善悪の知識の木について書きます。
善と悪の対比は、
光と闇、
真実と偽り、
益と害、
などの対比から推論すると良いですよ。
真実が善を生み、
偽りが悪を生みます。
神は真実な方で、その方に偽りや悪はありません。
神は良いものの源です。
ヤコブ 1:13 17
13 試練に遭うとき,だれも,「わたしは神から試練を受けている」と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,[そのようにして]ご自身がだれかに試練を与えることもないからです。
17 あらゆる良い賜物,またあらゆる完全な贈り物は上から来ます。[天の]光の父から下って来るのです。そして[父]には影の回転による変化もありません。
善悪の知識の木 神の子たちの教材
エデンの園に置かれた善悪の知識の木は、アダムとエバの教材であり、神に従うかどうかの選択の機会を提供していました。それはまた理性と自由意志をもつ全ての神の子たちの教材とも言えます。まず始めに思いに留めていただきたい点は、神への不従順が生じる前には、偽りも苦痛も不安も悲しみも存在していませんでした。
つまり悪は存在していなかったということです。
ですから、アダムとエバは悪を知りませんでした。
罪を犯す前、アダムとエバは始まったばかりの命の祝福だけ知っていました。
つまり善だけを知っていたということです。
神に従順であり続ける限り、人は善だけを知り、悪を知ることはなかったでしょう。
神の理知ある被造物は、み使いたちも人間も神の像に造られていますから、神がそうであるように自由意志を与えられています。
もちろん、その自由意志は善のためのものであり、悪のためのものではありません。
アダムとエバは、自由意志の用い方について神を見倣うことが期待されていました。
どのような場合でも善の源である神に従うことが自由意志の最善の用い方です。
自らに存在しない悪で神が誘惑を受けることはありませんし、悪で他のものを誘惑することもありません。
アダムはそのことを十分承知していたと思いますが、サタンの罠に陥りました。
自由意志の誤用
自由意志の誤用は、霊の領域で始まりました。あるみ使いは偽りの推論を発展させ偽りの父となりました。
神には偽りはありませんので、偽りはその者の発明といえます。
それは自由意志の誤用の産物のひとつであり神の像(真実や善良さ)からの堕落への一歩の始まりです。
人間やみ使いたちは、プログラムに支配されるロボットでも、本能に支配される鳥や動物でもありません。
神の子たちには、見たり聞いたりして学び自分で自分をプログラムする能力が与えられています。
自らの内にある神の像を守るか崩すかは自らのプログラム次第ということになります。
ですから、アダムとエバが善悪の知識の木についての神の命令から学ぶべきことは沢山あったと思います。神の像に造られている彼らの頭脳は、知識を蓄積し、結果を判断し、最善の選択をするように彼らを導いていたはずです。
神に従順であれば、永遠にわたり善を経験できたでしょう。
神への不従順は、知る必要のない悪を経験するすることになるでしょう。
悪は、本人も含め関係者全てにとって有害で破壊的であるために悪を行うものには死が定められています。悪は死によって終わります。死は生存の停止であり、それをもって神への不従順が生み出す、痛み、悲しみ、害が終わります。
アダムとエバが失敗したのは、サタンの働きによります。
サタンとなったみ使いは偽りを発明し、それを用いてエバを騙し、アダムに不本意な選択をさせました。
アダムの罪のためにアダムの家族は悪を知るようになりました。
人類は今にいたるまで本来経験する必要のなかった悪に苦しんでいます。
天のみ使いたちも、人類家族に臨んだ不幸から不従順が生み出す悲惨な結果を知ることになりました。
このお粗末な惨状は神が意図したものではありません。
それは、真理の内に堅く立たず、つまり神の像を維持せず、利己心のために自由意志を誤用し偽りを推し進めた者から始まっています。
ヨハネ 8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。
神の安息日の出来事
神は、生じた問題の解決のために即座に応じ、偽りの犠牲となったアダムの家族の救いを約束なさいました。それはちょうど安息日に穴に落ち込んだ羊を助けることと似ています。
マタイ 12:10-13
