パウロの3回目の宣教旅行(エフェソスでの収穫)
西暦52年、➡ 2回目の宣教旅行を終えてシリアのアンティオキアに戻り、程なくして使徒パウロは3回目の宣教旅行(西暦52-56年)を開始します。今回、パウロは内陸部のガラテア、フリギア地方を巡り始めます。
エホバか主か
一方、小アジアのエフェソスの方ではアポロという名の雄弁な弟子が強力な証しを展開していました。先回の宣教旅行の際コリントで共に働いたプリスキラとアクラはエフェソスの会堂でアポロの話しを聞き、アポロの理解を助け、彼をアカイア地方に送り出します。
使徒 18:24-28
24 さて,アポロという名のユダヤ人で,アレクサンドリア生まれの雄弁な人がエフェソスに着いた。彼は聖書によく通じていた。25 この[人]は主の道(エホバの道ではない)を口伝えに教えられており,霊に燃えていたので,イエスに関する事柄を正しく話したり教えたりするようになったが,ヨハネのバプテスマについて知っているのみであった。26 そしてこの[人]は会堂で大胆に話し始めた。プリスキラとアクラは彼[の話]を聞き,彼を自分たちのところに連れて来て,神の道をより正しく説き明かした。27 さらに,彼がアカイアに渡って行くことを望んでいたので,兄弟たちは弟子たちに書き送って,彼を親切に迎えるように勧めた。こうして彼はそこに着くと,[神の]過分のご親切のゆえに信者となっていた者たちを大いに助けた。28 彼は,ユダヤ人の誤りを熱烈な態度で公にまた徹底的に証明し,いっぽうでは,イエスがキリストであることを聖書から論証したのである。
エホバか主か
ものみの塔協会の新世界訳聖書は、クリスチャンギリシャ語聖書中に273箇所エホバの名前を回復したと言っています。
ヘブライ語聖書からの引用句中に神の名を正しく回復することは悪いことではありませんが、そうでない箇所に写本や文脈を無視して本来「主」 (Lord) であるところにエホバを使うことは行き過ぎと思います。
新世界訳聖書は、使徒たちの活動の中に78回エホバを用いていますがヘブライ語聖書からの引用句の箇所に限るとその数は15回となります。
ものみの塔協会はエホバを多用し、キリスト教世界は神の名を削除する問題を持っています。
ですから、どの翻訳の聖書であっても、文脈から「主」がふさわしいのか、エホバが良いのかを考えると良いと思います。
どちらを取っても意味が通る文章もたくさんありますので「ことば」にこだわり過ぎないようにすると全体の流れを見失わないでしょう。
上記の25節の場合、
文脈からして、エホバの道でなく「主の道」がふさわしいでしょう。
なぜなら、アポロはユダヤ人であり、エホバの道を口伝えに教えられたというレベルではないからです。アポロはユダヤ人としてエホバの道に精通していたと見るのが自然です。なぜなら、当時はヘブライ語聖書しかなかったからです。
アポロが、口伝えに教えられたことは、ナザレのイエスに関する教えでしょう。
ですから、ここでは「主の道」がふさわしいとみなせます。
聖書によく通じる
アポロは「聖書によく通じていた」とあります。それで、彼はイエスをメシアとして聖書から識別することができました。
ここから、教訓を得られます。
つまり、聖書に精通することが真実を識別する第一歩であるということです。
それは同時に偽りを識別する、あるいは暴露することでもあります。
聖書に精通すれば、キリスト教世界のインチキも、ものみの塔協会のインチキも分かるでしょう。
大いなるバビロンに騙されている人たちは聖書に精通していません。
それゆえに、伝えるべきキリスト教の良いたよりを知りません。
そのような人たちは、西暦1世紀の使徒たちと同じ思い、同じ信仰、同じ希望を持っていません。
つまり、名前だけのクリスチャンということです。
そのような人々の間に分裂があるのであって、王国の子たちの間には分裂はありません。彼らは、同じ思い、同じ信仰、同じ希望で結ばれています。
ですから、「聖書の解釈の仕方は人によって違うので信仰や希望における一致はありえない。」とか、「真理は人によって異なる。」とか言う人は、聖書に精通しておらずキリストの会衆に属する王国の子ではありません。
光と闇、真理と偽りに接点はありません。
