王や支配者たちの前で

2016/02/17 2

パウロの宣教 三位一体

t f B! P L

エルサレムでのパウロの証言

魔術とアルテミス崇拝の中心地エフェソスでの宣教活動の成果を残してパウロは西暦56年エルサレムに到着します。

パウロの宗教裁判により生じたエルサレムからローマへの旅は、支配者たちの前での証言の機会となります。

エルサレム入りしたパウロはヤコブに会い集まる兄弟たちに諸国民の間での活動を報告し、兄弟たちは神の栄光をたたえ始めました。

しかし、当地のユダヤ人たちはパウロが律法を軽視する教えを広めているとのうわさを聞いており、律法に熱心なユダヤ人からの不当ないいがかりを避けるために、エルサレムの兄弟たちはパウロに律法の規定に従って清めの儀式を行うことを求めます。

パウロは兄弟たちの助言に従って清めの儀式を行い、その儀式が完了する7日目にアジアから来ていたユダヤ人たちがパウロが神殿にいるのを見て、パウロが異邦人を神殿に入れたと勘違いし騒ぎを起こします。

使徒 21:27-40
27 さて,その七日が完了しようとしていた時,アジアから来たユダヤ人たちは,彼が神殿にいるのを見て,全群衆を混乱させようとし,彼に手をかけて 28 こう叫んだ。「イスラエルの人たち,手伝ってくれ! これは,いたるところで,すべての者に,この民と律法とこの場所に逆らったことを教える男だ。そのうえ,ギリシャ人を神殿に連れ込んで,この聖なる場所を汚すことさえしたのだ」。29 これは,先にエフェソス人のトロフィモが彼と一緒に市内にいるのを人々が見たからで,パウロが彼を神殿に連れ込んだものと思ったのである。30 そのため,市全体が騒動になり,民は駆け寄って来た。そして彼らはパウロを捕まえて神殿の外に引きずり出した。それからすぐに戸が閉じられた。31 こうして彼らが[パウロ]を殺そうとしている間に,エルサレムじゅうが混乱しているとの知らせが部隊の司令官のところに届いた。32 それで彼は直ちに兵士と士官たちを連れ,彼らのところに駆け下りた。軍司令官と兵士たちを見かけると,彼らはパウロを打ちたたくのをやめた

33 軍司令官はすぐに近づいて彼を捕まえ,二本の鎖で縛るように命令した。そして,彼がどういう者なのか,また何をしたのかを尋ねた。34 しかし,群衆のある者はこのことを,ほかの者は別のことを叫び立てるのであった。それで,騒がしさのために自分では確かなことが何も分からないので,彼は[パウロ]を兵営に連れて行くように命令した。35 しかし,彼が階段に差しかかると,群衆の暴行のため,兵士たちに担がれて行かねばならないほどになった。36 大勢の民が,「彼を除いてしまえ!」と叫びながら,あとに付いて来たからである。

37 さて,兵営内に引き入れられようとした時,パウロは軍司令官に言った,「少しお話ししてもよいでしょうか」。彼は言った,「お前はギリシャ語を話せるのか。38 まさかお前は,先ごろ暴動を起こし,短剣[を持った]四千人の男を荒野に連れ出したあのエジプト人ではないだろうな」。39 そこでパウロは言った,「わたしは実際にユダヤ人で,キリキアのタルソスの者,れっきとした都市の市民です。ですから,お願いします,民に話すことを許可してください」。40 彼が許可を与えると,パウロは階段の上に立ち,民に向かって手を振って合図をした。すっかり静かになった時,彼はヘブライ語で話しかけてこう言った。

パウロがイエスやイエスの12使徒たちと同年代とすると、パウロの年齢は50代ということになります。

パウロの宣教旅行
第1回目 西暦47-49年
第2回目 西暦49-52年
第3回目 西暦52-56年

パウロは40-50代に10年間の宣教旅行を行い多くの艱難に遭遇し、今エルサレムで怒り狂う群集から打ち叩かれローマの兵士により救出されました。

イエスの選びの器としてのパウロの経験は、イエスのことばのとおりになりました。

使徒 9:15-16
15 しかし主は彼に言われた,「行きなさい。わたしにとってこの者は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器だからです。16 彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受けねばならないかを,わたしは彼にはっきり示すのです」。

クリスチャンの迫害の先鋒であったタルソスのサウロがキリストのことばを聞いた西暦33年は、彼の年齢も30歳前後だったと思います。

パウロはヘブライ語を使う

50代半ばの使徒パウロは、騒ぎ立つ群集にヘブライ語で話しかけます。

この事実は、ユダヤ人を対象に書かれたマタイによる福音書が当初ヘブライ語で書かれ、後にアラム語やギリシャ語に翻訳されたことを裏付ける状況証拠となります。

そして、ヘブライ語には臨在ということばはありません。
臨在と訳されるギリシャ語 Parousia はマタイの福音書だけに用いられています。
しかし、マルコやルカによる福音書にはそのことばは使われていません。

ヘブライ語で書かれたマタイの福音書には当初「臨在」ということばはありませんでした。
そのギリシャ語は、後日ギリシャ語に訳された際に用いられるようになりました。
そして、その意味は「ものみの塔」の解釈よりも「到来」を意味していると見た方が聖書全体の真理と調和します。

パウロは群集に何を告げたのでしょうか。

使徒 22 :1-26
1 「皆さん,兄弟たちと父たち,今,あなた方に対するわたしの弁明を聞いてください」。2 (さて,彼がヘブライ語で話しかけてくるのを聞いて,人々はいよいよ静かになった。そこで彼は言った,)3 「わたしはユダヤ人で,キリキアのタルソスで生まれましたが,この都市においてガマリエルの足下で教育され,先祖の律法の厳格さに応じた教えを受けており,今日のあなた方すべてと同じように神に対して熱心な者です。4 そして,この道[の者]を死に至らせるまでも迫害し,男も女も縛って獄に引き渡しました。5 この点は,大祭司も年長者会の全員もわたしのことを証しできます。わたしはこの人たちからダマスカスにいる兄弟たちへの手紙も手に入れ,そこにいる者たちも罰するため,縛ってエルサレムに連れて来ようと道を進んでいました。
6 「ところが,わたしが旅をしてダマスカスのすぐ近くに来た時,真昼ごろでしたが,突然天から強烈な光がわたしのまわり一帯にぱっと光り,7 わたしは地面に倒れて,『サウロ,サウロ,なぜあなたはわたしを迫害しているのか』と自分に言う声を聞きました。



