Thursday, April 20, 2017

愚か者の処刑


愛は自分の利を求めません。

愛は自己中心的ではなく、他の者への思いやりや親切の原動力です。

神は愛と言われています。
神は愛そのものなので、ご自分の子たち、また被造物への思いやりと親切に満ちています。

神の愛、思いやり、親切が尽きることはありません。


愛は神から出て私たちを潤し神のもとへ戻されます。

神の尽きない愛を受ける私たち被造物は同種の愛で神の愛にこたえ応じます。

神の純粋な愛が変質したり途絶えることはありませんが、同種の愛をもって神にこたえ応じるかどうかは私たち次第となります。

わたしたちは神の像に造られていますので、神と同種の愛を培うポテンシャルを持っていますが、神に倣って愛のうちに成長するかどうかは本人次第となります。

神の子として神を見倣うことは至って自然なことですが、神から頂いている美や知恵のような賜物の故に必要以上に他の被造物からの栄光を欲し自意識過剰になることもあり得ます。

自分を特別視することは、ある意味、他のものから孤立することを意味しています。
それは、利他的な愛を培う点で障害となり問題を招きます。

箴言 18:1
1 自分を孤立させる者は利己的な願望を追い求める。その者はあらゆる実際的な知恵に逆らって突き進む。


神に倣った愛を培えば、神や他の者(被造物)との関係を利用することは生じませんが、自分の栄光を過度に求めるなら神との、また他の者たちとの愛ある関係を損なうでしょう。

自己中心的になって神の家族の愛ある関係に亀裂を生じさせた神の霊の子は、後にサタン(反抗するもの)として知られるようになりました。

この神の霊の子は美と知恵を備え持ち神の愛ある家族の中での命と活動を楽しんでいましたが、自己中心的になり他のものを利用するチャンスに思いと心を向けました。

この者は他の者を利用して自分の目的を遂げることを考えました。
倫理的な被造物である人や霊者は利他的な「愛」を動機として神に、また互いに仕えていますが、サタンは、神も他のものたちも、自分のように「自分の益」のために生きていると推論しました。

愛は他の者の益を優先する他のもの主体の気持ちですが、利己心は自分主体の気持ちです。

愛の神に距離を置いた(神から離れ始めた)サタンは、神と神の子たちの愛の純度を疑い、神を含めすべての者は究極的に「自分の益」のために行動していると、自分にとって都合のいい推論を発展させました。

このサタンの推論は根拠のない偽りですが、彼は偽りを愛しました。
そして、自らの栄光を求めて偽りに基づく、また偽りによる制度を造り、創造者である真の神に対抗する偽りの神となりました。


人類の最初の親、アダムとエバはサタンの偽りにより愛の神を離れ偽りの神の支配を受けるようになりました。


サタンの偽りに基づく偽りの世の行動原理は、愛ではなく利己心です。

サタンは、すべての者は自分を守るために利己的に行動すると述べています。
サタンにとって純粋の愛は幻想であり、存在しては困る力です。
なぜなら、神のような愛はサタンの偽りを暴露しサタンを罪に定めるからです。


6,000年に及ぶ人類史のなかで、隣人に自己犠牲的な純粋の愛を示した人はたくさん存在し、サタンの偽りは暴露され彼は既に罪に定められています。

踏切の中の老人を助けようとして、あるいは溺れている人を助けようとして犠牲となる人たちの話は後を絶ちません。

その中で最も際立った例は、イエスキリストの贖いの犠牲です。
キリストの生涯にはサタンの言う「利己心」は存在しませんでした。
ですから、キリストの罪のない犠牲の死はサタンの罪と処刑を確定させました。


イエスは、その生き方で神と被造物の愛の純粋さを証明したために、「サタンはイエスに対して何の力もない」と述べています。


ヨハネ 14:30
30 わたしはもう,あなた方と多くは語らないでしょう。世の支配者が来ようとしているからです。そして,彼はわたしに対して何の力もありません



それで、私たちが神やイエスのような純粋の愛を培えば、サタンを罪に定めることになり、この偽り者はわたしたちに対して何の力もないでしょう。


神とキリストに倣って生き神と隣人に純粋の愛を示す人たちはサタンの敵意の的となり命を奪われるかもしれませんが、イエスのように世の征服者として死に、サタンの頭を砕く女の胤として復活することになります。



ヨハネ 16:33
33 あなた方がわたしによって平安を得るために,わたしはこれらのことを言いました。世にあってあなた方には患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」。


ルカ 12:4
4 さらに,わたしの友であるあなた方に言いますが,体を殺しても,その後もう何もできない者たちを恐れてはなりません


ヘブライ 2:14-15
14 そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。15 またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした。


啓示 12:11
11 そして彼らは,子羊の血のゆえに,また自分たちの証しの言葉のゆえに彼を征服し,死に面してさえ自分の魂を愛さなかった


啓示 2:25-29
25 それにしても,あなた方が持っているものを,わたしが行くまでしっかり守りなさい。26 そして,征服する者,わたしの行ないを終わりまで守り通す者には,わたしは諸国民に対する権威を与え,27 その者は鉄の杖で民を牧し,彼らは粘土の器のように打ち砕かれるであろう。それは,わたしが自分の父から受けたのと同様であり,28 わたしはその者に明けの星を与える。29 耳のある者は霊が諸会衆に述べることを聞きなさい』。


ローマ 16:20
20 平和を与えてくださる神は,まもなくサタンをあなた方の足の下に砕かれるでしょう。わたしたちの主イエスの過分のご親切があなた方と共にありますように。



利己的で偽り者であるサタンは、神やキリストが持つ純粋の愛により征服されます。
神とキリストに倣う真のクリスチャンは、やがてキリストと共に蛇とその胤の頭を砕くでしょう。



偽り者の虚栄心

被造物からの栄光を過度に求めたサタンが得たものは何だったでしょうか。
この者の虚栄心を満たすものは、他の者からの真実の愛ではあり得ませんでした。
なぜなら、愛を幻想として否定して利己心を現実として(あるいは前提として)行動し生きているからです。

自らをインチキ神としたこの者が得ることができる栄光もやはりインチキ栄光にすぎません。
インチキ神はインチキ崇拝を得ることしかできません。


インチキ神のサタンは人を騙して崇拝、栄光を手にします。

そのようなインチキによる崇拝や栄光はウソがバレたら終わります。
それで、サタンはウソを信じる世界を造りました。
この世はサタンのインチキよる、インチキのための、インチキ世界です。


命と全てのものの源である愛ある神の本物の崇拝をインチキ(偽り)によってハイジャックしたサタンはインチキ(ウソ)を広めインチキを貫き通すことによりのみ存在し得ます。

インチキがバレたら(証明されたら)インチキとともにこの愚か者の存在も終わります。



オカルト大王のオカルト世界




サタンが広めたインチキ

創造者で命の源である真の神を否定するインチキ神のインチキ世界で人々を騙しているウソにはどんなものがあるでしょうか。

代表的なインチキ哲学をいくつかあげます。


全ては偶然の爆発で生じ、地は球体で自転し、また太陽の周りを公転し、さらに銀河と共に果てしない宇宙空間を無目的に超スピードで爆発地点から遠のいている。

自然界は偶然の所産であり、無窮の時間が知性や美の原因である。

生物は自ら進化して知性を持つ人間となった。

魂は死後も生き続けている。

魂は無窮の宇宙と融合し、転生を無限に繰り返す。

弱肉強食、自然選択、適者生存、優性劣性の原理が全てに働いている。

生き物は自分の命を優先して生きている。

人は欲望(金銭欲、性欲、食欲、名誉欲、権力欲、また脅しなど)で買収できる。


などです。


サタンのインチキを信じて生きている人たちの中にも神のような自己犠牲の隣人愛を示す人々はたくさんいますが、サタンは、自作のインチキによる、インチキ宗教、インチキ政府、インチキ司法制度、インチキ教育機関、インチキ医療制度、その他のインチキ組織を作り、それらを用いて人々を騙してインチキ神として人々の生活や思いを支配しています。

人々はそれと気づかずにインチキの奴隷となっている故に、その意識なしにインチキ神サタンに栄光を帰しています。


インチキ神サタンは、自分の存在を隠して、また神の像を持つ人を騙して望んでいる栄光を手にしていますので、だれとも親しい関係を持つことのない孤立した孤独な愚か者といえます。


自らを隠しているサタンの存在にだれも意を留めませんし、この栄光オタクに親しみなど感じません。

自作のインチキ(偽り)によりこの栄光オタクは「偽りの父」と呼ばれるようになりました。
偽りの父のインチキ(偽り)に同調する者たちも大勢います。
それら偽りを好む者たちにサタンは権力を与え自作のインチキ世界を隠れて支配しています。

それで、この世界は、創造者で命の源である真の神を認めないインチキが支配するインチキ世界となり、人々は「偽りの父」の存在も信じることもなく、ただサタン作のインチキに従って生きています。


