わりである。14 自分の長い衣を洗って,命の木に[行く]権限を自分のものとし,その門から都市の中に入れるようになる者たちは幸いである。15 その外にいるのは,犬,心霊術を行なう者,淫行の者,殺人をする者,偶像を礼拝する者,また,すべて偽りを好んでそれを行ないつづける者である』。

聖書が真理であり、聖書に精通し真理を愛し真理によって生きる者たちは幸いです。

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自己紹介



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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