10 すると,見よ,片手のなえた人がいた。それで彼らは,「安息日に[病気を]治すことは許されるだろうか」と[イエス]に尋ねた。彼を訴える理由を得ようとしてであった。11 [イエス]は彼らに言われた,「あなた方のうち,一匹の羊を持っていて,それが安息日に穴に落ち込んだ場合,それをつかんで引き出さない人がいるでしょうか。12 どう考えても,人は羊よりずっと価値のあるものではありませんか。それで,安息日にりっぱなことをするのは許されているのです」。13 それから,その人に向かって,「あなたの手を伸ばしなさい」と言われた。それで彼が伸ばすと,それは元どおりになり,他方の手のように健やかになったのである。
イエスは安息日の王と呼ばれており、ご自分の1000年統治に罪に陥ったアダムの家族を救出するでしょう。
全ての人は被った悪を取り除かれ善良な神の救いと善意を知ることになるでしょう。
西暦1世紀にイエスがなさった奇跡的な癒しは神の安息日のうちに生じることの予告編となっています。
創造の第7日は神の安息日と呼ばれており、その日を神は祝福なさっています。
つまり神の創造の第7日は、全ての人が神が意図なさった善を知ることになるということです。
アダムの不従順により人類家族は善と悪の双方を知ることになりましたが、罪からの救いは神の善良さの際立った証拠とるでしょう。
利己的な者が生み出す悪を除くために神は進んで最大の犠牲を払いました。
神には悪は微塵もありません。
サタンが悪を持ち込みましたが、善良な神はアダムの家族を悪から救出なさいます。
サタンは頭を砕かれ悪は終わることになっています。
創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。 彼(キリスト)はお前(サタン)の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。
ローマ 8:20-21
20 創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。21 すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。
アダムの家族は、虚無に服させられたとあるとおり悪を知るに任されました。
なぜなら、善良な神からの救出の希望が与えられているからです。
神は罪に陥った人類を見捨ててはいません。
アダムの家族は、神の安息日のうちに救いにあずかり神の卓越した善良さを知ることになるでしょう。
創世記 2:3
3 それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その[日]に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである。
神は七日目を祝福したと述べられています。
つまり、その日に神の意図なさった善が成就することを意味しています。
神の善意が、被造物の自由意志の誤用で生じた悪で潰えることはありません。
神の善良で愛ある目的は、キリストの1000年統治により必ず勝利を収めます。
啓示 21:3-7
3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。
5 そして,み座に座っておられる方がこう言われた。「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」。また,こう言われる。「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。6 そして,その方はわたしに言われた,「事は成った! わたしはアルファでありオメガであり,初めであり終わりである。だれでも渇いている者に,わたしは命の水の泉から価なしに与える。7 だれでも征服する者はこれらのものを受け継ぎ,わたしはその神となり,彼はわたしの子となるであろう。
全ての悪が征服されたときキリストは王国を神に戻します。
そして全ての人は神の権威の下で独立した神の子としての栄光ある自由を享受することになります。
コリント第一 15:24-28
24 次いで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。25 [神]がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼は王として支配しなければならないのです。26 最後の敵として,死が無に帰せしめられます。27 [神]は「すべてのものを彼の足の下に服させた」からです。しかし,『すべてのものが服させられた』と言うとき,すべてのものを彼に服させた方が含まれていないのは明白です。28 しかし,すべてのものが彼に服させられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです。
