「も塔」は今年2016年の地区大会で、大患難のために会衆の成員が地下貯蔵庫(Bunker)に隠れているビデオを上映してJWの組織の取り決めへの忠誠(loyalty)を強調しています。
命は組織の取り決めに依存するものではありません。
Entire JW Bunker Video
Series with Outline Excerpts
Series with Outline Excerpts
組織を信頼するように仕向けるビデオですね。
会衆の長老は、自分より経験の浅い他の長老から講演について助言を受けて嫌な思いをした経験を語ります。謙遜に助言を受け入れて神の取り決めへの忠誠の試みに首尾よく対処したことを語っています。
このエピソードは「も塔」組織の年功序列などの上から下へ向かうピラミッド権威構造の存在を明らかにしています。
クリスチャンの兄弟関係があれば、つまらない些細な事で助言しあうことはないでしょうし、まして組織の基準を振りかざして助言するこはないでしょう。
そもそも、この長老兄弟が経験したような緊張や落胆や動揺は互いを気遣う兄弟関係からは生じません。
同等の兄弟関係の場合、一方的な助言ではなく意見の交換や話し合いとなり納得出来ない助言とはならないでしょう。
そのような緊張を生み出す人間関係は、助言をしたがる、あるいは裁きたがるピラミッド構造からのみ生じます。それが「も塔」組織のクリスチャンらしからぬ本当の姿です。
「も塔」は「受けいられる助言の与え方」とか「助言を謙遜に受け入れなさい」みたいな記事を定期的にだしてピラミッドシステムへの服従をすべてのJWに強調します。このような組織の基準の強要はクリスチャン兄弟関係からは生じません。それは社内規定を強要するトップダウン権威構造組織の特徴です。クリスチャン会衆はニムロデ会社組織ではなく家族です。家族の中で子どもたちは互いの自己主張をぶつけあうでしょう。そのようにして互いから益を受け、互いを認めて成長するでしょう。
どう見ても「も塔」は社内規定ありきのニムロデ会社組織です。クリスチャンの兄弟関係ではありません。
この哀れな現実を、巡回監督、支部事務所へ助言して下さい。
彼らは決してあなたの助言を謙遜に聞きませんよ。
直ちに「立場をわきまえよ」と逆に助言され割当がなくなり除け者にされるでしょう。これは兄弟関係ではありません。
JWは、人造の「も塔」会社規定の助言者になるように教育(洗脳)されていますので、他人の目の中のワラを指摘することを良いことと思い込んでいます。
マタイ 7:1-5
1 「自分が裁かれないために,[人を]裁くのをやめなさい。2 あなた方が裁いているその裁きであなた方も裁かれることになるからです。そして,あなた方が量り出しているその量りで人はあなた方に量り出すでしょう。3 では,なぜ兄弟の目の中にあるわらを見ながら,自分の目の中にある垂木のことを考えないのですか。4 また,どうして兄弟に,『あなたの目からわらを抜き取らせてください』と言えるのですか。しかも,ご覧なさい,自分の目の中には垂木があるのです。5 偽善者よ! まず自分の目から垂木を抜き取りなさい。そうすれば,兄弟の目からわらを抜き取る方法がはっきり分かるでしょう。
監督、長老、奉仕のしもべ、開拓者と呼ばれ「も塔」会社の模範とされる人たちよ、人を裁くことをやめなさい。
兄弟の目の中のワラを抜き取る助言など不要です。
まず、自分の目の中の垂木(も塔の社内規定)を取り除きなさい。
そうすれば人を助ける方法がはっきり分かるでしょう。
「も塔」の会社規定による無価値な助言は不要です。
自分の愚かさに気づき恥を知り悔い改めなさい。
その他の忠誠の試みについてビデオでは、
不道徳への誘惑、
交わりの影響、
人への恐れ(伝道活動)
組織へ批判的か感謝しているか、
生活を簡素にして奉仕を第一にする、
組織への信仰、
などが扱われていました。
神への忠誠は組織への忠誠ではありません。
組織への忠誠は神への忠誠ではありませんよ。「も塔」は組織(人間の取り決め)を神として提供していますよ。
人間の取り決めは、それがなんであれ神ではありません。
わたしたちの信仰は神とキリストに向けられます。人や組織ではありません。
