Friday, September 25, 2015

パウロの宣教旅行 1

西暦33年 ペンテコステの日にクリスチャン会衆が設立して、1-2ヶ月ほどで信者の数は120人から3万人を超える。
西暦36年 信者の数は7万人くらいまで増加し安定した時期に入って、異邦人コルネリオの改宗が生じる。
西暦46年 信者の数は14万人を超えて、シリアのアンティオキアでクリスチャンと呼ばれるようになります。


エルサレムには、使徒や年長者たちの集まる会衆があり、ユダヤ、サマリア、シリアにクリスチャン会衆がいくつも存在するようになっていました。

かってのパリサイ人サウロは改宗してパウロとなっており、ユダヤ地方の多くのパリサイ人たちもクリスチャンになっていました。

クリスチャンの業のための任命はキリストによりなされ、キリストはステファノ、フィリポ、ペテロ、バルナバ、パウロなど個々のクリスチャンを宣教のために用いました。

エルサレムの会衆は、ものみの塔協会が主張するように統治体として機能していませんでした。

キリストは、シリア(SYRIA)のアンティオキア(Antioch)会衆にいたバルナバとパウロを宣教活動のために選び異邦人世界へ送り出しました。


使徒 13:1-5
1 さて,アンティオキアには,そこの会衆に預言者や教え手たちがいた。バルナバ,それにニゲルと呼ばれるシメオン,キレネのルキオ,地域支配者ヘロデと一緒に教育を受けたマナエン,そしてサウロであった。2 彼らがエホバに対する公の奉仕をし,また断食をしていると,聖霊がこう言った。「すべての人のうちバルナバとサウロをわたしのため,わたしが彼らを召して[行なわせる]業のために取り分けなさい」。3 そこで彼らは断食をして祈り,手をその上に置いてから[二人]を行かせた。


西暦47-48年 バルナバとサウロによる最初の宣教旅行(赤いルート)



キプロス(CYPRUS)島での出来事

彼らは、まずセレウキア(Seleucia)の港からキプロス(CYPRUS)島に渡ります。
彼らの宣教は、家から家ではありません。
ユダヤ人の会堂(シナゴク)で宣べ伝えました。

使徒 13:4-5
4 こうして,これらの人は聖霊に送り出されてセレウキア(Seleucia)に下り,そこからキプロス(CYPRUS)に向けて出帆した。5 そしてサラミス(Salamis)に着くと,彼らはユダヤ人の諸会堂で神の言葉を広めはじめた。彼らは付き添いとしてヨハネも連れていた。


彼らは島中のシナゴグを回り、島の反対側のパフォス(Paphos)に至ります。

そこで、執政官代理のセルギオ・パウロに会います。
この人はそう明な人でバルナバとサウロから神のことばを聞くことを切に求めました。

しかし、ユダヤ人の呪術師バルイエス(エルマ)が妨害したために、パウロは聖霊にみたされ、「. . . あなたは盲目になり、しばらくは日の光を見ないであろう。」と言います。するとたちどころに呪術師は盲目となり、それを見た執政官代理は信者となります。

バルナバとサウロの宣教活動が、いかに神の証しを伴うダイナミックなものであるかが分かります。それは、エホバの証人が100年ほど行ってきた「家から家」のセールスマンのような伝道活動と大いに異なります。


次に一行はパフォス(Paphos)から船出しパンフリア(PAMPHYLIA)のペルガ(Perga)に行きます。
その際に、ヨナネ・マルコはバルナバとサウロから離れてエルサレムに帰ります。


ピシデア(PISIDIA)のアンティオキア(Antioch)での出来事


バルナバとサウロは、パフォスからさらに進んで内陸のピシデア(PISIDIA)のアンティオキア(Antioch)に来ます。そして安息日にユダヤ人の会堂で宣べ伝えます。