人々が「偽りの父」を意識してサタンに感謝を述べたり、サタンを讃えたり、サタンに栄光を帰してひれ伏すことはありません。


この自らを隠す孤独な栄光オタクは、人々を騙して、また脅して人々の崇拝行為を得るために野獣の像を用います。

サタンは自作の偽りで機能する印象的な巨大組織を用いその壮大な権力や外観で人々に感銘を与え服従を強要して人々がひれ伏し崇拝の行為をするようにします。

それはウソと脅しによる「ものまね崇拝」です。
それは愛と信仰による本物の崇拝ではありません。

インチキ神サタンは、ウソと脅しによるインチキ崇拝しか手にすることはできません。
もしウソがバレたら、人々の怒りの的となるでしょう。


本物の神と偽物の神の違い

本物の神は、真実を告げ、崇拝を強要することはありません。
人々は、命と全てのものの与え主に感謝して自発的に喜んで神を崇拝します。


偽物の神は、ウソでだまし、崇拝を強要します。
人々は、強制されて、また恐れから偶像(巨大組織)の前に身を屈めます。



やがて始まる政治権力を用いた強制的なサタン崇拝に関する聖句

啓示 13:1-4, 11-16
1 そして[龍]は海の砂の上に立ち止まった。
また,わたしは一匹の野獣が海から上って行くのを見た。十本の角と七つの頭があり,その角の上には十の王冠があったが,その頭には冒とく的な名があった。2 さて,わたしの見た野獣はひょうに似ていたが,その足は熊の[足]のようであり,その口はライオンの口のようであった。そして,龍は自分の力と座と大きな権威を[その野獣]に与えた
3 そしてわたしは,その頭の一つがほふられて死んだかのようになっているのを見た。しかし,その致命的な打ち傷はいえた。それで,全地は感服してその野獣に従った。4 そして彼らは,野獣に権威を与えたことで龍を崇拝し,また,「だれがこの野獣に等しいだろうか。いったいだれがこれと戦いうるだろうか」と言って野獣を崇拝した

11 また,わたしは別の野獣が地から上って行くのを見た。それには子羊のような二本の角があった。それは龍のように話しはじめた。12 そして,第一の野獣のすべての権威をその前で行使する。また,地とそこに住む者たちに,致命的な打ち傷のいえた第一の野獣を崇拝させる。13 また,大いなるしるしを行なって,人類の前で火を天から地に下らせることさえする。
14 そして,野獣の前で行なうことを許されたしるしによって地に住む者たちを惑わし,一方では,剣の一撃を受けながら生き返った野獣のために像を作るようにと地に住む者たちに言う。15 またそれには,野獣の像に息を与えることが許された。それによって野獣の像は話すようになり,また,野獣の像をどうしても崇拝しない者たちをみな殺させるようにするのである。
16 またそれは,すべての人,すなわち,小なる者と大なる者,富んだ者と貧しい者,自由な者と奴隷を強制して,その右手や額に印を受けさせ,17 また,その印,つまり野獣の名もしくはその名の数字を持つ者以外にはだれも売り買いできないようにする。


創造者で命の源である真の神YHWHを否定するインチキ世界の中でやがて政治権力を用いた世界的な強制インチキ崇拝が実施されるでしょう。


栄光オタクのサタンが手にするウソと脅しによるインチキ崇拝は、人々の愛や感謝や喜びはなく意味も分からず身を屈めるだけのパフォーマンス(形だけのまねごと崇拝行為)となります。


ウソと脅しによりインチキ崇拝行為を手に入れる栄光オタクのサタンは他の者との親しい関係を築けない自己中心的な孤立した独裁者なので幸福ではありません。

サタンの支配は愛によらず恐怖による支配で多種多様な儀式や規則により人々を縛っています。
サタンと取引をしてこのインチキ世界の権力者になっているイルミナーティ・フリーメイソンたちは多種多様な儀式や数霊術を注意深く守らねばならず、手順間違いや数字の間違いがないように気を遣いながら無価値で無意味なサタンの要求を果たしています。へまをしたときの処罰を恐れて細心の注意を払って儀式を行っているのでしょう。


サタン崇拝者たちに個人の自由や良心の働きは認められません。
要求を正確に果たすロボット的服従だけが求められています。
ですから、サタン崇拝者たちは権力やお金、快楽を与えられていても幸福ではありません。
彼らはサタンが与える刺激と快楽で飼いならされた欲望の奴隷であり、またサタンの奴隷です。
サタン崇拝者の大半は幼児期に性的な虐待やその他の虐待を受けマインドコントロールされており人格障害を持っています。

これがサタン崇拝の姿です。

サタン崇拝者たちはエリート精神障害者栄光オタクの「サタン」の直接の犠牲者たちといえます。
これらのサタン崇拝者に仕立て上げられた人々にも神からの解放と回復がもたらされるでしょう。




サタンに関する聖書の記録

エゼキエル 28:12-19
12 . . . 『主権者なる主エホバはこのように言われた。
「『「あなたは知恵に満ち,美しさの点で完全であり,ひな型に封印する者。13 あなたは神の園であるエデンにいた。あらゆる宝石があなたの覆いであった。ルビー,トパーズ,碧玉,貴かんらん石,しまめのう,ひすい,サファイア,トルコ玉,エメラルド。あなたの中のはめ込み台と受け具の作りは金であった。あなたの創造された日にそれらは整えられていた。14 あなたは覆うことをする油そそがれたケルブであり,わたしがあなたを置いたのである。神の聖なる山にあなたはいた。あなたは火の燃える石の中を歩き回った。15 創造された日からあなたのうちに不義が見いだされるまでは,あなたはその道においてとがのない者であった
16 「『「あなたの満ちあふれる商品のゆえに,人々はあなたの中に暴虐を満たし,あなたは罪を犯すようになった。それで,覆うことをするケルブよ,わたしはあなたを汚れた者として神の山から出し,あなたを火の燃える石の中から滅ぼすであろう。
17 「『「あなたの心はあなたの美しさのゆえにごう慢になった。あなたはその輝かしい光輝のゆえに自分の知恵を滅びに陥れた。わたしは地の上にあなたを投げ出す。わたしはあなたを王たちの前に置く。[彼らが]あなたをながめるためである。
18 「『「あなたの満ちあふれるとがのために,あなたの商品の不正のゆえに,あなたは自分の聖なる所を汚した。それで,わたしはあなたの中から火を出すであろう。それが必ずあなたをむさぼり食う。そしてわたしは,あなたを見るすべての者たちの目の前で,あなたを地上の灰とするであろう。19 もろもろの民の中であなたを知っている者たちは皆,必ず驚いてあなたを見つめるであろう。あなたは必ず突然の恐怖となり,もはや定めのない時に至るまでいなくなるであろう」』」。


美と知恵の賜物を与えられていた神の霊の子が、過度の栄光を求めて他の者を利用するようになりました。この者は神の愛に倣って愛あるものになるのではなく自分に都合のいい偽りを愛し、自作の偽りの証明のために、またその偽りにより他の者を利用するために行動にでました。


サタンの偽りとは、

人や霊者はいたずらに行動しない自分の益を優先する打算的な存在である。

ヨブ記 1:6-12
6 さて,[まことの]神の子らが入って来てエホバの前に立つ日となった。サタンも彼らのただ中に入った。
7 そこで,エホバはサタンに言われた,「あなたはどこから来たのか」。するとサタンはエホバに答えて言った,「地を行き巡り,そこを歩き回ってきました」。8 すると,エホバはまたサタンに言われた,「あなたはわたしの僕ヨブに心を留めたか。地上には彼のような人,とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れている人はひとりもいないのだが」。9 するとサタンはエホバに答えて言った,「ヨブはただいたずらに神を恐れたのでしょうか。10 あなたが,彼とその家と彼の持っているすべてのものとの周りにくまなく垣を巡らされたではありませんか。彼の手の業をあなたは祝福されたので,その畜類は地にふえ広がりました。11 しかし逆に,どうか,あなたの手を出して,彼の持っているすべてのものに触れて,果たして彼が,それもあなたの顔に向かってあなたをのろわないかどうかを[見てください]」。12 それゆえエホバはサタンに言われた,「見よ,彼の持っているものはみな,あなたの手中にある。ただ彼の身に対しては,あなたの手を出してはならない!」 そこで,サタンはエホバのみ前から出て行った。


サタンの偽り
人は命のためなら何でもする。

ヨブ記 2:1-5
1 その後,[まことの]神の子らが入って来てエホバの前に立つ日となり,サタンもまた彼らのただ中に入ってエホバの前に立った。
2 そこでエホバはサタンに言った,「一体,あなたはどこから来たのか」。すると,サタンはエホバに答えて言った,「地を行き巡り,そこを歩き回ってきました」。3 するとエホバはさらにサタンに言われた,「あなたはわたしの僕ヨブに心を留めたか。地上には彼のような者,とがめがなく,廉直で,神を恐れ,悪から離れている人はひとりもいないのだが。その上なおも彼は自分の忠誠を堅く保っている。あなたはわたしを駆り立てて彼に向かわせ,理由もなく彼を呑み尽くさせようとするのだが」。4 しかしサタンはエホバに答えて言った,「皮のためには皮をもってしますので,人は自分の魂のためなら,持っているすべてのものを与えます。5 逆に,どうか,あなたの手を出して,彼の骨と肉にまで触れて,果たして彼が,それもあなたの顔に向かってあなたをのろわないかどうか[を見てください]」。



イエスを誘惑した時に用いたサタンの偽り

人は欲望を優先する。
人は世界を手に入れるためにひれ伏す。


マタイ 4:1-4, 8-9
1 それからイエスは,悪魔の誘惑を受けるため,霊によって荒野へ導かれた。2 四十日四十夜断食したのちに,[イエス]は飢えを感じられた。3 さらに,誘惑者が来て,彼にこう言った。「あなたが神の子であるなら,これらの石に,パンになるように命じなさい」。4 しかし[イエス]は答えて言われた,「『人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない』と書いてあります」。

8 また,悪魔は彼をとりわけ高い山に連れて行き,世のすべての王国とその栄光とを見せて,9 こう言った。「もしあなたがひれ伏してわたしに崇拝の行為をするならば,わたしはこれらのすべてをあなたに上げましょう」。