8 わたしは,『主よ,あなたはどなたですか』と答えました。すると彼は,『わたしはナザレ人のイエス,あなたが迫害している者です』と言われました。9 ところで,わたしと一緒にいた人たちは,光は確かに見たのですが,わたしに話している方の声は聞き取りませんでした。10 そこでわたしは,『主よ,わたしはどうしたらよいのでしょうか』と言いました。主はわたしにこう言われました。『起きて,ダマスカスに入りなさい。そうすれば,あなたが行なうように定められている事柄はみな告げられるでしょう』。11 しかしわたしはその光の輝きのために何も見ることができなかったので,一緒にいた者たちの手に引かれてダマスカスに着きました。
12 「さて,律法にかなった敬虔な人で,そこに住むすべてのユダヤ人からも良い評判のあるアナニアという人が,13 わたしのところにやって来てそばに立ち,『サウロ,兄弟よ,再び視力を得なさい!』と言いました。まさにその時,わたしは目を上げて彼を見たのです。14 彼はこう言いました。『わたしたちの父祖の神は,そのご意志を知り,義なる方を見,その口の声を聞くようにとあなたをお選びになりました。15 あなたは,自分の見聞きした事柄につき,すべての人に対してその方の証人となるからです。16 それで今,なぜためらうのですか。立って,バプテスマを受け,その名を呼び求めてあなたの罪を洗い去りなさい』。
17 「ところが,エルサレムに帰って神殿で祈りをしていると,わたしはこうこつとした状態になり,18 その方がわたしに,『急いで,早くエルサレムから出なさい。彼らは,わたしについてのあなたの証しに同意しないからです』と言っておられるのを見ました。19 それでわたしはこう言いました。『主よ,わたしが次から次へと会堂をまわり,あなたを信じて頼っている者たちを投獄したりむち打ったりしたことを,彼ら自身がよく知っています。20 しかも,あなたの証人ステファノの血が流された時には,私もそばに立ってそれを是認し,彼を除き去ろうとしている者たちの外衣の番をしていたのです』。21 でもその方は,『行きなさい。わたしは,あなたを遠く諸国民に遣わすからです』と言われました」。
22 さて,彼らはこの言葉のところまでずっと彼[の話]を聴いていたが,ここで声を張り上げて言った,「こんな[男]は地上から除いてしまえ。生きている値うちなどなかったのだ!」23 そして,彼らが叫んだり,外衣を振り回したり,塵を空中にほうり上げたりするので,24 軍司令官は,彼を兵営の中に連れて行くように命じ,またむち打って取り調べるようにと言った。どんな理由で人々が彼に向かってこのように叫びたてるのかを十分に知ろうとしてであった。25 しかし,むち打ちのために[兵士]たちが彼[の手足]を伸ばした時,パウロはそこに立っている士官に言った,「ローマ人で有罪の宣告を受けてもいない者を,あなた方はむち打ってもよいのですか」。26 すると,士官はこれを聞いて軍司令官のところに行き,「どうされますか。この人はローマ人なのです」と報告した。

パウロはユダヤ人に兄弟と呼びかけている。

パウロは、ユダヤ人に兄弟たちと呼びかけています。
なぜでしょうか、なぜなら同じエホバ神を崇拝しているからです。

それは、何を意味していますか。

神の概念はユダヤ教もクリスチャンも同じであるということです。
ユダヤ人はエホバを唯一真の神、天地の創造者、命の源と信じています。
クリスチャンも同じようにエホバ神を信じています。

ユダヤ教にはキリスト教世界が主張する三位一体の神の概念はありません。
三位一体の教えはギリシャ哲学やバビロニアやエジプトの異教の神々からのものです。
真のクリスチャンにもそのような意味不明、説明不能の異教の哲学的な概念はありません。

ユダヤ教とキリスト教の違いは、
イエスを神のメシア(ギリシャ語でキリスト)として受け入れるかどうかの違いです。

当時のユダヤ人たちは、宗教指導者たちの扇動によりナザレのイエスをメシアとして信じることなく刑柱上で殺害しました。

ユダヤ教の宗教指導者たちの動機は、自らの立場と支配権を維持することでした。それで奇跡を行う神のメシアをローマ帝国の権威を借りて殺害しました。キリストの罪のない死は、神のご意志であり、それによって全類を死から救出するための贖いが備えられました。

キリストは死に至るまでの忠実さにより勝利者となり復活しました。

その事実はイエスが神のキリストであることの証拠であり、パウロはその復活の直接の証人のひとりとなります。

復活したキリストに遭遇したパウロにはキリストの復活について証しする信仰と意欲があり、ユダヤ人の群集に向かってキリストの復活について語りました。

そもそもキリストを殺したユダヤ人の群集の反応はあからさまでした。
彼らは、キリストを殺し、その復活の証人たちも除き去るつもりでした。

ユダヤ教は正しい神の概念は持ってはいても神のご意志に逆らい神のキリストを拒絶しています。

ローマの兵士に救出されたパウロは、ローマの市民権を主張し拷問をともなう軍司令官の取り調べを回避します。その後、軍司令官はユダヤ人のサンヘドリンを招集しパウロをユダヤ教の宗教裁判の場に連れ出します。

パウロはサンヘドリンでキリストの復活を証しする。

サンヘドリン(宗教裁判)は、復活をめぐり紛糾します。

使徒 23:1-10
1 パウロはサンヘドリンをじっと見ながら言った,「皆さん,兄弟たち,わたしはこの日に至るまで,神のみ前で全く汚れない良心を抱いて行動してきました」。2 これに対して大祭司アナニアは,彼の口を打つようにと彼のそばに立っている者たちに命じた。3 そこでパウロは彼に言った,「神があなたを打たれるでしょう,白く塗った壁よ。あなたは律法にしたがってわたしを裁くために座していながら,しかもなお律法を踏み越えてわたしを打つように命令するのですか」。4 そばに立っている者たちが言った,「お前は神の大祭司のことをののしるのか」。5 するとパウロは言った,「兄弟たち,わたしは彼が大祭司であるとは知りませんでした。『あなたは,あなたの民の支配者を悪く言ってはならない』と書いてあるからです」。
6 さて,一部がサドカイ人で,他がパリサイ人であることに気づくと,パウロはサンヘドリンの中でさらにこう叫んだ。「皆さん,兄弟たち,わたしはパリサイ人であり,パリサイ人の子です。死人の復活の希望に関してわたしは裁かれているのです」。7 彼がこう言ったので,パリサイ人とサドカイ人の間に争論が起こり,その場の大勢の者は二つに分かれた。8 サドカイ人は,復活もみ使いも霊もないと言うのに対し,パリサイ人はそれらすべてについて公に宣明するからである。9 そのために声高な叫び合いとなり,パリサイ派の書士幾人かが立ち上がって激しい主張を始め,「わたしたちはこの人に何の悪も見いださない。もし霊か,み使いが彼に話したのであれば,―」と言った。10 さて,争論が大きくなった時,軍司令官はパウロが彼らに引き裂かれることを恐れ,兵隊に,下りて行って彼らの中から[パウロ]を奪い出し,兵営の中に連れて来るよう命令した。

ユダヤ教のサドカイ派はマカベア家の支配を支持した政治的な派閥で、み使いも霊も、復活も信じていません。他方、パリサイ派は厳格な律法主義で、み使い、霊、復活を信じています。

この両派閥の間に「復活」をめぐって論争が生じました。

パウロの宗教裁判の争点は、キリストの復活となりました。
そして、それはキリストの復活の証人として選ばれたパウロにとって望むところでもありました。

キリストの復活は、王国の子たちが伝えるべき王国の良いたよりです。
キリストの復活は正義の勝利の証拠であり、悪の終わりの保証です。
それはまた、うめき苦しむ全人類に将来の命と恵の回復の保証された希望を与えます。