そこでパウロが会堂のユダヤ人たちに宣べ伝えた音信の内容は何だったでしょうか。

ものみの塔協会がしているような終わりの予言についてでしょうか。
いいえ、違います。

パウロは約束のキリストがイエスであり、神が彼を復活させたこと、キリストへの信仰が罪の許しをもたらすことを宣べ伝えました。

ユダヤ人たちは、次の安息日にも話して欲しいと頼みました。

次の安息日には、ユダヤ人も異邦人も含めほとんど全市の人々が集まりました。

そして何が起きたでしょうか。
ねたみに満たされたユダヤ人たちがパウロの語る事柄に言い逆らいました。

それで、パウロとバルナバは言い逆らうユダヤ人に大胆に述べます。
「神の言葉はまずあなた方に対して語られることが必要でした。あなた方がそれを押しのけて,自らを永遠の命に値しない者と裁くのですから,ご覧なさい,わたしたちは諸国民のほうに向かいます。」


ピシデアのアンティオキアにおける宣教では一部のユダヤ人と多くの諸国民が信者となり、ねたみに満たされたユダヤ人たちの反対を招きました。

使徒 13:48-52
48 諸国の人たちはこれを聞いて歓び,エホバの言葉に栄光を帰するようになった。そして,永遠の命のために正しく整えられた者はみな信者となった。49 さらに,エホバの言葉はその地方全域に伝えられていった。50 しかしユダヤ人たちは,[神]を崇拝する評判の良い婦人たちや市の主立った人々をあおり立て,パウロとバルナバに対して迫害を起こし,彼らを自分たちの境界の外に追い出した。51 彼らはそうした人々に向かって足の塵を振り払い,それからイコニオム(Iconium)に行った。52 そして,弟子たちは引き続き喜びと聖霊とに満たされていた。


キリスト教の伝道は、ものみの塔協会が教えているような「家から家」が主流ではありませんでした。
むしろ、会堂などでなされるような群集に対する公の証しにより地域全体に提供されました。


イコニオム(Iconium)での出来事

イコニオムでも地域全体を巻き込む証言がなされました。
ここでも、ユダヤ人の会堂で宣べ伝えユダヤ人もギリシャ人も非常に大勢の人が信者となります。

仮にイコニオム市に3万人の大人がいたとすると、1万にくらいは信者となったと思います。
信者となった人々は、終わりの日の予言によってではなく、「キリストの良いたより」によりクリスチャンとなりました。

そしてイコニオムのクリスチャンたちは、エルサレムの会衆の支配の下に置かれたのではありませんでした。各地のクリスチャン会衆は独立して存在し機能しています。そもそも、エルサレムには「ものみの塔協会」が教えている「統治体」と呼ばれる中央意思決定機関など存在しませんでした。

また、キリストを受け入れた人々は、おそらくユダヤ人の習慣に合わせて安息日に聖書を学ぶ機会を持ち、それ以外はこれまでと変わらない日常があったでしょう。彼らがエホバの証人のように組織の規則に縛られた生き方をしたとは考えられません。キリスト教はキリストを信じる生き方であり、組織の一員となることではありません。

信者の急増とともにイコニオム市が二分され、信じない者たちによる迫害が生じパウロとバルナバはルステラとデルベ、およびその周辺の地へ逃れます。(使徒 14:1-7)


ルステラ(Lystra)での出来事

パウロが生まれつき脚なえの人を癒したために、ルステラの人々は驚きルカオニア語で「神が人間のようになってわたしたちのものとに下って来たのだ!」と言いました。

ゼウスの祭司は、数頭の雄牛と花輪を携えて群集と共にバルナバとパウロに犠牲を捧げようとします。

バルナバとパウロは直ちに反応し、なんとか群集をとどめます。

使徒 14:14-18
14 しかし,そのことを聞くと,使徒のバルナバとパウロは,自分の外衣を引き裂いて群衆の中に飛び出し,叫んで 15 こう言った。「皆さん,なぜこうした事をするのですか。わたしたちも,あなた方と同じ弱さを持つ人間です。そして,あなた方に良いたよりを宣明しているのも,あなた方がこうした無駄な事柄から生ける神に,天と地と海とその中のすべての物を造られた方に転ずるためなのです。16 過去の世代において,[神]は諸国民すべてが自分の道を進むのを許されました。17 とはいえ,ご自分は善いことを行なって,あなた方に天からの雨と実りの季節を与え,食物と楽しさとをもってあなた方の心を存分に満たされたのですから,決してご自身を証しのないままにしておかれたわけではありません」。18 それでも,このように言って,彼らはやっとのことで,群衆が自分たちに犠牲をささげるのをとどめたのである。




