Monday, June 29, 2015

宗教詐欺

ものみの塔協会は、私たちに偽りを信じ込ませた宗教詐欺とみなすことができます。

それは、何か望ましいもの、期待されるもの、求めるべき正しいことから始まります。
地上の楽園での永遠の命、苦しみと悪の終わりについての良いたよりが私たちに提供されました。

義を愛する人たちにとってそれを受け入れることは本当に良いことに思えます。
それで、私たちはそれらの聖書の真理を受け入れました。

さらに死者の状態、復活の希望、エホバ神、イエスキリストについての真理が引き続き提供されます。明確な聖句によって、これらの聖書の真理を識別することはそれ程難しいことではありません。

私たちはこれらの貴重な聖書の真理を学ぶのを助けられました。
そのころまでに、私たちはこれらの情報の源に対してふさわしい敬意を培うようになっています。

そして、私たちは目に見えない王イエスによって「忠実で思慮深い奴隷」にイエスの全ての持ち物がゆだねられていると告げられます。(マタイ 24:45-47)

私たちにはその声明を疑う理由がありませんでした。
それで、それを受け入れます。

し かし、残念なことにそれは偽りです。彼らの任命はまだなされていません。任命は、自己推薦、あるいは自己任命するグループによってではなく、戻られたキリ ストによりなされます。それで今日のエホバの証人の「忠実で思慮深い奴隷」は自分で名乗り出て任命を受けたと主張する偽者です。

コリント第二 10:18
18 自分を推薦する者が是認されるのではなく,エホバの推薦される人が[是認される]のです。

このようにして、私たちは自称「忠実で思慮深い奴隷」の支配下に陥りました。
貴重な真理から始まって最後に私たちは偽りを信じるように誤導されました。
これが詐欺というものです。

ひとたび完全に洗脳されてしまうと人は「忠実で思慮深い奴隷」に依存するように身を任せます。
そして、出版物や会衆の取決めによってこの依存状態はいつも強化され続けます。
彼らは平等を教えながら、私たちは様々な特権により階級に分けられます。
彼らは独自性を認めながら、私たちは教えや注解において画一性を強要されます。
そして彼らがいつも強調するのは、独立的な考えの危険です。

その結果、「忠実で思慮深い奴隷」の統治体に完全に依存した私たちは自分で何も判断できなくなってしまいます。

ルカ 12:57
57 なぜあなた方は,何が義にかなっているかをも自分で判断しないのですか。


そのような崇拝者をエホバ神が望むと思いますか。
私はそうは思いません。



聖書が示すエホバ神の望む崇拝者の特徴

ヨハネ 4:23
とはいえ,真の崇拝者が霊と真理をもって父を崇拝する時が来ようとしています。それは今なのです。実際,父は,ご自分をそのように崇拝する者たちを求めておられるのです。

マタイ 23:2, 4
2 「書士とパリサイ人たちはモーセの座に座っています。
4 重い荷をくくって人の肩に載せますが,自分ではそれを指で動かそうともしません。
(組織の聖書解釈や規則により、統治体はパリサイ人と同じことをしています。)

マタイ 23:8, 10
8 しかしあなた方は,ラビと呼ばれてはなりません。あなた方の教師はただ一人であり,あなた方はみな兄弟だからです。
10 また,『指導者』と呼ばれてもなりません。あなた方の指導者はキリスト一人だからです。
(統治体は、教師、指導者のように振る舞っています。)

マタイ 11:30
わたしのくびきは心地よく,わたしの荷は軽いのです。
(真のキリスト教により人が鬱になったり自殺することはありません。)

ローマ 14:22
あなたの抱く信仰は,神のみ前で自分自身にしたがって抱きなさい。自らよしとしている事柄について自分を裁かないでよい人は幸いです。(誰も他の人との信仰の主人にはなれません)

ローマ 14:4
他の人の家僕を裁くとは,あなたはだれなのですか。その人が立つも倒れるも,それはその主人に対してのことなのです。実際,その人は立つようにされるでしょう。エホバはその人を立たせることができるからです。(輸血、世の祝祭日、選挙、乾杯、格闘技、誕生日、その他の個人的な事で人を裁くことはできませんが、「も塔」は独自の聖書解釈を押し付けてきます。)

コリント第一 4:5
それゆえ,定めの時以前に,つまり主が来られるまでは,何事も裁いてはなりません。[主]は,闇の隠れた事柄を明るみに出し,また心の計り事を明らかにされます。その時,人は各自神からの称賛を受けるのです。(「も塔」のインチキ司法制度により不当に裁かれ背教者として排斥された人々は多数に上ります。)

コリント第一 4:8
あなた方はすでに存分に持っているのですか。あなた方はすでに富んでいるのですか。あなた方はわたしたちを抜きにして王として支配しはじめたのですか。(先走って支配を始めている忠実で思慮深い奴隷の統治体には正当な権利はありません。)

ガラテア 2:5
そのような人たち(他人を支配しようとする人たち)に対してわたしたちは屈服して譲歩したりはしませんでした。(目ざといJWの兄弟たち、「も塔」のインチキや圧政に屈する必要はありません。)

コリント第一 7:23
あなた方は代価をもって買われたのです。もう人間の奴隷となってはなりません。
(各クリスチャンは、組織や権威者たちの奴隷になる必要はありません。)

コリント第一 3:6-7
6 わたしは植え,アポロは水を注ぎました。しかし,神が[それを]ずっと成長させてくださったのです。
7 ですから,大切なのは,植える者でも水を注ぐ者でもなく,成長させてくださる神なのです。
(真理の経路は重要ではなく、むしろ真理の源と真理そのものが重要です。)

真理の経路となった者、あるいは組織が重要ですか。
私たちの聖書の理解や信仰は人や組織からではなく神からのものではありませんか。
そうであるなら、真理の経路となった者や組織に服従する理由は何もありません。

真理そのものに服すべきです。
つまり、人にではなく神に服すべきです。
私たちは、自己推薦をする者に依存する必要はありません。

統治体を含め真理の経路となる者はコリント第一 1:24 に従って振舞う義務があります。

コリント第二 1:24
わたしたちがあなた方の信仰に対する主人であるというのではありません。わたしたちはあなた方の喜びのための同労者です。あなた方が立っているのは[自分の]信仰によるのです。



使途 5:29
わたしたちは,[自分たちの]支配者として人間より神に従わねばなりません

権威の代理人を据える階級制度、または中央集権制度は神の方法ではありません。
それは、ニムロデの時代から、サタンの世のやり方です。



エホバ神は、目に見える王を要求してイスラエルが周囲の諸国民のやり方を取入れた時不快感を示されました。

イエスの追随者は神権支配が何を意味するかを識別する必要があります。

それは、私たちの信仰の見える指導者となっている統治体によよる支配ではありません。
それは、目に見える指導者や、キリストの見える代表者たちによるものではなく、私たち1人1人の信仰の権威となるべき聖書による支配です。

以下の聖句は、クリスチャンの指導者としてキリストの見える代表者が不要なことを示しています。

コリント第二 4:18
同時にわたしたちは,見えるものではなく,見えないものに目を留めます。見えるものは一時的ですが,見えないものは永遠だからです。

コリント第二 5:7
わたしたちは信仰によって歩んでいるのであり,見えるところによって[歩んでいるの]ではありません

それで、エホバ神にとって個人個人の聖書の真理(キリストの教え)への信仰が重要といえます。

聖書をとおして働くキリストの指導への信仰による従順。
神はそのような崇拝者を求めています。

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