聖書に精通すれば、その違いがハッキリするでしょう。
キリストの会衆(クリスチャン会衆)
キリストの会衆は、西暦33年のキリストの犠牲の死により土台が据えられ、それ以来今日までつづく天に登録されている王国の子たちの会衆です。それは地上にある教会組織や、ものみの塔のような宗教団体ではありません。西暦1世紀から今日に至るまで、キリストの会衆に属する王国の子たちの間には分裂など存在しません。
どの時代の王国の子たちも、どこに住んでいても、頭であるキリストと結ばれて同じ思い、同じ信仰、同じ希望を持っています。
クリスチャン会衆は、天に登録されている初子たちの会衆です。
王国の子たちの名前は地上の宗教組織に登録されているのではありません。
その始まりからクリスチャン会衆は地上の宗教組織ではありません。
ヘブライ 12:23
23 [すなわちその]全体集会,天に登録されている初子たちの会衆
各地の王国の子たちの集まりは、天に登録されている初子たちの会衆です。
その会衆は、また「キリストの体」、「花嫁」とも言われています。
キリストの体や花嫁は天的な取決めであり、地上の宗教組織や建物ではありません。
ですから、王国の子たちの地上の組織などは存在しません。
頭であるキリストがそうであるように、その体、または花嫁である王国の子たちも天に属します。
意味不明な方は、王国の子ではありません。
クリスチャン会衆(天に登録されている初子たちの会衆)の目的は、王国の子たちが信仰の一致に至ることであり、それ故王国の子たちの間に信仰や希望において分裂はありません。ですから聖書に書かれていることと異なる信仰や希望を持つ人は王国の子ではありません。
エフェソス 4::4-8, 11-13
4 体は一つ,霊は一つです。それは,あなた方が自分たちの召されたその一つの希望のうちに召されたのと同じです。5 主は一つ,信仰は一つ,バプテスマは一つです。6 すべての者の神また父は一つであり,すべての上に,すべてを通し,すべての中におられるのです。
7 さて,キリストが無償の賜物をどのように量り出してくださったかに応じて,わたしたち一人一人に過分のご親切が与えられました。8 それゆえにこう言われます。「高い所に上った時,彼はとりこを連れ去った。彼は人々[の]賜物を与えた」。
11 そして彼は,ある者を使徒,ある者を預言者,ある者を福音宣明者,ある者を牧者また教える者として与えました。12 それは,奉仕の業のため,またキリストの体(会衆)を築き上げるために聖なる者たちをさらに調整することを目的としてであり,13 ついにわたしたちは皆,信仰と神の子についての正確な知識との一致に達し,十分に成長した大人,キリストの満ち満ちたさまに属する丈の高さに[達する]のです。
他方、➡ 地上におけるキリスト教は、イエスのたとえのとおり、雑草でおおわれ、あらゆる鳥の住む巨大な木となり、その教え全体は醗酵しています。
つまり、偽物の間には信仰や希望における一致はありません。
聖書の真理よりも自らに都合のいい教えにしがみついているために一致はありえません。
キリストに関する真理を掴んでいたアポロは、パウロがそうであったように聖書から真理を雄弁に語りました。それは王国の子たちのしるしです。
その後アポロはアカイア地方のコリントに滞在し、
パウロは内陸部から小アジアのエフェソスへ下ります。
エフェソスでの出来事
パウロは2回目の宣教旅行の帰りにエフェソスに立ち寄りアクラとプリスキラをそこに残してシリアのアンティオキアに戻り、そのあと直ぐに3回目の宣教旅行を始め西暦52年の冬ごろエフェソスを訪問し、ヨハネのバプテスマを受けた弟子たちと会いキリストの良いたよりを伝えます。(使徒 18:18-22)その後会堂で3ヶ月にわたりキリストの良いたよりを伝えましたが、ユダヤ人の頑なな反応のために、そこを去り、今度はツラノの学校の講堂で毎日教え始めます。そこでの2年にわたる宣教でアジア地区に住むユダヤ人、ギリシャ人のすべての人がキリストの音信を聞きました。(使徒 19:1-10)
同時に神はパウロの手をとおして強力な業をなさり、その地方の多くの病人が癒され、悪霊が追い出されました。