使徒 5:29
29 それに答えてペテロと[ほかの]使徒たちは言った,「わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません。
「も塔」の大艱難ビデオは、命が組織の取り決めにより救われるかのように描いていますが、そのようにはならないでしょう。
あたかもノアの方舟でもあるかのように、会衆の群れが地下室に隠れて艱難を逃れることは不可能でしょう。
大艱難の際、王国会館や地下室などの物理的な備えは何も役だ立たないでしょう。
エホバの証人だけが救われるのではありません。
キリストが戻る際、「も塔」エホバの証人だけが救われるのではありません。あらゆる国民から来るだれも数えつくすことができない大群衆が救われます。
それらの人々の宗教的な背景はさまざまです。
正しいことを求める憐れみ深い人たちが生き残ります。
それが誰であっても、裁きのために戻られるキリストが生き残る人たちを選びます。
ですから生き残る人は特定の宗教組織に属している人たちではありません。
啓示 7:9, 14
9 . . . すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆 (この大群衆が世界人口の0.1%のエホバの証人だけとはいえません。)
14 . . . これは大患難から出て来る者たち
ローマ 2:5-11
5 しかしあなたは,自分のかたくなさと悔い改めのない心によって,憤りの日,また神の義の裁きが表わし示される[日]における憤りを,自らのために蓄えているのです。6 そして,[神]は各々にその業に応じて報います。7 良い業における忍耐によって栄光と誉れと不朽性とを求めている者には永遠の命です。8 一方,争いを好み,真理に従わないで不義に従う者に対しては,憤りと怒り,9 患難と苦難があります。それは,有害な事柄を行なうすべての人の魂に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にも臨みます。10 しかし,栄光と誉れと平和が,良い事柄を行なうすべての人に,ユダヤ人を初めとしてギリシャ人にもあるのです。11 神に不公平はないからです。
あらゆる国の義を求める人たちが救われます。それはエホバの証人だけではありません。
マタイ 24:37-42
37 人の子の臨在はちょうどノアの日のようだからです。38 洪水前のそれらの日,ノアが箱船に入る日まで,人々は食べたり飲んだり,めとったり嫁いだりしていました。39 そして,洪水が来て彼らすべてを流し去るまで注意しませんでしたが,人の子の到来[の時]もそのようになるのです。40 その時二人の男が野にいるでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。41 二人の女が手臼をひいているでしょう。一方は連れて行かれ,他方は捨てられるのです。42 それゆえ,ずっと見張っていなさい。あなた方は,自分たちの主がどの日に来るかを知らないからです。
どこにいても、救いはもたらされます。王国会館や地下室に隠れる必要はありません。
マタイ 25:31-46
31 「人の子がその栄光のうちに到来し,またすべてのみ使いが彼と共に[到来する]と,そのとき彼は自分の栄光の座に座ります。32 そして,すべての国の民が彼の前に集められ,彼は,羊飼いが羊をやぎから分けるように,人をひとりひとり分けます。33 そして彼は羊を自分の右に,やぎを自分の左に置くでしょう。
(栄光のうちに到来するキリストが人々を分けます。救われる人が最初から「も塔」に集められるのではありません。)