聖書から明らかのようにサタンの偽りは愛ある神の属性をはなはだしく侮辱するものでした。

利他的な愛を動機とする関係は幻想で、すべての関係は自分の欲望を優先して成り立つと主張するサタンは、自作のインチキを立証するためにエバをウソでだまし自己中心的に行動させ、エバを用いてアダムを自己中心的に振舞うようにさせました。

これにて、サタンの自作インチキが立証され、第一ラウンドはサタンの不意打ちによりサタンの大勝利となりました。今から6,000年ほど前のことです。


しかし、話はここで終わりではありません。
第2ラウンドがあります。

愛ある神は、神のような利他的な愛を証明する者によりサタンのインチキが暴露されインチキの扇動者の処刑が確定することご存知でした。


それで、インチキ神のインチキによるインチキのための世界が始まった直後に神はインチキ支配からの人類の救出を約束なさいました。



創世記 3:15
15 そしてわたしは,お前と女との間,またお前の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼はお前の頭を砕き,お前は彼のかかとを砕くであろう」。

サタンは女の胤により頭を砕かれ処刑されることになります。
女の胤はサタンからかかとを砕かれることになります。


女の胤はイエスキリストを表しています。
イエスのかかとが砕かれることは、イエスがサタンのインチキ理論により試されることを意味しています。サタンは、人は命のためなら何でもすると主張していますので、イエスの神への愛や信仰を打ち砕くためにイエスの命を奪うことが許されました。


イエスはサタンがもたらす苦痛や嘲りを伴う残虐な死に至るまで自己中心的にならず神への愛と信仰を保ち勝利者になりインチキ神「サタン」を征服します。

それ故にイエスは死後復活し天に戻り、神の予定の時にサタンの刑執行を行うことになりました。やがて女の胤は蛇の頭を砕きインチキ神のインチキとインチキ世界は永遠に一掃されます。



インチキ神のインチキ世界の中の人類史の6,000年間はインチキの犠牲者たちであふれています。サタンのインチキにより騙されて生き死んだ何十億もの人々は復活して真実を知らされ愛ある神の救いの益にあずかるでしょう。



真実を知った者たちは自分たちの救い主である神についてどう思うでしょうか。
全ての生けるものが創造者、命の源、救い主なる神とキリストを認めて、感謝して自らすすんで身を屈め神とキリストを崇拝するでしょう。



啓示 5:11-14
11 それから,わたしが見ると,み座と生き物と長老たちの周りにいる多くのみ使いたちの声が聞こえた。彼らの数は数万の数万倍,数千の数千倍であり,12 大声でこう言った。「ほふられた子羊は,力と富と知恵と強さと誉れと栄光と祝福を受けるにふさわしい方です」。
13 そして,天と地と地の下と海の上とにいるあらゆる被造物,およびそこにあるすべてのものがこう言うのが聞こえた。「み座に座しておられる方と子羊とに,祝福と誉れと栄光と偉力が限りなく永久にありますように」。14 すると,四つの生き物は「アーメン!」と言い,長老たちはひれ伏して崇拝した。

人々は自分の信仰と愛と感謝の対象を認識し自発的に真の神を崇拝するでしょう。
これが、すべてのものの創造者であり命の源、また救い主なる真の神YHWHが受ける真の崇拝です。

インチキ神はこのような真の崇拝を受けることは不可能です。
サタンが得る崇拝は、ウソと脅しによる無意味で無価値な形式的な「ものまね行為」だけです。
自作のインチキ崇拝のために、かって神の愛される子として得ていた愛ある関係や栄光ある自由を犠牲にしたこの愚か者が得る偶像崇拝は中身のないイミテーション崇拝(邪悪な崇拝ごっこ)です。


しかも、自作のインチキを証明せんがために、平気で人々を脅したり苦しめたりした邪悪さはそれ相応の処罰に値します。


やがて始まるキリストの1,000年統治においてサタンと悪霊たちは底知れぬ深みに監禁され、復活してくる何十億もの人々が真実を知ることを妨げられなくなります。人々はサタンのインチキを捨て去り、創造者、命の源、救い主なる真の神の崇拝を始めるでしょう。


イザヤ 2:2-4
2 そして,末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められ,すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。3 そして多くの民は必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。4 そして,[神]は諸国民の中で必ず裁きを行ない,多くの民に関して事を正される。そして,彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。


ミカ 4:1-4
1 そして,末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ,もろもろの丘より上に必ず高められる。もろもろの民は必ず流れのようにそこに向かう。2 そして,多くの国の民が必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。[神]はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」。律法はシオンから,エホバの言葉はエルサレムから出るのである。3 そして,[神]は多くの民の間で必ず裁きを行ない,遠く離れた強大な国々に関して事を正される。それで彼らはその剣をすきの刃に,その槍を刈り込みばさみに打ち変えなければならなくなる。国民は国民に向かって剣を上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。4 そして彼らはまさに,各々自分のぶどうの木の下,自分のいちじくの木の下に座り,[これを]おののかせる者はだれもいない。万軍のエホバの口が[これを]語ったのである。



キリストの1,000年統治の終わりに、サタンと悪霊たちは監禁から解放され、真実を知った全被造物の眼前で処刑されます。

その際、神の処刑を疑問に思ったり意義を唱えるものは、誰一人いないでしょう。

自らを隠して、また偽りを弄してインチキ崇拝のために他の者を利用した愚かで邪悪なものたちの処刑が、全被造物の周知のもとにすべてのものの眼前で実施されます。



啓示 20:7-10
7 さて,千年が終わると,サタンはすぐにその獄から解き放される。8 彼は出て行って,地の四隅の諸国民,ゴグとマゴグを惑わし,彼らを戦争のために集めるであろう。それらの者の数は海の砂のようである。9 そして,彼らは地いっぱいに広がって進み,聖なる者たちの宿営と愛されている都市を取り囲んだ。しかし,天から火が下って彼らをむさぼり食った。10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。そこは野獣と偽預言者の両方が[すでにいる]ところであった。そして彼らは昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。



サタンと悪霊たちの解放は地に住む者たちにとって脅威とはなりません。それは処刑のための手順であり、サタンとその胤たちは、誘導されて紅海で溺死したファラオとその軍勢のように回復した人類に触れることもなく天からの火により滅ぼされます。


へびとその胤の処刑の目撃証人となる人々は、紅海で救出を経験したかってのイスラエル人たちのように神の勝利を讃え賛美の歌を歌うでしょう。


神は、邪悪なものたちをどのように裁きの日のために留め置くかをご存知であり神の裁きが執行されるとき人々は神の救出に感謝し神の栄光を称えるでしょう。



出エジプト 9:15-16
15 わたしはすでに手を突き出してあなたとあなたの民を疫病で撃ち,それによってあなたを地からぬぐい去ることもできたであろう。16 だが,実際には,この目的のためにあなたを存在させておいた。すなわち,あなたにわたしの力を見させるため,こうしてわたしの名を全地に宣明させるためである

ローマ 9:17
17 聖書はファラオにこう言っているからです。「あなたに関連してわたしが自分の力を示すため,またわたしの名が全地で宣明されるため,まさにこのために,わたしはあなたを長らえさせたのである」。



今から6,000年くらい前に人類の最初の親アダムとエバを自作のインチキで騙し利用したインチキ神「サタン」は、その時その場で処刑されませんでした。

なぜなら、そのインチキとサタン邪悪さが立証されていなかったからです。

狡猾なサタンは、いわば神の手足を縛って犯罪を実行したということです。


神は、この一見成功したかに見える完全犯罪を解決するためにご自分のひとり子を用いました。
その者は、神の最愛のひとり子であり、アダムの家族に対する神の愛の深さの証明であり、それ故サタンのインチキの立証でもあります。

神はアダムの家族の救出のため、また偽りに基づく倫理的な問題の解決のために最大の犠牲を惜しみませんでした。
サタンの手に落ちた人類家族の救出を約束する神の即座の反応は神がまさしく愛であることを物語っています。

神のひとり子イエスもまた神とアダムの家族に対する私心のない愛を実証しました。

神とイエスの愛ある行為はサタンを罪に定め、サタンに利用され搾取された人類家族の救出を可能にしました。


キリストの1,000年統治の終わりにサタンとその胤たちが処刑されるとき、救出された人類家族および見守る天の霊の子たちの間に神の処刑の正当性を疑うものは一人もいません。


神は、ご自分の子供たちが十分納得できるように、いわば子供たちのペースに合わせて事を進め「偽りを愛して自己中心的に他のものを利用する邪悪な者」たちの処刑を執行なさいます。


その後、利己的に他のものを利用すること(つまり悪、苦難)が許されることはありません。

ナホム 1:9
9 あなた方はエホバに逆らってどんなことを考え出すのか。[神]は全き絶滅をもたらされるのである。
苦難は二度と生じない


将来サタンのように利己的になって愛の神から離脱する者に他の者を利用したり害するチャンスは与えられません。
啓示 20:10 が示唆しているようにサタンとその胤は公正な裁きの永遠の判例となり、将来のサタンの胤(サタンのようになる邪悪な者)は即座に処刑されるでしょう。

啓示 20:10
10 そして,彼らを惑わしていた悪魔は火と硫黄との湖に投げ込まれた。. . . そして彼ら(サタンとその胤)は昼も夜も限りなく永久に責め苦に遭うのである。






クリスチャンに対する教訓

エフェソス 5:1-2
1 それゆえ,愛される子供として,神を見倣う者となりなさい。2 そして,キリストがあなた方を愛し,芳しい香りとなる神への捧げ物また犠牲としてご自身をあなた方のために引き渡されたように,あなた方も愛のうちに歩んでゆきなさい