ユダヤ人の祭司長でスケワという人の七人の息子たちは、「パウロの宣べ伝えるイエスによってお前たちに厳粛に言い渡す」と述べて悪霊を追い出そうとしたとき、悪霊は「わたしはイエスを知っているし,パウロとも面識がある。だが,お前たちはだれなのだ」と応じて彼らに襲い掛かりました。
この話しは、エフェソス中に知れ渡り、イエスの名を大いなるものします。
その結果、魔術を行っていたかなり大勢の人たちが魔術の本を焼き払いました。
このように、神の力の働きによりキリスト教は強力にまた短期間で地域全体に広まりました。
家から家へのリクルート訪問と6ヶ月の家庭聖書レッスンをとおしてではありません。
その後、神はパウロに志を与え、パウロはマケドニアとアカイアに渡り、その後エルサレムに行くことを思い立ちます。この時点でパウロはローマに行くことも意識し始めています。
パウロは3回目の宣教旅行(西暦52-56年)は、内陸部のガラテア、フリギア地方から始まり、エフェソス、マケドニア経由でエルサレムですが、エルサレムからローマまでの道のりは、キリストの選びの器として王たちや支配者たちへの証言の機会となります。
これから先も、サタンの敵意の中で多くの艱難が待ち受けています。
エフェソスでは女神アルテミスが崇拝されており、その偶像を作る銀細工人たちによりキリストの音信に対する騒ぎが起きます。その騒ぎは銀細工人デメテイオにより扇動されました。
彼は、次のように述べて人々を扇動します。
使徒 19:25-27
25 . . . 「諸君,あなた方がよく知るとおり,我々はこの商売のおかげで繁栄を得ている。26 そしてまた,このパウロという者が,エフェソスだけでなくアジア[地区]のほとんど全域で,かなり多くの人々を説き付けて違った意見を抱かせ,手で作ったものは神ではないなどと言っていることも,あなた方の見聞きするところだ。27 そのうえ,この我々の職業が不評を被るだけでなく,偉大な女神アルテミスの神殿が取るに足りないもののようにみなされ,全アジア[地区]また人の住む[全]地が崇拝する[女神]の荘厳さまでが無に帰せしめられてしまうという危険が存在するのだ」。
混乱した人々は、2時間にわたり「偉大なのはエフェソス人のアルテミス!」と叫びたてました。
市当局がなんとか人々を沈静化し集まりを解散させました。
マケドニアでの宣教
その後パウロはマケドニアに渡り、ギリシャで3ヶ月過ごし、そこからシリアへの帰途に着こうとしていたところユダヤ人の陰謀が分かったために再びマケドニアをとおってトロアスで7日過ごし、アソスへ向けての出発の前日に、パウロの話は夜中まで及び、ユテコという青年が居眠りをし3階の窓から落下し死亡しますが、パウロにより復活させられます。パウロは陸路アソスに向かい、そこで待ち受けるルカたちと合流し、そこから船でミテレネ、キオス、サモス、ミレトスと航海します。
パウロは、ペンテコステの祭りの日にはエルサレムに着けるようにと考え内陸部のエフェソスに立ち寄るつもりはありませんでした。
しかし、ミレトスからエフェソスの長老たちを呼んでキリスト教の宣教のあり方と将来の展望を告げます。この時点でパウロは将来の試練について強く意識していました。サタンの敵意の中でのキリスト教の発展は前途多難です。
パウロは、王国の子たちの会衆がその始まりからサタンにハイジャックされることを知っていました。聖書の正確な記録のおかげで、わたしたちにもそのことがよく分かります。
それで、始まったばかりの王国の子たちの兄弟関係は、すぐに宗教権威による支配へと変質しました。
エフェソスの長老たちへのパウロのことば
使徒 20:18-3718 彼らが自分のところに着いた時,[パウロ]はこう言った。「アジア[地区]に足を踏み入れた最初の日からわたしがどのようにあなた方と終始一緒にいたか,あなた方はよく知っています。19 へりくだった思いを尽くし,涙とユダヤ人たちの陰謀によってわたしに降り懸かる試練の中で,主のために奴隷として仕えました。20 同時にわたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも(
➡ ものみの塔協会はトレードマークの戸別訪問伝道を支持したいために、20節で「家から家に」と訳していますが、「個人の家でも」がふさわしい訳です。
