善悪の知識の木

2015/08/21 4

アダムとエバ

t f B! P L

善悪の知識の木について書きます。

善と悪の対比は、
光と闇、
真実と偽り、
益と害、
などの対比から推論すると良いですよ。

真実が善を生み、
偽りが悪を生みます。


神は真実な方で、その方に偽りや悪はありません。
神は良いものの源です。



ヤコブ 1:13 17
13 試練に遭うとき,だれも,「わたしは神から試練を受けている」と言ってはなりません。悪い事柄で神が試練に遭うということはありえませんし,[そのようにして]ご自身がだれかに試練を与えることもないからです。

17 あらゆる良い賜物,またあらゆる完全な贈り物は上から来ます。[天の]光の父から下って来るのです。そして[父]には影の回転による変化もありません。

善悪の知識の木 神の子たちの教材

エデンの園に置かれた善悪の知識の木は、アダムとエバの教材であり、神に従うかどうかの選択の機会を提供していました。それはまた理性と自由意志をもつ全ての神の子たちの教材とも言えます。

まず始めに思いに留めていただきたい点は、神への不従順が生じる前には、偽りも苦痛も不安も悲しみも存在していませんでした。

つまり悪は存在していなかったということです。
ですから、アダムとエバは悪を知りませんでした。
罪を犯す前、アダムとエバは始まったばかりの命の祝福だけ知っていました。

つまり善だけを知っていたということです。

神に従順であり続ける限り、人は善だけを知り、悪を知ることはなかったでしょう。

神の理知ある被造物は、み使いたちも人間も神の像に造られていますから、神がそうであるように自由意志を与えられています。

もちろん、その自由意志は善のためのものであり、悪のためのものではありません。
アダムとエバは、自由意志の用い方について神を見倣うことが期待されていました。

どのような場合でも善の源である神に従うことが自由意志の最善の用い方です。
自らに存在しない悪で神が誘惑を受けることはありませんし、悪で他のものを誘惑することもありません。

アダムはそのことを十分承知していたと思いますが、サタンの罠に陥りました。

自由意志の誤用

自由意志の誤用は、霊の領域で始まりました。
あるみ使いは偽りの推論を発展させ偽りの父となりました。
神には偽りはありませんので、偽りはその者の発明といえます。
それは自由意志の誤用の産物のひとつであり神の像(真実や善良さ)からの堕落への一歩の始まりです。

人間やみ使いたちは、プログラムに支配されるロボットでも、本能に支配される鳥や動物でもありません。

神の子たちには、見たり聞いたりして学び自分で自分をプログラムする能力が与えられています。
自らの内にある神の像を守るか崩すかは自らのプログラム次第ということになります。

ですから、アダムとエバが善悪の知識の木についての神の命令から学ぶべきことは沢山あったと思います。神の像に造られている彼らの頭脳は、知識を蓄積し、結果を判断し、最善の選択をするように彼らを導いていたはずです。

神に従順であれば、永遠にわたり善を経験できたでしょう。
神への不従順は、知る必要のない悪を経験するすることになるでしょう。

悪は、本人も含め関係者全てにとって有害で破壊的であるために悪を行うものには死が定められています。悪は死によって終わります。死は生存の停止であり、それをもって神への不従順が生み出す、痛み、悲しみ、害が終わります。

アダムとエバが失敗したのは、サタンの働きによります。
サタンとなったみ使いは偽りを発明し、それを用いてエバを騙し、アダムに不本意な選択をさせました。

アダムの罪のためにアダムの家族は悪を知るようになりました。
人類は今にいたるまで本来経験する必要のなかった悪に苦しんでいます。

天のみ使いたちも、人類家族に臨んだ不幸から不従順が生み出す悲惨な結果を知ることになりました。

このお粗末な惨状は神が意図したものではありません。

それは、真理の内に堅く立たず、つまり神の像を維持せず、利己心のために自由意志を誤用し偽りを推し進めた者から始まっています。

ヨハネ 8:44
44 あなた方は,あなた方の父,悪魔からの者であって,自分たちの父の欲望を遂げようと願っているのです。その者は,その始まりにおいて人殺しであり,真理の内に堅く立ちませんでした。真実さが彼の内にないからです。彼が偽りを語るときには,自分の性向のままに語ります。彼は偽り者であって,[偽り]の父だからです。

神の安息日の出来事

神は、生じた問題の解決のために即座に応じ、偽りの犠牲となったアダムの家族の救いを約束なさいました。

それはちょうど安息日に穴に落ち込んだ羊を助けることと似ています。

マタイ 12:10-13
10 すると,見よ,片手のなえた人がいた。それで彼らは,「安息日に[病気を]治すことは許されるだろうか」と[イエス]に尋ねた。彼を訴える理由を得ようとしてであった。11 [イエス]は彼らに言われた,「あなた方のうち,一匹の羊を持っていて,それが安息日に穴に落ち込んだ場合,それをつかんで引き出さない人がいるでしょうか。12 どう考えても,人は羊よりずっと価値のあるものではありませんか。それで,安息日にりっぱなことをするのは許されているのです」。13 それから,その人に向かって,「あなたの手を伸ばしなさい」と言われた。それで彼が伸ばすと,それは元どおりになり,他方の手のように健やかになったのである。