ヨハネ第一 4:7-10, 19
7 愛する者たちよ,これからも互いに愛し合ってゆきましょう。愛は神からのものだからです。そして,すべて愛する者は神から生まれており,神について知るのです。8 愛さない者は神を知るようになっていません。神は愛だからです。9 わたしたちの場合,これによって神の愛が明らかにされました。すなわち,神はご自分の独り子を世に遣わし,彼によってわたしたちが命を得られるようにしてくださったからです。10 愛はこの点,わたしたちが神を愛してきたというよりは,[神]がわたしたちを愛し,ご自分のみ子をわたしたちの罪のためのなだめの犠牲として遣わしてくださった,ということです。

19 わたしたちは,彼がまずわたしたちを愛してくださったので愛するのです。


ローマ 13:10
9 「あなたは姦淫を犯してはならない,殺人をしてはならない,盗んではならない,貪ってはならない」,そしてほかにどんなおきてがあるにしても,その[法典]は,この言葉,すなわち,「あなたは隣人を自分自身のように愛さねばならない」に要約されるからです。10 愛は自分の隣人に対して悪を行ないません。ですから,愛は律法を全うするものなのです。


愛は、自分の栄光や欲望や利得のために他の者を利用することはありません。
愛は、他の者の必要を思いやり助けになります。


フィリピ 2:4
4 自分の益を図って自分の事だけに目を留めず,人の益を図って他の人の事にも[目を留め]なさい

マタイ 5:43-48
43 「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。44 しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい。45 それは,あなた方が天におられるあなた方の父の子であることを示すためです。[父]は邪悪な者の上にも善良な者の上にもご自分の太陽を昇らせ,義なる者の上にも不義なる者の上にも雨を降らせてくださるのです。46 というのは,自分を愛してくれる者を愛したからといって,あなた方に何の報いがあるでしょうか。収税人たちも同じことをしているではありませんか。47 また,自分の兄弟たちにだけあいさつしたからといって,どんな格別なことをしているでしょうか。諸国の人々も同じことをしているではありませんか。48 ですから,あなた方は,あなた方の天の父が完全であられるように完全でなければなりません

マタイ 7:12
12 「それゆえ,自分にして欲しいと思うことはみな,同じように人にもしなければなりません。事実,これが律法と預言者たちの意味するところです。


コリント第一 13:1-8
1 たとえわたしが人間やみ使いの[いろいろな]ことばを話しても,愛がなければ,音を立てる[一片の]しんちゅうか,ただ鳴り響くシンバルとなっています。2 そして,たとえ預言[の賜物]を持ち,すべての神聖な奥義とすべての知識に通じていても,また,たとえ山を移すほどの全き信仰を持っていても,愛がなければ,何の価値もありません。3 そして,ほかの人たちに食物を与えるために自分のすべての持ち物を施しても,また,自分の体を渡して自分を誇れるようにしたとしても,愛がなければ,わたしには何の益にもなりません。
4 愛は辛抱強く,また親切です。愛はねたまず,自慢せず,思い上がらず,5 みだりな振る舞いをせず,自分の利を求めず,刺激されてもいら立ちません。傷つけられてもそれを根に持たず,6 不義を歓ばないで,真実なことと共に歓びます。7 すべての事に耐え,すべての事を信じ,すべての事を希望し,すべての事を忍耐します。
8 愛は決して絶えません。



ローマ 12:3
3 わたしは,自分に与えられた過分のご親切によって,あなた方の中のすべての人に言います。自分のことを必要以上に考えてはなりません。むしろ,神が各々に信仰を分け与えてくださったところに応じ,健全な思いを抱けるような考え方をしなさい


テモテ第二 1:7
7 神はわたしたちに,憶病の霊ではなく,力と愛と健全な思いとの[霊]を与えてくださったからです。


テトス 2:11-14
11 あらゆる人に救いをもたらす,神の過分のご親切があらわされており,12 それがわたしたちに,不敬虔と世の欲望とを振り捨てるべきこと,また現存する事物の体制にあって健全な思いと義と敬虔な専心とをもって生活すべきことを諭しているのです。13 そしてわたしたちは,幸福な希望と,偉大な神およびわたしたちの救い主キリスト・イエスの栄光ある顕現とを待っているのです。14 [キリスト]はわたしたちのためにご自身を与えてくださいましたが,それは,わたしたちをあらゆる不法から救い出し,ご自分が特別に所有する民,りっぱな業に熱心な[民]を,ご自身のために清めるためでした。


神に倣って利他的な愛を培うクリスチャンは、隣人の必要に仕えるりっぱな業に熱心な民となります。

Saturday, April 15, 2017

それを飲むたびに



クリスチャンの「主の記念式」は、イスラエルの「過ぎ越し」の日と異なり、毎年1回ニサンの14日に行う必要はないと思います。


クリスチャンは、ユダヤ教の宗教制度と異なり「見えるもの」によってではなく信仰によって歩んでいます。

コリント第二 5:7
7 わたしたちは信仰によって歩んでいるのであり,見えるところによって[歩んでいるの]ではありません


ユダヤ教の宗教制度は、神殿、祭司、犠牲、祭りなど見えるものにより支えられ運用されていました。

それらの見えるものはクリスチャンの崇拝には存在しませんし不要です。

クリスチャンそのものが神殿であるので、物質の神殿や宗教建造物は不要です。
また、キリストそのものが祭司であり指導者であるので、見える人間の代表者を必要としません。
犠牲や祭りはすべてキリストの贖いにより成就したので実体の出現とともに影は意味を失い取り除かれました。


コリント第一 3:16-17
16 あなた方は,自分たちが神の神殿であり,神の霊が自分たちの中に宿っていることを知らないのですか。17 もしだれかが神の神殿を滅ぼすなら,神はその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなた方はその[神殿]なのです

ヘブライ 3:1
1 そのようなわけで,聖なる兄弟たち,天の召しにあずかる人たちよ,わたしたちが[信仰を]告白する使徒また大祭司,イエスを思い見なさい。

コロサイ 2:16-17
16 ですからあなた方は,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。17 それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです。



以上のことをから分かることは、クリスチャンはニサンの14日を含めいかなる日付にも縛られていないと言うことです。




初期クリスチャンたちの実例

ペテロの例

西暦44年、ペテロはヘロデ・アグリッパにより無酵母パンの祭りの時捕縛され獄に入れられていました。ヘロデは「過ぎ越し」の後にペテロを殺すつもりでした。しかし、ペテロは、「過ぎ越し」の日の前にみ使いにより救出されマルコの母マリアの家に行き、その後カエサレアに行っています。

年に1度の無酵母パンの祭りや過ぎ越しにつて言及しているその出来事のルカの記録には、「主の記念式」についての言及はありません。

なぜでしょうか。

それは、その当時、「主の記念式」は、毎年1回「過ぎ越し」の日に行われる行事でなかったからです。

実体であるキリストの記念式は、影である「過ぎ越し」のようには行われませんし、影と同じように行う必要もありません。


影は実体を示します。
影で示されていたように、キリストはニサンの14日に死ぬことになっていました。
そして、キリストは実際にニサンの14日に死に、影が示していたニサンの14日を成就しました。
キリストがニサンの14日を成就したので、ニサンの14日は意味を失い、その役目を終え、同時にその日を守る義務も終了しました。ですからクリスチャンはニサンの14日に縛られていません。

クリスチャンはキリストの死を記念するのであり、ニサンの14日を記念しているのではありません。



使徒 12:1-19
1 ちょうどそのころ,王ヘロデは会衆のある者たちを虐待することに手をつけた。2 彼はヨハネの兄弟ヤコブを剣にかけて除き去ったのである。3 それがユダヤ人の気に入るのを見て,彼はさらにペテロをも捕縛した。(ところで,それは無酵母パンの時期であった。)4 そして彼を捕まえて獄に入れ,四人一組四交替の兵士に引き渡して監視させた。過ぎ越しが済んでから民のために彼を引き出すつもりだったのである。5 こうしてペテロは獄に入れられていた。しかし,彼のために神への祈りが会衆によって熱烈に続けられていた。

6 さて,ヘロデが彼を引き出そうとしていた時,その夜ペテロは二本の鎖でつながれて二人の兵士の間で眠っており,戸口の前の番兵たちは獄を守っていた。7 しかし,見よ,エホバのみ使いがそばに立ち,光が獄房内を照らした。彼はペテロの脇腹をたたいて起こし,「早く立ちなさい!」と言った。すると,鎖は彼の両手から落ちた。8 み使いは彼に言った,「帯を締め,サンダルを履きなさい」。彼はそのとおりにした。最後に[み使い]は彼に言った,「外衣を着けて,わたしのあとに付いて来なさい」。9 それで彼は外に出てあとに付いて行ったが,み使いを通して起きている事が現実であるとは知らなかった。事実,幻を見ているのだと思っていた。10 第一と第二の見張り番を通り抜けて,市内に通ずる鉄の門のところに来ると,それはひとりでに開いた。そして,外に出たあと通りを一つ進むと,み使いはすぐに彼を離れた。11 それでペテロは我に返って言った,「今,確かに分かる。主はみ使いを遣わして,わたしをヘロデの手から,そしてユダヤの民が待ち構えていたすべての事から救い出してくださったのだ」。