また、キリスト教の良いたよりは、複雑なものではなく、神への悔い改めと、キリストへの信仰を中心としています。
それは、終わりの日の予言ではありません。年代計算で興味をそそるのはカルトの特徴です。イエスはその日と時刻は誰も知りませんと教えました。また偽預言者が起こり「時は近づいた」と言うと警告しました。➡ 19世紀から20世紀には多くの偽預言者たちが、年代計算と「時は近づけり」と宣言し人々を虜にしました。アドベンチスト運動から、セブンスデー・アドベンチスト、モルモン、ものみの塔、統一教会、サイエントロジー、その他のカルト団体が誕生し世界的な組織となっています。
それらの地上にあるカルト団体や既成キリスト教団体は、天に登録されている初子たちの会衆ではありません。それらは人を欺くサタンの器です。
使徒 20
22 そして今,ご覧なさい,霊に縛られてわたしはエルサレムに旅をしていますが,そこで自分に起きる事柄を知りません。23 ただ,どの都市においても,聖霊が繰り返しわたしに証しをし,なわめと患難とが待っていることを述べるのです。24 でもやはり,自分の行程と,主イエスから受けた奉仕の務め,すなわち神の過分のご親切に関する良いたよりについて徹底的に証しすることとを全うできさえすれば,わたしは自分の魂を少しも惜しいとは思いません。
諸国民や王たちへの証のためのイエスの選びの器であるパウロは、イエスがそうであったようにクリスチャンの証の業をサタンの敵意の中で遂行することになっていました。でもこれはパウロのような特定の人に限ったことではありません。王国の子たちは誰でもサタンの敵意の的となります。そして、やはりイエスやパウロと同じように事態を見ています。
つまり、「自分の行程と,主イエスから受けた奉仕の務め,すなわち神の過分のご親切に関する良いたよりについて徹底的に証しすることとを全うできさえすれば,わたしは自分の魂を少しも惜しいとは思いません。」
クリスチャンの戦いは天の場所にある邪悪な霊の勢力に対するものであり、死にいたるまでの忠実さで勝利者となります。王国の子たちはそのことをよく承知しています。
啓示 2:10
10 . . . 見よ,悪魔はあなた方のうちのある者たちを次々に獄に入れるであろう。それは,あなた方が十分に試されるため,また十日のあいだ患難に遭うためである。忠実であることを死に至るまでも示しなさい。そうすれば,命の冠をあなたに与えよう。
啓示 12:11
11 そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった。
使徒 20
25 「そして今,ご覧なさい,わたしが王国を宣べ伝えてまわったあなた方すべてが,もうわたしの顔を見ないことを,わたしは知っています。26 ですから,今日この日に,わたしがすべての人の血について潔白であることに関して,あなた方に証人となってもらいます。27 わたしは何一つ差し控えることなく,神のみ旨をことごとくあなた方に伝えたからです。
クリスチャンは伝えるべき命のしらさせを持っています。それはアダムの家族に対する神からの良いたよりであり、それを差し控える理由はありません。クリスチャンは、命の源である神と、その救いの手段であるキリストについて証しする人生を送ります。
次にパウロは長老たちの変質について指摘します。
聖霊による任命は保証ではありません。
すべての人は肉と霊の戦いの下にあります。
使徒 20
28 あなた方自身と群れのすべてに注意を払いなさい。[神]がご自身の[み子]の血をもって買い取られた神の会衆を牧させるため,聖霊があなた方をその[群れの]中に監督として任命したのです。
29 わたしが去った後に,圧制的なおおかみがあなた方の中に入って群れを優しく扱わないことを,わたしは知っています。30 そして,あなた方自身の中からも,弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事柄を言う者たちが起こるでしょう。
31 「ですから,目ざめていなさい。そして,三年の間,わたしが夜も昼も,涙をもってひとりひとりを訓戒しつづけたことを覚えていなさい。