34 「それから王は自分の右にいる者たちにこう言います。『さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなた方のために備えられている王国を受け継ぎなさい。35 わたしが飢えると,あなた方は食べる物を与え,わたしが渇くと,飲む物を与えてくれたからです。わたしがよそからの者として来ると,あなた方は温かく迎え,36 裸でいると,衣を与えてくれました。わたしが病気になると,世話をし,獄にいると,わたしのところに来てくれました』。37 その時,義なる者たちはこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢えておられるのを見て食べ物を差し上げたり,渇いておられるのを[見て]飲む物を差し上げたりしたでしょうか。38 いつわたしたちは,あなたがよそからの人であるのを見て温かく迎えたり,裸なのを[見て]衣を差し上げたりしたでしょうか。39 いつわたしたちは,あなたが病気であったり獄におられたりするのを見てみもとに参りましたか』。40 すると,王は答えて言うでしょう,『あなた方に真実に言いますが,これらわたしの兄弟のうち最も小さな者の一人にしたのは,それだけわたしに対してしたのです』。
41 「ついで彼は自分の左にいる者たちにこう言います。『のろわれた者たちよ,わたしから離れ,悪魔とその使いたちのために備えられた永遠の火に入りなさい。42 わたしが飢えても,あなた方は食べる物を与えず,渇いても,飲む物を与えてくれなかったからです。43 わたしがよそからの者として来ても,あなた方は温かく迎えず,裸でいても,衣を与えてくれませんでした。病気であったり獄にいたりしても,世話をしてくれませんでした』。44 その時,彼らもこう答えるでしょう。『主よ,いつわたしたちは,あなたが飢え,渇き,よそからの人であり,裸であり,病気であり,あるいは獄におられるのを見て,あなたに仕えませんでしたか』。45 その時,彼はこう答えるでしょう。『あなた方に真実に言いますが,これら最も小さな者の一人にしなかったのは,それだけわたしに対してしなかったのです』。46 そして,これらの者は去って永遠の切断に入り,義なる者たちは永遠の命に入ります」。
だれでも、憐れみ深い人は、憐れみを受けて大患難を生き残るでしょう。
マタイ 5:7
7 「憐れみ深い人たちは幸いです。その人たちは憐れみを受けるからです。
「も塔」作成の大艱難ビデオは恐怖をあおり組織への隷従を促すものです。
それで、2016年の地区大会は最悪の大会と言われています。
5 件のコメント:
聖書の正しい理解をありがとうございます。これからも続けてください。カレブさんのところにも、たまには来てください。
匿名(Anonymous)さん
こんばんは、
コメントありがとうございます。
カレブさんところですか。
あそこは変な人がいっぱいいますからね。 @!@
噛みつかれますよ。
また、コメント下さい。
そのうち「も塔」は崩れますよ。
「も塔」は放っといいてクリスチャンとして生きて下さい。
わたしも、そうするつもりです。
大艱難ビデオ改めて見ると異様ですよね。私も以前割当とかやってたわけですが、聖書の読む時間が三分以内で身振り手振り使って抑揚なんとかって無駄ですよね。なんでもいいから気持ちを込めて聖書を読めば良かったと思います。もっとも自分の場合はインチキjwでしたからそもそも演壇で朗読なんかする資格はなかったわけですが。
問題はそのような表面上だけで人材配置して会衆を運営し、実際に心から立ち返ってクリスチャンとして再起しようとする人の内面の変化に思いを向けない環境づくりが徹底されていることですね。要領よく卒なく割当奉仕をこなしていけばしもべになって長老になりますが、彼ら自身あまりお世辞にも人格者とは言えないケースも多いと思います。私も詳細は個人情報なので言えませんが、そのような排斥問題になるのではみたいなことしてる長老を知っていました。二世として生きるレールを引かれた場合、受動的に教えに盲従していくので、感受性も低くロボットみたいな顔してる人多いですよね。
動画でもやたらと謙遜とか従順とか言って、割当に口出し助言されたとか言って腹立ててますが、まずそれは自然な反応でしょう。いちいち細かいことに口出し助言マウント取りたがる面倒くさいモラハラされたらそりゃ嫌でしょうし、ここに従順とか謙遜とかありゃしませんよね。むしろ助言をしたがり裁きたがる環境を改善しそれをする人が悔い改めるべきと感じます。こんな当たり前の道徳観はものみの党では通用しませんね。