12 そして,そう考えると,彼はまたの名をマルコというヨハネの母マリアの家に行った。そこにはかなり大勢の者が集まって祈っていた。13 彼が門口の戸をたたくと,ロダという名の下女が応対に出て来たが,14 それがペテロの声だと分かると,喜びのあまり門を開けずに中に駆け込み,ペテロが門口に立っていると知らせた。15 彼らは,「あなたは気が狂っているのだ」と言った。しかし彼女は,確かにそうだと強く言い張るのであった。みんなは,「それは彼のみ使いだろう」と言いだした。16 しかしペテロはそこでずっと[戸を]たたいていた。[戸を]開けた時,彼らは[ペテロ]を見て非常に驚いた。17 しかし彼は,静かにするようにと手を振って合図をし,主がどのように彼を獄から連れ出されたかを詳しく話し,そして,「これらのことをヤコブと兄弟たちに報告してください」と言った。そうして彼は出て行き,別の場所に旅立った。


18 さて,夜が明けると,ペテロはいったいどうなったのかと,兵士の間で少なからぬ騒ぎになった。19 ヘロデは彼を念入りに捜したが,見つからないとなると,番兵たちを取り調べ,[処罰のために]彼らを引いて行くようにと命令した。その後,ユダヤからカエサレアに下って行き,そこでしばらく過ごした。



パウロの例

西暦56年、3回目の宣教旅行の終わりごろパウロは無酵母パンの祭りの期間をフィリピで過ごしました。ここでもルカの記録は「主の記念式」について一言も述べていません。

なぜでしょうか。

「主の記念式」が毎年1回「過ぎ越し」の日に行われる行事でなかったからです。
「主の記念式」は廃止された影のような取り決めではなく年に1度の行事ではありません。


もし、それが影と同じように年に1度「過ぎ越し」の日に行われるべきものなら、その手順に関する明確な指示や、初期クリスチャンの間での実例や言及が聖書中に皆無なのはなぜですか。

無酵母パンの祭りや過ぎ越しについて書いている歴史家のルカはなぜ、「主の記念式」について沈黙しているのでしょうか。


答えは、「主の記念式」は、影のように年に1度の記念式ではないからです。


使徒 20:1-6
1 さて,騒動が収まったのち,パウロは弟子たちを呼びにやった。そして彼らを励まし,また別れを告げてから,マケドニアへ旅立った。2 そこの各地を通ってその地の者たちを多くの言葉で励ましたのち,彼はギリシャに入った。3 そして,そこで三か月過ごしたが,シリアに向けて出帆しようとしていたやさき,彼に対するユダヤ人たちの陰謀が巡らされたので,彼はマケドニアを通って帰ることに決めた。4 ベレアのプロの子ソパテロ,テサロニケ人のアリスタルコとセクンド,デルベのガイオ,テモテ,アジア[地区]からはテキコとトロフィモが彼に同行していた。5 これらの者は進んで行ってトロアスでわたしたちを待っていたが,6 わたしたちは無酵母パンの期間のあとフィリピから船出し,五日以内にトロアスにいる彼らのところに来た。そして,ここで七日過ごした。




キリスト 過ぎ越しの実体

キリストがユダヤ教の過ぎ越しを成就したので、クリスチャンはもはやその祭りの制限や規制の下にはいません。それら影に属する要求は過ぎ去りました。

クリスチャンは無酵母パンの祭りのために1年のある期間に縛られることはありません。
クリスチャンは毎日無酵母パンの祭りの実体の下に生きています。


コリント第一 5:6-8
6 あなた方が誇りにしている事柄は良くありません。あなた方は,少しのパン種が固まり全体を発酵させることを知らないのですか。7 古いパン種を除き去りなさい。あなた方は酵母を持たない者なのですから,それにふさわしく新しい固まりとなるためです。実際,わたしたちの過ぎ越しであるキリストは犠牲にされたのです。8 ですから,古いパン種や悪と邪悪のパン種を用いず,誠実さと真実さの無酵母パンを用いて祭りを行なおうではありませんか


無酵母パンの要求は1年の数日間に限定されません。むしろクリスチャンの全人生が無酵母パンの祭りとなります。


クリスチャンは、1年の特定の日だけ主人であるキリストを思い起こすのではありません。
クリスチャンは常に主であるキリストを思いに留めて生涯を送ります。


イエスは弟子たちに「わたしの記念として、これを行い続けなさい。」と命じました。
イエスは、いつ、年に何回行うかについて何も述べていません。
聖書のどこにも、いつ、年に何回についての明確な規定はありません。

ただ、「これを行い続けなさい。」と言われているだけです。

では、いつ、年に何回、その他を決めるのは誰ですか。

それは、キリストの贖いを信じる個人です。
いかなる人も、またいかなる団体も、個人に代わって個人の信仰を規定したり規制することはできません。これは、神と個人の間の極めて個人的な関係であり信仰です。


ですから、この種の個人的なことを議論のテーマとすることは間違いでしょう。
個人の信仰のことで、結論などでない無駄な論議に巻き込まれるべきではありませんし、そのような無益な議論を始めるべきでもありません。



ルカ 22:19-20
19 また,[イエス]はパンを取り,感謝をささげてそれを割き,それを彼らに与えて,こう言われた。「これは,あなた方のために与えられるわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」。20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています。



コリント第一 11:23-26
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。



「~するたびに」という表現は、いつでもそうすることができることを示唆しています。


実体の到来とともに、特定の日や特定の場所に依存する影に属する崇拝の様式は意味を失いました。
クリスチャンは実体と結ばれており、影の下にはいませんので、望むならいつでも、どこでも自分の信仰と愛を表せます。


クリスチャンの生き方や崇拝は、特定の日や特定の場所に依存しません。
「キリストの記念式」もニサンの14日や王国会館(他の教会の建物)に依存しません。



クリスチャンは、いつでも、どこでも、神に祈れるように、また隣人に愛を示せるように、いつでも表象物を用いて主の死を記念できます。


初期クリスチャンには愛餐(あいさん)と呼ばれる習慣があり信仰の仲間と交友と食事をともにするときがありました。
そのようなときにも表象物を用いて主の死を記念していたと思います。


ニサンの14日以外に記念する人は罪を犯していると言う人たちは、その根拠を聖書から示すべきです。
そのような主張は聖書から立証できません。

キリストの死を思い起こすための表象物の無酵母パンとぶどう酒をニサンの14日以外に食べたり飲んだりしたら罪になるのですか。また、それらの表象物に日没前にあずかったら罪になるのですか。

キリストの死を記念して表象物にあずかることは信仰の表明ではないのですか。
信仰の表明の仕方によって人は罪に定められるのですか。


人の信仰を規則で計ろうとする盲目の裁き人たちよ。

ヨハネ 7:24
24 うわべを見て裁くのをやめ,義にかなった裁きで裁きなさい



神が受け入れている者たちを罪に定めることはできません。

マタイ 12:7
7 しかし,『わたしは憐れみを望み,犠牲を[望ま]ない』ということの意味を理解していたなら,あなた方は罪科のない者たちを罪に定めたりはしなかったでしょう。



規定違反だとして人を罪に定めるその種の推論は、廃止された律法契約の特徴であり実体に属するクリスチャンのものではありません。


影に属する取り決めや規定を重視する人たちは実体であるキリストの過分の親切からはずれ落ちています。


ガラテア 5:1, 4
1 キリストは,このような自由のためにわたしたちを自由にしてくださったのです。ですから,堅く立って,再び奴隷のくびきにつながれないようにしなさい。
4 律法によって義と宣せられることを求めるあなた方は,だれであろうとキリストから引き離されています。あなた方はその過分のご親切から外れ落ちているのです。



ある行為の意義は、それが起きた日や場所にあるのではなく、行為そのものにあります。
ですから、キリストの犠牲の死そのものに注意を向けるべきであり、それが起きたニサンの14日やエルサレムの2階の部屋、その他の見えるものを気にする必要は全くありません。



ご自分の犠牲の死を思い起こす助けとして、イエスは無酵母パンとぶどう酒を表象物として用いました。

クリスチャンはそれらの表象物を用いて、いつでも望むときに主の死を記念することができます。

それらの表象物は十字架よりはるかに勝った「キリストの贖いを思い出させるための助け」と言えます。



ニサンの14日や日の入りの時刻を気にする必要は全くありません。

ニサンの14日以外に、または日の入り時刻前にそれを食べたり飲んだりしたからと言って人は罪を犯しているのではありません。


そのような規定を気にする人は律法違反者として裁かれることを恐れて行動していた古代イスラエル人のようです。へまをしたら裁かれるのではないかと恐れに支配されている人たちはクリスチャンの自由を持っていません。取り除かれた影に属する規則や要求を気にする必要はありません。

ある人は、パリサイ人のように規則や決まりを守ることによって自分の義を示すことを願っているかもしれませんが、そのような自己推薦は神にとって何の価値もないでしょう。



人の心の願いや信仰の質は神ご自信が評価なさいますので、だれも他の人の決定を裁くべきでも見下すべきでもありません。

もし、確信や決定について尋ねられたら自分の思いや推論を穏やかに説明すると良いと思います。その際、自分の確信を他の人に押し付けることはできません。




ローマ 14:5-12
5 ある人は,ある日がほかの日に勝ると判断し,別の人は,どの日もほかのすべての日と同じであると判断します。おのおの自分の思いの中で得心していなさい。6 日を守る者は,それを主に対して守ります。また,食べる者は,主に対して食べます。その人は神に感謝をささげるからです。そして,食べない者は,主に対して食べません。それでもその人は神に感謝をささげます。7 事実,わたしたちはだれ一人,ただ自分に関してのみ生きるのではありません。また,だれ一人,ただ自分に関してのみ死ぬのでもありません。8 わたしたちは,生きるなら主に対して生き,死ぬなら主に対して死ぬからです。それゆえ,生きるにしても死ぬにしても,わたしたちは主のものです。9 死んだ者にも生きている者にも主となること,このためにキリストは死に,そして生き返ったからです。