西暦1世紀のクリスチャン会衆の発足当時、神の霊は強力に物事を導いていました。使徒たちの活動の記録を読めばそのことがよく分かります。西暦36年のペンテコステの際にエルサレムを訪問してクリスチャンになったエフェソスの長老もいたかもしれませんが、エフェソスの長老たちの大半はパウロの3回目の宣教旅行(西暦52-56)の際にクリスチャンとなった人たちと思われます。
エフェソスでの西暦52年の暮れから約3年の宣教活動により、かっての魔術を行う多くの人たちがクリスチャンになり長老になっていました。
この事実は何を教えていますか。
クリスチャンとなった信者は、比較的早く(多分1年くらいで)長老になったということです。長老の資格は、正直で責任感のある信者にとってすぐに到達できるものです。
また長老の立場は「奉仕者」の立場であり宗教的な権威ではありません。それは、正直で責任感のある信者の男子が、真理の擁護と仲間の信者の必要とのために働く取決めであり宗教権威の付与ではありません。
マタイ 23:8-11
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。9 また,地上のだれをも父と呼んではなりません。あなた方の父はただ一人,天におられる方だからです。10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。11 あなた方の間で一番偉い者は,あなた方の奉仕者でなければなりません。
しかし、受け継いだ肉の弱さとサタンの影響は、聖霊の任命と無関係に存在し変質を生み出すことは始めから予想されていました。それは誰にでも生じえます。しかし、誰でもそれを望むらイエスやパウロやその他の忠実な人たちと同じように征服者となれます。
ですから、誰であっても、どんな立場であってもクリスチャンの「真実 vs 偽り」の戦いのレベルは変わりません。
王国の子たちは、ひとりの指導者、教師の下にすべてが兄弟関係から始まりましたが、
群れを優しく扱わない圧政的なおおかみ
弟子たちを自分につかせるもの
に変質する可能性を持っています。
それは、肉と霊の戦いに起因します。
サタンは、完全な人間イエスを肉の弱さで破綻させることはできませんでした。
同じように王国の子たちをすべて砕くことはできないでしょう。
なぜなら、世を征服したキリストの助けがあるからです。
使徒 20
32 そして今,わたしはあなた方を神とその過分のご親切の言葉にゆだねます。その[ことば]はあなた方を築き上げ,神聖にされた者たちすべての間の相続財産をあなた方に与えうるのです。
王国の子たちの霊的な戦いの力は、神とその過分のご親切の言葉から得られます。
神のことばに精通し、それに従って生きるなら必ず征服者になれます。
王国の子たちは、神のことば(聖書)を軽んじることはありません。
それを毎日読み、いつも思い巡らし、真理に従って生きます。
それは、宗教団体の規則を守る生き方ではありません。
王国の子たちは、宗教組織のつくる崇拝の方式が無価値なものであることを知っています。
最も大切なことは、聖書に書かれているキリストの声であり、その声を識別して、その声にのみ従うことです。
かって、ものみの塔協会の初代会長のチャールズ・T・ラッセルは、「人がものみの塔誌なしで、聖書だけ読んだら2年も経たないうちに闇に陥る。」と述べました。
このような発言は、聖書を軽視し聖書をとおして働く神の霊にたいする信仰の欠如を表すもので,
また神の像をもつ人の知性を見くびる思いの表れです。
パウロの模範や、その他の聖書のことばは、ラッセルの見方と相容れません。
王国の子たちは、人間の理解や解説を神のことばの上に据えることはしません。
ですから、王国の子たちは聖書の真理でしっかりと結ばれることになります。
最後にパウロは真理に従った生き方に注意を引きます。
使徒 20
33 わたしはだれの銀も金も着衣も貪ったことはありません。34 この手が,わたしの,そしてわたしと共にいる者たちの必要のために働いたことを,あなた方自身が知っています。35 わたしは,このように労苦して弱い者たちを援助しなければならないこと,また,主イエスご自身の言われた,『受けるより与えるほうが幸福である』との言葉を覚えておかなければならないことを,すべての点であなた方に示したのです。」。