ですから、クリスチャンは終わりの日の預言などではなく、キリストの復活について喜んで語ります。

パウロは、ユダヤ人の群集にやがてエルサレムが滅ぼされるとか、そのときのしるしは云々・・・、などとは述べませんでした。それらの預言は王国の良いたよりの核心ではありません。

聖書預言で説得しようとするグループは偽物です。
ものみの塔協会、モルモン、統一教会、サイエントロジーなどが有名です。

また、ものみの塔協会は信者に「エホバの証人」という商標を付けていますが、それはクリスチャンの聖書的な立場とはいえません。エホバの証人はイスラエル人であり、彼らの時代はキリストが律法契約を終了させたとき終わりました。キリストの復活のあと神の民はキリストの復活の証人となります。

クリスチャンはキリストの復活の証人です。
もちろん、それは宗教的なタイトルではありませんので「キリストの証人」と称する宗教組織をつくることを意味していません。

使徒 1:8
8 しかし,聖霊があなた方の上に到来するときにあなた方は力を受け,エルサレムでも,ユダヤとサマリアの全土でも,また地の最も遠い所にまで,わたしの証人となるでしょう」。

ことの成り行きを導いておられたキリストは、パウロを励まし今後の予定を告げます。

使徒 23:11
11 しかし次の夜,主は彼のそばに立ってこう言われた。「勇気を出しなさい! あなたは,わたしに関する事柄についてエルサレムで徹底的な証しをしてきたが,それと同じようにローマでも証しをしなければならない」。

ローマ総督フェリクスの前での証し

その翌朝、ユダヤ人たちは祭司長や年長者たちと共謀して、サンヘドリンを再開しパウロのさらなる調査を理由にローマの軍司令官にパウロの召喚を要求し、40人以上がパウロを殺すまでは食事を取らないのろいを自らにかけ待ち伏せをしました。

その陰謀はパウロの姉妹の息子により暴かれ、軍司令官に伝えられます。

その結果軍司令官はパウロをカエサレアにいる総督フェリクスの元へ送り出します。

使徒 23:26-30
26 「クラウディウス・ルシアスから,総督フェリクス閣下へ: ごあいさつ申し上げます。27 この男はユダヤ人に捕らえられ,彼らによって除き去られるところでしたが,わたしはこの者がローマ人であることを知りましたので,一隊の兵士を連れて急行し,彼を救出しました。28 そして,彼らがこの者を訴える理由を確かめたいと思い,彼らのサンヘドリンにこの者を連れて行きました。29 わたしは,この者が彼らの律法上の問題で訴えられているのであって,何ら死やなわめに価する事柄で告発されているのでないことを知りました。30 しかし,この男に対する陰謀が明らかにされましたので,わたしは直ちに彼をあなたのもとにお送りし,告訴人たちには,あなたの前で申し述べるようにと命令する次第です」。

ローマの総督フェリクスは妻によって当時のヘロデ王の親族となります。
フェリクスは取り調べのためにパウロをヘロデの宮殿内で監視させます。

陰謀が達成できなかったため、大祭司アナニアと年長者たちはローマ総督フェリクスを訪ね、パウロを訴えます。

使徒 24:1-8
1 五日後,大祭司アナニアは,数人の年長者およびテルトロという弁士を伴って下って来た。そして彼らは総督に対し,パウロを攻める申し立てを行なった。2 彼が呼ばれると,テルトロは彼を訴え始めてこう言った。
「あなたのおかげでわたしどもが大いに平和を楽しみ,またあなたのご配慮によってこの国に[数々の]改革がなされておりますので,3 フェリクス閣下,わたしどもは常に,またいずれの場所におきましても,この上ない感謝の気持ちでそれを享受いたしております。4 しかし,これ以上お邪魔をしないために,あなたのご厚意により,わたしども[の申し上げますこと]を少しの間お聞きくださるようお願いいたします。5 と申しますのは,わたしどもが見ましたところ,この男は疫病のような人物で,人の住む地のほうぼうにいるユダヤ人すべての間に暴動を引き起こし,ナザレ人一派の先鋒で,6 神殿を汚そうとまでした者ですが,それをわたしどもが捕らえました。7 ―― 8 お取り調べになれば,わたしどもがこの者を訴えるこうした事柄すべてについて,ご自身で知っていただけるはずでございます」。

ユダヤ人たちの訴えは、
ほうぼうのユダヤ人たちの間で暴動を引き起こした、
神殿を汚そうとまでした、
というものです。

また、パウロのことを疫病のような者、ナザレ人一派の先鋒と述べています。
どこかで聞いたようなフレーズですね。

フェリクスはパウロに話す機会を与えます。

使徒 24:9-21
9 それと共にユダヤ人たちも攻撃に加わり,これはそのとおりだと主張した。10 それでパウロは,話すようにと総督が自分にうなずいて合図をした時に,こう答えた。
「この国民が多年にわたりあなたを審判者として頂いてきたことをよく知っておりますので,わたしは,弁明のため自分に関する事柄をよろこんでお話しいたします。11 あなたにお調べいただけることですが,わたしが崇拝のためにエルサレムへ上ってから十二日しかたっておりません。12 そして彼らは,わたしが神殿でだれかと議論したり,会堂や市のどこかで暴徒を駆り立てたりしているのを見たわけではありません。13 また彼らは,ただ今わたしについて訴えている事柄を,あなたに証明できるわけでもありません。14 しかしわたしは,このことはあなたの前で認めます。彼らが『派』と呼ぶ道にしたがい,そのやり方にそって,自分の父祖たちの神に神聖な奉仕をささげている,ということです。それは,律法の中で述べられていること,預言者たちの中に書かれていることをすべて信じているからです。15 そしてわたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望はこれらの[人たち]自身もやはり抱いているものであり,義者と不義者との復活があるということです。16 まさにこの点で,わたしは,神にも人にもとがを犯していないとの自覚を持てるよう,絶えず励んでいるのです。17 こうして,わたしは,憐れみの施しを自分の国民に,そして捧げ物を持って来るために,何年かぶりで到着しました。18 わたしがそうした事柄に携わっている間に,彼らは,わたしが儀式上の清めをして神殿にいるのを見つけました。ですがわたしは群衆と一緒にいたわけでも,騒ぎを起こしていたわけでもありません。ところが,アジア[地区]から来た幾人かのユダヤ人がいました。19 その者たちは,何かわたしを責めることがあるならば,あなたの前に出て訴えるべきです。20 あるいは,わたしがサンヘドリンの前に立った時にどんな悪事を見いだしたのか,ここにいる[人たち]に自分で述べていただきたいと思います。21 わたしが彼らの中に立っていた際に叫んだこの一言,『死人の復活に関して,わたしは今日あなた方の前で裁かれているのです!』という発言に関することだけなのです」。

パウロの弁明のポイントは、

14 . . . 彼らが『派』と呼ぶ道にしたがい,そのやり方にそって,自分の父祖たちの神に神聖な奉仕をささげている,ということです。それは,律法の中で述べられていること,預言者たちの中に書かれていることをすべて信じているからです。15 そしてわたしは神に対して希望を持っておりますが,その希望はこれらの[人たち]自身もやはり抱いているものであり,義者と不義者との復活があるということです。