10 それなのに,あなたはなぜ自分の兄弟を裁くのですか。また,なぜ自分の兄弟を見下げたりするのですか。わたしたちはみな,神の裁きの座の前に立つことになるのです。11 「エホバは言われる,『わたしが生きているごとく,すべてのひざはわたしに対してかがみ,すべての舌は神を公に認めるであろう』」と書かれているからです。12 それですから,わたしたちは各々,神に対して自分の言い開きをすることになるのです。



ペテロ第一 3:15
15 むしろ,あなた方の心の中でキリストを主として神聖なものとし,だれでもあなた方のうちにある希望の理由を問う人に対し,その前で弁明できるよう常に備えをしていなさい。しかし温和な気持ちと深い敬意をもってそうするようにしなさい。

Tuesday, April 4, 2017

主の晩餐


今から3,530年前の西暦前1513年の今の時期に、神によるひとつの救出劇が演じられました。


神は当時のイルミナーティ世界権力者であるエジプトのファラオの支配からイスラエル人を開放なさいました。


聖書に記録されているこの救出劇は歴史の事実でありイスラエル人はその神による救出の生ける証人です。



イスラエルの正月は、この神の救出があった月から始まります。
その救出は西暦前1513年のニサンの14日に起きました。


当時の悪魔崇拝イルミナーティ世界権力のエジプトは、その偽りの神々とともに裁かれ、低められ、奴隷にしていたイスラエル人を国から吐き出しました。


真の神は、ニサンの14日に、エジプトにいる人も動物も、その長子を死に至らせた際にイスラエル人の家を過ぎ越され、エジプトの偽りの神々の崇拝の力を打ち砕きました。

その災いの直後、エジプトのイルミナーティ支配者のファラオはイスラエル人をエジプトの奴隷状態から開放しました。

その出来事は、真夜中に起きました。
そして、その日は満月の月光がエジプトを出て行くイスラエル人の群集の道すがらを照らしていました。


イスラエルは、毎年、この神の救出劇を祝うように命じられ、律法にその手順にかんする規定が定められました。

そして、その祭りは今日まで続いています。



聖書の出エジプト記にある記録から、この出来事に関するいくつかの点を思い起こしてみましょう。


出エジプト12:1-51
1 それからエホバはモーセにこう言われた。「あと一つの災厄をわたしはファラオとエジプトに下す。その後に彼はあなた方をここから去らせるであろう。あなた方をすべて去らせる時,彼はあなた方をここからまさに追い立てんばかりにするであろう。2 さあ,民の耳に話しなさい。男はそれぞれ自分の友に,女もそれぞれ自分の友に銀の品や金の品を求めるように,と」。3 それでエホバはその民がエジプト人の目に好意を得るようにされた。モーセその人も,エジプトの地で,ファラオの僕たちの目や民の目には非常に大いなる者であった。
4 それからモーセはこう言った。「エホバはこのように言われました。『真夜中ごろわたしはエジプトのただ中に出て行く。5 そして,エジプトの地にいるすべての初子は,その王座に座するファラオの初子から手臼を回すはしための初子,さらには獣の初子に至るまでことごとく死ぬことになる。6 そしてエジプト全土に大きな叫びが必ず起きる。そのようなことはかつてなく,そのようなことは二度と起きないであろう。7 しかし,すべてイスラエルの子らに対しては,人にも獣にも,犬がその舌をはやらせることすらないであろう。エホバはエジプト人とイスラエルの子らとの間に区別を設けることができるということをあなた方が知るためである』。8 それで,これらあなたの僕たちは皆わたしのもとに下って来て平伏し,『出て行ってください,あなたもあなたの歩みに従う民もみな』と言うことでしょう。その後にわたしは出て行きます」。こうして彼は怒りに燃えながらファラオのもとを出た。
9 それからエホバはモーセにこう言われた。「ファラオはあなた方[の言葉]を聴き入れない。それは,エジプトの地でわたしの奇跡が増し加えられるためである」。10 こうしてモーセとアロンはこれらのすべての奇跡をファラオの前で行なった。しかし,エホバはファラオの心をかたくなにならせるのであった。そのため彼はイスラエルの子らを自分の土地から去らせなかった。
12 次いでエホバはエジプトの地でモーセとアロンにこう言われた。2 「この月はあなた方にとって始めの月となる。これはあなた方にとって一年の最初の月となる。3 イスラエルの全集会に話してこう言いなさい。『この月の十日に,彼らは各々自分のため,父祖の家のために一頭の羊,家ごとに一頭の羊を取る。4 しかし,もし一家がその羊に対しては小さすぎるのであれば,その者とそのすぐ近くの隣り人とは,魂の数に応じてそれを自分の家に持って行くように。その羊を,各自の食べるところに応じて割り振るべきである。5 あなた方のために,その羊はきずのない一歳の雄であるべきである。若い雄羊から,あるいはやぎの中から選んでもよい。6 そして,この月の十四日までそれをあなた方の下に守っておき,その後イスラエルの集会の者たちの全会衆は二つの夕方の間にそれをほふらねばならない。7 また彼らはその血を幾らか取り,自分がそれを食べる家の二本の戸柱とその戸口の上部にそれを掛けねばならない
8 「『そして彼らはその夜にその肉を食べなければならない。それを火で焼いて無酵母パンと共に,また苦菜を添えて食べる。9 その幾らかにせよ生で,あるいはゆでて,つまり水で煮て食べてはいけない。火で焼く,その頭もすねや内臓も共に。10 また,その幾らかでも朝まで残しておいてはならない。朝まで残るものは火に入れて焼き捨てるべきである。11 そしてこのようにしてそれを食べる。あなた方の腰に帯をし,足にサンダルをはき,手に杖を持つ。それを急いで食べなければならない。それはエホバの過ぎ越しである。12 そしてわたしはこの夜にエジプトの地を通り,人から獣に至るエジプトの地のすべての初子を必ず打つ。エジプトのすべての神々に対してわたしは裁きを執行する。わたしはエホバである。13 そして,その血はあなた方のいる家の上にあってあなた方のしるしとなるのである。わたしは必ずその血を見てあなた方を過ぎ越す。それで,わたしがエジプトの地を打つ時,その災厄があなた方に臨んで滅びをもたらすことはない。
14 「『そして,この日はあなた方のための記念となり,あなた方はエホバに対する祭りとしてこれを代々祝わなければならない。定めのない時に至る法令としてこれを祝うように。15 七日の間あなた方は無酵母パンだけを食べる。初めの日にあなた方の家から酸い練り粉を取り除く。初めの日から七日目までの間にパン種の入った物を食べる者がいれば,その魂はイスラエルのうちから断たれなければならないからである。16 そして,初めの日にはあなた方のために聖なる大会が開かれ,七日目にも聖なる大会が[開かれる]。それら[の日]には何の仕事もしてはいけない。ただしすべての魂が食べるべきもの,それに関してだけは自分のために行なってよい。
17 「『こうしてあなた方は無酵母パンの祭りを守らねばならない。実にその日にわたしはあなた方の軍隊をエジプトの地から携え出すからである。そしてあなた方は定めのない時に至る法令としてこの日を代々守らなければならない。18 第一の月,その月の十四日,その夕方にあなた方は無酵母パンを食べ,月の二十一日,その夕方にまで及ぶ。19 七日の間あなた方の家に酸い練り粉があってはならない。パン種の入った物を味わう者がいれば,外人居留者であってもその地に生まれた者であっても,その魂はイスラエルの集会の中から断たれなければならないのである。20 パン種の入った物はいっさい食べてはいけない。あなた方はその住むすべての所で無酵母パンを食べる』」。
21 直ちにモーセはイスラエルのすべての年長者を呼んで,こう言った。「あなた方のために,その家族に応じて小さな家畜を選んで取り,過ぎ越しのいけにえをほふりなさい。22 また,ヒソプの束を取って水盤に入れた血に浸し,その水盤の血の幾らかを戸口の上部と二本の戸柱にはたき付けなければならない。そして,朝になるまであなた方のだれも自分の家の入口から出てはならない。23 そうすれば,エホバがエジプト人に災厄を下すために通られて戸口の上部と二本の戸柱に付いた血をご覧になる時,エホバは必ずその入口を過ぎ越し,滅びがあなた方の家に入ってあなた方に災厄をもたらすことがないようにされるであろう。
24 「それであなた方はこの事を,自分と自分の子らのための,定めのない時に至る規定として守らなければならない。25 そして,エホバの与えてくださる地に,その述べられたとおりに入るときにも,あなた方はこの務めを守らなければならないのである。26 また,あなた方の子らが,『この務めにはどういう意味があるのですか』と言うとき,27 あなた方は,『これはエホバに対する過ぎ越しの犠牲であって,[神]はエジプト人に災厄を下された際,エジプトにいたイスラエルの子らの家々を過ぎ越して,わたしたちの家々を救い出してくださったのだ』と言わなければならない」。
すると,民は身を低くかがめて平伏した。28 その後イスラエルの子らは行って,エホバがモーセとアロンに命じたとおりに行なった。まさにそのとおりに行なった。
29 そして,真夜中のこと,エホバは,王座に座するファラオの初子から獄の穴にいる捕らわれ人の初子まで,エジプトの地のすべての初子を打ち,また獣の初子をもことごとく[打たれた]。30 それでファラオは,すなわち彼もそのすべての僕や[他の]すべてのエジプト人も夜中に起き上がった。そしてエジプト人の間に大きな叫びが起こりはじめた。死人の出ない家はなかったからである。31 すぐ,夜のうちに,彼はモーセとアロンを呼んで,こう言った。「立て,お前たちもイスラエルの[他の]子らもわたしの民の中から出て行け。行って,お前たちの言うとおりエホバに仕えるがよい。32 お前たちの言ったとおり,羊も牛も連れて行け。そして,わたしのことも祝福するのだ」。
33 そして,エジプト人はこの民をその地から急いで去らせようとしてせき立てるようになった。「我々はみな死んだも同然なのだ!」と言うのであった。34 そのため民はパン種を入れる前の練り粉を抱え,こね鉢をマントにくるんで肩に負った。35 そしてイスラエルの子らはモーセの言葉どおりに行ない,エジプト人に銀の品や金の品やマントを求めるのであった。36 そしてエホバはその民がエジプト人の目に好意を得るようにされたので,彼らはその求められる物をこれに与えた。こうして[民]はエジプト人からはぎ取った。
37 それからイスラエルの子らはラメセスをたってスコトに向かうことになったが,幼い者たちを別にして,徒歩で行く強健な男子は六十万人に上った。38 そして入り混じった大集団も彼らと共に上って行き,加えて羊の群れと牛の群れ,おびただしい数の家畜が一緒であった。39 そして彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて丸い菓子,つまり無酵母パンにした。それはパン種を入れてなかったからである。エジプトから追い立てられてゆっくりひまを取ることができず,また自分たちのための食糧を用意してもいなかったのである。
40 そして,エジプトに住んだイスラエルの子らのその居住[の期間]は四百三十年であった。41 そして,四百三十年の終わったちょうどその日に,エホバの全軍はエジプトの地を出たのであった。42 それは,彼らをエジプトの地から携え出されたゆえにエホバに対して守るべき夜である。この夜はイスラエルのすべての子らが代々エホバに対して守るべきものである。
43 次いでエホバはモーセとアロンにこう言われた。「これが過ぎ越しに関する法令である。すなわち,異国の者はだれもそれを食べてはいけない。44 しかし,金で買い取られた奴隷の男がいる場合,あなたはこれに割礼を施さねばならない。こうして後に,その者はそれにあずかってよい。45 移住者と雇い入れられた労働者とはそれを食べてはいけない。46 それを一軒の家の中で食べる。その肉の幾らかにせよ家から外のどこかへ持ち出してはならない。また,あなた方はその骨を折ってはならない。47 イスラエルの集会のすべての者がこれを執り行なう。48 そして,外人居留者があなたのもとに外国人としてとどまっていて,その者がエホバへの過ぎ越しを執り行なうという場合には,その者に属するすべての男子に割礼が施されるように。こうして後に,その者は近くに来てそれを行なってよい。その者はその地で生まれた者のようにならなければならない。しかし,割礼を受けていない者はだれもそれを食べてはならない。49 そこで生まれた者にもあなた方の中に外国人としてとどまる外人居留者にも,同一の律法が存在することになる」。
50 それで,イスラエルのすべての子らは,エホバがモーセとアロンに命じたとおりに行なった。まさにそのとおりに行なった。51 そして,ちょうどこの日に,エホバはイスラエルの子らをその軍隊と共にエジプトの地から携え出されたのであった。