なんか細かことに口出ししてくる上司みたいな人間がいて当然みたいな会社の雰囲気がも塔にはちょっとありますよね。も塔って子供にもネクタイさせたり集会中じっとしとくようにお坊ちゃんお嬢ちゃんに育てようとしてますが、イエスは大人の大群衆が寝そべりながらご飯食べながら話を聞いて学ぶようにゆるーくしてましたよね。そもそもがそんな人間が育ってしまう環境自体を改善してほしいし。そしておもろいんが、これ従順とか謙遜とか言って、いきなりゴグマゴグの襲来に切り替わるんですが、要は、組織の教えが理不尽でも受け入れろそれが謙遜で柔和なエホバの民の特質や、それができなんだお前はゴグマゴグに成り下がるぞみたいな、その異様性を指摘するまともな人をゴグマゴグとしてみなすように、異様性を普通に指摘されたらゴグマゴグの襲来と認識させるような誇大被害妄想を育てる巧妙なプロパガンダ洗脳トリックが大会動画でサブリミナルメッセージとして流されていますね。
匿名さん
こんばんは、
コメントありがとうございます。
大患難への備え方がおかしい。認識が歪んでいる。一般社会の正当な疑念、例えば排斥忌避問題、輸血拒否、その他もろもろの人間の構造に見合わない行き過ぎた教育方針への改善の推奨を彼らはゴグマゴグの襲来迫害で終わりは近いと考える。自分たちにとって都合が悪くなればゴグマゴグ襲来。終わりの日にはjw以外から二人の証人なる燭台つまり教会のクリスチャンが発足して獣と闘い殉教し天へあげられるわけですから、jwは本物のクリスチャンがjw以外から出現することを認められないつまり聖霊の働きをする人たちを悪霊とか偽預言者呼ばわりすることで、聖霊の冒涜をしている可能性もあり。
一般教会は二人の証人が獣と戦ってるのに、それを経験せず携挙されると言ってる。知り合いの人たちは「痛みを感じずにいられるから精神的に楽なのと、いつも目覚めていられるから」と述べて艱難前携挙を支持すると言っていました。しかし、目覚めるの意味は、キリストが死ぬ前に弟子に霊的に弱らないように祈り目覚めなさいと言ってるわけなので、携挙されるために目覚めろではなく、最終的に眠りこけてキリストを置き去りにして逃げ去った十二使徒のようにならずに、殉教覚悟していつ迫害で死んでもいいように目覚めなさいの意味の方が文脈としてあっているように思います。事実艱難前携挙というよりかは、実際の迫害も経験する可能性が非常に高い。その時に、「主が私たちを置き去りにするわけない、迫害される状況にあるのは主の御心ではないから、私たちは○○へ行きます」と広い門を通る可能性もあるかなと、これがダニエル書で預言されている選ばれた者ですら背教してしまうという末路かも。携挙されるために目覚めるのではなく、本当の意味で自己吟味していなさいの意味がそれであって、ちょっと携挙信奉主義における心理状態は、ちょっと人間の思いから生じてる幻想かも。キリストはペテロに「あなたは死にません、迫害も殉教もしません」と言われて離れ去れサタンと述べたように、艱難前携挙というか携挙信奉主義のコンセプトをずっと主張して取り巻きを増やすと、み言葉を盗んで荒らすイナゴつまり偽預言者としてキリストから最後に突き放される可能性も無きにしも非ず。またみ言葉剣であり、義の胸当てとか色々と武具が登場しますが、エゼキエル戦争とは目に見えない霊的な戦争も暗喩している。つまりゴグマゴグは兜や胸当てなどのパウロが推奨する神の武具を身に着けて襲ってくるゆえに何らかのキリスト教徒であって、本当のクリスチャンをみ言葉を歪めて教理戦争を仕掛けてくることの意味もある。聖書対聖書の戦争。み言葉の戦争。目に見えない霊的な戦。
次にツイッターのクリスチャンですが、男性陣はわんぱく坊主系で駆け出しの状態で興奮気味なケースが多い。女性でプライドが高い方は、「フラットアースからクリスチャンになれたことを誇ろう、教会ではクリスチャン歴浅いから馬鹿にされてるけど」とか言って、競争意識むき出しで、聖書に詳しい方に嫉妬してそれらのツイートブログなどに難癖付けたりこき下ろそうとしたり、ひたすら毎日誰かの悪口評価をしている模様。人を汚すのは食べ物ではなくむしろ心の中の思いであるとか外面は良くても中身が死人の骨でいっぱいの聖句から、色々他者批判をしたりマウント取って自己主張してフラットアースクリスチャンであることを誇るというものの、アブラハムの血統の子孫である事実を誇っていたために退けられたパリサイ人の気質と類似している可能性もある。