神への信仰や抱いている希望はパウロもユダヤ人も同じで変わらないことが分かります。
(パウロもユダヤ人も、バビロニア、エジプト、ギリシャなどの異教徒のように不可解な三位一体の神を崇拝してません。)

また、ユダヤ人たちはパウロが騒ぎを起こしたことを証明できません。
サンヘドリンの宗教裁判の際、キリストの復活について語ったことは犯罪者として裁かれるような悪事ではありません。

フェリクスも常識的に判断し、裁決までの間パウロの監禁の度を幾分緩めます。

使徒 24:22-23
22 しかしながら,フェリクスはこの道に関する事柄をかなり正確に知っていたので,彼らを待たせることにし,「軍司令官ルシアスが下って来たときに,あなた方に関する本件を裁決することにしよう」と言った。23 そして,士官に,当人を留置し,[拘禁の度を]いくぶん緩めるように,また,その仲間の者が彼の世話をすることを禁じないようにと命じた。

支配者たちのキリスト教への好奇心、賄賂を望む下心、民衆の人気とりが分かるフェリクスのパウロの扱いが以下の記述から読み取れます。

使徒 24:24-27
24 幾日か後,フェリクスはユダヤ人の女である妻ドルシラを伴ってやって来た。そしてパウロを呼びにやり,キリスト・イエスに対する信念について彼[の話]を聴いた。25 しかし,彼が,義と自制と来たるべき裁きについて話すにつれ,フェリクスは怖れを感じ,「今のところはもう下がってよい。よい時があったらまた呼ぶだろう」と答えた。26 だが,同時に彼はパウロから金をもらうことを望んでいたのである。そのため彼はいよいよひんぱんに[パウロ]を呼びにやっては,彼と語り合うのであった。27 しかし,二年が経過した時,ポルキオ・フェストがフェリクスの跡を継いだ。だがフェリクスはユダヤ人の歓心を買おうとしていたので,パウロをつないだままにしておいた。

フェリクスの妻のドルシラはヘロデ・アグリッパ1世の娘でアグリッパ2世の姉妹です。

キリストの復活は、将来の裁きの保証ですからキリスト教の良いたよりには「義と自制と来るべき裁き」の知らせが含まれます。世の支配者たちのように世を十分利用し楽しんでいる者たちにとってそれは不快な知らせとなります。

フェリクスは怖れを感じたと書かれています。

しかし、「義と自制と来るべき裁き」の知らせは、搾取され痛めつけられている真実や公正を愛する人たちにとって開放の希望であり良いたよりとなります。

キリスト教の音信は2面性を持ちます。
闇を愛すものたちにとって、それは死を意味する死の香りであり、同時にそれは、光を愛するものたちにとっては命を意味する命の良い香りです。

コリント第二 2:14-16
14 しかし,キリストと共なる凱旋行列において常にわたしたちを導き,[キリスト]についての知識の香りを,わたしたちを通していたるところで知覚できるようにしてくださる神に感謝がささげられますように! 15 救われてゆく者たちと滅びてゆく者たちの中にあって,わたしたちは神に対し,キリストの甘い香りだからです。16 後者にとっては死から出て死に至る香り,前者にとっては命から出て命に至る香りです

ですから、王国の子たちは、聖書の義の基準を民衆のトレンドに合わせて薄めることはしません。殺人、盗み、同性愛を含む性の不道徳、偽り、心霊術、偶像崇拝を慣わしにするものたちに将来はありません。

フェリクスはそのような音信を聞きたくありませんでした。

ヨハネ 3:19-21
19 さて,裁きの根拠はこれです。すなわち,光が世に来ているのに,人々が光よりむしろ闇を愛したことです。その業が邪悪であったからです。20 いとうべき事柄を習わしにする者は,光を憎んで,光に来ません。自分の業が戒められないようにするためです。21 しかし,真実なことを行なう者は光に来て,自分の業が神に従ってなされていることが明らかになるようにします」。

ローマ総督フェストの前での証し

2年後の西暦58年ごろ次のローマ総督フェストがフェリクスに代わります。
それで、ユダヤ人たちはフェストにパウロのサンヘドリンへの召喚を求めます。
しかし、フェストは応じませんでした。

使徒 25:1-7
1 こうしてフェストは,州[の政務]に就いて三日後に,カエサレアからエルサレムに上った。2 すると,祭司長,およびユダヤ人の中の主立った人々が,パウロを攻める申し立てを行なった。そうして彼に懇願しはじめ,3 [パウロ]の件で,自分たちへの好意[の処置]として,彼を呼びにやってエルサレムに来させてくれるように求めた。道の途中で彼を除き去るため伏兵を置こうとしていたのである。4 しかしフェストは,パウロはカエサレアに留置しておくべきだし,自分はまもなくそこへ出発するところだと答えた。5 「だから,その男に何か道ならぬところがあるなら,あなた方のうちの有力な人たちがわたしと一緒に下って来て,彼を訴えるがよい」と彼は言った。
6 こうして,彼らの間でせいぜい八日ないし十日過ごしただけで,[フェスト]はカエサレアに下り,次の日には裁きの座に着いて,パウロを連れて来るように命令した。7 彼が到着すると,エルサレムから下って来たユダヤ人たちはそのまわりに立って多くの重大な罪状を述べ立てたが,その証拠を示すことはできなかった。

次に、ローマ総督フェストの裁判所でパウロは自らの無実を弁明しカエサルに上訴します。
当時のカエサル(ローマ皇帝)はネロです。

ヘロデ・アグリッパ王の前でのパウロの証し

カエサルへの上訴の数日後、ヘロデ・アグリッパ2世(ローマ帝国が任命した王)がローマ総督フェストを表敬訪問したときパウロの証言がなされました。

フェストはアグリッパ王にパウロの裁判について次のように述べています。

使徒 25:18-23
18 訴える者たちは立ち上がりましたが,わたしが彼に関して想像していたような悪事の罪状は何も挙げませんでした。19 彼らはただ,神に対する自分たちの崇拝に関し,また,死んだ者なのに,生きているとパウロが主張しつづけるイエスという人物に関して,ある種の論争が彼との間にあるだけでした。20 それで,こうした事柄をめぐる論争に困惑したわたしは,エルサレムに行って,そこでこれらの事柄について裁きを受けてはどうかと彼に尋ねてみました。21 しかしパウロが上訴して,尊厳者による判決を受けるために自分を留置してほしいと[申し出た]ので,わたしは,カエサルのもとに送るまで彼を留置しておくように命令しました」。

22 ここでアグリッパはフェストに[言った],「わたしもその男[の言うこと]を聞いてみたいものです」。[フェスト]は,「明日,彼[の話]をお聞かせしましょう」と言った。23 こうして,次の日,アグリッパとベルニケは大そうもったいぶった素振りでやって来て,軍司令官たち,また市の著名人たちと共に謁見の間に入った。そして,フェストが命令を出すと,パウロが連れて来られた。

アグリッパ2世と妻ベルニケは、2人ともアグリッパ1世の実子ですから2人は実の兄弟姉妹となります。西暦44年に父親のアグリッパ1世が死んだとき彼は17才でしたので西暦58年当時彼は31歳でした。パウロは当時50代半ばくらいと思います。