注目できる点は、
イスラエルの各家族は、過ぎ越しの子羊をほふり、その血を家の鴨居に塗り、その中で過ぎ越しの犠牲を食べたということです。


ポイントは、過ぎ越しは家族単位でなされている点です。
奴隷としてエジプトに住んでいたイスラエル人たちは、特定の場所にみんなで集まって過ぎ越を経験したのではなく、各自は自分の家に留まっていて、神はその家の鴨居の血を見てそこを過ぎ越しました。


この過ぎ越しの儀式は、基本的に集団でおこなうものではなく家族が行う宗教儀式です。

もちろん、数家族が集まって集団で過ぎ越しを行うことを否とするものではありませんし、また家族単位で行うことを否とするものでもありません。

いずれにしても、神の救いは他の人の信仰と宗教儀式に依存するものではなく、自分の信仰とその表明によります。

また、信仰のない人を過ぎ越しに招待する理由も妥当性も要求もありません。
この儀式は極めて個人的な信仰の表明です。

神の救いの手立てを信じている人が自らの信仰に従って行う信仰の表明です。イスラエル人の各家族、またエジプト人でさえそれを信じた家族はイスラエル人の家で保護され過ぎ越しにより救出を経験しました。


その時から今日まで、イスラエル人は過ぎ越しの実体が「キリストの購い」であることを理解せずに毎年ニサンの14日に過ぎ越しを祝っています。





神の子羊イエス・キリスト

ヨハネ 1:29
29 次の日,彼は,イエスが自分のほうに来るのに目を留めて,こう言った。「見なさい,世の罪を取り去る,神の子羊です! 」


西暦前1513年のニサンの14日から1,546年後の西暦33年のニサンの14日(2017年の今から1,984年前)に過ぎ越しの子羊の実体であるイエス・キリストが犠牲の死を遂げました。

その晩、イエスは「過ぎ越し」に代わる記念式を制定なさりご自分の弟子たちに、自分の帰還までその記念式を守り行うように命じました。


その記念式は、キリストの死の記念式です。
それは、過ぎ越しの子羊の実体の記念式です。

キリストの罪のない犠牲の死により、全人類は罪と死、またサタンの支配から救出されました。

ですから、全人類の前途は極めて明るいと言えます。
キリストが戻られるとき、サタンのイルミナーティ支配は終わります。
そのとき、古代のイルミナーティ世界権力エジプトが被ったのと同じ裁きがこの世に臨みます。

キリストに属する人たちは、やがてキリストが天軍とともに戻られるとき神の救いにあずかるでしょう。


その時が来るまでキリストに信仰を持つものたちはキリストの犠牲の死を思い起こしキリストの救出について感謝を表明し続けます。


古代イスラエルにおいて「過ぎ越し」はニサンの14日に毎年1度祝われていました。律法契約には、いつ祝うとか、種なしパンとか、羊の肉の食べ残しは焼くようにとか「過ぎ越し」に関する色々な規定が書かれています。


キリストの死により律法契約が終わったとき、「過ぎ越し」の儀式も、実体の出現により意味を失い廃止されました。代わってクリスチャンは主の記念式を祝いキリストの死を思い起こすように命じられています。

主の記念式を、いつ、どこで、どのように祝うかに関する律法で規定されていたような規則は存在しません。


それで、各自は聖書中の記録に従って、いつ、どこで、祝うかを決めることができます。

グループで祝ってもいいですし、個人で祝ってもかまいません。
自分の置かれた状況で自分にとって都合の良い方法を選べば良いだけです。

また、1年のこの時期に主の記念式を行うこともできますし、別の都合の良い時期に行うこともできます。廃止された律法契約の「過ぎ越し」のように年に1度だけに限定する根拠もありません。


キリストの死を思い起こし、記念としていつでもふさわしい時に行うことができます。

これらに関する規則をクリスチャンギリシャ語聖書は全く規定していません。
そうであれば、誰も自分の見方を他の人に強要できません。


コリント第一 4:6
6 . . . 「書かれている事柄を越えてはならない」という[定め]を学んでもらい,あなた方がそれぞれ一方に付いて他方を退け,思い上がるようなことのないためです。



ニサンの14日について


パンとぶどう酒の表象物について

罪のないキリストの体と血の表象物として、イースト菌で発酵させていない「種なしパン」と、添加物のない「ぶどう酒」を用います。


種なしパンは強力粉を練って自作できます。
ぶどう酒は無添加ぶどう酒を調達して使うか、自作できると思います。

通常、ぶどう酒に微量の酸化防止剤が添加されているようですが、それを過度に気にする妥当性はないと思います。

昔から何らかの保存剤が使用されており、古代イスラエルでも同じだと思います。
イエスは、当時流通していて食卓にあったぶどう酒を使ったのであり、細かく「これこれしかじかのぶどう酒を用意しなさい」などと弟子たちに指示して備えさせたのではありません。





ものみの塔の極端な解釈
現在流通しているワインには大抵少量の防腐剤が入っています。
濃度にすると10ppm (0.001%)くらいの亜硫酸塩が添加されています。
それをを気にする、あるいは問題とすることをどう思いますか。


マタイ 15:1-2, 10-11, 15-20
1 その時,エルサレムからパリサイ人と書士たちがイエスのところに来て,こう言った。2 「あなたの弟子が昔の人々からの伝統を踏み越えているのはどうしてですか。たとえば,食事をしようとするときに,彼らは手を洗いません」。

10 そうして,群衆を近くに呼んでこう言われた。「聴いて,その意味を悟りなさい。11 口の中に入るものが人を汚すのではありません。口から出るものが人を汚すのです」。

15 ペテロはそれにこたえて言った,「その例えをわたしたちに分かりやすくしてください」。16 すると[イエス]は言われた,「あなた方もまだ理解していないのですか。17 口の中に入るものはみな腸に進んで行き,下水に排出されることに気づいていないのですか。18 しかし,口から出るものは心から出て来るのであり,それが人を汚します。19 たとえば,心から,邪悪な推論,殺人,姦淫,淫行,盗み,偽証,冒とくが出て来ます。20 これらは人を汚すものです。しかし,洗ってない手で食事を取ることは人を汚しません」。



ものみの塔は、無添加ワインにこだわる一方、その間違った解釈によって、または意図的に、キリストの弟子たちがキリストの犠牲の表象物に預かることを妨げています。


マタイ 23:24
24 盲目の案内人,ぶよは濾し取りながら,らくだを呑み込む者たちよ!