クリスチャンの生き方は、自足し誰にも金銭面の負担をかけず、むしろ、あらゆる分野で与える者となる生き方です。
宗教団体の組織運営のための寄付は聖書から立証できません。
使徒 20
36 そして,こう言ってから,[パウロ]はみんなと共にひざまずいて祈った。37 実際,すべての者は少なからず泣き,パウロの首を抱いて優しく口づけした。38 自分の顔をもう見ないであろうと語った[パウロ]の言葉に,彼らはひときわ[胸を]痛めたのである。そうしてみんなは[パウロ]を船まで送って行った。
その後一行は、エフェソスの長老たちをふり切るようにしてミレトスから出航し、
ロードス、パタラ、ティルス、プトレマイス、カエサレア、エルサレムへと旅を続けます。
その道中、神の霊はエルサレムで艱難が待ち受けていることをパウロに告げます。
まず、ティルスに立ち寄った際
使徒 21:3-4
3 キプロス[島]が見えてくると,それを左にして通り過ぎ,シリアに向かって帆走を続け,ティルスに上陸した。船はそこで積み荷を降ろすことになっていたのである。4 わたしたちは弟子たちを捜し当て,ここに七日とどまった。しかし彼らは霊によって,エルサレムに足を踏み入れないようにと繰り返しパウロに告げるのであった。
カエサレアに寄航した際
そこでは福音宣明者フィリポの家で宿泊し、アガポという名の預言者からエルサレムで待ち受けている艱難について聞きます。
使徒 21:8-14
8 次の日,そこを出てカエサレアに着き,あの七人の一人である福音宣明者フィリポの家に入って,そのもとに泊まった。9 この人には四人の娘がいたが,処女であり,預言をしていた。10 しかし,わたしたちが幾日もとどまっている間に,アガボという名の預言者がユダヤから下って来た。11 そして,わたしたちのところにやって来て,パウロの腰帯を取り,自分の両手足を縛って,こう言った。「聖霊がこのように言います。『この腰帯の属する人を,ユダヤ人はエルサレムでこのように縛り,諸国の人々の手に引き渡すであろう』」。12 さて,これを聞いて,わたしたちもその場所の人たちも,エルサレムに上らないようにと彼に懇願しはじめた。13 するとパウロはこう答えた。「あなた方は泣いたりわたしの心を弱めたりして,何をしているのですか。わたしは,縛られることばかりか,主イエスの名のためにエルサレムで死ぬ覚悟さえできているのです」。14 彼がどうしても思いとどまらないので,わたしたちは,「主のご意志がなされるように」と言って黙諾した。
神の霊は、直接、また預言者をとおして間接的にパウロに生じる艱難を知らせていました。
前途の艱難を察知した兄弟たちは、パウロにエルサレムに向かわないように告げます。
パウロは、以前に兄弟たちの忠告に従ってユダヤ人たちの陰謀をかわした経験をいくつも持っていました。
しかし、今回は自らの霊の証もあり、避けられない神のご意志は明白でした。
それで、パウロは神にすべてをおまかせし課せられた行程をエルサレムへ向けて進むことになります。
これでパウロの3回目の宣教旅行がおわります。(西暦52-56)
3回目の宣教旅行の特徴
エフェソスでの約3年間の宣教の成果です。エフェソスは、アジア地区の西側の富んだ商業、宗教の拠点でした。
そこには、女神アルテミスの巨大な神殿があり、銀細工人たちが栄えていました。
また、そこは魔術の中心地でもあり、ローマ世界で「エフェソス人の書物 (Ephesian writings)」として知られる魔術の巻物、魔法の式文や呪文書の発祥地でした。
そこには、ローマ皇帝ネロ(西暦 54-68)が造った競技場があり、剣闘士と野獣の戦いもなされていました。その競技場でパウロは野獣と戦ったと思われます。(コリント第一 15:32)
また、25,000人を収容できる劇場もありました。
その劇場で扇動された群集が「偉大なのはエフェソス人のアルテミス」と2時間にわたり叫びました。
次回は、パウロの王たちへの証しについて書きます。
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