使徒 26:4-23
4 「まさに,わたしが自分の国民の間で,またエルサレムにおいて初めからしてきた,若いころからの生き方については,5 最初からわたしと面識のあるユダヤ人がみな知っており,彼らが証しをする気さえあればよいことなのですが,わたしは,わたしたちの崇拝方式のうちで最も厳格な派にしたがい,パリサイ人として生活しておりました。6 それなのにわたしは今,神によってわたしたちの父祖になされた約束に対する希望のために,立って裁きに付されているのです。7 一方わたしたちの十二部族は,神聖な奉仕を夜昼熱烈にささげてこの約束の成就に達することを希望しています。この希望に関して,王よ,わたしはユダヤ人たちから訴えられているのです。
8 「なぜあなた方の間では,神が死人をよみがえらせるということが,信じられないこととされるのでしょうか。9 私としては,ナザレ人イエスの名に敵対する行為を大いに行なうべきだと,自らの内でほんとうに考えました。10 現にわたしはエルサレムでそれを行ない,祭司長たちから権限を与えられていましたので,聖なる者たちを数多く獄に閉じ込めました。そして彼らが処刑される際には,彼らに敵対の票を投じました。11 また,すべての会堂で彼らを幾度も罰して変節を迫り,彼らに対して甚だしく怒り狂っていましたので,外部の諸都市においてさえ彼らを迫害するほどでした。

注目できる点
パウロはパリサイ派の崇拝の方式に従ってユダヤ人の先祖の神(YHWH)を崇拝していました。
彼の裁きは民事的、刑事的な悪行に関するものではありません。
それは、宗教的な信仰と希望に関するものです。
争点となっているものは、父祖になされた約束に対する希望です。
その希望は死人の復活に関するものです。

パウロはユダヤ人と同じ神を崇拝しており、この点での争点はありません。
パウロは突然、神は「父と子と聖霊」の三位一体で神はこれからイエスと名乗るようになったなどと唱えているのではありません。そのような主張はパウロの弁明の中にも、残りの聖書の中にも存在しません。

ですから、神は三位一体でイエスが神であることがキリスト教の奥義とかいう主張はそもそもキリストの良いたよりの中にはありません。それは、キリストの良いたよりから人々を誤導するためのサタンの欺きの教えです。

宗教的な裁判の争点は、父祖に約束された救い主についてです。メシア(キリスト)の復活について裁かれています。

ユダヤ人たちは、始めからナザレのイエスをメシアとして認めませんでした。神からの奇跡をともなう証しにも関わらず神のメシアを拒絶してローマ総督ポンテオ・ピラトにより処刑しました。

そのイエスを神は復活させたのであり、その復活はメシアによる希望の将来の実現の保証です。
そして、パウロはそのメシアの復活の証人となりました。

当初、パリサイ人のサウロ(パウロ)はイエスの復活を信じていませんでした。むしろ他のユダヤ人たちと同じようにキリストの復活の証人たちを宗教的に迫害していました。彼は、ナザレのイエスをキリストとして信じていませんでした。

クリスチャンの迫害のためにダマスカスへ向かう道中で(サウロ)パウロは復活したイエスに遭遇します。

12 「こうした努力のさなか,祭司長たちから権限と委任を受けてダマスカスに旅をしていた時,13 わたしは,真昼に路上で,王よ,太陽の輝きより強い光が,天からわたしのまわり,また共に旅をしていた者たちのまわりにぱっと光るのを見ました。14 そして,わたしたちがみな地面に倒れてしまった時,わたしは,ヘブライ語で,『サウロ,サウロ,なぜあなたはわたしを迫害しているのか。突き棒をけりつづけるのは,あなたにとってつらいことになる』と言う声を聞きました。15 しかしわたしは,『主よ,あなたはどなたですか』と言いました。すると主は言われました,『わたしはイエス,あなたが迫害している者です。16 しかし,起きて,自分の足で立ちなさい。あなたが見た事柄,そしてわたしが自分に関してあなたに見させる事柄のために仕える者またその証人としてあなたを選ぶため,このためにわたしは自分をあなたに示したからです。17 わたしはあなたを[この]民から,また諸国民から救い出しますが,同時に彼らのもとにあなたを遣わして,18 彼らの目を開けさせ,彼らを闇から光に,サタンの権威から神に転じさせます。それは,彼らが罪の許しと,わたしに対する信仰によって神聖にされた者たちの間にある相続財産とを受けるためです』。

注目できる点
イエスがパウロにヘブライ語で語りかけている点です。
ですから、新約聖書は、最初ヘブライ語で書かれて後にアラム語やギリシャ語に訳されたとみることができます。

また、キリストの復活はユダヤ人のみならず、諸国民にとっても良いたよりとなることも分かります。

19 「そのために,アグリッパ王よ,わたしは天からのこの光景に背かず,20 まずダマスカスの者たちに,またエルサレムの者たちにも,さらにはユダヤ地方全域に,そして諸国民にも,悔い改め,かつ悔い改めにふさわしい業をして神に転ずるようにとの音信を伝えてまわりました。21 こうした事のために,ユダヤ人たちはわたしを神殿で捕らえ,そして殺そうと企てました。22 しかしながら,わたしは神からの助けを得てきましたので,この日に至るまで,小なる者にも大なる者にも証しを続けています。しかし,預言者たち,そしてまたモーセが,起こるであろうと述べた事柄以外には,何も語っておりません。23 すなわち,キリストが苦しみを受け,また死人の中から復活させられる最初の者として,この民にも諸国民にも光を広めるであろうということです」。

キリスト教の良いたよりとは何ですか。
パウロや他の使徒たちの証言の記録は、それがキリストの復活についての良いたよりであることを示しています。ユダヤ人も諸国民もキリストを信じる者たちはキリストと共に約束の相続人となることができます。

それは、終わりの時の預言の解説でも三位一体の神の奥義でもありません。


支配者たちも他の人たちと同じようにキリストの良いたよりを聞くことになります。

24 さて,彼がこれらのことを自分の弁明のために語っていると,フェストが大声で言った,「パウロ,あなたは気が狂っている! 博学があなたを狂気させているのだ!」25 しかしパウロは言った,「わたしは気が狂っているのではありません,フェスト閣下,真実の,そして正気のことばを述べているのです。26 実際,わたしがはばかりのないことばでお話し申し上げております王が,これらの事についてよく知っておられます。これらは一つとして[王]の注目を逃れ得ないと,わたしは確信しているからです。これは片隅で行なわれてきたことではないからです。27 アグリッパ王,預言者たちを信じておられますか。信じておられることを知っております」。28 しかしアグリッパはパウロに言った,「あなたはわずかの間に,わたしを説得してクリスチャンにならせようとしている」。29 それに対してパウロは言った,「わずかの間であろうと長くかかろうと,わたしは,あなただけでなく,今日わたし[のことば]を聞いておられるすべての方が,こうしたなわめは別として,わたしのような者になってくださればと神に願いたいほどなのです」。

注目できる点
神のキリストの活動と復活は、世の片隅で行われてきたことではなく当時のローマ帝国の注視の下でなされたという点です。それは公衆の面前での強力な奇跡をともなう否定のしようのない証しであり、クリスチャンはキリストの復活の証人です。