それから、祝福された創造の第7日が終わるでしょう。
そののち神は自分の救いの業の実をご覧になったが,見よ,もはや悪はない[それは]永久にわたり非常に良かった。そして夕となり,朝となった。七日目である。
創造の第七日は、永遠にわたる神の善良さの根拠をすえて栄光のうちに終わるでしょう。
それ以後被造物が悪を知る、つまり悪により苦しむことは二度とないでしょう。
変節者の悪は、その者の頭に直接臨む事になり他の者が悪の犠牲になることはなくなります。
サタンの歩みに倣って利己的になり自由意志を誤用し内面の神の像を崩すものたちは、自分のまく悪をその場ですぐ刈り取り他を害することはもはやあり得ません。
サタンとその胤は、永遠に渡り愚か者の判例とされるでしょう。
善の源である天の父の善良さを経験した天と地に住む全ての神の子供たちは善悪の知識を思いと心に銘記し感謝して父のように善良な定めのない存在となります。
4 件のコメント:
創造の一日目に闇と光を区別する≒アダムとエバが罪に入りユダヤ伝承では秋が始まり木々が枯れて死にゆく有様を見て、善と悪であり闇と光の側面を知る
創造の二日目に水の間の空を生み出す≒ノアの洪水の間、天から雨が初めて降り注ぎ地上は水で覆われ実に空が水で上下覆われることになる
創造の三日目に水が集まって乾いた地上が生み出される≒モーセの紅海の時、水が分けられイスラエルが乾いた土地を移動する
創造の四日目に小さな光と大きな光それぞれ月と太陽が生み出される≒ヨハの福音書でバプテストのヨハネが月となり太陽であるイエスキリストを照らす役目となると表現される。
創造の五日目に水が豊かな命を生み出す≒ペンテコステにより聖霊が流れて命の水を飲むつまり恵みの時代の始まり
創造の六日目に人を形造りあらゆる獣を従え地上を治めるように言われる≒獣の数字を持つ人間が地上を支配し悪のピークに至る。
創造の七日目に神が全てを祝福し安息日に休まれる≒安息日の主イエスキリスト再臨により聖徒と信徒が永遠の休みに入り地上を再創造する。
7千年を四等分する。アダムの罪が入った時期を秋頃とすると3500年から5250年が春の時期になりメシアの贖いが完成され律法の時代が終了した明るい時代の到来です。5250から7000年まで夏の収穫の時期に該当し輝かしい千年統治が始まる時代に相当します。
完璧に創造の七日間は千年ごとに生じる出来事の流れの予表となっています。ですから、イエスの死と復活は四日目が終わったころに生じて再臨はその二千年後に起きると一世時代の使徒も考えていました。バルナバの手紙を読んでください。タルタリア帝国が千年王国だった説は間違いでしょう。
イザヤ61:2 主の恵みの年とわれわれの神の報復の日とを告げさせ、また、すべての悲しむ者を慰め、3シオンの中の悲しむ者に喜びを与え、灰にかえて冠を与え、悲しみにかえて喜びの油を与え、憂いの心にかえて、さんびの衣を与えさせるためである。こうして、彼らは義のかしの木ととなえられ、主がその栄光をあらわすために植えられた者ととなえられる。
イエスキリストの再臨の「日時」はわからなくとも年代は実は把握できる可能性があるわけです。多くの本物のクリスチャンが近年その夢を見ています。ものみの塔はイエスの死と復活から二千年をカウントしませんので1975年に終わると誤算してしまい信頼を失い今となっては海外の優れた情報発信者の意見を悪魔のものと退けるため、全くこの創造の七日間と7千年にかけて生じる預言的解釈を教えなくなりました。
世界はコロナ茶番により黙示録にある通り全世界が魔術(薬品魔術)により惑わされ多くの人々が死ぬ惨劇に至ることになりそれが神が滅びを生じさせる原因と書いてますので、やはり人類を創造した創り主がもうすぐ戻られる認識の方が良いと思います。
上記の聖句を見ても、再臨の「日時」ではなく「年月」を把握するように神が人類に語り掛けている可能性を考慮すると、やはりタルタリア陰謀論説によって歴史に千年足されたいや実は足されてないけどちょっと足されたかも今は西暦何年かわからない状況下に神が至らせることは無いと見越すのが、聖書の問いかけと相反することが無い認識と思います。英語が得意な方が多いわけですから、皆さん検索して情報発信なさってください。