そもそも誇るとかの発言自体がキリスト教とミスマッチしており、周りよりも優れた人種であることを誇り自己肯定感を上げるアセンションと何ら変わりないニューエイジ型のクリスチャンと言える可能性もある。絶対そうとは言いませんが、誇り、聖書に詳しい人への妬みや敵対心がありながらに、ニューエイジ批判をしたり公人の批判をずっとする女性たちは、自己吟味して周りを批判するよりも自分自身が悔い改めるべきかのしれない。人を赦して愛するとは言うは易く行うは難しだ。もし本人がそのような思いで生きているならそもそも「フラットアースクリスチャンに慣れて誇ろう」「フラットアース知らない人は艱難前携挙されない」とか言いながら「携挙はフラットアース知らない人が教えてるから悪魔側の教えだ」とかいろいろ意見がコロコロ変わりながらずっと他人を批判したり悪口言ったりしないと思われる。主はパウロを通してそのような女性は一度冷静になり黙るべきと教えている。
コリント第一14:34 女性は教会の集会(Twitterやブログ)では黙っていなさい。口をはさんではいけません。なぜなら、聖書にもはっきり記されているように、女は男に服従すべきだからです。 35もし何か質問があれば、家で夫に尋ねなさい。教会の集会で意見を述べることは、女性としてふさわしくないからです。
テモテ第一5:11 若い未亡人を、そのような女性たちと同列に扱ってはいけません。それというのも、若い人はキリストへの誓いを捨てて再婚したがるからです。 12その結果、初めの約束を破ったというので、きびしい非難にさらされることになります。 13その上、彼女たちは怠けがちで、あちこちの家(Twitterアカウント)を遊び歩いては、うわさ話ばかりし、おせっかいをやきたがるのです。 14それで私は、そういう若い未亡人には再婚を勧め、子どもを産み、家庭を大切にするように指導するのが一番だと思います。そうなれば、だれにも非難されずにすむでしょう。 15実際、すでに教会に背を向け(教会は目覚めてないわよフラットアースに!とか批判したがる)、悪魔の誘いに乗って道を踏みはずした未亡人がいるからです。
テモテ第二5:11 女性は全く従順に,静かに学ぶべきです。 12 女性が(Twitterやブログやyoutubeで)教えたり男性に権威を振るったりすることを,私は許可しません。女性は静かにしているべきです。 13 アダムが最初に造られ,その後にエバが造られたからです。 14 また,アダムは欺かれませんでしたが,エバはすっかり欺かれて違反を犯しました。
フラットアース>キリストだとねたむ神と言われる主は喜んでないでしょうし、聖書に詳しい人をねたんだり競争意識を抱いて「誇ろう」とマウントを取るのは、ニューエイジ思考が抜けていない証拠だ。フラットアースもキリストも誇りのための道具ではない。本当の意味で悔い改めることができれば、謙遜になり聖書に詳しい人から教えを素直に学ぶことができるようになる。フラットアースを教えておられる女性クリスチャンでも優しい常識的な方は知っている。それらの理知的で謙虚な兄弟姉妹から学んで、競争意識や誇り、裁き憎しみ(フラットアース知らない人は携挙されない)、誇り(フラットアースクリスチャンを誇ろう教会より目覚めてる)等の自己顕示欲やニューエイジ思考、アセンション思考の古い人格を脱ぎ捨てていくべきかもしれない。
まとめると、どの教派もまだまだ成長過程であり色々な考え方をする人物が入交玉石混交だ。この中で本当に主の働きをされる方はかなり少数と思われる。これからもこれらの動向はチェックしていきたいものだ。また上記に書き上げた内容に共感される方々も少なからずいたので、今後書き込みを見て何らかの気づきやきっかけになれば大変うれしい。今は難しい時代でみ言葉の飢饉とみ言葉の戦争がある。本人たちは自分自身が本当の目覚めたクリスチャンだと思ってるだろうが、主の見方はまた違っているかもしれない。
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