また、アグリッパ王を含めパウロの証しを聞いている人たちが、「わたしのような者になってくださればと神に願いたい」とパウロは述べています。

同様にクリスチャンは、人々が復活したイエスに信仰を働かせて約束の相続人になることを願います。

パウロの聴聞は終わり、王たちはパウロをローマ帝国の犯罪人とはみなしませんでした。

30 それから,王は立ち上がり,総督とベルニケ,またそれと一緒に座っていた人々も[立ち上がった]。31 しかし引き上げて行く際,彼らは互いに語り合い,「この人は,死やなわめに価するようなことは何もしていない」と言うのであった。32 また,アグリッパはフェストに,「カエサルに上訴していなければ,この人は釈放されただろうに」と言った。

パウロの裁判から学べること

パウロの宗教裁判は、ものみの塔協会が関わる民事(あるいは刑事)訴訟と性質が異なります。
ものみの塔協会の裁判は、どこから見てもパウロを含む1世紀のクリスチャンが経験した宗教的迫害によるものではありません。

ものみの塔協会は、宗教組織の無分別な方針により何万人もの幼児性的虐待が隠蔽されてきたとして信者たちから世俗の権威に訴えられています。

ものみの塔協会が受けている訴訟は、次の聖句に書かれている悪の報いに他なりません。

ローマ 13:1-4
1 すべての魂は上位の権威に服しなさい。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によってその相対的な地位に据えられているのです。2 したがって,権威に敵対する者は,神の取り決めに逆らう立場を取っていることになります。それに逆らう立場を取っている者たちは,身に裁きを受けます。3 支配者たちは,善行にではなく,悪行にとって,恐れるべきものとなるのです。それで,あなたは権威に対する恐れを持たないでいたいと思うのですか。善を行なってゆきなさい。そうすれば,あなたはそれから称賛を受けるでしょう。4 それはあなたの益のための神の奉仕者だからです。しかし,もしあなたが悪を行なっているのであれば,恐れなさい。それはいたずらに剣を帯びているのではないからです。それは神の奉仕者であり,悪を習わしにする者に憤りを表明する復しゅう者なのです。

ペテロ第一 2:20
20 罪をおかして打たれているときに,あなた方がそれを耐え忍ぶからといって,そのことにいったいどんなほめるべき点があるでしょうか。

ものみの塔協会の統治体は、忠実でも思慮深くもありませんし、その教えも同じです。
➡ オーストラリアの王立委員会のジェフリー・ジャクソンの聴聞を見れば、統治体が何年も聖書を学んでいても正確な理解に欠けていることが分かります。彼らが聖書を知らないのは、その教えがインチキであることと、他のものからの改善の提案や助言を受け付けない傲慢さの結果です。

ローマまでの道中


ユダヤ人の敵意はパウロに王や支配者たちへの証しの機会を開きました。
パウロはカエサルのいるローマへ送られます。

パウロはユリウスという名の士官に護衛されて船でイタリアへ送られます。
ユリウスはパウロに人間味のある親切を示し行動の自由を与えます。

一行はイタリアへ向けて航行しルキアのミラでアレクサンドリアの船に乗りクニドスへ到着します。アレクサンドリアからの船はエジプトからローマに穀物を運ぶ穀物船と見られています。ミラからクニドスまでの距離は240kmで通常1日の航海ですが、強い向かい風のせいで何日もかかってクニドスに到着します。それからやっとのことでクレタ島の南側の「良い港」と呼ばれるところに到着します。

その時期は贖罪の日の断食を過ぎていたと書かれていますので西暦58年の9月の下旬か10月の始めごろとみなせます。

パウロは既に3回の難船を経験していましたので状況から判断して航海が危険になることを予測しました。それで、これ以上航海せず、このまま「良い港」で冬を越すように提案しましたが、船主やその他大勢は、もう少し西側のフェニックス (Phoenix) で冬を過ごすことを望んでいました。

おりしも、南風が穏やかに吹いてきたので、意を得たりと判断し彼らは出航します。

ほどなくしてユーラクロンと呼ばれる台風が吹き荒れ幾日もの間嵐に翻弄されました。
事態は危機的でした。



使徒 27:20-44
20 さて,幾日ものあいだ太陽も星も現われず,容易ならぬあらしがずっと吹き荒れていたので,わたしたちが救われる望みはついにことごとく断たれるようになった。21 そして,食物を取らないことが長く続いたあと,パウロは彼らの真ん中に立って,こう言った。「皆さん,ほんとうにあなた方は,わたしの忠告をいれてクレタから船出せず,こうした危害や損失を被らないようにするべきでした。22 でも,わたしは今,元気を出すようあなた方に勧めます。あなた方のうちひとつの魂も失われず,ただ船が[失われる]だけだからです。23 というのは,この夜,わたしが属し,わたしが神聖な奉仕をささげている神のみ使いがわたしの近くに立ち,24 『パウロよ,恐れることはない。あなたはカエサルの前に立たねばならない。そして,見よ,神は,あなたと共に航行している者を皆あなたに賜わった』と言いました。25 ですから,皆さん,元気を出してください。まさに自分に告げられたとおりになると,わたしは神を信じているのです。26 それでも,わたしたちはどこかの島に打ち上げられることになるでしょう」。
27 さて,十四日目の夜になり,わたしたちがアドリア[の海]をあちらこちらともまれていると,その真夜中に水夫たちは,どこかの陸地に近づいていると感づくようになった。28 そこで彼らが深さを測ってみると,二十ひろであった。それから少し進んでもう一度測ったところ,そこは十五ひろであった。29 それで,どこか岩場に乗り上げてしまうことを恐れて,船尾から四つの錨を投じ,夜が明けるのを待ち望んだ。30 ところが,水夫たちが船から逃げ出そうとし,へさきから錨を下ろすかのように見せかけて小舟を海に降ろした時,31 パウロは士官と兵士たちに言った,「あの人たちが船にとどまっていなければ,あなた方は助かりません」。32 そこで兵士たちは綱を断ち切って小舟をそのまま下に落とした。
33 さて,明けがた近くになった時,パウロはみんなに何か食べることを勧めてこう言った。「あなた方はずっと待ち構えて今日で十四日目ですが,その間食事もせず,自分のために何も食べていません。34 ですからわたしは,何か食べるように勧めます。これはあなた方の安全のためです。あなた方はだれも,その髪の毛一本さえ滅びることはないのです」。35 こう言ってから,彼はパンを取り,みんなの前で神に感謝をささげ,それを割いて食べ始めた。36 それでみんなは元気づき,自分たちも食べだした。37 ところで,わたしたち船の中にいた魂は,全部で二百七十六人であった。38 食べて満ち足りると,彼らは次に,小麦を海に投げ込んで船を軽くした。
39 ようやく夜が明けた時,彼らはその陸がどこであるかは分からなかったが,浜辺のある湾を認め,できればその浜辺に船を乗り入れることにした。40 それで,彼らは錨を断ち切って海中に落とし,同時に[二丁の]舵ろの留め綱を解き,風に前帆を揚げてから,その浜辺を目ざして進んだ。41 どの側も海に洗われる浅瀬に行き当たった時,彼らは船をそこに乗り上げてしまい,へさきはめり込んで動かなくなり,船尾は激しい勢いで崩れはじめた。42 そこで兵士たちは,囚人を殺して,だれも泳いで逃げることがないようにしようと決意した。43 しかし士官は,パウロを何とか無事に切り抜けさせたいと思い,その考えを思いとどまらせた。そして,泳げる者には,海に飛び込んで先に陸に向かうように,44 また残りの者にも,厚板や船の何かにつかまって[陸に向かう]ようにと命令した。こうして,全員が無事に陸にたどり着いたのである。