year of return of jesus christと検索してください。英語圏では20年前からもう既に答えが出ていました。これぞ聖書の参考書、教科書の鉄板と言っても過言ではない程の創造の七日間を七千年に相当させて説明しているサイトがあります。それが外れたとしても誰をも責めることはできません。何故なら理屈としてイエスの死と復活から2日後である二千年後に再臨があることが聖書全体の啓示となってるからです。ですから調べた結果出てきた数字にある程度の根拠があった場合でも、自分で信じて確信したことを他人に伝える場合に仕事を今すぐやめろとは言わないほうがいいでしょう。
もしハズレた場合はフラットアース派の千年王国終了派のいう歴史改竄説濃厚になってしまうでしょうが、やはり神が再臨の日時ではなく年月は悟ってほしいことを人類側に願ってるように見受けられるので、コロナ茶番ワクチン戦争を見てもその時期に来てるとは思います。歴史改ざん説は嘘の可能性がありますので、西暦年が分からないとする認識を捨てて時期である年月を悟るべき段階に来ている可能性を考慮した方が相応しい判断なのかもしれません。
一人ひとりが調べたらわかることです。もうフラットアースとかタルタリア千年王国とか言ってる場合でもない可能性もあります。知的好奇心を優先させ知識を増やしたところで神に救われる可能性が高まる保証もないからです。多分実際に再臨来たらその時震えあがりますよ。イエスキリストは荘厳で神聖過ぎて心を見抜く炎の目を持ってますから、私も無駄口叩かないように関西弁であまり書かないようにしていこうかなと思うてます。イエスは無駄口一つ一つ弁明させると言ってますが、これって要は再臨の際に携挙されずに滅びるためにキリストと対面し色々弁明させられかつ滅びることだけは決定打で弁解不可能となっているという恐怖の聖句です。
人間の悪意ある言葉や言動を裁くというこのリアリティは思った以上に荘厳で、ふざけて周りを罪に巻き込むような悪い言動はそろそろ控えた方が良い時期なんだと思います。フラットアースばかり広めてるクリスチャンたちもそろそろ真面目になる時なのかもしれません。よくやったフラットアースを広めてくれて忠実な奴隷よと言われる可能性は高くはないと私は思います。逆に不敬な態度でキリストを取り扱ってその実フラットアースばかりに心が向いて偶像崇拝みたいになっていると滅びる可能性もあるかもしれません。動機が善ければ大丈夫でしょうけど。
千年王国終了派の言い分として今が西暦何年かわからないみたいなのが通説になってるようですけど、i800とかj800とかのi,jは単純に数字の1を意味するアルファベットローマ数字になるので、それは正直歴史に千年足されたとする説の信ぴょう性を高める根拠となる物的証拠にはならないのかなという印象です。
逆にエレミヤも40年前から滅びを勧告してますし、聖書的にタイムリミットが近い時代においては「再臨の裁きの年代」くらいは把握できるのが普通かもしれません。それで実は20年前からイエスキリストの再臨の年代というのが流布されてまして、ネットが出てからはサイトで日本語読める程既に広められてきました。アマゾンでイエスの再臨する日時ではなく年代とか説明してる本売ってますしyoutubeとかでもバリバリに説明しています。もう答えは20年前から一貫してぶれずにある程度の目処がついていたようです。
親切なサマリヤ人の話では二デナリ支払って戻ってくると言われてますが、これはイエスが2日分の賃金だけ支払うつまり二千年後に戻ってくることの暗示だったりしてますし、復活したイエスが200フィートだかペテロから離れて立っていたとか豚二千匹に悪霊が入ったとか、ホセア書でも二日後の三日目に立ち上がらせるとか色々見ても明らかにイエスの死と復活から二千年後を意識するように聖書の神が人類に啓示を与えていることからも「今って西暦何年?イエスの死と復活からどれだけ経過したかわからん千年王国終了陰謀論!」という状況下に至らせることはないのかなと個人的に考えているわけです。西暦何年かわからない状態に神が人類を目くらまし状態にさせるかと考えるとそこは違うのかなと思えます。
なぜならせっかく聖書がイエスの死と復活から二千年後に再臨があると語ってくれてるのに「今が何年かわかりません」となるとその聖書の啓示が全く活かされない状況下で生きることを強いられていることになり、聖書預言が活用できなくなるからです。ウィキペディアを見てもキリスト教世界史を確認できますが、やはり西暦2024年に生きている頃合いかなと個人的には思えます。聖書は時期を見定めなさいと述べていますし「再臨の日時はわからない」にしても「年月」がわからないとは言いませんでしたし、寧ろ時期やシーズンを悟るように語りかけています。