聖書の裏づけを欠くオカルト「ものみの塔」の記念式により条件付けられた元JWたちは、ニサンの14日を気にしたり、無添加ぶどう酒の純度を気にしたり、他の人を招待したりすることを気にしたり、王国会館での記念式を気にするかもしれませんが、その必要はありません。


表象物を揃えて自分の家族で、いつでもキリストの死を記念できます。
クリスチャンはキリストの死がもたらした救出に感謝して生きます。
やがて、キリストの帰還がありイルミナーティ支配が終わるでしょう。




主の晩餐についての聖句

マタイ 16:21
1 さて,これらすべてを語り終えてから,イエスは弟子たちにこう言われた。2 「あなた方の知っているとおり,今から二日後には過ぎ越しが行なわれます。そして,人の子は杭につけられるために引き渡されるのです」。


マタイ 26:1-2, 17-19, 26-30
1 さて,これらすべてを語り終えてから,イエスは弟子たちにこう言われた。2 「あなた方の知っているとおり,今から二日後には過ぎ越しが行なわれます。そして,人の子は杭につけられるために引き渡されるのです」。

17 無酵母パンの最初の日,弟子たちがイエスのところに来て,こう言った。「過ぎ越しの食事をなさるため,わたしたちがどこに準備するようお望みですか」。18 [イエス]は言われた,「市内に入ってこれこれの人のところに行き,こう言いなさい。師が,『わたしの定めの時が近づきました。わたしは弟子たちと共にあなたの家で過ぎ越しを祝います』と言っておられますと」。19 それで弟子たちはイエスが命じたとおりに行なって,過ぎ越しの用意を整えた。

26 彼らが食事を続けていると,イエスはパンを取り,祝とうを述べてからそれを割き,弟子たちに与えて,こう言われた。「取って,食べなさい。これはわたしの体を表わしています」。27 また,杯を取り,感謝をささげてからそれを彼らに与え,こう言われた。「あなた方はみな,それから飲みなさい。28 これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです。29 しかしあなた方に言いますが,わたしの父の王国であなた方と共にそれの新しいものを飲むその日まで,わたしは今後決してぶどうの木のこの産物を飲みません」。30 最後に,賛美を歌ってから,彼らはオリーブ山に出て行った。




マルコ 14:12-16, 22-26
12 さて,無酵母パンの最初の日,それは慣例として過ぎ越し[のいけにえ]を犠牲にする時であったが,弟子たちが彼にこう言った。「過ぎ越しの食事をなさるため,わたしたちがどこに行って準備をするようにお望みですか」。13 そこで彼は弟子の二人を遣わしてこう言われた。「市内に入りなさい。そうすれば,水を土器に入れて運んでいる男があなた方に出会うでしょう。そのあとに付いて行きなさい。14 そして,彼の入って行くのがどこであっても,そこの家あるじにこう言いなさい。『師が言われます,「弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事ができる,わたしのための客室はどこでしょうか」と』。15 そうすると彼は準備の整った,大きな階上の部屋を見せてくれるでしょう。そこでわたしたちのために準備をしなさい」。16 それで弟子たちは出て行った。そして市に入ってみると,[イエス]が彼らに言われたとおりであった。こうして彼らは過ぎ越しの準備をした。

22 そして,彼らが食事を続けていると,[イエス]はパンを取って祝とうを述べ,それを割いて彼らに与え,「取りなさい。これはわたしの体を表わしています」と言われた。23 また,杯を取り,感謝をささげてから,それを彼らにお与えになった。それで彼らは皆その[杯]から飲んだ。24 そうして[イエス]は彼らに言われた,「これはわたしの『契約の血』を表わしています。それは多くの人のために注ぎ出されることになっています。25 あなた方に真実に言いますが,神の王国でそれの新しいものを飲むその日まで,わたしはぶどうの木の産物をもう決して飲まないでしょう」。26 最後に,賛美を歌ってから,彼らはオリーブ山に出て行った。




ルカ 22:7-20
7 さて,無酵母パンの日が来た。それは過ぎ越し[のいけにえ]が犠牲にされねばならない[日]であった。8 そこで[イエス]はペテロとヨハネを派遣して,こう言われた。「行って,わたしたちが食べる過ぎ越しを用意しなさい」。9 彼らは言った,「どこに用意するようにお望みですか」。10 [イエス]は彼らに言われた,「見よ,あなた方が市内に入ると,水を土器に入れて運んでいる男があなた方に会うでしょう。そのあとに付いて行って,彼の入る家に入りなさい。11 そして,その家のあるじにこう言わねばなりません。『師があなたに言っておられます,「わたしが弟子たちと一緒に過ぎ越しの食事をすることのできる客室はどこでしょうか」と』。12 するとその[人]は整えられた大きな階上の部屋を見せてくれるでしょう。そこに用意をしなさい」。13 それで彼らが出かけて行ってみると,[イエス]が言われたとおりであった。こうして彼らは過ぎ越しの用意をした。

14 ようやくその時刻が来たとき,[イエス]は食卓について横になり,使徒たちも共に[食卓についた]。15 そして[イエス]は彼らに言われた,「わたしは,苦しみを受ける前にあなた方と一緒にこの過ぎ越しの食事をすることを大いに望んできました。16 あなた方に言いますが,それが神の王国で成就するまで,わたしは二度とそれを食べないのです」。17 それから杯を受け取り,感謝をささげてからこう言われた。「これを取り,あなた方の間で順に回しなさい。18 あなた方に言いますが,今からのち,神の王国が到来するまで,わたしはぶどうの木の産物を二度と飲まないのです」。
19 また,[イエス]はパンを取り,感謝をささげてそれを割き,それを彼らに与えて,こう言われた。「これは,あなた方のために与えられるわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行ないつづけなさい」。20 また,晩さんがすんでから,杯をも同じようにして,こう言われた。「この杯は,わたしの血による新しい契約を表わしています。それはあなた方のために注ぎ出されることになっています


コリント第一 11:23-26
23 わたしは,自分が主から受けたこと,それをあなた方に伝えたのです。すなわち,主イエスは,渡されようとしていた夜,ひとつのパンを取り,24 感謝をささげてからそれを割き,こう言われました。「これはあなた方のためのわたしの体を表わしています。わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。25 晩さんをすませた後,杯についても同じようにして,こう言われました。「この杯はわたしの血による新しい契約を表わしています。それを飲むたびに,わたしの記念としてこれを行なってゆきなさい」。26 このパンを食べ,この杯を飲むたびに,あなた方は主の死をふれ告げてゆくのであり,それは彼が到来する時にまで及ぶのです。





マタイ 5:17
17 「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく,成就するために来たのです。

ローマ 10:4
4 キリストは律法の終わりであり,こうして,信仰を働かせる者はみな義を得るのです。


コロサイ 2:16-17
16 ですからあなた方は,食べることや飲むことで,また祭りや新月の習わしや安息日に関して,だれからも裁かれるべきではありません。17 それらの事は来たるべきものの影であって,その実体はキリストに属しているのです。




ヨハネ 6:32-33, 51, 53-58, 63
32 ゆえにイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,モーセはあなた方に天からのパンを与えませんでした。しかし,わたしの父は,天からの真のパンをあなた方に与えておられるのです。33 天から下って来て世に命を与える者,それが神のパンだからです」。

51 わたしは天から下って来た生きたパンです。だれでもこのパンを食べるなら,その人は永久に生きます。そして,本当のことですが,わたしが与えるパンとは,世の命のためのわたしの肉なのです」。

53 そこでイエスは彼らに言われた,「きわめて真実にあなた方に言いますが,人の子の肉を食べず,その血を飲まないかぎり,あなた方は自分のうちに命を持てません。54 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は永遠の命を持ち,わたしはその人を終わりの日に復活させるでしょう。55 わたしの肉は真の食物であり,わたしの血は真の飲み物なのです。56 わたしの肉を食し,わたしの血を飲む者は,ずっとわたしと結びついているのであり,わたしもその者と結びついています。57 生ける父がわたしをお遣わしになり,わたしが父によって生きているのと同じように,わたしを食する者,その者もまたわたしによって生きるのです。58 これは天から下って来たパンです。それは,あなた方の父祖が食べてもなお死んだようなものではありません。このパンを食する者は永久に生きるのです」。

63 命を与えるものは霊です。肉は少しも役に立ちません。わたしがあなた方に話したことばは霊であり,命です。


ヘブライ 2:14-18
14 そこで,「幼子たち」が血と肉を持つ者なので,彼も同様にその同じものにあずかりました。それは,自分の死によって,死をもたらす手だてを持つ者,すなわち悪魔を無に帰せしめるためでした。15 またそれは,死に対する恐れのために生涯奴隷の状態に服していた者すべてを解放するためでした。16 確かに,彼はみ使いたちを助けているのではなく,アブラハムの胤を助けているのです。17 そのために,彼はすべての点で自分の「兄弟たち」のようにならなければなりませんでした。神にかかわる事柄において憐れみ深い忠実な大祭司となり,民の罪のためになだめの犠牲をささげるためでした。18 彼は,自分自身が試練に遭って苦しんだので,試練に遭っている者たちを助けに来ることができるのです。


ヘブライ 3:1-2, 14
1 そのようなわけで,聖なる兄弟たち,天の召しにあずかる人たちよ,わたしたちが[信仰を]告白する使徒また大祭司,イエスを思い見なさい。2 彼は自分をそのようにした方に対して忠実でした。モーセもまたその方の家全体にあって[忠実で]あったのと同じです。

14 初めに抱いた確信を終わりまでしっかりと堅く保ってはじめて,わたしたちは本当にキリストにあずかる者となるのです。





本当のシナイ山