パウロの予測通り276人の命以外全てが失われました。

エルサレムから航海はその始まりから強い逆風により難航していましたが、クレタ島の「良い港」において船主たちは難船の経験のあるパウロの助言を聞きませんでした。

この出来事から何を学べますか。

経験者の見立てをまじめに考慮することや問題をはらむ状況証拠を軽く見ないことを学べるでしょう。

では、その教訓をものみの塔聖書冊子協会の歩みにあてはめてみましょう。

ものみの塔聖書冊子協会はラッセルの時代から今日までインチキ預言で人々を興奮させ、聖書理解の唯一の権威として自らを高めてきました。その歴史は、はずれた預言の言い逃れの歴史です。最近は隠し続けてきた不面目な事実が明るみに出て人々の注目を集めています。エホバの証人の航路は強い逆風で失速していますね。

組織のインチキを経験してきた多くの組織内難船経験者の助言は、インチキ組織を出なさい!です。

このままインチキ組織と一緒に航海を続ければ命以外の全てを失うでしょう。

マルタ島での出来事

マルタ島に上陸した一行は現地の住民から人間味のある親切を受けます。
上陸したとき雨が降り寒かったのでマルタ島の住民は浜で焚き火を用意してくれました。

パウロが焚き火にそだ(brushwood)をくべていると、1ぴきのマムシが彼の手に取りつきました。マルタ島の住民は毒蛇がパウロの手に絡まっている様子を見て「きっとこの男は人殺しだ。海からは無事に助かったものの,正義の懲罰が彼をそのまま生かしてはおかなかったのだ」と言いだします。

パウロは毒蛇を火の中に振り落とし害を受けることも無かったので、長い間注視していた住民は考えを変え「この人は神だ」と言いだしました。

その後パウロがポリオという名の主だった島民の父親の熱と赤痢を治しために島の住民が病気の人をパウロのところへ連れてきて癒されます。島民はたくさんの贈り物をして敬意を示しました。

嵐を生き残った276人、またマルタ島の住民はパウロをとおして神の力の働きを見ることになりました。

嵐や毒蛇は単に偶然の取り合わせなのか、背後に悪霊の働きがあったのかは分かりません。
しかし確かなことは、キリストはパウロとともにおられ困難の中で神の力の表明があったということです。

これらの経験から神とキリストに信仰を持った人は少なくないと思います。

パウロは経験をとおして困難や不幸が証しの機会となることを学んだと思います。
正しいことのための忍耐が報われないことはありません。

神は正しい人に注目しており、逆境を終わらせたり、逆転させることができます。

正しい人の死でさえ神の栄光となるでしょう。

ローマでの証し

一行は3ヶ月マルタ島で冬を過ごした後アレクサンドリアの船で出帆し、シラクサ、レギウム、ポテオリと進みます。

ポテオリで兄弟たちと会いそこに7日滞在しそこから陸路でローマに向かいます。

ローマの兄弟たちはパウロの一行についての知らせを聞いており、アピウスの市場、および三軒宿まで出向いて一行を迎えます。

ローマでパウロは兵士の監視付きで借家にひとりで滞在することを許されます。

パウロはローマのユダヤ人の主だった人たちを宿舎に呼びローマに来た経緯とキリストについて話します。

使徒 28:17-23
17 しかし三日後,彼はユダヤ人の主立った人々を呼び集めた。彼らが集まってから,[パウロ]はこう言った。「皆さん,兄弟たち,わたしは,民や,わたしたちの父祖の習慣に反するようなことは何も行なわなかったにもかかわらず,囚人としてエルサレムからローマ人の手に引き渡されました。18 そして彼らは,取り調べをしたのち,わたしを釈放しようと望んでいました。わたしには何ら死に値することがなかったからです。19 ところが,ユダヤ人たちがそれに反対しつづけるので,わたしはカエサルに上訴せざるをえませんでした。しかし,何か自分の国民を訴えることがあるというのではありません。20 実にこのようなわけで,わたしは,皆さんに会ってお話しすることを切にお願いしたのです。イスラエルの希望のゆえに,わたしはこうして鎖を帯びているからです」。21 彼らは[パウロ]に言った,「わたしたちはあなたについてユダヤから手紙を受け取ってもいませんし,[ここに]着いた兄弟たちのだれかが,あなたについて何かひどく悪いことを報告したり話したりしているわけでもありません。22 しかしわたしたちは,あなたの考えがどういうものか,あなたから聞くのがよいと思います。実際この派について,いたるところで反対が唱えられていることは,わたしたちの知るところだからです」。
23 そこで彼らは[パウロ]と日を取り決め,さらに大勢で彼の宿所にやって来た。それで彼は,神の王国について徹底的な証しをしたり,モーセの律法と預言者たちの両面からイエスについて彼らを説得したりして,朝から晩まで事実を説明した



注目できる点
キリスト教はユダヤ教の一派であるということです。
パウロもユダヤ人でユダヤ教のパリサイ派で、他のユダヤ人と同じ神を崇拝していました。
そして復活したキリスト(メシア)に遭遇して神のメシアを信じてイエスの復活の証人となりました。

両者の違いは、
神のメシアを受け入れるか、そうでないかだけです。

クリスチャンは、イエスが神のメシア(キリスト)であることを信じキリストの復活の証人となる人たちです。

ユダヤ人はクリスチャンと同じ神を信じていますが、イエスを神のメシアと信じていません。

ですから、パウロはユダヤ人たちに聖書からイエスが神のキリストであることを立証することを朝から晩まで行いました。パウロは終わりの日の預言の解説や三位一体を説明していたのではありません。

インチキ三位一体の教えはクリスチャンのものではありません。
パウロはイエスが神であると主張しているのではなく、神のキリストであると主張しています。
それを聞くユダヤ人たちは神と神のキリストが別物であることをよく承知しています。

ユダヤ教の神は、バビロニアやエジプトの異教の神のような三位一体であはありません。
パウロもユダヤ人もこの点で違いはありません。

日本語でエホバとして知られている聖書の神YHWHは唯一真の神であり意味不明の三バカトリオみたいな三位一体ではありません。

キリスト教世界の牧師や信者たちは自分が信じている三位一体を理解も説明もできません。
三位一体を信じるキリスト教世界はユダヤ人が信じる真の神を聖書の裏付けのない異質の神に変質させました。
また、そのような説明できない嘘を奥義などと格好をつけてアンタッチャブルにして人々を騙し続けています。