 
その後、アンティオキアやイコニオムから来たユダヤ人たちが群集を煽りパウロを石打にし、彼が死んだと思って市の外に引きずり出します。


弟子たちが取り囲んでいると、パウロは起き上がり共に市に戻り、翌日バルナバと共にデルベ(Derbe)に向かいます。

デルベ(Derbe)ではかなり大勢の弟子たちを作ることができました。

それから、来た道を戻り弟子たちを強めシリアのアンティオキア会衆に帰ります。


使徒 14:21-28
21 そして,その都市(デルベ)に良いたよりを宣明してかなり大勢の弟子を作った後,彼らはルステラ,イコニオム,さらにアンティオキアに帰り,22 弟子たちの魂を強め,信仰にとどまるように励まして,「わたしたちは多くの患難を経て神の王国に入らなければならない」と[言った]。23 さらにまた,彼らのために会衆ごとに年長者たちを任命し,断食をして祈りをささげ,彼らをその信ずるエホバにゆだねた
24 それから彼らはピシデア(PISIDIA)を通ってパンフリア(PAMPHYLIA)に入り,25 ペルガ(Perga)でみ言葉を語った後,アタリア(Attalia)に下った。26 そして,そこから出帆してアンティオキアに向かった。彼らはその地で,[今や]十分に成し遂げた業のため,神の過分のご親切に託されたのである。
27 そこに到着して会衆を集めると,彼らは次いで,神が自分たちを通して行なわれた多くの事柄,また,[神]が信仰への戸口を諸国民に開かれたことを話しはじめた。28 こうして彼らは弟子たちと共にかなりの時を過ごした。



23節に注目すると、
「彼らのために会衆ごとに年長者たちを任命し,断食をして祈りをささげ,彼らをその信ずるエホバにゆだねた。」と書かれています。

短期間に沢山の会衆ができたことが分かります。
また、年長者を任命したとあります。
これらの年長者たちはユダヤ教からクリスチャンになった既に良く知しられている敬虔な文字通りの年長者たちであったと推察できます。

すべての人はクリスチャンとして始まったばかりでそのクリスチャンとしての経歴は評価の尺度にはなりません。

当初、異邦人のクリスチャンの多くは、ユダヤ教を去ってクリスチャンとなったユダヤ人たちから多くを学んだに違いありません。


また「断食と祈りをささげ、会衆をエホバにゆだねた」と書かれています。
会衆はエホバの前に独立した存在であることが分かります。
すべてのクリスチャン会衆の中央統治体と呼ばれる意思決定機関は存在しませんでした。

26節には、
「神の過分のご親切に託されたのである。」とあります。
それで新たに設立した会衆は、ものみの塔協会の言う統治体の管理下に置かれたのではありまりません。各会衆は、神の親切の下に独立して活動していました。


バルナバとパウロは、エルサレムにではなくシリアのアンティオキアの会衆に戻り、経験を語り会衆のを励ましました。エルサレムにある統治体はものみの塔協会の想像上の産物です。


キリスト教はキリストを信じて生きる生き方であり、
組織に属することではありません。

信者を統制して支配する宗教組織はキリスト教ではありません。

クリスチャンは、宗教組織の信者を増やすことでななくキリストを信じる生き方を広めます。

信者を増やし組織を巨大にし、人々を中央統治により支配するシステムは、ニムロデが用いた制度でありクリスチャンのものではありません。

クリスチャンはキリストへの信仰を共有する兄弟関係を広めます。







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