そして千年王国終了派のフラットアースを広めておられるアカウントなどはプーチンが女性だったとか結構過激な信ぴょう性が定かではない情報も鵜呑みにしてるのかなと思います。小浜の嫁あたりは男っぽいけど、プーチンは多分男でしょう。何でも新説が出たら鵜呑みにするという思考になるより、冷静に真偽を見定めて決めつけない方が賢明と思います。決して馬鹿にしてるわけではなくフラットアースとかに気づくセンスと言うか目ざとくある思考の柔軟さは良い特質なので、せっかく真偽を見定めることができる審美眼があるならトランスジェンダー陰謀論にハマらなくともいいのになと切に思います。
それで西暦70年辺りのエルサレム陥落はイエスの再臨の雛型予型であり、ある意味その時に1ラウンド目の再臨があったと言えるかもしれませんし、「私はもうすぐ来る」の意味はエルサレム陥落以降全人類が一人一人キリストの前で生き方において責任を負うことが司法的に決定打となった表現と読み取れます。不敬虔な人々は死に絶えキリストの音信を聞いても改心せずやがて死後にタイムループのように復活し裁きを受けるでしょうし、一人一人にとってキリストの裁きがすぐ来る状況下と言えます。このキリストの再臨がすぐ来るの表現は、キリストがサタンの世で生きる一人ひとりの中で音信が必要な人々へ福音が行き届くように配慮してることの顕れと言えます。音信を聞かなくとも善良に生きることができる人達には福音を伝える緊急性はなく、聞いた人々はそれを必要とする人達であり神からの関与があったと言えるかもしれません。
そして今は七つ目最後のラオデキア教会時代と考えられます。サタンは最後の世代を霊的に殺すのが目的なのかもしれません。それで大いなるバビロンの霊が世界中に蔓延し、熱くも冷たくもない史上最低最悪状態の最後の時代に我々が生きていることになります。それはイエスの死と復活から二千年後に差し掛かる時代だから終わりが近いと考えられるわけです。ですから終りが近いってエホバの証人も言うてたがなー再臨の年外しまくってるがなーと言われた際に、今こそがイエスの死と復活から二千年が経過する頃合いなので近いと考えられると理論的な説明できるのがベターです。逆に千年王国終了西暦何年か分からない派だと、なぜ終りが近いのか?いつ頃なのか?の裁きの布告が出来なくなるわけです。
コロナワクチン戦争地震みたいな異邦人にとっての艱難が生じてますが、キリスト教界隈でもやれ韓国系の発狂タイプの宣教師とかエホバ叩きでキリスト教嫌いが加速したり、twitterでは千年王国は終わって西暦何年か分からんとかフラットアース派しか救われないしプーチンも女だとか逆に誰でも救われる美しきかな私の芸術的解釈大統領まで救われるハルマゲドンは起こらない!とかまさに教派に対する地震つまり分裂、御言葉の飢饉つまり正確に聖書を解き明かすものが全くいなくなる傾向が強まっていくと思われます。megachurchesもゲマトリアで666になりますけど、巨大教会に属してると神から見て霊的な獣の刻印を受けてるのかもしれません。
これがいわゆる終わりの時代の背教と言えるのかもしれません。それで聖書と無関係な人を誤誘導しかねない解釈を敢えて広めたり無価値な話、プーチンが女だとかトランスだとか調べる必要もないように思えます。せっかくフラットアースを見抜いて頭の良さとか柔軟性があるのですから変な間違った情報に振り回されず真実のみを語って欲しいと切に願いますね。
ホセア書 6:2 - 「二日後に、主は私たちを生かし、三日目に私たちを立ち上がらせる。こうして私たちは、御前で生きる。」
マルコの福音書 5:13 - 「イエスがそれを許されたので、汚れた霊は出て行って豚の中に入った。すると、およそ二千匹の豚の群れが、崖を駆け下って湖に入り、湖でおぼれ死んだ。」
ルカの福音書 13:32 - 「イエスは彼らに言われた、『あのきつねに言いなさい。見よ、わたしは今日も明日も悪霊を追い出し、いやしを行い、三日目にわたしの目的を成し遂げる。』」
ルカの福音書 10:35 - 「次の日、彼はデナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を世話してください。もっと費用がかかったら、帰りがけに払います。』」
ヨハネの福音書 21:8 - 「しかし、他の弟子たちは小舟に乗って、魚を引いて、陸地に戻ってきた。彼らは陸から約二百キュビトほど離れていたからである。」
二デナリ=二日分の賃金つまり二千年後に帰ることを示唆するイエスのたとえ話。二千年後を悟るべし。
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