神の像をもつ人間の知性で理解できないことが真実であるはずがありません。
嘘は複雑で理解不能で説明不能です。
他方真理は単純明快で理解でき説明可能です。

では、パウロの説明を聞いたユダヤ人の反応はどうだったでしょうか。

使徒 28:24-31
24 すると,ある者は話されたことを信じるようになったが,ある者は信じようとしなかった。25 そのため,彼らは互いに意見が合わないので立ち去りはじめ,一方パウロは一言こう述べた。
「聖霊は預言者イザヤを通してあなた方の父祖たちに適切に語ったものです。26 こう述べました。『この民のところに行って言いなさい,「あなた方は聞くには聞くが,決して理解せず,見るには見るが,決して見えないであろう。27 この民の心は受け入れる力がなくなり,彼らは耳で聞いたが反応がなく,その目を閉じてしまったからである。これは,彼らが自分の目で見,自分の耳で聞き,自分の心で理解して立ち返り,わたしが彼らをいやす,ということが決してないためである」』。28 ですから,次のことを知っておいてください。この,神の救いの手だては諸国民のもとに送り出されたのです。彼らはきっとそれに聴き従います」。29 ――
30 こうして彼は,自分の借りた家にまる二年とどまり,そのもとに来る人をみな親切に迎え,31 妨げられることなく,全くはばかりのないことばで人々に神の王国を宣べ伝え,また主イエス・キリストに関することを教えるのであった。

ユダヤ人の大半は同じ神を信じているとはいえ異なる神のメシアを期待してたために神のメシア、イエスを信じませんでした。

それでキリストの良いたよりは諸国民のもとえ送り出されることになりました。

ローマで書かれたパウロの手紙

パウロはローマの借家で西暦59-61年まで(2年間)訪問者を迎え神のキリストについて教えました。
その間に下記の霊感による書物も書いています。


西暦60年の始めごろ書かれた手紙
60-61エフェソス人への手紙
60-61フィリピ人への手紙
60-61コロサイ人への手紙
60-61フィレモンへの手紙
61ヘブライ人への手紙

その後パウロはローマの法廷で裁かれ皇帝ネロは彼を無罪にして釈放します。

釈放されたパウロはテモテとテトスをつれて宣教を再開します。
パウロはテモテをエフェソスに、またテトスをクレタに残し、それぞれに多分マケドニアから手紙を書き送っています。(テモテ第一 1:3、テトス 1:5)

61-64テモテ第一
61-64テトス

その後パウロがスペインまで行けたかどうかは不明です。
西暦64年ローマの1/4に及ぶ大火災が発生しネロは政治的保身のために火災をクリスチャンのせいにします。その結果激しい迫害の波が生じます。
西暦65年パウロは再びローマで囚人となります。そのころテモテ第二の手紙が書かれています。その手紙の中でパウロは自分の命の終わりの近さを書いています。

テモテ第二 4:6-8
6 わたしはすでに飲み物の捧げ物のように注ぎ出されているのです。わたしの解き放たれる定めの時は目前に迫っているからです。7 わたしは戦いをりっぱに戦い,走路を最後まで走り,信仰を守り通しました。8 今から後,義の冠がわたしのために定め置かれています。それは,義なる審判者である主が,かの日に報いとしてわたしに与えてくださるものです。しかし,わたしだけにではなく,その顕現を愛してきたすべての人に[与えてくださるのです]。

パウロの人生
33年タルソスのサウロの改宗
47-48➡ 1回目の宣教旅行(キプロス、ピシデアのアンティオキア、イコニオム、ルステラ
48-49➡ 割礼の問題(エルサレム)
49-52➡ 2回目の宣教旅行 (マケドニアでの収穫)
52-56➡ 3回目の宣教旅行 (エフェソスでの収穫)
56-59ローマへ(難船とマルタ島)
59-65その後の宣教

パウロの他の手紙
50テサロニケ第一 コリント 2回目の宣教旅行
51テサロニケ第二 コリント 2回目の宣教旅行
50-52ガラテア 2回目の宣教旅行 コリント/シリアのアンティオキア
55コリント第一 3回目の宣教旅行 エフェソス 
55コリント第二 3回目の宣教旅行 マケドニア 
56ローマ コリント 3回目の宣教旅行

コリント第二 11:23-29 (3回目の宣教旅行の際マケドニアで書かれた)
23 彼らはキリストの奉仕者ですか。わたしは狂人のように答えます。わたしはその点はるかに際立った者です。その労苦はさらに多く,獄に入れられたこともさらに多く,殴打を受けたことは過度に及び,死にひんしたこともしばしばでした。24 ユダヤ人たちからは四十より一つ少ないむち打ちを五回受け,25 三度棒むちで打ちたたかれ,一度石打ちにされ,三度難船を経験し,一昼夜深みで過ごしたこともあります。26 幾度も旅をし,川の危険,追いはぎの危険,[わたし自身の]民族からの危険,諸国民からの危険,都市での危険,荒野での危険,海での危険,偽兄弟たちの間での危険に遭い,27 労し苦しみ,眠らぬ夜を幾度も過ごし,飢えと渇きを知り,食物を取らないことが何度もあり,寒さと裸を経験しました
28 そうした外的な事柄に加えて,日ごとに押し寄せて来るもの,すなわちすべての会衆に対する心配があります。29 だれかが弱くて,わたしが弱くないことがあるでしょうか。だれかがつまずいて,わたしがいきり立たないことがあるでしょうか。

かっての迫害者パウロは諸国民のためのキリストの選びの器でした。
彼の労苦は予告されていました。

使徒 9:15-16
15 しかし主は彼に言われた,「行きなさい。わたしにとってこの者は,わたしの名を諸国民に,また王たちやイスラエルの子らに携えて行くための選びの器だからです。16 彼がわたしの名のためにいかに多くの苦しみを受けねばならないかを,わたしは彼にはっきり示すのです」。

パウロはキリストの過分の親切に感謝して働きました。

テモテ第一 1:12-16
12 わたしは,自分に力を授けてくださったわたしたちの主キリスト・イエスに感謝しています。わたしを奉仕の務めに割り当てて,忠実な者とみなしてくださったからです。13 以前には冒とく者であり,迫害者であり,不遜な者であったのに,そのわたしが憐れみを示されたのです。わたしは知らずに,そして信仰のないままに行動していたからです。14 しかし,わたしたちの主の過分のご親切が,信仰と共に,またキリスト・イエスに関連した愛[と共に],大いに満ちあふれたのです。15 キリスト・イエスが罪人を救うために世に来られたとは,信ずべく,また全く受け入れるべきことばです。わたしはそうした[罪人]の最たる者です。16 それなのにわたしが憐れみを示されたのは,わたしの場合を最たる例としてキリスト・イエスがその辛抱強さの限りを示し,永遠の命を求めて彼に信仰を置こうとしている人たちへの見本とするためだったのです。

王国の子たちは、皆パウロと同じ思い、同じ霊を持ちます。

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プロフィール



1972年にバプテスマを受けてクリスチャンになりました。

その後、エホバの証人として宣教活動を40年ほど行い、長老のときに「ものみの塔協会」の方針と異なる立場をとったために長老を削除されました。

長年のエホバの証人としての人生は「ものみの塔協会」の崇拝の様式とキリストの教えとの不調和を経験することになり、「ものみの塔協会」の始まりからの歴史をインターネットを用いて調査し、この団体がロスチャイルド資本によるシオニズム運動の器として始まったこと、宗教組織を利用したロスチャイルド資本の国際投資企業であること、小児性愛者の不適切な扱い、預言や教理上の破綻などの腐った実を知りました。

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