イエスは安息日の王と呼ばれており、ご自分の1000年統治に罪に陥ったアダムの家族を救出するでしょう。

全ての人は被った悪を取り除かれ善良な神の救いと善意を知ることになるでしょう。
西暦1世紀にイエスがなさった奇跡的な癒しは神の安息日のうちに生じることの予告編となっています。

創造の第7日は神の安息日と呼ばれており、その日を神は祝福なさっています。
つまり神の創造の第7日は、全ての人が神が意図なさった善を知ることになるということです。
アダムの不従順により人類家族は善と悪の双方を知ることになりましたが、罪からの救いは神の善良さの際立った証拠とるでしょう。

利己的な者が生み出す悪を除くために神は進んで最大の犠牲を払いました。
神には悪は微塵もありません。

サタンが悪を持ち込みましたが、善良な神はアダムの家族を悪から救出なさいます。
サタンは頭を砕かれ悪は終わることになっています。

創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。 彼(キリスト)はお前(サタン)の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

ローマ 8:20-21
20 創造物は虚無に服させられましたが,それは自らの意志によるのではなく,服させた方によるのであり,それはこの希望に基づいていたからです。21 すなわち,創造物そのものが腐朽への奴隷状態から自由にされ,神の子供の栄光ある自由を持つようになることです。

アダムの家族は、虚無に服させられたとあるとおり悪を知るに任されました。
なぜなら、善良な神からの救出の希望が与えられているからです。

神は罪に陥った人類を見捨ててはいません。
アダムの家族は、神の安息日のうちに救いにあずかり神の卓越した善良さを知ることになるでしょう。

創世記 2:3
3 それから神は七日目を祝福してそれを神聖にされた。その[日]に,造るために神が創造を行なったそのすべての業を休んでおられるのである。

神は七日目を祝福したと述べられています。
つまり、その日に神の意図なさった善が成就することを意味しています。

神の善意が、被造物の自由意志の誤用で生じた悪で潰えることはありません。
神の善良で愛ある目的は、キリストの1000年統治により必ず勝利を収めます。

啓示 21:3-7
3 それと共に,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ! 神の天幕が人と共にあり,[神]は彼らと共に住み,彼らはその民となるであろう。そして神みずから彼らと共におられるであろう。4 また[神]は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死はなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」。
5 そして,み座に座っておられる方がこう言われた。「見よ! わたしはすべてのものを新しくする」。また,こう言われる。「書きなさい。これらの言葉は信頼できる真実なものだからである」。6 そして,その方はわたしに言われた,「事は成った! わたしはアルファでありオメガであり,初めであり終わりである。だれでも渇いている者に,わたしは命の水の泉から価なしに与える。7 だれでも征服する者はこれらのものを受け継ぎ,わたしはその神となり,彼はわたしの子となるであろう。

全ての悪が征服されたときキリストは王国を神に戻します。
そして全ての人は神の権威の下で独立した神の子としての栄光ある自由を享受することになります。

コリント第一 15:24-28
24 次いで終わりとなります。その時,彼は王国を自分の神また父に渡します。その時,彼はあらゆる政府,またあらゆる権威と力を無に帰せしめています。25 [神]がすべての敵を彼の足の下に置くまで,彼は王として支配しなければならないのです。26 最後の敵として,死が無に帰せしめられます。27 [神]は「すべてのものを彼の足の下に服させた」からです。しかし,『すべてのものが服させられた』と言うとき,すべてのものを彼に服させた方が含まれていないのは明白です。28 しかし,すべてのものが彼に服させられたその時には,み子自身も,すべてのものを自分に服させた方に自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです。

それから、祝福された創造の第7日が終わるでしょう。
そののち神は自分の救いの業の実をご覧になったが,見よ,もはや悪はない[それは]永久にわたり非常に良かった。そして夕となり,朝となった。七日目である。


創造の第七日は、永遠にわたる神の善良さの根拠をすえて栄光のうちに終わるでしょう。
それ以後被造物が悪を知る、つまり悪により苦しむことは二度とないでしょう。

変節者の悪は、その者の頭に直接臨む事になり他の者が悪の犠牲になることはなくなります。
サタンの歩みに倣って利己的になり自由意志を誤用し内面の神の像を崩すものたちは、自分のまく悪をその場ですぐ刈り取り他を害することはもはやあり得ません。

サタンとその胤は、永遠に渡り愚か者の判例とされるでしょう。
善の源である天の父の善良さを経験した天と地に住む全ての神の子供たちは善悪の知識を思いと心に銘記し感謝して父のように善良な定めのない存在となります。

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自己紹介



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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